第44話 万能
万能のふたつ名を持つかつての仲間、アルネーは、おれより五つか六つ年上の女性だ。
彼女はなんでもできた。
剣も、地水火風に光の魔術も、仲間のスペシャリストには及ばなかったが、誰かの穴を埋めるくらいには得手としていた。
情報を集めるのもナズニアと共に得意だった。
帝国各地に広い交友関係を築き、政治にも鼻がきいた。
困ったことがあれば彼女に相談することで、たいていのことは解決できたのである。
おれたちは彼女に頼り切っていた。
彼女がバックアップしてくれればなんでもできるような気がしていた。
危険を感じたときの彼女の直感を信じていた。
邪竜アイシャザックを討伐したあと、帝都に戻るべきではない、とアルネーは主張した。
おれは彼女に反論した。
そんなはずはない、ということを聞かずに帝都へ直行して……。
あとは知っての通りだ。
彼女が正しくて、おれは間違っていた。
それが、おれの負い目だ。
彼女に合わせる顔がない。
数か月前、ミルがアルネーからの伝言を受け取ったと聞いたとき、少しほっとした。
向こうが「気にするな」というのなら、そうするとしようと。
ほっとしたことには、もうひとつ理由がある。
アルネーがおれたちの仲間になった経緯、血のにじむような努力で万能のふたつ名を持つまでに至った経緯である。
復讐だ。
邪竜アイシャザックは、アルネーの夫と娘の仇なのである。
邪竜が気まぐれで吹き飛ばした町に、彼女の家族が住んでいた。
傭兵だったアルネーはたまたまそのとき不在で、だから彼女は愛する家族と隣人をすべて、そのとき失った。
アルネーは復讐を誓った。
なんとしても、己の手で邪竜アイシャザックを滅ぼすと決意した。
そこから万能のふたつ名を得るまでには、壮絶なあれこれがあったという。
そんなわけだから、アイシャとアルネーを会わせるのは、なるべく先延ばしにしたかった。
ミルとも話し合って、アルネーのことはひとまず置いておこうとなった。
東に、行こう。
かつてのネハンの故郷へ。
ホウライを目的地に選ぶまでには、そんな事情もあった。
ほかの仲間を探している間は、アルネーのことを考えないで済む。
もっとも、そんな感情とは別に、彼女に会って謝罪したいという気持ちがおれには強い。
あのときのおれの拒絶は、きっと彼女を傷つけた。
おれが間違っていた、と頭を下げたかった。
いまなら。
いま、彼女に会うならば。
きっと、素直にごめんなさいといえるだろうから。
あのときできなかったことを、できる気がするから。
*
アルネーは変装も得意だった。
潜入捜査はお手のもので、魔物に支配された町に侵入して親玉の首だけ獲ってくるようなことも容易にやってのける豪傑だった。
だから、ひっかかることがある。
「手配されているのがアルネーだとして、あいつがこの国のやつらを相手に尻尾を出すようなへまをするか?」
おれの言葉に、ミルは腕組みしてうーんと首を横に傾ける。
「へま、じゃないと思う」
「わざと、か? じゃあなぜ、そんなことをする」
「えっと。……わざと、やってる? わたしたちが近くにいると知っているのかな。知らなくて、なにか暗躍してる? 知っているなら、これは合図? 陽動? えっと、わかんないよう」
うーんうーんと頭を抱えるミル。
五百年たっても、このあたりは相変わらずだな。
裏を読む、みたいなのは根本的に苦手なのだ、ミルのやつは。
おれもひとのことはいえないんだけども。
こういうのが得意なのは、もちろん……とアイシャをみる。
「ふむ。おぬしらの話を聞くに、これは合図であろうな」
彼女はアルネーのことをほとんど知らないが、おれやミルのことは詳しい。
アルネーという者がおれやミルの事情を承知したうえで立ちまわっているなら、という前提で語ってみせる。
「その者がおぬしらの知己であるなら、われらを側面から援護するつもりであろう。以前に聞いた通り、おぬしら七人は互いのことをよく知っているのであれば、相手がこちらの心中を推察するのは極めて容易。おぬしら双方とも単純明快であるからな」
「わーい、褒められたよコガネ」
「よかったな、ミル」
なぜかアイシャは苦虫を噛み潰したような顔になる。
情緒不安定なのかな?
「ともかく、その者の行動には意味があると想定するべきだ。本当にアルネーという者であると仮定しての話であるがな」
「変装してたら、似顔絵もあてにならないしね」
「ああ。そもそもあいつの素顔を知っているの、おれたち以外に何人いるんだ、って感じだったしな」
さて、そのアルネーがわざわざこんな目立つ行動をとった理由、か。
素直に手助けしてくれればいいのに、しない理由。
つーかおれたちに接触することもなしに、いっけん悪手にみえるような行動に走った理由。
なんだ……?
あいつがやりそうなこと。
おれたちに任せていたら駄目になりそうなことがあった?
おれたちはこれからトウの国の都、ケイに入ろうとしていた。
そこでフーカと接触し、なにがあったのか聞くはずだった。これからどうすればいいのかも。
そこに、この騒動だ。
このままでは、すんなりケイの都に入るのは難しくなる。
つまり、アルネーは……。
「アルネーは、おれたちをケイの都に入れたくなかった? いや、ケイの都に入ったらまずいことになると考えた?」
「あ、そういうことなのかな?」
「その者をよく知るおぬしたちの判断だ、その線で考えるとしよう」
アイシャは口もとに手を当てて、うむむと考え込んだ。
「ケイの都はこの国のものであれば出入り自由、商人の行き交いも多く、いつも賑わっている。カサイ、子細ないな?」
「はっ。われらも浸透しようとしておりますが、あまり上手くいってはおりません」
「そこである。カサイから聞いていたこの国の優秀な諜報が、われらの感じるこの国の雰囲気といまひとつ繋がらぬのだ」
カサイが、あっ、と声をあげた。
おれもミルも、なるほどと手を叩いている。
そうか、それが違和感か。
おれも、少し簡単すぎるな、と思っていたのだ。
これまでカサイが頑張っても、ほとんど情報を入手できなかったケイの都。
比べて、いくらフーカの部下の手引きがあったとはいえ簡単すぎるくらい簡単にことが運んでいたこと。
それらに、もし、納得のいく理由があるとしたら。
そしてアルネーの行動を考えあわせれば……。
「ケイの都になんらかの罠が仕掛けられている。敵意を抱いている者の素性がバレるような……いや、あるいはよそ者にだけ反応するのか?」
「魔術的なものであろうな。ある地に一歩、足を踏み入れれば反応してしまうような自動的ななにかだ。だからこそ、トウの国の防諜は周辺部への浸透を気にせぬのだろう。われらはこれまで、その虎の尾を踏まずにきた。で、あれば。それが仕掛けられているのは、やはりケイの都の付近。アルネーという者、そのことをわれらに伝えたかったのではないか」
「わざと罠を踏んで、相手の反応を引き出した、と……。おれたちに、罠があると伝えるために」
直接会って、口でいえ、と思わないでもない。
でもアルネーがそうしないということは、相応の理由があるのだろう。
おれもミルも、そのへんに関して彼女のことを心から信頼している。
いや、信頼する、と決めたのだ。
もう二度と、アルネーを疑ったりしない。
彼女の助言を無下にしない。
かたく、そう誓った。
「このまま都入りするのはやめよう。見まわりの兵は適当にやりすごすとして、その後はここに留まり、情報を集める」
おれの決断に、カサイをはじめボウサの全員がうなずいた。
フーカの部下たちが怪訝な表情になる。
彼らはおれたちもアルネーのことも知らないのだから、無理もないが……。
「そちらで、フーカと連絡をとることはできるだろうか」
「一往復程度であれば、文を交わすことは可能です。この魔導具をお使いください」
一枚の羊皮紙を渡された。おれはミルやアイシャ、カサイと相談して文字をしたためる。
さすがのおれも、ここの文字をある程度は書けるようになっていた。
羊皮紙をフーカの部下に渡す。
彼はそれをいくつかに折りたたみ、合言葉と思われるワードを唱えた。
羊皮紙が鳥となって舞い上がり、夜空に消えていく。
「使い捨ての通信用魔導具か。つーかあれ、ネハンが研究してたやつか?」
「そうみたいだね。完成、したんだ」
フーカの部下によると、しかしネハンの研究はまだ道半ばだったようで、試作用のものがいくつか遺されていただけなのだという。
フーカはそのうちの一枚を、今回、おれたち用に確保していたとのこと。
親の遺産、貴重品を使ってくれたってわけか……。
翌日の夜には、鳥が帰ってきた。
鳥はフーカの部下の伸ばした手の甲に降り立つと、一枚の羊皮紙に戻った。
羊皮紙の、おれが書いた文章の下に綺麗な文字で返信が記されていた。
「都の周囲に等間隔で配置された石碑に呪の気配あり、か」
フーカの部下は、たしかにそういう石碑があるといった。
これまでは、たいして気にしたこともなかったと。
数十年前からあるらしい、とも。
「なんらかの結界であろうな」
「対処できそうか、アイシャ」
「実際にこの目でみてみなければ、わからぬ」
幸いにして、まだおれたちの存在は気づかれていない。
兵士たちは東の方に逃げた賊……おそらくはアルネーであろうそれを追いかけていってしまった。見事に陽動を果たしてくれているみたいだ。
「行くぞ。今夜のうちに対処したい。その石碑まで案内してもらえるか」
決断する。
あいつが、アルネーがつくってくれたチャンスだ。
絶対に無駄にはしない。
今度こそ、あいつを失望させたくない。
そう、強く願った。




