♯10
ゲルハルトのお屋敷は、王都の中央からやや離れた、閑静な貴族街にある。ゲルハルトは、謹慎が解けた後も、自主的に公務から離れていたアーベルと、自宅の一室で酒を酌み交わしていた。
「アーベル、お前が立たないと国内が割れるぞ。軍部はもう限界まで圧が高まっている。下手したら内乱だ」
ゲルハルトは、アーベルの友人であり、軍部にも強い発言力を持つ事から、彼が今は抑えて待て、と言うので若い将校達は、なんとか暴発せずに堪えているが、もはや我慢も限界まで近づいている。
「ゲルハルト、私は王でなくとも良いのだ。軍人として本分を尽くせれば、何も不満はない。正直王の仕事なんて文官のそれと変わらないぞ?」
「その通りではあるのだが、ドミニクは嫌だと言うものが軍には多すぎる」
「それこそ、私が立てば内乱を招くだろう。大人しく謹慎に甘んじていたのも、それが一番心配だったからだ」
ゲルハルトも悩んでいた。若い将校達にとって、アーベルは夢なのだ。伝説のゼウクシス王の再来、光剣の支配者、神に選ばれしもの、彼の称号は、どれもが輝いていて、その英雄をさしおいて、凡人が王位を簒奪するなど、彼らには堪えられないのだ。
ゲルハルトも、彼らと変わらない若者なのだが、じっくり考え、全ての最適解を出そうとする性格は、他の将校達の様な、軽はずみな衝動を許さない。
「なあ、アーベル。ちょっと気になった事があるのだ。馬鹿な話と笑って聞いてくれ」
「なんだ、珍しいなゲルハルト、改めてどうした?」
「イシードルの事なんだが……」
「うむ」
「選定の儀の後に俺の所へ来て、ドミニクを力で廃せ、という意の呟きを残していった」
アーベルの眉があがり、グラスを置いて佇まいを直した。
「なんの根拠もない、ただ、俺は奴がその時、なにか仕掛けてきた感じがした」
ゲルハルトの漠然とした話を笑う事なく、アーベルもゲルハルトを見つめ返す。
「私達が帰還して、ボーンキングの討伐報告をした後、教皇がそれを否定したので、私達はあらぬ疑いを掛けられてしまった。あの時、理不尽な話につい苛立っていた私の所へもイシードルが来た」
ゲルハルトが黙ってアーベルの目を見つめる。
「そう言われると、私もあの時、イシードルが『なにか』を仕掛けてきたような気がしたんだ」
「あの男、油断がならん、何かあるぞ。教皇だって金に目がない男だったが、のるか反るかの賭けをするような男ではなかった。ドミニクも最近は人が変わったように行動している」
視線が絡み、強く頷く二人の傍で、突然、場違いな声が聞こえてきた。
「あの、突然押しかけて申し訳ありません。ゲルハルト様にアーベル王子、ドミニク王子がフェルトゥーナの街に宣戦布告しまして、自分でも何故そんなことをしたのか解らないと申してますが、御一人で戻られてます」
二人しかいない筈の部屋で、外には漏らせないような事も話せるように、完全にひと払いして警戒厳重な筈の屋敷の中に、忽然と現れた女性にも驚いたが、話の内容で更に驚かされた。
「そなた、イリス殿ではないか、アーベル、エルフの地でキングを討伐した方だ。先日から王国内で独自に闇の王を捜索していて、連絡を取り合っていた。それにしても、どうやって此処へ」
「申し訳ありません。火急の要件だったので、ゲルハルト様の何時でもかまわぬというお言葉に甘えさせて頂きました」
アーベルもゲルハルトも、全く気配さえ感じていなかった。もし彼女が暗殺者だったら、二人とも容易に倒されていただろう。二人は人族を代表する強者だけに、自分達を上回る女性の力に息を飲んだ。
「ドミニクは何処に?」
「取り合えずヴォルフガング様のお屋敷で匿っております。本人はいつの間にか自分が勝手に前線に立っていた事を怖れていて、アーベル様に闇の王を討伐して欲しいと懇願しております」
「フェルトゥーナに謝罪をいれなくては! 被害は如何ほどかわかるか? イリス」
「フェルトゥーナは、代表会議の十名が馬で引きづられて負傷しました。以上です」
「どういうことだ? 遠征軍はどうなったのだ?」
「ドミニク王子の私兵三百が、重軽症者多数で壊滅状態ですが、死者はゼロです」
「訳がわからない! 取り合えずドミニクの所へ行こう!」
すっかり酔いの覚めてしまったアーベルとゲルハルトが、慌しく身支度をして、イリスが先導して部屋を出て行く。家の主を先導しながら、我が家のように迷うことなく、悠々と先をいくイリスの後姿に、ゲルハルトは苦笑を隠しきれなかった。
エルランディア王国の貴族街に建つヴォルフガング邸は、主の性格を反映したような、飾り気のない質実剛健な建物である。石造りの門柱には、王国の軍旗である盾に剣のレリーフが刻まれ、館の主が武人であることが一目でわかる。
その屋敷の応接間で、当主のヴォルフガングは、紅茶の入ったカップを、震える手で抱えるようにして持ったまま、背中を丸めて小さくなっている男を慰めていた。
「殿下、此処は安全です。御安心ください」
「そ、そうは言っても、私は自分が信じられぬのだ。覚えてはいる。はっきり自分が何をしていたのか覚えているのだが、何故そんな事をしたのか、さっぱりわからない。ヴォルフガング、信じてくれ。私には軍を率いて闘うのは無理だ。弟が、アーベルなら、彼ならやりとげてくれる」
ドミニクは、まるで憑き物が落ちたように、だれもが知る彼に戻っていた。ヴォルフガングは、そんな彼を見ていると、何とも言えない気持ちになってくる。生まれ育つ過程で、常に周囲から優秀すぎる弟と比較され続けてきた彼には、余人には想像のつかない辛い時もあっただろう。
努力によって能力は伸びるものだが、努力だけでは越えられない壁がある事は、ヴォルフガングもよく理解している。努力しても自らの力で越えられないと悟った時、前に進む事を、放棄してしまうというのは、武芸者においても珍しくは無いのである。
「殿下は、次期国王の指名を受けております。それを放棄なさいますと、殿下の指名に影響が出ますが」
「ヴォルフガング、私はそこまで恥知らずではない。確かに私は出来の良い弟が羨ましかった。いや、妬んでいたといって間違いない。だが、このような私でも王族の血を引く男だ。女神との約定を果たす事が王家の努め。それをなす者を王とするのが王家の勤めだ」
ドミニクの眼差しは真剣であり、自分の進退より王国の未来を考える、立派な王族の目になっていた。ヴォルフガングは、この不幸な王子に同情を感じつつ、言葉を続けた。
「殿下。王国内はいま、足並みが揃わず乱れております。これをあるべき姿に戻せるのは、殿下のお言葉のみ」
「おお、そうだ。ありがとうヴォルフガング。回状を書こう、アーベルを将として闇の王を倒し、その功績を持って、アーベルを王位に付けるのだ。用意してくれ、直ぐに執り行い、我らは団結せねばならぬ」
「殿下の御英断、この年寄りには感に堪えません」
「そなたのような勇者に、年寄りを名乗られたら、困るものが多かろう。そうだ、私を止めてくれた者にも感状を出さねばならぬ。部下達にも詫びねばいかんな」
「御意。殿下、いましばらくお待ちください」
ヴォルフガングは、侍従達に指示を飛ばし、自らも軍装を整え、愛用のウォーハンマーを腰に吊るして待機する。ドミニク王子が、今の真っ当な考えを曲げずに執り行えば、必ずや国は一つに纏まる。だが、彼を担いできた貴族の中には、それをよしとしない者もいるだろう。
そして、ドミニク王子の言う「自分の意に反して勝手に行動してしまった」という話も怖ろしい。ヴォルフガングには、ドミニク王子が偽りを言っているとは思えなかった。この世には、邪法という禁じられた魔術もある。警戒すべき相手は、近づけないに限る。
侍従が彼の元に来て、耳元で何事かを囁くと、ヴォルフガングはその場を離れ、別室の応接間へと足を運んだ。部屋の中で待っていたのは、アーベル王子とゲルハルト将軍、それにエルフの地でベーゼの討伐に貢献したイリスという女性である。
「ヴォルフ、何時もすまない。情況はどうなっている?」
「ドミニク王子は正気を取り戻し、いま、国内を取り纏める為の書状をお書きになっておられます。今、殿下にお会いすると、御心も乱れましょう。御許し頂ければ、この場はわたくしめにお任せください」
アーベルは、ヴォルフガングの申し出に頷いた。
「そうですか、貴兄に全てお任せしましょう」
その時、後ろで控えていたイリスがスッと前に出て口を開いた。
「お願いがございます。ドミニク王子が何らかの手段によって操られていたとすれば、私が診察すれば、詳細を読みとる事が出来るかもしれません」
三人の男達は、顔を見合わせて頷いた。
「御案内しましょう、イリス殿。此方へ」
ヴォルフガングと共に部屋を出て行くイリスを見送って、アーベルとゲルハルトは、安堵のため息をついた。どうやら国内を割っての騒乱に発展する事態は、回避する事が出来たようである。
ゲルハルトは、ドミニク派の貴族と、過激な軍の将校達を、どのような順番で納得させていくか、頭の中でめまぐるしく考えながら、手のひらで額を抑え、人差し指でトントンと自らの頭を叩いていた。
先日、投稿した時に、ポロッとこの十話が抜け落ちてて、後から気が付いてびっくり。




