第92話 2日目 トシヤと共に
早朝。
ここまで付き添いの安威と共に駅のシャッターが開くのを待っていると、聞き慣れた声がした。
「おはようございます」
同じブロックの高村トシヤだ。
変装なのかマスクとハンチング帽をかぶっている。
「おはようございます」
隣では安威が黙って頭を下げている。
思えばC96夏でも同じように始発前の駅で見かけたが、あの時はお互いに全く面識がなかった。コミマの縁というのは不思議なものだ。
今日はスタッフとしてはお休みの日だったはずだが、始発に乗るのだろうか。
「あかねさんぐらいの方は、会場まで車かと思ってたなあ。本当に毎回始発に乗ってるんだね」
安威が小さく反応したが、見ないふりをする。
確かにそういう提案もあった。一般参加のときに車で送ってもらったが、何となく物足りなかった。
「コミマ期間中の電車が好きですの」
「……ああ、なるほど。だから始発なんだ」
「ええ」
トシヤは察しが良い。
自分の行動が理解されて、朝から気分が良くなった。
「それではお嬢様、私はこれで。本日は午後に参ります」
「ええ、また後で」
駅のシャッターが開くのを見届けると、安威は頭を下げた。ご丁寧にトシヤにも頭を下げる。
今日安威は午後から来場する予定だ。
「えっと、今のも瑞光寺の方?」
トシヤは改札を通るとそう聞いてきた。安威のことを初めて見たらしい。
体が大きい割に目立たず振る舞えるあの能力は何なのだろう。
「はい。付き添いというかお目付け役というか……会場では周りをうろうろしているのですが、行きの電車だけはひとりにしてほしいとお願いしているんですの」
それを聞いて、気まずそうな顔をする。
「あっ……すみません」
「いえ。自由な時間が欲しいという意味です。ですのでトシヤさんと一緒にいたくないというわけではございませんわ」
そう言うとあかねは、涼風のように笑う。
ほんの数か月前とは別人のようだ。
トシヤはたまに『女伯』レッスンを覗いてはいたが、こんな表情もできるようになったのだと内心驚いている。
それから始発に乗り、地下鉄へと乗り継ぐ。
ふたりはブロックの業務について話をし、少し家族のことも話をする。
周囲にオタクが増えることもあり、どうしても声は抑えめになる。
必然的に顔の距離が縮まる。
「ところでトシヤさん、サークル参加なら始発でなくとも良いのではありませんこと」
「早朝だとなんというか……あんまりジロジロされないんだ」
「ああ、人気ですものね」
「いやいや、そんなことはないよ」
謙遜しているが、朝の特撮番組に出て人気がないわけがない。少なくとも知名度は劇的に上がっただろう。
あかねの目の前にあるマスクに隠された顔は、ネット上で美形だと噂になっていることも知っている。
「撮影も早朝から動くことが多いから苦じゃないし」
「そうなのですね」
言われてみれば、早朝からエキストラらしき人たちが待機しているのを見たことがあった。
早い時間から大変だと思ったが、俳優もその時間から動いているのは当然だろう。
「でも、あかねさんの言う通り、確かにコミマの日の始発は楽しいね」
優しげな瞳が自分を見ていることに気づいて、ふと目を逸らす。
一瞬の後、自分がどうして目を逸らしたのかと首をかしげた。
失礼だっただろう。
改めてトシヤの方を向いた。
「……トシヤさんは、サークル入場時間までは何をなさっていますの」
「駅でぼんやりしてることが多いかな。人間観察というか」
「まあ。そんなことを……芸の肥やしというわけですのね」
「さすがに最近は目立つといけないから、やれなくなったけどね」
話しかけられても面倒だとトシヤが笑う。
それにしても、この寒い早朝は人間観察に向かないだろう。
始発組がごった返す駅周辺を見て雰囲気を楽しんでいるのかもしれないが、体調が心配になる。
そんなトシヤに、あかねはひとつ提案をした。
2日目の朝も、底冷えする空気がホールに残る。
暖房が稼働している音はするが、音だけだ。
温かい空気は上にのぼる。その恩恵が感じられるのはまだ先のようだ。
「おはようございます」
「「「おはようございます」」」
ブロック別の朝礼。勢ぞろいしたネノブロック担当のスタッフ。
ブロック長の江口橋が連絡事項を伝えていく。
「昨日から各出入口でカメラを設置して新技術の試験運用中なので、もし聞かれたそう答えてくださいとのことだ。体温やらを瞬時に測定することができて、基準以上の体温の人に帰宅を促すらしい。それは救護室と場外救護の仕事なので、特に館内としては心に留めておくだけで良い」
一同は静かにうなずいた。
「それから『催事参加者位置情報活用システム』なるものも技術検証中らしい。もっとも、これはコミマ以前のイベントから運用しているそうだからあまり気にしなくていい」
日本でも有数の参加者数を誇るコミマは、色んな実証実験の最適な場になる。
少し前も携帯電話の回線を確保するため車載基地局という車が試験運用されていた。
全体の連絡が終わると、次にあかねが口を開く。
「本日のシフトについてです。今は昨日と同じメンバーがそろっていますが、何人かは朝の見本誌回収だけですわ」
今日はサークルで参加するメンバーがいる。すなわちリョリョ、探花、そしてトシヤの三人だ。
この三人は朝の忙しいピークである見本誌回収だけ手伝うことになる。
あまり混雑が予想されない日でも、サークルの参加数は変わらない。
だから見本誌回収だけでも手伝ってもらえると非常にありがたい。
「リョリョさんと探花さんは八時半まで、トシヤさんは八時まで。今日はコスプレは雲雀さんだけ。ほか早退する人はいますか」
「えっと倉敷と児島、閉会後チラシ撒きがあるので閉会と同時に上がりたいです」
「承知いたしましたわ」
少し驚いた表情を見せながらうなずくあかね。
「もしや倉敷さん、イベントを主催なさるの?」
「あ、うん。実はそうなの。たまたま良い日に会場が空いていて」
「おー、すごいね! 良かったら手伝うよ」
君堂が無邪気に笑う。
他の面々も好意的に笑顔を見せている。
ほとんどが、イベント主催が花形であり、そして泥臭い苦労の上の成り立っていることを知っている。
その上でイベントを形にしようとしている倉敷と児島に、敬意を持っているのだ。
「他には……何かありましたら後でも良いのでおっしゃってくださいませ」
ブロック員を見回すあかね。
このメンバーがいれば、今日もまた無事に乗り切れるような気がしている。
「あと、いつも本を運んでくれる神崎さんが今日も手伝ってくれるそうだ。袋の運用は昨日と同じでよろしく頼む」
江口橋が補足する。
「朝ご飯をしっかり食べ、しっかりと動きましょう」
あかねが笑う。
自信と信頼を込めて。
ブロック員は自分たちの副ブロック長に、目が釘付けになる。
全員が「魅力」という言葉の意味を感じていた。
ネノブロックが、不思議な高揚感に包まれる。
「それでは、本日もよろしくお願いいたしますわ」
「「「よろしくお願いします!」」」
いつもより数段大きい声に、他のブロック員が何事かとネノブロックを見た。
そこには全員で楽しそうに笑うネノブロックの姿があった。




