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同人誌即売会と悪役顔令嬢  作者: 狐坂いづみ
C99冬編
102/171

第91話 1日目 視死若帰

 コスプレ広場から帰って江口橋に顔を見せると、すぐさまひとり巡回に出た。

 傾いた日差しが、ホールの天井の隙間から降り注いでいる。

 閉会までもうあまり時間はない。

 サークルも三割ほどは帰ってしまい、残りもかなりの割合で撤収作業を始めている。通路の人影もかなりまばらになってきた。

 目指すは、隣のハブロック。

 

「……よう、スタッフさん」


 力なく手を上げる、月華美神の男性。

 最後まで見届ける気なのだろうが、体力の限界が近いように見える。

 

「お疲れ様です……本当にお疲れのようですわね」

「みっともねえとこ見せるね」


 苦笑いしてみせる。

 もしかしたら苦痛を伴っているのかもしれないが、あくまでも笑顔を見せている。

 そんな男性を見て、隣に座る女性がよく似た苦笑いを見せる。

 

「兄は、本当はこんなとこに出て来られるような状態じゃないんですけどね」

「コミマに来ないで……生きながらえるより、コミマで死ぬ方が、いいに……決まってんだろ」


 浅い呼吸を繋いで不敵に笑う。嘘偽りのない言葉なのだろう。

 それだけに、あかねは返答に迷う。

 

「……ここで死なれてしまうと、困ってしまいますわね」

「いけね。そうだ。せめて、敷地外に出ないとな」

「家に帰るまでがコミマですことよ」

「そうかそうか……そうだったな」


 疲れてはいるのだろうが、それでも心から楽しそうに笑う。

 対照的に女性の方は苦笑いのままだ。

 

「あまり、よろしくは無いのですね」

「本当にもう、長くないんです。多分次の夏コミは……」

「死神の、足音が……すぐ、そこまで……聞こえてるんですがね、ちょっと待って、くれてるんですよ」


 どういうことかと首をかしげる。

 

「案外、話の分かる死神……なんでしょう。未練がない、人間の方が、向こうに……連れて行きやすいだろって、念じたら、それ以来、ピタッとね」

「ではC100夏も出られそうですわね」

「そこは……そうもいかないらしい。何事にも限界がある……ってことでしょうな」

 

 諦めとは少し違う目。

 逃れられない死を受け入れた、悟りに近い光。

 

「まあでも、案外、思い残すことは……ねえよ」

「……」

「最後の最後で……誰も見つけられなかった、コンボを発見して、本を作って、最後の最後で、自分の……キャラに見本誌チェックされる……こんな幸せな人生があるかよ」


 そう言いながら、一筋涙を流す。

 あかねは静かにうなずく。

 励ましも、同情も、不要である。

 そう言っているように見えた。で、あれば。


「この本は、わたくしの家の本棚にずっと残りますわ」


 ただ、見送ってあげようと。そう思えた。

 

「あなたの生きた証が」

「ああ、ありがたいねえ」


 ふうっと深く息を吐いた。

 かなり無理をしている様子が見て取れる。

 

「死を視ること、帰するがごとし」

「そう、死を恐れぬ心な……」


 高神カナデの決めセリフを言い合いながら、ふっと笑い合う。

 今日までお互い顔も知らずに生きてきて、たった一冊の本で繋がった。

 不思議な縁が繋がる場所だ。

 

「コミマが……俺の帰ってくる、場所だったんだな、って思うと、死も、穏やかに……視えたような気がするな……」

「その境地にたどり着けたのも、このゲームのお陰かもしれませんわね」

「ああ、確かにな」


 同じキャラを愛した同志として、見送る。

 お互いに、こんな会話をすることになるとは思っていなかっただろう。

 

「スタッフさんと……こんな、会話が、できるなんてな」


 隣で撤収準備をしている妹もまた、静かに涙を流していた。

 心中は分からないが、悲しみだけではないように思える。

 

「残される方は……たまったもんじゃないって、重々、分かってるんだが」

 

 あかねの目をじっと見つめる。

 

「あなたに、担当してもらえてよかった。最高の、冥途の……土産をもらったぜ」

 

 コミマ1日目の午後。

 例年穏やかな時間が流れているが、今このサークルの周りは特に特別な時間が流れていた。

 死を受け入れたサークルと、見送るスタッフ。

 そして、この世に残り続ける本。

 連綿と受け継がれてきた人類の文化の営みの縮図がここにあった。


『これにて、コミックマート99冬、1日目を終了いたします。お疲れ様でした!』

 

 やがてその穏やかな時間にも終わりが来る。

 閉会の拍手と共に、遠くからあかねを呼ぶ椎名の声が聞こえた。

 

「瑞光寺さーん、そろそろ着替えないとおっ!」

「ええ、今行きますわ!」


 閉会後作業をコスプレでやるわけにはいかない。

 このホールでは閉会までコスプレをしてもいいが、閉会後は速やかに着替えるルールだ。


「この姿でいるのも、ここまでのようですわ」


 すなわち、お別れの時間であることを示していた。


「最後にこの姿をご覧いただけて、光栄ですわ。本当に」

「へへ、お互い……最高のコミマってことだな」

「ええ」


 そっと右手を差し出すと、男性は目を丸くして、そして恐る恐る手を差し出してきた。

 

「悪ぃな、こんな病人の手でよ」

「まあ、おかしなことを」


 筋張っていてハリもなく、冬コミということ以上に冷たい手。

 だが、あかねにとって不快に思うようなことは全くなかった。

 

「強敵を屠り続けた剣士の手ではありませんか。そして新しい技を生み出した求道者の手、その攻略法を綴って後世に伝えた伝道者の手」

 

 差し出された右手を、両手で包み込む。

 

「わたくし、少し強くなったような気がしますわ」

「……光栄だ」


 震える声を、そっと受け止めた。

 

「こちらこそ」

 

 どちらからともなく、手を離す。

 

『いかなる時も優雅たれ』

 

 高神カナデは父の死を乗り越えたキャラクターだ。

 だから、今自分がうつむくわけにはいかない。

 泣くわけにはいかない。


「それでは、さようなら」

「ああ、さようなら」

 

 最後の挨拶を交わすと背筋を伸ばしてサークルの前から去った。

 今日は間違いなく、忘れられない日になるだろう。



 

 着替えを終えて本部に戻ると、江口橋がいた。


「お疲れ様です。江口橋さん」

「お疲れ様。瑞光寺さん……話は聞いているが、本当にお疲れ様だったな」


 椎名から月華美神のことを聞いたのだろう。

 心配してくれているようだ。


「ええ……いえ、平気ですわ」

「その分、今日も何とか終わりそうだ」

「そうですわね……いつもこうなら良いですのに」

「いつもこうだったはずなんだがなあ」


 ふたりが暗に言っているのは、このところ立て続けに起きていた爆竹の悪戯のことだ。

 もっとも、純然たる火気なので悪戯では済まされない。

 

「また、あれが起きると思うか」

「思います。もしくは……油断させるために、今回何もないかもしれませんが」


 そこまで言って、首を振る。

 

「いえ。やはりわたくしでしたら『破裂音』を『いつものこと』にしてしまうように、今回も仕掛けますわ」

「そうか。そうだな」


 江口橋がうなずいたと同時に、帰宅を促すアナウンスが流れた。

 ホールに残る人はいつもより少ないような気がするが、それでもまだまだホール内に人影が残っている。

 スタッフはまだ休まらない。

 

「江口橋、瑞光寺、ちょっと」


 ホール長の和泉がふたりに声をかけてきた。

 どんよりと疲れた顔をしているのであまりいい話では無さそうだ。


「コミ印チェックをいつもより厳重に実施する方針になった。ネノからもできるだけ人を出してもらいたいんだが」

「分かりました。俺はいけますし、多分雲雀と朝日、君堂もいけると思います。最終的な人数は後で知らせます」

「ありがたい。各ブロック四人が目安だが、他のブロックは集まりが悪そうでな」


 和泉はひとつ頭を下げて、隣の椎名に声をかけに行った。

 ホール長も大変そうだ。

 

「コミ印チェックはどのようなことをなさいますの」

「前日搬入されたものの中身をチェックするんだ」


 そう言うと江口橋は、近くにあるサークルの机の下に置いてあるダンボールを指さした。

 あれは明日配置されているサークルが置いて行ったものらしい。

 

「中を開けて、チェックが完了したら『コミ』のスタンプを押すから『コミ印チェック』と呼ばれている」

「時間がかかりそうですわね」


 ネノからマミまで14ブロック。1ブロックは各120サークル。

 それに外周を合わせると……前日搬入は一定割合しかないとはいえ、すべてとなると大変そうだ。

 

「数によるが、まあ夜間施錠ギリギリだな」


 20時前ということだろうか。

 かなりの長丁場になる。そして寒い。

 

「瑞光寺は早めに帰って休んでもらいたい」


 やはり気遣ってくれているのだろう。

 確かに、副ブロック長である自分は休むのもまた大事な仕事に思える。


「そう、ですわね……では雀田を出しますわ」


 神崎は印刷所の搬入があるが、安威がガレリアで待っているはずだ。

 雀田を置いて行っても構わないだろう。

 

「それは助かるが……大丈夫なのか」

「ええ。雀田はああ見えて体力がありますのよ」


 元々瑞光寺に来る前から体力仕事をしていたらしい。

 多少の徹夜やハードワークも平気だと以前言っていた。

 

 ふと出入口を見ると、車いすの男性と女性のサークルが帰路につくところだった。

 こみあげる物を抑えて敬意を込めながら、あかねはそっと一礼をした。

 まだ気が抜けることはないが、少なくとも今日のこの日だけでも守り通せたことに安堵した。

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