第9話 2日目 サークルの相談
「瑞光寺さん、ひどいんじゃない?」
「何がですの?」
朝のミーティングが終わった直後、三山から責められた。
あかねは三山の言葉に何も思い当たらず首をかしげる。
今日の三山は胸元に「大根サラダ」と毛筆でデザインされたシャツを着ている。変なシャツを着るのが好きなんだろうか。
「昨日の座り込みの注意のこと。江口橋さんにチクったでしょ。俺昨日の夕方怒られたんだから」
「ああ……」
そういえばそんなこともあった。
昨日は色んなことがあってすっかり記憶が薄れていた。
「でも三山さんがご自分で正しいと思われているのでしたら、江口橋さんにそうおっしゃればよろしいのでは。わたくしはわたくしの選択が正しいと思っておりましたし、それを江口橋さんに確認しただけですわ」
「う……」
三山は言い返さず、目をそらした。
どうやら自分でも無理筋だと思っていたらしい。
「ですので、チクったというのとは少し違いますわ。三山さんの行動を報告することが主ではありませんでしたもの。そこは誤解なきよう」
「わかったよ……そこは撤回する。悪かった」
「あら」
思いのほか素直な反応に、あかねは少し驚いた。
もっと意固地になると思っていたのに。
「わたくしの方も、江口橋さんへの伝え方に問題があったかもしれませんわ。それで結果的に三山さんへ飛び火してしまったのでしたら申し訳ないですわね」
今度は三山が目を丸くして、スタッフ帽のつばを持って顔を隠した。
あかねは、三山のことを「きちんと謝れない格好悪い男」と評価してしまっていたことについて、心の中でそっと謝った。
「……まあ、今日も頑張ろうぜ」
「ええ、もちろんですわ」
2日目のUVブロックはブロック長の君堂が寝坊して遅刻という幕開けになった。お昼前には到着するらしい。
今日もあかねは江口橋と共にUブロックの見本誌を回収する担当だった。
配置は創作少年ジャンル。成年向けの作品は比較的少なく、回収は順調に進んでいた。
江口橋は相変わらず薄手の長袖を羽織って業務をしている。見ているだけで暑い。
回収した見本誌を入れるカバンがいっぱいになって本部に戻り、また回収を再開した最初のサークルで、少し気になる女性がいた。
不安そうに立つその女性の他にメンバーの姿はなく、ソロでの参加のようだった。
江口橋と目配せをして、とりあえず通常通りの受付作業を行う。
V33aのサークル『てんぺすとガーデン』の提出は三冊、春のオールジャンル合わせと今日の新刊。
流麗な細い線で描かれたそれは、あかねの目には素晴らしい芸術品のように思えた。内容は少しボーイズラブ要素のある青春漫画のようだ。
提出する見本誌も丁寧に扱われており、作者にとっても大切な本であることがわかる。
「ではこれで受付完了いたしました。今日一日頑張ってくださいませ」
「体調が悪くなったり、何か困ったことがあったりしたら、お気軽にお声がけください」
瑞光寺の上品で柔らかい声と、江口橋の落ち着いているがどこか親しみやすい声。
対照的なふたりだが、コミケ当日で不安に感じているサークル参加者に十分な安心感を与えていた。
「……あの、念のため、ご相談したいのですが」
「どうかされましたか」
少し迷いが見えるサークルの女性に、江口橋は優しく声をかけた。
非常に優しい声。
あかねは自分への声のかけ方とずいぶん違うように思った。
深刻そうなサークルの女性を前にしていることを思い出し、ひとまず口をつぐんだ。
机を挟んだサークルの女性は、断片的に状況を語り始める。
サークル『てんぺすとガーデン』の代表(といっても個人サークルだが)チリアは、前回の冬コミ前後からネット上での誹謗中傷を受けるようになったという。
意を決し、弁護士への依頼料を支払って開示請求を行ったが、相手が海外在住でどうにもならないと言われたそうだ。女性らしき相手の加害者は海外在住であることから、普段の生活の中で直接の危害を加えられる心配は低いと考えられる。
しかしコミマという場においては世界中から多数の来場者があり、それに紛れて現れる可能性も十分にある。
弁護士への相談は引き続き行っているとはいえ、何かトラブルが起こった際に騒ぎになることを心配しているようだった。
江口橋はさっとスマホを取り出すと手早く文章を打ち込んだ。
一見、サークル対応中にしては非常識な行動だが、実際に情報を共有していることを示す意図があるのだろう。
「分かりました。早速ホールとブロック内に情報を共有しておきましたので」
「ご迷惑をおかけします」
「とんでもない。不安に思われるでしょうけど、我々もなるべく警戒と巡回で対応できるようにいたします。ところで、その相手とは面識はないんですよね?」
「まったく……」
ネット上でのトラブルだから、当たり前かもしれない。性別しか分からない、顔の見えない相手を警戒するのは心をすり減らしそうだ。
男性の売り子がいればまた違うだろうが、あいにくそういう知り合いはいないらしい。
チリアが申し訳なさそうに目を伏せいていると、隣から声がかかった。
「あの、横から口を挟んですみません」
「はい?」
「盗み聞きみたいになってしまって申し訳ないんですが、ご協力できないかなと思いまして」
向かって右の、次に受付を行うV33bのサークルだった。
若い男女ふたりが、少し心配そうにこちらを見ている。
男性の方は縁のない眼鏡をかけ、首からタオルを下げて夏用のニット帽をかぶっている。中肉中背といったところだろう。女性の方は背が低く、おそろいのニット帽から出た髪は肩の少し上で切りそろえられている。その髪をさらりと揺らしながら、警戒させまいとチリアへ笑いかけた。
あかねがチラリと机に貼られたシールを見ると、V33bサークル『不可思議樫木』とあった。
この『不可思議樫木』のふたりも、不安そうなチリアを気にしていたらしい。
「私たちふたりサークルなので、良かったらこう、席の間隔を調整して、あたかも三人でこの机にいるような感じに見せられないでしょうか。少しそちらが狭くなっちゃうのが申し訳ないですが」
「間に僕がいれば、その、多少はマシじゃないかなって。あっ、もちろん気になさるなら全然その……」
「えっと、よろしいんですか? その……彼女さん、ですよね」
「あー、兄妹なんですよ。微妙に似てないんですけど。なので全然。兄を使ってやってください」
「女性おひとりのサークルよりは、トラブルに遭いにくいかもしれないですわね、江口橋さん」
「それは確かにそうだな」
江口橋がうなずくと、サークル側の三人は一様にほっとした表情になった。
その様子を確認して、江口橋が言った。
「それでは、合意と見てよろしいですね?」
その言葉を聞いたニット帽の女性が、高らかに歌う。
「ててーてー、てってってー」
「「ぶふっ」」
突然歌い出したニット帽の女性に、チリアとサークルの男性が同時に吹き出した。
「ミスター……」
あかねのつぶやきに、三人がうんうんとうなずいた。
置いていかれた江口橋は何が起こったのか分からず怪訝な顔をしている。
「急にどうした。瑞光寺さん」
「いえ。何も。ねえ?」
「うふふ」
努めて真面目な表情のまま、あかねが答えたが、チリアは緊張が解けたように笑っていた。
同時に笑った三人は改めて顔を見合わせて、また笑っていた。
「僕らロボットバトルはしないですよ、スタッフさん」
「ええ、分かっておりますわよ」
どこか重苦しかった空気が、少し軽くなった気がした。
昔のアニメで見たシーン。ニット帽の女性が口ずさんだ曲はそのBGMだ。
あかねはこういった会話を、今までしたことがなかった。
同じ土台がある人との交流という初めての体験に、感動すらしていた。
「仲間、ですのね」
笑い合う三人を見ながら、あかねは小さくつぶやいた。




