♯4
テントの外で、犬人達が動き出してる感じがよくわかる。
起きてはいるけど目は開けてない。でも、少し遠くでイリスが誰かと立ち話をしていて、話が終わってこっちに歩いてくるのもはっきりわかった。
周囲の気配が読み取れるのは、我ながら凄い。テントの生地をスッと開いてイリスが中に入って来た。
「アユム、起きてるか? 朝飯を持って来たぞ」
御飯と聞いて、オレは目をパチッと開けた。
「ちゃんと眠れたか? 自分の匂いの無い場所は落ち着かないだろう?」
「大丈夫、ぐっすり眠れたよ」
イリスから、お盆にのせた分厚い麦パンみたいなのに、ベーコンと野菜をどっさり挟んだような朝食を受け取り、大きさに感心して色んな方向から眺めまわした後、齧り付いた。美味い。
夜中は一度も目覚めずに、朝までぐっすり寝たんだけど、脳の一部が起きてたみたいで、周囲の情況を常に観察していて、夜警なのか村の外回りを動く人の気配とか、テントの傍を誰かが通り過ぎる気配とか、全部覚えている。それなのにぐっすり寝た満足感があって少し変な感じだ。
「このパン美味しいね。こんなに味が濃くて、食べ応えのあるパンはじめてだ」
「そうか、焼きたてだからな。村の職人が朝晩注文のあった分だけ焼いてくれる。気に入ったらまだあるぞ」
「結構満腹、ありがとう」
「噂の竜人が現れたって連絡が回ってるから、今日中に獣王が自ら此処に走ってくると思う。アユム、すなまいが今日は外に行かないで、集落の中で我慢してくれ。退屈だろうから、一緒に兵達と訓練でもどうだ?」
軍隊の訓練と聞くと、頭の中で鬼軍曹みたいなのが「クズ共、腕立て伏せ百回だ。それが終わったら腕立て伏せ百回だ。そこのお前、つまらなそうな顔をしたな。よーし更に百回だ」みたいな映像が流れるんだけど、大丈夫だろうか? でも、付き合いは大事だし、なにより自分の身体能力がとても気になる。
「ああ、やってみたいな。そういう訓練とかやったことないから、興味がある」
「そうか、そいつは良かった。実は当代の獣王クレイグは獅子の獣人でな、多分獣人界で一番強い男なんだが、友情を育むには、サシで組みうちをするのが一番という奴でな」
なにそれ恐い、もしかして今日来る王様、いきなり友情を育む気だろうか。
「確実にアユムも申し込まれるだろうから、身体を慣らしておいた方がいいぞ」
やっぱり来たー。いやなんかイリスの表情から、凄く楽しみにしてるようなワクワク感が伝わってくるんだけど、オレ組み打ちとか知らないからね。腕相撲なら大丈夫だったけど、技術がないから間違いなくみんなを失望させるよ。学校の授業で柔道は習ったけど、内股と袈裟固、背負投しか知らないから。しかも柔道部の奴と組んだら、全く掛からなくて、手も足も出なかったし。
友達とプロレス技の研究とかよくやったけど、あんなレベルの低いの絶対むりだろうな。あっというまに関節きめられて、即落ちとかやられそう。
イリスに連れられて、集落の端の方にある訓練場に到着すると、三十人ほどの犬人達が、両端が太くなってる長い棒を持って、二人一組で打ち合っている真っ最中だった。
革の防具を付けてるけど、木刀よりずっと頑丈そうな棒だから、当たると激しい音で結構痛そう。ちゃんと型があるようで、流れるような連撃を交互に受け止め、教官のような男の合図で相手が交代して行く。
打ち合ってる男達の動きを、瞬きもせずに凝視してると、なんだかアレなら全部掴めそうな気がしてきて、混じってやってみたくなってきた。身体が疼く。あの中に飛び入りしたい衝動がふつふつと湧いてくる。いや、絶対おかしい、オレあんな中に入ったら命が危ないし、ないないと心のどこかは思ってるんだけど、口をついて無意識に出てきたのは、「オレもやりたい」という言葉だった。
変な事言ってる自分に気が付いて、自分の台詞に驚愕したよ。
訓練を指導していた教官の様な男が、オレとイリスがやって来たのに気が付いて、大きな声で号令をかけると、打ち合っていた男達がビシッと佇まいを直し、一斉にオレ達に敬礼した。
「楽にしてくれ」
イリスが慣れた口調で声をかけると、ぴんと張っていた空気が少し軽くなる。
イリスは女性だけど、この雰囲気から察するにかなり偉い立場なんだろうな。そういえば、巫女頭のミレイアも、イリスの事をそれらしく言ってたっけ。
「昨晩いなかった者もいるようだから、改めて紹介する。竜人のアユムだ。ミレイア様からの通達は皆も理解しているだろう。竜人だが仲間だ。間違えるなよ。何か意見のある者はいるか」
イリスがそう尋ねて周囲を見渡した時、遠くから猛スピードで駆けて来た男が、処理済みの大きな鹿を両肩に背負ったまま、オレ達の前でぴたっと停止した。
少し前からわかってたけど、昨日腕相撲をした、シベリアンハスキータイプの狼男エミルだ。白くて硬そうな体毛に、鹿の赤い血がべっとり付いていて、見かけが物凄い事になってる。
「アユム、オレとやろうぜ」エミルの尻尾が嬉しそうにパタパタしている。でもこいつ、顔も見かけもマジで怖いぞ。
「なんだエミル、帰って来るのがやたらと早いな。ちゃんと狩り場まで行ってきたのか」
「もちろんだ、アユムとやってみたくて、早起きして済ませてきたんだよ。いいだろイリス?」
「アユムの相手を、新兵にやらせるのは荷が重いから、私がやろうと思ってたんだが、仕方ないな」
「やったぜ」
エミル、尻尾がちぎれそうだぞ。そしてイリス、あんたがやる気だったのか。エミルが準備をする為にすっ飛んでいなくなった間に、集落の職人がありあわせで作ってくれた俺用の革の防具を運んできた。首下から短いエプロンの様に装着して、喉、胸、腹に分割した軽くて頑丈そうな革鎧だ。樹脂のようなものが染み込んで硬化していて、真っ黒で頑丈そうだ。
「サイズの細かい調整が必要だが、仮合わせとしては悪くないな。アユム、気になる所はどんどん注文付けた方がいいぞ。職人も教えてくれる方がやりやすい」
職人の男達が着せ付けて調整してくれた後、メジャーであちこち計測して、メモに書き込んでいく。
「どうだい? アユム。昨日の宴の時にじっくり観察してたんだけど、君は元々極上の鎧持ちだからね。邪魔にならない最低限のものから用意してみたよ。使ってみて後で感想を聞かせてくれ」
「ありがとうございます。なんか、動いても引っ張られないし、良い感じみたいですよ」
髪が長すぎて、目が隠れてるレゲエの兄さん達みたいな職人の仕事が終わる前に、完全武装のエミルが、木剣やら、先端を保護した長槍やら、色々な得物を二人分、山ほど担いでスキップするように戻ってきた。
「エミル、はいっ」と言って木剣を遠くに投げたら、喜んで取ってきそうだな……と失礼な妄想をしてしまう位、嬉しそうなんだけど、ふとイリスをみると、イリスも腕組みしながら、尻尾がパタパタしている。犬人ってポーカーとかやったら絶対弱いだろうね。
エミルがオレに、どれ使う? どれ使う? と聞くので、実はオレは武器の心得がないから、防具のテストをかねて、攻撃を受けてみたいんだけどいいかな? と聞いたら、会場がおおっとどよめいた。
「新兵たちもよーく見ておけ、知っての通りエミルはかなり使う。自分が反応できるか、考えながらみるんだ」
イリスが審判をかってでて、オレとエミルが訓練場の開始線に並ぶ。
「はじめ!」
両手棍のような得物を構えたエミルが、ススーっと地面を滑るように距離をつめてきて、次の瞬間、脚に来ると見せかけたフェイントから、上段、下段と棒が残像で増えるような突き技を繰り出してくる。
見える、さっきの新兵の皆さんの訓練より数段早いけど、フェイントなのか、入れようとしてるのか、はっきり判別できるし、やっぱり掴めそうな気がする。オレは手足で棒を払いながら、円を描くように攻撃をいなしてたんだけど、わざと追い付かれたように誘ったところで、勝機とみて打ち込んできたエミルの棒を、片手でガシッと掴んでみた。
頑丈そうな両手棍の先端が、オレの手の中で粉砕されて砕け散る。おおっ! 新兵達がどよめき、棍を粉砕されたエミルも、口がおーのまま固まっている。
「すっげー、やっぱりスゲェぞアユム。思ってた通りだ。当てれる気がしなかったぞ。スゲェなお前」
エミルは、めちゃめちゃ嬉しそうに大絶賛してくれた。
「フェイントを完全に読まれていたな。最後は上手く誘われたぞ。良い経験になったなエミル」
イリスがエミルの持ってきたもう一本の両手棍を拾うと、凄く良い笑顔でオレの方に向き直った。
「アユムは、防具のテストがしたいと言ってるのだから、多少は打たれないと困るだろう?」
優しそうな笑顔なのに、イリスの背後に何やらオーラが見える。ヤバイかもしれない。想像以上にこの人強いと思う。
結果、ボコボコにされました。ホントに強かった。
オレって結構凄いんじゃない? と一瞬でも思った自分が馬鹿だった。でも防具のテストはばっちり。イリスに指導されて、ちゃんと半身で構えるようにしたら防御が楽になって、自前の装甲のお陰でノーダメージ。少し自信が回復しました。