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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

交通事故に巻き込まれた後先~アスファルトを踏むと地獄に落ちる~


 夕暮れ、学校近くの信号が青になると友達は左右確認して、横断歩道の白線だけを踏んで渡る。


「白は安全地帯で、アスファルトを踏んだら地獄行だよ」


 学校の帰りの遊び。信号が赤になるまで白線だけを踏んで先に着いた方が勝ち。一本の白線を大きな丸太に見立てるアトラクションを、友達は少し興奮気に私より大きい歩幅で白線を踏んだ。

 私もつられて白線を踏むけど、体が小さいから大きく股が開けない。私は小さいのに、あの子は体が大きいからどうしてもアスファルトを踏んでしまう。いつも負けてしまう。


「あはは。地獄行だよ。今日も私の勝ち」


 その声が聞えてくるのが悔しくてたまらなかった。今日は勝ってやる。その思いを胸に、腿の付け根のお肉が裂けるぐらいに大股で白線だけを踏んで進む。友達も負けじと白線を踏む。

 けど友達の方が一本先を行っていた。友達の赤いランドセルが金具の音を交えて揺らすと、私は牛のように気持ちが高ぶった。

 今日は負けたくない、引き分けにしたくない。負けたくない。

 まだ信号は青、点滅していない。私は友達に叫ぶように声を上げた。

()()()()()()()()()()!」

 もちろん嘘だった。そして驚いた友達の足がアスファルトの黒い人工の土を踏んだ。けど、初めて勝った時の感情も、友達が負けた悔しい顔も覚えていない。

 違う。それをする余裕もなかった。

 友達が黒土を踏んだ瞬間、私たちは車にはねられた。歩行者信号はまだ青だったにもかかわらず。

 まさか私が負けたくないばかりに放った言葉が、現実になるだなんて思わなかった。




 目が覚めた時、私は白いベッドの上に寝ていた。体がいろいろな管につながれて、腕も脚も包帯でグルグル巻かれていてまるでフランケンシュタインになったとめざめた時の感想だった。

 ベッドの隣でお母さんが目を真っ赤にして、もう涙が出ていないのに哭いていた。仕事に行っているはずの父も傍に立って哭いていた。


「よかった。生きてくれてよかった。よかった」


 お母さんは私を抱きしめて私が生きていることを喜んだ。まだ意識がはっきりしないまま、目だけをグルグル動かして自分がいる場所を確認すると、心電図のプラグや点滴のパックと医療ドラマでしか見なかった機器が目に入り、ここが病院で私と友達は車にはねられてたのだとようやく認識した。一緒にいたはずの友達はどこの病室にいるのと言おうとするが、あごを強く打って口が開きにくい。あうあう赤ん坊が話すみたいにお母さんに話しかけた。


「とも……だち。い、いっ、しょに、いた。どこ」


 するとお母さんはすんっと大きなしゃっくりを上げた。お父さんはさっきまで私を心配そうに見守っていたのに、視線を背けている。誰も私の動かない体で伝えた質問に答えようとしない。聞えるのは、すすり泣く声と心電図モニターのピッピッという電子音だけ。

 どうして? どこにいるの? 教えてよ。

 ぎゅっと反抗するようにお母さんの腕に手を食い込ませた。ようやくお母さんが顔を上げると、もう涙も出ていないに水にぬれてクシャクシャになった紙のような顔になっていた。


「あの子はね。助からなかったの。()()()()()()()


 短く詰まった声でお母さんはやっと答えた。簡潔な言葉なはずなのに、私はその意味を理解できないでいた。

 助からなかった? 死んじゃった? なんで? 私もあの場にいたよね。一緒に轢かれたんだよね。私が生きているなら、あの子も生きているはずだよね。でなきゃ、あの子も私も一緒に……死んでいるはずだよね。

 頭の中はずっとその言葉だけが渦巻いていた。

 私は生き残り、友達は死んだ。

 あの横断歩道で、いつものように青信号で、渡りながら白線だけを踏む遊びをして……あ。

 私は思い出した。あの時だけはいつもと違っていた。友達が初めて、アスファルトの黒土を踏んだ。アスファルトを踏んだら地獄行き。


 ()()()()()()()()()()()()()()




 私はリハビリに勤しんでた。友達の葬儀には参加できるほど回復していなく、友達の最期を看取ることはできなかった。でも、良かったかもしれない。もし参列していたら、あの子に呪い殺されていたかもしれない。私だけが生き残っているなんて理不尽すぎるから。

 二本のバーに捕まって歩くリハビリをしている最中、リハビリルームにある液晶の画面から私がいつも通っていた横断歩道が映った。

 最近交通事故によるニュースが頻発しているからか、巻き込まれた交通事故は全国の番組でも大きく取り上げられた。バラエティー番組でたまたま近所の家とか道路が映されたときは大きくはしゃいでいたのに、今は暗い海底を歩いている気分になった。看護士さんがすぐに番組を変えてくれたけど、頭の中は自問自答の回転木馬の中に閉じ込められていた。

 なんで私が生きているのだろう。友達が生きていたら、私の方が死んでいたのかな。でもそれだとお母さんもお父さんも悲しんじゃう。私があのアスファルトを踏んでいたら友達も私も事故に巻き込まれなかったんじゃないかな。

 意味のないことだと頭の隅っこではわかっていた。でも、もしも、あのとき、という仮定が後悔として蘇り私を暗い暗い水の底に落ちて水圧で潰していく。




 退院する日が近づくにつれて、両親はなんだかそわそわと落ち着きのない様子だった。しきりに病院の廊下や窓に注意を払っていた。まるで誰かに狙われているかのように。

 そして退院の日、今までお世話してくれたお医者さんと看護士さんに挨拶をすると、お父さんは私を体の傍に寄せて車にと駆け出した。まるで早く逃げ出そうとしているかのように車のキーを差し込むと、どこからか顕れたマイクを持った人たちが私めがけてそれを突きつけた。

 ――横断歩道で遊んだの? 青信号だった?

 ――お友達を失った気持ちは?

 ――車が来ているよって教えなかったの?

 私と友達のことを他人のはずなのにぐいぐいとしつこく質問を詰めかけられた。

 知らない。わからない。

 だっておかしいでしょ。横断歩道で青信号が来たら、隣の車は止まるはずだもの。安全確認もしたよ。間違いなく青信号で私たちは渡っていた。それに車は時速六十キロ以上も出てた。家の近くに沿線があるため特急電車が走るところをよく見かけるからだいたいの感覚でそれがどれくらいの速度かわかるもの。あんなのが真っすぐこっちに来たら避けられないよ。

 安全確認もしたのに、どうしようもできないのに。なのに、記者の人たちはひたすら意味のない答えを求めてきた。もっともっとと餌を求める鯉のように。

 後で知ったけど、私と友達が横断歩道で遊んでいたと車を運転していた人が証言したことで罪は私のほうにあるんじゃないかと目をつけられていたそうだ。両親が挙動不審な理由が後になってわかった。


「うちの子に近寄るな!!」


 お父さんの怒号が、今まで聞いたことがない叫びが辺りに響くと、私はお父さんに抱えられて助手席に座らせて車を発進させた。公道に出てサイドミラーで振り向くとさすがにマスコミは追ってこなかった。


「退院した子供に、そんなことを聞くか? あいつらは記事のネタにさえすれば人のことなんてどうでもいいのか?」


 運転しているお父さんの目は険しく、バックミラーを片目で後方を確認しながらマスコミに対して嫌悪感をむき出ししていた。怖かった。お父さんが、恐ろしい顔をしているのが。お父さんに話しかけることもできず、私は体を縮みこませて小さくなっていた。

 私が事故に巻き込まれなければ、お父さんはこんな怖い顔しなかったかもしれない。お母さんも赤い目になることもなかった。

 あの子だって、私があの時。あんなことを言わなければ……




 学校に復帰する日、私があの横断歩道の前に差し掛かった。横断歩道は私が出した血も痕跡も、たっぷりのアスファルトに塗り固められてどこにでもある普通の横断歩道の様相を呈していた。

 けど信号機の横には、友達を偲んで花束やお菓子が祭壇のように積んで置いていた。私は祭壇に一礼して横断歩道を渡らず、遠回りして学校に向かった。渡ることはできなかった。あの時の残像が、友達の最期の瞬間が蘇りそうだったから。

 教室に入ると二つぽっかりと穴が開いたように机が空いていた。一つは私の、もう一つは死んだ友達の席だった。私が退院したことをみんなは一応は祝福してくれた。でもみんなどこかよそよそしいのが目についた。

 そしてそれは翌日顕著に表れた。


「ねえ、一緒に帰ろう」

「ごめん。ちょっと今日用事があって」


 一緒に帰ろうと誘うと、クラブで一緒だった子も、隣の席の子も、みんな帰り際になると避けられていた。授業とかお昼とかがいつもと変わりなく過ごしているから、余計に帰りに避けられるのが際立って印象に残った。

 退院した日から、みんなおかしい。

 噂は遅れて私の耳に入ってきた。私と一緒に帰ると、地獄に落ちてしまう。あの子も地獄に引きずり落とされてしまったから。

 私は何も言えなかった。反論できない理由はある。だってそれに相応することをあの子にしてしまったのだから。あのとき、私が声を出していなければ……

 私も地獄に落ちればよかった。あの黒い土の底にある地獄に……

 



 ある日の帰り、あの日と同じホワイトの雲が仄かな赤に色をつけられている夕暮れの空だった。事故に遭った横断歩道の前で祈りを捧げることが日課になっていた。こうすることで、友達が喜ぶことも許されることはないとわかっている。自分への慰めだ。何度謝っても死んでしまった友達からは、許す言葉も、怒りの声もない。ごめんなさいごめんなさいと心の中で自分に言い聞かせて慰めている。


 横断歩道の前に差し掛かると、一人女の子が手を合わせて祈りを捧げていた。その子を見た時、私は一瞬驚いた。その子は死んでしまった友達のあの子とそっくりだったから。あの世からよみがえったのかと思った。けど、よく見ると制服が別の学校のもので、ランドセルも赤じゃなく茶色だ。それに私より体が一回り小さい。


「ねえ、あなたここで何しているの?」

「……妹、死んだお姉ちゃんの」


 友達の妹さんは短く告げると、私は息を飲んだ。


「私は、そのお姉ちゃんの友達だった」


 妹さんはじっと私を見定めるように足先をじっと見つめていた。もうギプスも包帯も外れていて事故に遭った痕跡は表面上はない。ここの交差点のように、きれいに、その下に印を残して。


「……お姉ちゃんとはよくここであの遊びをしていましたか」

「うん。していたよ。あの日も」


 意を決して遠回しな告白した。どうして代わりに死んでくれなかったのとか、罵声を浴びせられるのは覚悟の上だった。でも妹さんは少し俯くと作った笑いだとすぐにわかるへたくそな笑顔で向き直った。


「やっぱり。私もお姉ちゃんと横断歩道で白線だけを踏む遊びをしていました。お姉ちゃん体が大きいからいつも負けてましたけど」

「私もそうだったよ。私はバランス感覚が悪いからよくアスファルトを踏んでしまっていたけど」


 まるで遠い昔のことを語り合うように、私は久々に一笑した。


「でも姉はもうしてくれないのですよね」


 ポツリと妹さんが吐いた言葉に私たちは現実に引き戻された。もうあの日は帰ってこないということを、いつも一番に横断歩道を駆け抜けた友達は、ここにはもういないのだと。

 そして妹さんはひと呼吸着くと、何かを決めたように唇を噛んだ。


「あの……一緒にここを渡ってくれませんか。あの時と同じように白線だけを踏んで」

「怖くないの」


 その子に訊ねるのが変だった。だって、一番怯えているのは、私自身のはずなのに。妹さんはゆっくりと小さくうなずいた。


「正直怖いです。でもあの時のようにもう一度すればお姉ちゃんが帰ってくるかもしれないから」


 そうかもしれないと、夢物語みたいなことを私は信じてしまった。当事者の私がここにやってくればあの子は化けて出て、妹さんに別れの言葉や私に文句のひとつでも言うため化けて出てくるかもしれない。

 妹さんのぎゅっと怯えて握っている拳を手に取り、手を結んだ。

 信号が青になる。私も妹さんも同じ白線だけを踏んで渡っていく。妹さんは私よりも小さいから白線を越えるだけでも歩幅が足りなくて黒土を踏みそうで、こわごわとしていた。友達は、この幅は余裕で越えた。 

 そして、友達が止まったあのアスファルトの所に差し掛かる。


「お姉ちゃんは……本当に車を見ていなかったのか」


 妹さんは現場を前につぶやいた。妹さんの言葉は、ネットニュースにあったあの事故の記事の内容だと私は気付いた。記事では、私たちが青信号で渡っている最中に遊んでいたため車が接近していることに間に合わず巻き込まれたとあった。「車の方が信号無視してきたのに、こっちに非があるような書き方だ」とまたお父さんが怖い顔をしていたのをよく覚えていた。妹さんもそれが許せなかったのだろう。

 先に妹さんが白線を渡ると、私もその後に続こうとした。

 動かなかった。体が震えて、呼吸が苦しい。視界がぼんやりとしてくる。


「どうしたの!? しっかりして!」


 すぐ近くにいるはずの妹さんの声が、遠くにいるように聞こえる。目を瞬きさせて顔を上げると、赤いランドセルを背負った女の子が立っていた。私よりも大きい体の友達が、次の白線を踏もうとした瞬間だった。


「待って! 車が来るのは右だよ!」


 けど、実際には反対側から車が突っ込んできた。

 右と左。この違いが彼女の生死を分けてしまった。

 友達は、死んでいなかったかもしれない。



 私が叫ぶと、追いかけるように黒土に足を乗せようとした。

 友達は振り返えると、()()()()()

 そしてそのままあの時と同じように消えてしまった。

 

 待って。なんで私を助けるの。私嘘ついたんだよ。あなたを殺したのは私なんだよ。


「信号赤になるよ!」


 妹さんが叫び、腕を引かれた。彼女が腕を引いたおかげで、私の足は黒土から白線にへと引き戻された。そのすぐ後ろから車が通り過ぎる排気音が聞こえた。

 横断歩道を渡り切ると、足に力が入らずその場でへたり込んでしまった。


「お姉さんしっかりして、私を一人にしないで!」

「ごめんなさい。ごめんなさい」


 嘘言ってごめん。あなたじゃなくて私が落ちればよかった。いつも地獄行だった私が。

 ねえ、怒ってよ。呪い殺してよ。私もあの黒土の地獄に道連れにしてよ。何か言ってよ。

 でも友達は何も言ってこない。私に怒ることも、呪うことも、地獄行にすることも、許してくれることさえも。

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