第96話 2日目 贖罪
君堂の表情は晴れない。
あまり良い話ではないのだろうとあかねは少し身構える。
「江口橋さん、さっきスタッフになったきっかけは話してたよね」
「ええ、先輩に誘われたと」
「きっかけはそうみたいなんだけど、続けている理由がね……」
一瞬言い淀む君堂。
だが、自分で話し始めたことだと気を取り直す。
「変な言い方なんだけど『贖罪』なんだよ」
「罪を償うということですの?」
「うん、まあそう」
君堂の言葉がどうにも飲み込めない。
「罪、とはなんですの」
「本当は罪でもないし、江口橋さんだけの責任じゃないんだけどね」
君堂はそう前置きして、少しづつ語り始めた。
※
これは、二十年ほど前の話。
江口橋さんがまだ新人だった頃の夏コミ。江口橋さんは、東5ホールに配属されてたの。
実はその前の年の夏コミ、西ホールで参加者の将棋倒し事件があったんだ。けが人も出た。
だから、その次の冬コミと、江口橋さんが新人スタッフで参加した夏コミはまだ警戒してたんだ。
形の上ではね。
結果から言うと、また起っちゃったんだ。
そう。その時は東5ホール。
江口橋さんは巻き込まれた当事者になっちゃったんだ。
両方。
つまり、一般参加で西の将棋倒しに巻き込まれて、スタッフ参加で東の将棋倒しを止められなかった。
江口橋さんには、ちゃんと予兆が分かってたんだって。
でも、その時は新人だったから。
話を聞いてもらえずに、何もできずに、止められなかった。
その時はもう酷かったみたい。
最初の西は仕方のない事故だけど、警戒していて起こしてしまった東は重罪人だと。
コミマを壊しかけたブロックだって名指しで責められて。
当時の匿名掲示板でスタッフの体制表を晒されちゃったりね。
その時のスタッフはほとんどやめちゃった。
残ってるのが、江口橋さんと何人かだけなんだって。
それで責任を背負い込んでしまってね。
酷い話だよね。
そこにいた以上、何も悪くないなんて言えはしないんだけど……
それでも、江口橋さんは贖罪の為にスタッフを続けてるんだ。
江口橋さん、スタッフを辞める人のことを『卒業』って言って送り出すんだけど。
江口橋さんはいつ卒業するのって聞いたことがあるんだよ。
そしたら『俺はずっと見送る側だって決めてるんだ』って。
その理由をよくよく聞いたら、二十年前のその事件の当事者である責任だって。
それが、スタッフを続ける理由なんだって。
※
君堂の目に、涙が浮かぶ。
それは彼女が江口橋のことを案じている証拠だった。
「江口橋さんが、そうおっしゃったのですか」
君堂は黙ってうなずくと、指で軽く目頭をぬぐった。
「二十年……」
口にするほど軽い時間ではない。
コミマは本来楽しい場所のはずだ。なのに、そんな気持ちでこの場所に立っていたのか。
「それほどご自分を縛られていたのですか」
「でもね、コミマで見せる明るい表情も本当だと思うんだよね……だから余計に何も言えなくて」
「そう、ですわね」
そんな理由を抱えていて、心の底から楽しめるものだろうか。
どこか抜けないトゲが刺さったような、居心地の悪さを抱えていたのではないだろうか。
「江口橋さん、瑞光寺さんに、昔の新人だった頃の自分を重ねてるのかもね」
「わたくし、ですか」
「うん。そう」
君堂は「あたしの想像だけどね」と付け加える。
「もしも、あの時に予兆をしっかり把握して、物怖じせず周りに伝えて、当時のスタッフがちゃんと聞いて、全員で対応できていたらって」
そこまで聞いて理解できた。
今の自分の行動は、当時の江口橋が取りたかった行動なのだと。
横も縦も繋がりを巻き込んで、立ち向かおうとしている。
「……今、やり直そうとしているんじゃないかな」
これを防げたとして、江口橋の心のトゲは消えるのかは分からない。
だが、いつか守れなかったものを、今度こそ自分の手で守ることができたら……
それは、救いになるのではないだろうか。
「だから、わたくしのことを信じてくださったのでしょうか」
「まあ、それだけじゃないとは思うけどね」
ただ昔の自分に当てはめているだけではない。
このたった2年に満たない、でも濃密な時間によって築かれたものが確かにあった。
「だって江口橋さん、瑞光寺さんのこと気に入ってるし。あたしもだけど」
「恐縮ですわ」
「瑞光寺さんは信用に足る行動を見せてくれた。だからあたしたちも隣に立ってるんだよ」
イベントを成功させるために、一緒に全力を尽くす日がある。
数か月に一度訪れるその機会は、ただ毎日職場や学校で顔を合わせるだけの繋がりよりもはるかに強固で確かな絆を作り出した。
趣味が同じ、目指す方向が同じ、そして同じ場所が好き。
今となってはスタッフではない知り合いもずいぶん増えた。
そしてその人たちに会えるのは、ここ。コミマだ。
「だからね、瑞光寺さん。瑞光寺さんの夢の話は、絶対に防がなきゃいけない」
「そう、ですわね。江口橋さんのためにも」
ここでまた大事故を起こしてしまったら、江口橋がどうなってしまうのか分からない。
そんな危うさが感じられる。
道を尋ねたそうな一般参加者が、ふたりのことをチラリと窺う。
しかし、重い空気を察したように離れていってしまった。
「あっ……ごめん、重たい話になっちゃったね」
表情を変えて、君堂が笑いかけた。
「半分くらい忘れてくれてもいいよ。江口橋さんのことはついででいいからさ」
「いえ。知っておいて良かったと思いますわ」
江口橋には初参加から面倒を見てもらっている縁がある。
これを知ってどうこうするわけではないが、君堂がこのことを教えてくれた意味は心に留めておくべきだおる。
「一般さんに逃げられちゃったねえ」
「あまりよろしくはなかったですわね」
ふたりして反省をする。
参加者の役に立てないスタッフはスタッフである意味がない。
「瑞光寺さんは美人だからね。難しい顔してると近寄り難いんだよね」
「まあそのようなご冗談を」
「冗談じゃないんだけどなあ……」
あかねの自己評価の低さは今更だが、君堂が呆れたように息を吐いた。
しばらくふたりで人の流れを眺めていると、雑な長髪の男が現れた。
「おう、美女ども。お疲れ」
「和泉さん、セクハラー」
「何だよ。純粋に褒めてるだろ」
東5ホール長の和泉だ。
隣の東6ホール長と比べると、華やかさには欠く。
そのことを嘆くような東5のスタッフもいたが、実際は親しみが込められたものだ。
「ホール長がこんなとこまで何しに来たんです」
「平和なホールを噛みしめてるのさ」
「何ですそれ……」
ホール長が本部にいなくてもいいぐらい平和、ということだろうか。
あるいはホール長がいなくとも回る本部であるのかもしれない。
「君堂も江口橋も珍しく連続で5ホールに登録してくれてるが、そろそろ腰を落ち着ける気になったのか?」
「いやあ、どう……ですかね」
君堂がちらりと江口橋のいる定点に目をやる。
その目線の先を追い、和泉はすぐに察した。
「……まあ、あいつにとっては因縁のホールだからなあ」
「次の夏コミのことでうまく行ったら、その呪縛から解放されるかもしれないと思ってるんですけどね」
「なるほどな。そうなるといいんだが」
江口橋のことを気遣うような表情を見せる。
気やすい冗談を口にする反面、繊細なフォローもできるのだろう。
なんとなく、慕われる理由が分かったような気がした。
「あ、瑞光寺さんの前でこんな話して良かったのか?」
「ちょうどさっき話したんで大丈夫ですよ」
江口橋の件は、公然というわけではなさそうだ。
和泉もまた江口橋の心の傷を知るひとりなのだろう。
「ね、瑞光寺さん?」
「ええ。コミマのついでに江口橋さんもお救いしましょうというお話をしましたわ」
和泉から少し緊張している雰囲気を感じ取ったあかねは、半分冗談にうなずいてみせる。
「ついでってお前……」
冗談が通じたのかどうかは分からないが、和泉は半分引いた表情で君堂を見た。
「あ、あたしじゃない……いや、あたしが言ったわ」
額に手を当てて大げさに失敗を嘆く君堂を見て、和泉とあかねは同じように頬を緩めた。




