おとぎの森にはカフェがある
森のどこかに、望むものを与えてくれるカフェがある、というおとぎ話。
そう、おとぎ話のはずだった。
でもおとぎ話じゃなかった。
そうでなければ、目の前にあるものが現実かどうか信じられない。
おそるおそる、扉を開けるとこじんまりとしたカウンターのみのカフェ。
森の中にあるにしては、あまりにも場違いな。
だいたい、あまりにも森深くまで来てしまって帰り道すら分からないのに。
いや、もう帰り道などないのだ。
「あれ?お客さんだ」
カウンターの向こうからひょっこりと現れたのは、キツネ目の青年だ。
「いらっしゃいー」
「あ、あの。喉が渇いて……」
「どーぞどーぞ。メニュー見て決めてね」
誘われるままカウンターに座ると、メニューを開く。
「……変な名前のメニュー、ですのね」
そこには普通のカフェのメニューではなく、まるで歌うような言葉が並んでいた。
丸い氷道
炎のカリトニー
中和される意志
……etc
「変な名前はひどいなぁ」
「あ、ご、ごめんなさい」
「あはは、いいよ。でもどれを選んでも、君の望みを叶えてくれるものだよ」
「え?」
「なんだ、その噂を聞いたからここに来たのかと思った」
「……叶うんです、か?」
メニューを持つ手が震える。
涙があふれてきて、青年がハンカチを差し出してくれたものだからありがたく受け取った。
「名前は?」
「……ユリーズ・ケルティ、と申します」
「ひょっとして、ケルティ伯爵のご令嬢?」
「私の悪評をご存知ですか?」
「うん。ああ、ごめんね貴族に対する言葉遣いなんてわからないから」
「いえ。もう私は……」
彼女は、この国の伯爵令嬢だった。
特に目立つこともない、優しい素直な少女だった。
そんな少女の世界が歪んだのは、両親が馬車の事故で亡くなった時だ。
あっという間に親戚に家を乗っ取られ、両親の御霊を慰めるために修道女に、という名目で家を追い出されそうになった時、彼女を救うために動いたのが婚約者であった騎士だった。
だが災いとなってしまったのが、そんな騎士道精神あふれた婚約者に、この国の王女が恋焦がれてしまったことだった。
結果救い出された彼女は、王女の愛を奪うものとしての悪評を与えられ、修道院送りという名の森への放逐となった。
最後まで婚約者は彼女を救おうとしていたが、一介の騎士が抵抗できるはずもなかった。
この森を超えれば、辺境の修道院には確かに着くが、少女一人の足で超えるなどどう考えても無理な話だ。
「……僕のほうでメニュー決めていいかな」
「は、はい、お願いします」
森の中でこの店を見つけた時、昔聞いたおとぎ話を思い出した。
現実でも夢でも良かった。
少しだけ救われた気がして。
「はい」
差し出されたカップはオレンジ色の紅茶のようだった。
「……美味しい」
甘い果実の香りがかぐわしい。
「ゆっくりしていって」
これが望むものだろうか?
何かを思い出していくような優しい味。
(ああ、そうだわ)
どうしても知りたい、彼はどうなったのだろうか。
自分を最後まで追いかけてくれたあの人は。
最初に見えたのは炎だった。
よく知る屋敷。……私の家だった。
大好きな庭も見るも無残に焼けていく。
どうして?どうして?
次に見えたのが、彼が泣きながら血まみれの剣を持つ姿。
誰を斬ったというの?
いえ……いえ、愚問ね。
あなたはあの人たちを斬り、火を放ったのね。
どれほどの罪か分かっていて、覚悟して。
馬鹿ね。
優しさを無駄遣いし過ぎなのよ、あなた。
それから最後に見えたのが、彼が処刑される姿。
笑って誰かに囁く最後の姿。
「遅くなってごめん、ユリーズ」
ああ……なんてこと。
泣きながら空になったカップに目を落としていると、お代わりが注がれた。
「見えた?願ったものが」
「……ええ。でも見なければ良かった。だって、彼が私のせいで」
「彼はあなたのでせいではなく、あなたの為に言ったことだったんじゃないかな」
「でも死んだら何もならないわ」
「そんなことないよ、ほら」
促されて振り向くと、店のドアのところに困ったようなはにかんだ笑顔の大好きなあなた。
「遅くなってごめん、ユリーズ」
「迎えに来たんだ」
思わず立ち上がって駆け寄って抱き付いた。
感触がよく分からない、だけど笑顔は確かにあって。
「お迎えが来たようだね。それじゃ、そろそろ店を閉めるよ」
「あ、あのお代を……」
「もうもらってるよ。お迎えの方から」
「え?」
「ユリーズ様。迎えが来ること自体がお代なんだ。どうかもう迷わないで。あなたはやっとここにたどり着けたんだから」
キツネ目の青年の笑顔が、涙で滲んで見えた。
「ここは、お迎えを待つ場所なんだ。でも、誰でもたどり着くわけじゃない。あなたはずっと迷って迷って、消えかけようとしていたけれど、彼が死んだとき、先に亡くなったあなたもやっとたどり着いたんだ」
「そう、なのですね。私はもう」
「うん。この森で亡くなったんだよ」
「まあ、では私の遺体は森の養分になりましたでしょうか?」
「なかなか怖いことを言うなぁ」
さあ、とドアを開けて二人を促す。
しっかりと握った手は生きている時には二度と繋がれることはなかったが、今はこうして繋がれた。
選んだ茶は間違っていなかったらしい。
「もうひとつよろしいですか?私が頂いたお茶の名前は何だったのでしょう?」
ああ、それくらいは告げても良いだろう。
今日も客の望みを叶えたことが密かな自慢なのだから。
「恋焦がれ」
彼女がどうしようもなかった運命にも拘らず揺るぎなく彼が彼女に恋焦がれ、その為に突き進んだ悲劇も含めてこれ以上相応しいものはなかっただろう。
「あなたたち二人がたどり着く先が次がどんな世界か僕は知らないけれど、その手を離さないでいられる場所であることを祈ってるよ」
森の向こうへ去っていく背中に一礼して、さてと、と青年は伸びをしてカップを片付ける。
「まだしばらく店主交代はできそうにないなあ」
それもいいか、と思い、次の客の為にカップを磨き上げるのだった。