エピローグ
戦いが終わったあと、放心したように立ち尽くすアルネーにフーカが近づき、なにごとか告げた。
みえたのは口の動きの一部だけだが、「ありがとう」といっていたように思う。
アルネーは、泣きそうな顔でおれを振り返る。
「あんたたちに、許してくれなんていわないよ」
「いいのか、それで」
「どういう意味だい」
おれは語るべきか迷った。
自分がこの五百年、どれほどアルネーに詫びたかったか。どれほどの後悔を抱えていたか。
気持ちを吐き出すことができないということが、どれほど辛いか。
「いや、いいさ。あんたはなにもいわなくていい」
アルネーはおれに背を向けた。
このままどこかへ行くつもりだ、と悟る。
さきほどのフーカの言葉が、彼女になにかを決意させたのだろう。
復讐が終わってそれでもまだ立ち上がらなければならないなにかができたのだろう。
それはそれで、いいことだと思った。
おれは、まだアルネーに死んで欲しくないのだ。
生きていることが辛かったとしても、彼女と顔を合わせる機会が残っていてほしかった。
おれのわがままだ。
でもたぶん、ミルも同じことをいうだろう。
彼女の霊気が欲しいアイシャは……。
「よい。生きていれば、また機会もあろう」
かたわらの赤毛の少女は、おれの心を読み取ったかのようにそう呟いた。
「とっとと行け、女。あとのことはわれらが始末をつける」
アルネーはひとつうなずき、おれたちから顔をそむけたまま、呪文を詠唱した。
その姿が、かき消える。
「フーカ。いまさらだけど、きみはアルネーになんていったんだ」
「ぼくは、あなたを許さない、と。父と母に会いたい、手助けせよ、とも」
フーカはアルネーに対して感謝の言葉も告げたはずだ。
でも照れ臭いのか、そのことには言及しなかった。
「たしかネハンとナズニアって……」
仙界、だったか。
仙者たちが住む場所のことらしい。
あのふたりは、そこへ向かったという。
「どこにあるとも、それどころか本当に存在するのかどうかすらわからぬ地です。探して欲しい、とアルネーさまに頼みました。……彼女には、生きる目的が必要だと思ったのです」
おせっかいなことだな、とおれは笑った。
フーカは、ただアルネーを救うためだけに、その言葉を告げたのだろう。
自分のことを刺した相手だというのに。
そもそも、アルネーがことを起こさなければ、フーカがあの卵を封印する必要もなかったはずだというのに。
「父や母、ヘリウロスさまやバハッダさまから、たくさんの話を聞きました。ぼくは、アルネーさまを尊敬しておりました。いまでも、どうしても憎めないのです」
「おひとよしだな」
「でもね、フーカちゃん。そういうところ、ネハンにそっくりだよ」
フーカは、花が咲いたような笑顔を浮かべた。
*
トウの国の指導者層であるスギイラの一族は、王を含めその半数がケイの都を襲った災厄によって行方不明となった。
誰が死んだ、といいきれない理由は、あのとき誰が都にいて誰が外にいたか不明だからだ。
王が消え、われこそ新たな王であると名乗る者が乱立した。
まるで、帝国の崩壊をみているようだった。
長い混乱は周辺にも波及し、大陸に比べ発達したホウライの技術、人材の多くが失われることだろう。
このまま手をこまねいているならば。
「わたしたちは、五百年前を知っているよ。二度と同じことは起こさせない。コガネ、手を貸して」
ミルが決意をかためた顔でおれをみた。
「でも、どうすればいい」
「あのときは、担ぐべき者がいなかった。充分な軍事力もなかった。いまは違うよね、フーカちゃん」
「ぼくに、なにかできるのでしょうか。ぼくはこの地で何百年も生きていたとはいえ、大陸人の子です」
「でも、この地の民をよく知っている。誰を担げばいいか、わかるんじゃないかな」
もちろん、とミルは続けた。
「わたしたちも協力するよ。ね、コガネ、アイシャ」
「まあ、ボウサのほうの後始末もあるしな……」
この国が混乱すれば、隣接国となったボウサも被害を受けるだろう。
トウの国が三つに分裂したとしても、ボウサ一国より国力が高い。
アイシャは少し迷ったすえ、「霊気を奪ったうえで、あとは知らぬこと、とはいくまい」と腹をくくった様子であった。
「じゃあ、まずは誰を新しい王にするか、悪だくみしないとね。ほかの候補の邪魔もしないと。軍と軍がぶつかる前に、なるべく相手のちからを削いでおきたいな」
ミルはぶっそうなことをいいながら、雲のようにふわふわと笑う。
伊達に五百年間、為政者をしていない。
「あとは……少しずつだけど、大陸人に対する偏見を払拭していかないと。もう、卵を封印していた時代は終わったんだから」
それもあったな……。
フーカがこれからどうするのかも含めて、考えていかなきゃいけないことだ。
*
そのボウサだが、考えなければならないことがもうひとつある。
ゲンザンに埋まった封印、邪竜の死骸である。
おれとアイシャは、ゲンザンの地下、封印の間に来ていた。
脈動する巨大な白い宝石が中央に鎮座している。
「フーカより取り戻した霊気は、おおよそひとり分である。おぬしとミルからのものを含めて、三人分。そして邪竜の封印に使われている霊気がひとり分だ。われとしては、過去の抜け殻に興味はない。だが抜け殻の封印に使われている霊気には、おおいに興味がある。これは未だ、われが使うことが可能なものであるのだから」
「強欲なやつめ」
いちおう、そう罵ってみる。
「どこが強欲なものか。もともと、われのものだ。たとえ多くは求めぬにしても……まだ多くの懸念が残っている以上、ちからを求めるのは必要なことである」
「たとえば?」
「忘れたか。伝承によれば、封印都市は三つ。ひとつがこのゲンザン、もうひとつがケイであった。残るひとつ、これが未だにわからぬ。おそらくは、さらに東の都市のいずれかであろう。フーカが、いくつか心当たりを述べておった」
そういえば、そうだったな……。
しかし、邪竜の死骸と卵。
「あとひとつにはいったいなにが埋まっているんだ」
「さっぱりわからぬ。いや、わからぬとしたい、といったところか」
アイシャが、おれをみあげる。
その赤い双眸が、珍しく気弱に、戸惑うように揺れていた。
いったいどうしたというのか。おれのほうが困惑してしまう。
はたしておれの動揺をどうみてとったのだろう。
アイシャは微笑みを浮かべた。
まるでいまにも消え去ってしまいそうな、弱々しい笑みだった。
「よい。ただ、思ってしまったのだ。肉体と、それにとりついた邪悪な魂。当時のわれの構成要素のうち、もうひとつははたしてなんであっただろう、と」
おれは息を呑んだ。
彼女がなにをいいたいのか、唐突に理解したのだ。
「なあ、コガネ。われとは、はたしてなんであろうな。邪竜の記憶を宿すこのわれとは、はたして本当に……」
「おまえは、アイシャだ」
おれはとっさに、彼女の手をとって、強く握った。
この儚げな少女が消えてしまわないように。
アイシャはびくっと身体にちからを入れたあと、でも抵抗せず、目をおおきく見開いておれをみつめる。
「おまえはアイシャで、おれたちの仲間だ」
おれは確信をもって、そう告げる。
「たとえなんであろうと、これからなにが起ころうと、おまえはアイシャだ」
少女はぽかんと口を開けて……。
「そうか」
と笑う。




