トモダチサガシ
「次のニュースです。長野県の山奥の廃校で、男子学生の遺体が発見されました……」
わたしは東京の大学に通う学生。名前は立花ゆかりという。
わたしの親友の高田加恋は、同じ大学の二年生で心霊マニアだ。
加恋は、男子二人と心霊同好会を運営していて、次の日曜日には長野の廃校にお出かけすることになっているという。
もしよかったら、ゆかりも来ない? といわれて、わたしは咄嗟に、いくよ、と答えた。
わたしは退屈していたし、不謹慎だとか、本当に怖いことがおこるとか、そんなことは一切考えていなかった。それが間違いの元だった。
当日、わたしは、駅でみんなと待ち合わせた。加恋は用事があるといって寸前まで来るかどうか分からなかったが、遅れて到着した。それから四人は車に乗り、長野の山奥に入っていった。
日は傾き、空は赤く染まり、山並みは黒いシルエットになってゆく。
わたしは後部座席に座って、隣の鏡一くんと話し込んでいた。
鏡一くんは眼鏡をかけていて、秀才のイケメン、運転をしている洋介くんは温厚な体育会系男子といった印象だ。
しばらくして、助手席に座ったまま、ずっと黙っていた加恋が、わたしに振り返って言った。
「これから行く廃校にはね、女子生徒の霊がでるんだよ」
「女子生徒の霊?」
わたしたちがそんな会話をしていると、運転をしている洋介くんが、呑気な笑い声を上げた。彼はこんな心霊スポットめぐりをしながら、実は幽霊なんてこれっぽっちも信じていないに違いない。
私の隣の鏡一くんは、会話を聞きたくないのか、さも気味が悪そうに顔を背けている。
わたしは、
「それで? その幽霊が人間に害を及ぼすということなの?」
と尋ねた。
洋介くんがまた笑い、わたしに、
「まるで何かいるみたいじゃないか」
と言った。
加恋はすぐに頷いた。
「そうかもね。その高校では、女子生徒が理科室で自殺をしたの。原因は生徒によるいじめと言われている。もう十年も前のことだけどね。それからなんだ。その学校は、事故や自殺が相次いで、入学する生徒が減って、地元住民からも非難され、それで廃校に追い込まれたんだ」
わたしは怖くなった。
「自殺した生徒の呪いかな?」
「かもね」
鏡一くんがそこで、
「馬鹿な真似はやめろよ!」
と叫んで、会話は突然終わった。なんだ、鏡一くんってけっこう怖がりなんだ、ってわたしは思ったんだけど、この時、なんだか、このやり取り、変な感じがした……。
わたしたちはしばらくして、その廃校に到着した。懐中電灯に照らされ、校舎が白く浮かび上がって見える。あたりは山ばかりでとても静かだった。わたしはなんだか、急に怖くなってきた。
「中に入ってみようよ」
と加恋が言って、わたしたちは玄関口に近づいた。
「鍵がかかっているんじゃね?」
と鏡一くんが言った。それもそうだ。玄関のガラス戸はすべて鍵がかかっていて、開かなかった。
「あ、みてこれ。手の跡がついてるよ」
加恋が指差しているところを見ると、なるほど、ガラスに人の手の跡がついている。それも、真新しくて、内側からつけられたもののようだった。わたしが、手の跡がついていると言うと、鏡一くんが変な目でわたしを睨んだ。見えていないのかな。そんな違和感をごまかすように加恋が笑った。
「どっかから中に入れるってことだよ。ねえ、探そうよ」
わたしたちが、校舎の壁伝いに歩いてゆくと、裏口のドアが半開きになって、揺れていた。
「ほらね」
加恋は嬉しそうに中へ入っていった。
わたしたち四人は、女子生徒が自殺をしたという理科室に向かって、暗い廊下を歩いてゆく。そうしながら、わたしと加恋が喋っていると、次第に、洋介くんの様子がおかしくなってきた。
「あ、悪い。俺、体調悪いから車の中に戻ってるよ……」
わたしたちは頷いた。洋介くんがいなくなる。洋介くんは本当は怖くなってしまったのかもしれない。しばらくすると、鏡一くんも途中で、洋介が心配だと言って、様子を見に車に戻ってしまった。
……なにか、ふたりの様子がおかしい。
「意気地がないなぁ。男子は……」
加恋は笑った。
こうして、わたしと加恋はふたりきりになり、さらに奥へと進んだ。
その時だった。懐中電灯の明かりがぷつりと消えて、廊下は真っ暗になった。わたしは悲鳴を上げ、パニックに陥った。すると遠くの窓ガラスを叩く音がして、すぐにガラスが割れる音がした。わたしはその場にしゃがみ込んだ。しばらくすると、懐中電灯が点灯した。目の前には加恋がいた。
「ゆかり、怖かったね」
「ガラスが割れる音がしたよ……」
「そうだね。理科室の方だよね。行ってみようか」
どれほど歩いたことだろう。目の前にお目当ての理科室のドアが現れた。
「ここだね」
ところが加恋は、室内に入ると同時に悲鳴を上げた。わたしが中をのぞきこむと、そこに血まみれの洋介くんの死体が転がっていた。
洋介くんは身体中、刺し傷だらけで、指には血がべっとりとついている。死体の近くの床には血文字で「ヲシンジルナ」と書かれていた。だけど、それよりも前の文字は死体が隠してしまっていて見えない。
加恋が呟いた。
「なにかに殺されたんだね」
わたしはようやく、自分たちの置かれている状況に気づいた。この校舎には本当に悪霊が潜んでいるのかもしれない。ここにいてはまずい。加恋も、今すぐに車に戻ろうと言い出したので、わたしたちは急いで、廊下を歩いた。ところが不思議なことに、わたしたちが入ってきた裏口はぴったりと閉まっていて、開かなかった。
「ねえ、玄関から出ようよ。鍵が開けられるかもしれないし…….」
わたしはそう言って、率先して、玄関へと急いだ。下駄箱がずらりと並んでいて、その先にガラス戸がある。わたしはガラスを見て、あっと叫びそうになった。
ガラスの向こうに、こちらを驚いたまま見つめている顔がある。それは鏡一くんの顔だった。彼はこちらに向かってなにかを叫んでいる。しかし、その言葉はよく聞き取れない。彼はガラスを叩いて、なにかを伝えようとしている。その異様な様子から、鏡一くんがおかしくなってしまったんじゃないか、とわたしは思った。
「怖いよ……」
加恋は震えた声で言って、ガラス戸に近づくことができず、この場から逃れるように、建物の奥へと走っていった。
「加恋!」
わたしはそう叫んで、加恋を追いかけた。でも、廊下の途中で見失ってしまった。わたしはその場にしゃがみこんだ。
……ひとりになってしまった。怖い。このままだとわたしも洋介くんのように殺されてしまう。
その時、わたしの鞄の中の携帯電話が鳴った。わたしは怖くて出るべきか迷った。それでも、いつまでも鳴り止まないので、わたしは決心して電話に出ることにした。
「はい」
『あ、ゆかり? どう、幽霊いた?』
わたしは自分の耳を疑った。それは加恋の声だった。
「加恋? 今、どこにいるの?」
『わたし? あれ、洋介にちゃんと伝えといてって言ったのにな。ごめんね。急に行けなくなっちゃってさ』
「え? どういうこと……」
『今、自宅だよ』
「うそ……」
『どうしたの? ねえ、なんだか、様子がおかしいよ。今、三人で廃校を探検してるんでしょ?』
「やめて……」
『ねえってば』
「変な電話、かけて来ないで……!」
わたしは携帯電話を床に投げ捨てると、すべての心霊現象から逃れようとして、廊下をふらふらとさまよい歩いた。
今の電話は加恋の悪ふざけだろうか。あるいは、自殺した女子生徒の幽霊が加恋のふりをしてかけてきた電話なのかな。
そして気がつくと、わたしは再びあの理科室の前に立っていた。
そうだ。もう一度、調べてみよう。なにか、わかるかもしれない。現場には血文字が残されていた。あれがダイイングメッセージであれば、犯人が誰なのか、分かるかもしれない。
理科室には、先ほどのように、洋介くんの死体がある。その生ぬるい体をどけると、血文字の見えていなかった部分が読めた。
『デンワガカカッテキテモシンジルナ』
そうか。そうなんだ。洋介くんは携帯電話を取りに車に行って、そこで悪霊から電話がかかってきて、殺されてしまったんだ。あの電話してきた加恋がきっと悪霊なんだ。わたしを呼び出そうとしている。どうにか本物の加恋と会って、一緒にここから逃げ出そう。
わたしが窓に近寄ると、窓ガラスが割られて、鍵が開いている。窓を開くと、雑草の茂みがあって、外の駐車場に通じているようだった。洋介はここを通ってきたんだ。これで、洋介くんがこの部屋に先まわりできた理由が分かった。しかし、わたしはまだ車に戻るわけにはいかない。親友の加恋が、校舎の中にいるからだ。
わたしはそう思って、理科室を後にした。教室をひとつひとつ見てまわる。気を取り直して携帯電話を拾い、加恋を探し続けた。残るは二階だけだ。わたしはそう思って、階段をのぼった。
二階の廊下の奥から物音が聞こえる。なんだろう。わたしは気になって、音のする方へとゆくと、教室の中で加恋が微笑んでいる。
「わたしを探してくれてたんだね、ゆかり……」
「加恋……」
その時。わたしの携帯電話がまた鳴りはじめた。ああ、きっと、また悪霊からの電話だ。
「出ちゃ駄目だよ」
わたしは目の前の加恋にそう言われた。そうだ。確かにこの電話の向こう側にいるのは、悪霊の加恋なのだから。でも、本当にそうだろうか。違和感が拭えない。わたしは謎を解くためにあえて電話に出ることにした。
「はい」
『どうしたの、さっきは。ゆかり?』
「加恋……?」
『大丈夫?』
「ねえ、どっちが本物の加恋なの?」
『えっ、何言ってるの?』
「もう分からないんだ……」
電話をしていると、目の前にいる加恋がわたしに近づいてきた。わたしは教室の隅に追い詰められた。
「携帯を渡しなさい」
そう言う加恋の瞳は死んだように冷たかった。違う。こんなの加恋じゃない。その時、わたしは真相に気づいてしまった。わたしは叫んだ。
「ねえ、お願いだから、わたしに近づかないで……!」
「ゆかり、その携帯を渡して……」
「あなたは自殺した女子生徒なんだ……」
「どうしてそう思うの?」
「だって、電話がかかってきたから」
加恋は冷たい目つきを変えずに微笑んだ。
「ねえ、電話がかかってきても信じるなって、読まなかった?」
「やめて……。あれは書き変えられたの。洋介くんを殺したのは……」
わたしは言葉に詰まった。
すると加恋は、呪いと悲しみのこもった声でこう言った。
「あなたもわたしをそんな目で見るんだね」
わたしは、加恋の手を振り払い、その場から逃げ出し、階段を駆け下り、廊下を走った。後ろから追いかけてくる足音が響いている。わたしは理科室の窓から外に出て、車に駆け寄った。運転席には鏡一くんが座っていて、わたしの顔を見つめている。
「ねえ、すぐに車を出して!」
「でも、洋介が戻ってこないんだ」
「洋介くんは殺されたよ! ねえ、今すぐここから逃げないとわたしたちも殺されてしまうよ……」
わたしが車に乗り込み、その場から車は走り去った。車内でわたしが事情を説明すると、鏡一は恐ろしげに語った。
「実は、俺、ずっと君が何かに取り憑かれたんじゃないかって思ってたんだ。だって、行きの車内でも、ひとりで誰かと喋ってるみたいだったし、ガラスの手の跡も俺には見えなかったからね。それで、洋介と俺は、最初君がふざけてるのかと思ったけど、さすがにやばいと思ってさ、君から逃げて、車に向かったんだ。その直後、君の悲鳴が聞こえてさ、洋介が心配して、窓ガラスを破って、廃校に入っていったんだ。それっきり帰ってこなかった。俺が様子を見に玄関に向かったら、君が中に居たんだけど、背後に見知らぬ女子生徒が立っていて、俺はそれを知らせようとしてたんだけど、気がつかなくて……」
「そうだったんだ」
わたしは身震いした。車は廃校からどんどん離れてゆく。
最後の最後でなんで、わたしが真相に気づいたかって、あの血文字が教えてくれたんだ。危うく騙されて殺されるところだった。
2回目に見たとき、死体の横の床に書かれていた血文字は「デンワガカカッテキテモシンジルナ」。
だけど、1回目に見えていた文字は「ヲシンジルナ」。