引っ越しは恋の終わりになりがち
「え」
ダイキボなオヒッコシって何かしら?
頭の中で単語がしっかり変換できなかった。
間抜け面をさらしているであろう私に向かって、トルペはまじめな顔で続ける。
「今回怪我を負わせられた人を派遣していた責任者として、ブテオ男爵が王城の使用人たちの実態を調査させてもらえたんだ。給料未払い。休日出勤。臨時手当の支払い遅延。挙句の果てに、貴族子弟を上級使用人として雇って給料を渡しているくせに、実態はブテオ男爵の人材派遣会社から派遣された使用人だけが使用人として働いていた」
あんまりな話に、私の頭の血管が数本切れた気がする。
グラグラと脳みそが沸騰しそうだ。
「なにそれ」
怒りの余り語彙力が退化した私に向かい、トルペは力強く拳を握り締めて見せた。
「本当、なにそれだよね。宿下がりも里帰りも、人材派遣会社への連絡もここ半年できていなくて。ブテオ男爵からも再三の要望書を出してもらっていたのだけれど、ナシのつぶてだった。それで、蓋を開けてみたらこの事態。フザケルナ」
血管が浮き上がっているトルペの拳から、ギシギシと人間の体から聞こえてはいけない音がしてくる。
あ、私の拳からも同じ音がしていた。
「そうね。フザケルナ、よね。断固許しがたいわね。ちょっと復讐の女神様たちに供物を捧げて愚痴ってくるわ」
怒りの勢いに任せて飛び出そうとした私の腕を、トルペがさっとつかんで止めてきた。
「今は、待って」
「いつなら良いのよ。族長やブテオ男爵から何か聞いているの」
鼻息荒くつめよると、トルペは額にまで血管を浮かべた状態で口を開いた。
「もちろん聞いているよ。フラウ王国から下級神官と呼ばれている神官とブテオ一族に関係する人たち全員を一気に引き上げたあとに、世界中の神官と共に非難文書をばらまく予定らしいよ。その時に、神々へ陳情する」
「非難文書や陳情でどうにかなるかしら。いっそ国ごと沈めてしまえば……ダメよ。ヴィクトール様とヴィクトール様のご家族がいるものね。ベールクト辺境伯は滅私の方で平民たちの生活水準向上にずいぶん尽力されている方だし」
怒りに任せて過激なことを言いかけて、私は我に返った。
民を護るために王に忠実であれという、初代英雄王に仕えた初代近衛騎士団長の言葉を忠実に守っているヴィクトール様。
かのお方まで粛清の対象になるのは、何か違う気がする。
少なくとも一か月前に見かけたときは下級使用人を丁寧にねぎらっていたから、差別主義に根っこまで染まっているとも思えない。
もしかしたら、ヴィクトール様のような人たちも王国にはたくさんいるのかもしれない。
口を自分で押さえて考え込んだ私の肩をトルペが軽くたたいた。
「そもそも、腐っているのは王城を中心とした王都に住む王侯貴族とその関係者だけなんだ。王都に代々住んでいる貴族を辺境伯とその領民で養う時代がもう十年くらい続いている。フラウ王国が国の形を保っているのは、良識ある五つの辺境伯たちのおかげなんだよ」
フラウは王都の街屋敷で働きながら、そういった事も調べていたのか。
私は驚き交じりで訊ねた。
「王都に平民はもういないの? 」
「十年前に旧フラウ王国本神殿が焼き討ちにあったのを機に、平民への弾圧が始まったらしくて。ほとんどの平民が他の領地へ移住を希望して、ブテオ男爵の人材派遣会社を経由して他の領地へ派遣されたことになっているよ。一か月前の鍛冶師の村が最後。あそこは建国以来ずっと鍛冶師を継いできた誇りで残っていたんだ」
十年前の旧フラウ王国本神殿の焼き討ちは、私も関係したから覚えている。
そうか。
あの時は、まだ王都の中にも平民街があった。
貴族街富裕街と平民街の境に建っていた旧フラウ王国本神殿が炎に包まれている中、近所の平民たちがバケツリレーをしてくれていたのを覚えている。
言われてみれば火事の後から王都は段々と貴族屋敷ばかりになってきて、気が付けば平民街は跡形もなくなっていた。
移住してしまっていたなら納得だ。
出稼ぎのためと記録すれば元の場所に籍が残るので「領地抜け」という平民が領地を脱走する罪に問われなくて済む。
そのための、ブテオ男爵の人材派遣会社だったのだろう。
「そうだったの」
私が得心いって頷くと、トルペの説明が進む。
「さらに加えて、九年前に王都の下町は疫病が蔓延した時、下町の住人を全部ドムス帝国へ移住させただろう? あの段階で、下町に残っていたのは王城や貴族に勤めていた平民たち。平民は通いじゃないと雇ってもらえないルールがすでにあってね。あそこが王都に住んでいた最後の平民たちの住みかだったんだ」
九年前の下町の疫病と聞いて、私はポンと手を叩いた。
「あぁ。あの時の。病気の人たちが運ばれてくるたびに医神様と薬神様に命じられて、結果として大量に泥人形を作ったのを覚えているわ」
「そんなことをしていたの」
目を丸くするトルペに、私は手で粘土をこねるしぐさをして見せる。
「そうよ。おかげで、粘土を捏ねるのがものすごく早くなったんだから」
初めては十年前の旧フラウ王国本神殿焼き討ちの時。次はフラウ王国下町の疫病の時。
私は、医神様と薬神様が下賜してくださった大量の粘土を捏ねて捏ねて捏ねて、ひたすら泥人形を製造し続けたのだ。
「私が造った泥人形は、人に触れさせるとそっくりそのままの姿を泥人形が写し取るやつでね。十年前に旧フラウ王国本神殿が焼き討ちされた時も大量に作ったけれど。あれ、本当の死体と同じような仕上がりになるのよね」
初めて見た時の衝撃を思い出して、私はげんなりとした顔になったと思う。
五つの子どもに見せるには、ちょっと刺激が強すぎたと思うのよね。
大人たちも神々も、配慮する余裕すらなかったのだろうけれども。
ほろ苦い思い出に黄昏そうな私の横で、トルペが何かを納得したようだ。
「あぁ。だから九年前に下級神官が下町に遺体を運び込んでどんどん火をつけたとかいう話になっているんだ」
合点がいったと顔に描いてあるトルペの言葉に、私はがっくりと肩を落とした。
「あぁ。そういわれちゃうかもね」
噂話で知っていたけれども、トルペから言われると非常に非情なことをしたように誤解されているようで辛い。
「それじゃあ、焼き討ちの時や疫病の時の下級神官や下町の住人の死体を埋めたっていう塚が王都のはずれのくっさい池の畔にあるんだけれど」
「たぶん、それは焼き討ちの時と疫病の時の泥人形を焼死体として埋めた塚だと思うわ」
私がちょっと投げやりになって言うと、トルペが同情の眼差しを向けてきた。
誰への同情なのか、訊ねたいけれど怖くて聞けない。
「そうだったんだ」
静かにうなずくトルペに私は思わず言い訳がましいことを口にしてしまう。
「十年前の旧フラウ王国本神殿の火災の時は、火がついてから連絡が来たから本当に大変だったのよ。救助と治療を並行して行って忙しい大人たちを尻目に、一人神々に命じられたまま延々泥人形造っていたの。それで、出来た端から持っていかれて、どんどん火傷を負った姿をコピーした死体もどきの泥人形ができて。その人形を煤だらけになった皆が急いで運び出されていく。あれは、なんというか、一生忘れられないわ」
思い出して、辛くなってきた。
火傷を負った神官たちのうめき声には、多くの嘆願と詫びが混じっていた。
「平民たちを逃してください」「延焼を押さえなければ、被害が広がってしまう」「神々の聖地を護れずに申し訳ございません」
傷をいやす前の姿を私の泥人形で写し取り、即座に医神様や薬神様あるいは神々の精霊たちがあっという間に治療をして。
体の傷は癒えても損耗した体力は戻らないからしっかり寝かせるようにと医神様方に言われていたのだけれども、寝言でも変わらず神官たちは嘆願と詫びを繰り返していた。
寝ながら泣いて詫びる大人たちの間を、私は泥人形を抱えて走った。
あの泥人形の感触と共に、彼らの声をハッキリと覚えている。
「……なぁ。じゃあ、やたら筋肉質なドムス帝国テンリャン大森林開拓団の初期メンバーって、旧フラウ王国本神殿の神官たちだったりするのか」
しばらく黙っていたトルペが、ふいに真剣な顔で質問してきた。
ふふっと笑ってしまったのは許してほしい。
「えぇ、そうよ。皆、あの日に勇猛な戦神様と火の神様からの加護を得て、生命力あふれる体になったの」
寝ながら泣いて詫びていた神官たちに、火事の被害を抑えるために下界へ降りてくださっていた勇猛な戦神様と火の神様が加護を与えてくださった時の変化は、私にとっては喜びと希望だった。
死んだ目をして力なく横たわっていた神官たち。
それが、加護を得た途端に全員で「我らにできることを全力で行う。それこそが償いぃっ」と叫んで飛び起きたのだ。
心なしか肉体の厚みが増したり、ちょっと凸凹の落差が大きくなった気がしたけれど、生気に満ちた目をキラキラと輝かせる姿に心底ほっとしたことも、私はきっと一生忘れない。
「なるほど。俺が思っていたより、悲劇は食い止められていたんだな」
顎に手を当てて頷くトルペに、私も同じ格好で頷いて見せる。
「命を落とした神官はいなかったわ。怪我も火傷もきっちり直してくださったから。そうそう。火傷を負った神官たちの静止を振り切って、復讐の女神様が火を放った貴族子弟の全身にやけど状の痣を与えたらしいわね」
「有名だよ、それ。下級神官たちの呪いって」
げんなりした様子のトルペに、私は肩をすくめて見せた。
「あら、怖い。でも、死者が出なくて良かったわね」
皮肉ではない。たぶん。
たくさんの人が努力した結果、誰も死ななかったのは良いことだと、思いたい。
人の命を軽んじた奴をフラウ王国の王侯貴族がどう裁くのか、五大辺境伯たちだけでなく周辺諸国からも注視されていた。
でも、結果としては「復讐の女神に見た目を醜くされたから、罪を償った」としてフラウ国王の名前で発表された。
神官として、慈悲と博愛を説かねばならないのは百も承知で言わせてもらう。
そういう決定をするような王侯貴族のために、誰が神々の加護を願うものか。
事実、王名での発表の後に、世界中の神官を束ねる立場として私の父は宣言している。
「我々はフラウ王国のために神々の加護を願うことはない」
抜け道として、各地の神官たちを保護してくださっている五大辺境伯たちの
領地に関しては、領地の神官たちが祈りを捧げて加護を願い続けている。
王都の周りに魔獣が多いのも、毒の沼地が多いのも、不毛の荒野と魔獣の森が王都の周囲を侵食してきているのも。
全部、こちらとしてはあずかり知らぬこと。
ただ、神々からの加護をフラウ王国へ授けてくださるようにと願っていないだけだ。
フラウ王国が建国された際。
かつて危険極まりない土地であったが、英雄王を慕ってついてきた神官たちが神々に加護を願ったことにより人の住むことができる土地へと変じたと「フラウ王国建国史」には書いてあったけれど。
加護を願い続けることを止めたことでどうなるのか、十年前の大人たちは誰も知らなかったのではないだろうか。
もしかしたら、父は知っていたのかもしれないが。
何にせよ「死者は出なかった」のだから、良いと思う。
私がちょっとやさぐれていると、トルペは握りこぶしを振り始めた。
「ただ、下級神官の呪いっていう噂が流れてから王都では下級神官を忌避する傾向が凄く強くてさ。九年前の疫病のころには、王都の王侯貴族は昔からあった手法である神官経由で人材を集めることができなくなんていたんだ。五大辺境伯からは金と食料を大量に供出しているのに人手まで課せないと断られたらしくて。結果として、不足した使用人をブテオ男爵の人材派遣会社に求めたってわけ」
九年前から王都にあるブテオ男爵の街屋敷で働いているトルペは、もしかするとブテオ男爵の見事な仕事ぶりを目の当たりにしたのかもしれない。
ちょっぴり誇らしげに鼻の穴を膨らませているトルペに、私はゆっくり頷いて見せた。
「さすがブテオ男爵様ね」
現状ブテオ男爵の人材派遣会社から王都に派遣されているのは、精霊と契約したブテオ一族の関係者だったりする。
ブテオ男爵から「心身の危険があるかもしれないから、相応の覚悟と心得のある者だけを」という意向を受けて、相当な覚悟をして王城に働きに出ているのだ。
言い換えると、王都の使用人たちは全員ブテオ一族の関係者なわけで。
派遣された先でうっかり見聞きした情報をブテオ男爵に報告しちゃったり、ブテオ男爵がうっかり他国の重要人物との茶飲み話で何か話しちゃったりする事態が起きているらしいけれど。
私は知らない。
そうそう。
私がヴィクトール様の姿を身に王都に行くたびに、王城の台所にテンリャン山脈でとれる珍品美食の類を卸しがてらこっそり雑談をしたり薬や手紙のやりとりをしたけれど。
私は何も知らない。知らないったら、知らない。
ただ、預かった手紙を世界中の神官を束ねる立場にある父に預けたりしただけだ。
うっかり、たまたま耳にした使用人同士の噂話をお茶請け代わりに家族団らんの場で提供したかもしれないが。
ブテオ一族の次期族長であるトルペは、たぶん色々全部知っているのだろうけれども。
フラウ王国の王侯貴族とこちらとは、歩み寄れる段階を遠の昔に過ぎてしまっている。
ドムス帝国は、神々へ祈りを捧げる神官や労働力である平民を大切にすると約束してくれて、きちんと履行してくれている。
私がうっかりした結果は、きっと父や母やほかの大人たちの手によってドムス帝国で実を結んでいるのだろう。
そして、これからフラウ王国にも影響が出るのだろう。
「ルル、覚悟を決めておくんだよ。大規模な引っ越しというか移住を決行したら、どうなるか。ヴィクトール様がフラウ王国の近衛騎士である限り、身分的にも政治的にも、断絶することになる」
すべてを見透かすようなトルペのまっすぐな視線を受けて、私はきつく目を閉じた。
震える唇を根性で動かしたら、悔しいくらい震えた声が出た。
「……わかって、いるわ」
そっと私の頭を撫でる手は、繊細そうな見た目に反して固くざらついた働き者の手だった。