第4話 脱獄
「コガネ、助けて欲しいか」
そう問う少女に対して、おれは即座にうなずいた。
「ああ、助けてくれ。おまえがなにものでも構わない。おれの拘束を解いてくれ」
思案に意味はない。
なぜ、と問う理由もない。
長く、待っていた。
ユーフェリアの言葉だけが、唯一の希望だった。
彼女の子孫が、いつかおれを救ってくれるかもしれない、と……。
現れた人物は、たしかにユーフェリアの面影を残していたものの、彼女本人ではなかった。
しかもなぜか、邪竜を名乗っている。
アイシャザックと。
助けてやる、と彼女はいった。
思っていた救いとは少し違うものの、迷っている暇がないのは明らかだ。
「ふんっ」
少女はおれを拘束する鎖を握ると、ひと息に引きちぎってみせた。
まるで紙でできているかのように、あっさりと。
少なくとも百年以上に渡りおれを束縛していた枷が、じゃらん、と音を立てて床に落ちる。
それで、終わりだった。
おれの霊気を封じていたものは、消え去った。
次の瞬間。
おれの全身に、ちからが満ち溢れる。
少女に奪われたはずの霊気が、ふたたびこの身に戻ってきたかのようだ。
「ん?」
いや、そうではないのかと首をかしげる。
霊気は、たしかにあったのだ。
最初から。
この、おれのなかに、ずっと。
これは、邪竜から与えられた霊気ではない。
鎖によって封じられてきた、もともとのおれの霊気だ。
何十年、いや何百年と続く瞑想によって練り上げられた、本来のおれのちから。
それが、いま、解き放たれたのだ。
「おれの霊気、前よりおおきくなってるのか」
「うむ、たいした霊気の練り上げである」
少女が、生意気に胸をそらす。
「五百年、鍛錬を積んだがゆえか」
「は? 五百年?」
少女の言葉に、思わずぽかんと口を開けてしまう。
「そうだ、五百年である。おぬしが幽閉されてから、五百年が経った」
「そうか」
おれは両の掌をみつめた。
五百年。
身動きすらろくにできなかったおれは、ひたすらに瞑想していた。
「……そう、なのか」
深く、深く潜っていた。
おそらくは、ヒトの誰よりも深く、そこに、ただ純粋さだけが残るところに。
あの仙者は、なんといっていたか……そう、無我の世界、とか。
おれは、そこでひたすらに己を磨いてきた。
霊気を高め続けてきた。
それにしても……五百年、とは。
「きさまら! ええい、殺して構わん、いくぞ!」
兵士のひとりが、叫ぶ。
ふたりの兵士が、剣を手に、牢のなかへ入ってくる。
「ちょっと下がってろ」
「うむ」
少女が、一歩、下がる。
おれが、一歩、前に出る。
こちらは無手で、相手は建物のなかでも振りまわせる小剣だ。
リーチでは不利だが。
そんなもの、関係ない。
先頭の兵士が振り上げる剣、その間合いの内側へ滑り込む。
驚く相手の、剣を握った手首をとり、クイとひねる。
すぐ後ろで剣を振り上げた兵士の胸もとに、ひとりめの兵士の剣が深々と突き刺さる。
ふたりの兵士は、かん高い悲鳴をあげた。
胸に剣が埋まった兵士はもちろん、その剣を手にしていた兵士の腕はあらぬ方向にねじれている。
おれは、ふたりの頭を無造作にわし掴みにして、床に叩きつけた。
兵士たちの首の骨が折れる音と共に、カエルが潰れるような声が牢に響く。
「武の構えがなっていないな。隙だらけだぞ」
おれは改めて、立ち上がる。
通路に残った男たちが怯えとともに後ずさる。
おれは、背後の少女に振り向いた。
「ところで、逃げ道はあるのか」
「無策だ!」
少女はちから強く宣言する。
おれは、あのなあ、とため息をつく。
「おぬしからちからを返してもらえば、なんとでもなろうと考えてのこと」
「なんとかなるのか」
「返してもらったちからが、思ったよりはるかに少なかった! 困る!」
自信満々に、困るとかいわないで欲しい。
「ここは監獄城の最上階だ。逃げ場はないぞ」
「で、あるな! われも、ここまで来るのにたいそう苦労した! 家宝の魔導具はすべて使いきったぞ!」
監獄城は、流れの激しい川の中州に建てられた難攻不落の城塞だ。
本来は魔物の大侵攻への対策として建てられたもので、帝国の拡張に伴い、本来の用途に適さなくなったため牢獄として再利用されることになった。
その話を聞いたときは、よもやこのおれがそこに幽閉されることになるとは思ってもみなかったのだが……。
「なら、仕方がないな」
おれは通路を駆けてくる増援の兵士の足音を聞く。
五人……いや、六人か。
「出口がないなら」
おれは扉の少し横に掌を当てる。
「全員、ぶちのめそう」
おれの身にまとった膨大な霊気が、渦を巻く。
霊気を一点に集中させる。
腕の筋肉を膨張させ、すっと押し出す。
「衝崩撃」
数百年、練り上げた霊気の、ごく一部を放出させる。
次の瞬間、本来ならば封印の結界によって傷ひとつつかないはずの牢の壁が、外側に弾けた。
やはり、封印は歳月の経過で消えていたのだろう。
駆けてきた兵士たちを、悲鳴すらあげさせずに吹き飛ばす。
一歩、通路に出た。
兵士たちは通路の端で瓦礫に埋もれ、倒れている。
おれは首を振って、少女をみる。
少女が、ろうそくを手に駆け寄ってくる。
「乱暴であるな」
「いまさら、きみがいうことか。このまま監獄城を制圧するぞ」
「あー、まあ、あまり無用に殺さぬようにな」
動かない兵士たちを見下ろし、少女は呆れた様子でいう。
「ここに詰めている兵たちは、王都での争いに関わることもできなかった、日陰者たちと聞く」
「王都? 帝都じゃなくて? それに、争い?」
「あとで説明する」
そうしてもらおう。
階下から聞こえてくる足音に向かって歩を進めた。
*
それからおれは数度、襲ってきた兵士たちと戦った。
いずれも容易く、ひねってみせる。
残りの兵士たちは、階下に逃げていき……。
おれと赤毛の少女が城の一階まで降りると、広間には数十人の兵士が待ち構えていた。
おっ、一斉攻撃してくるのか? と思いきや。
ひときわ大柄な男が、ひとり進み出てくる。
「まさか、開かずの最上階に、本当にヒトが住んでいたとは。驚いたぞ」
その男が、いった。
革鎧を着て、巨大なハンマーを肩にかついでいる。
ひとめみてわかるほど、これまでの兵士とは格が違った。
こいつが隊長か。
後ろの兵士たちの表情に余裕が戻っている。
彼の強さに対して信頼を抱いているのだろう。
「いや、きさま、ほんとうにヒトなのか?」
その隊長と思しき男が、いささか驚いた表情で訪ねてくる。
おれは、にやりとしてみせた。
「さてね。おれはヒトのつもりだが」
「まあいい。魔物であっても、この大槌で潰せば死ぬだろう。わが剛力の魔剣術の前には竜とて首を垂れると知れ」
男は表情を引き締め、ハンマーを構える。
うん? 魔剣術?
男が床を蹴り、突進してくる。
「まあ、いいか」
巨大なハンマーが、おれの頭めがけて振り下ろされる。
予想よりだいぶ素早い動きで、しかも相手のハンマーからは妙な感覚を覚えるが……。
おれはその瞬間、全身に霊気をまとい、ひときわちからを込めて飛び出す。
「衝崩撃」
ハンマーの間合いの内側に飛び込み、男の腹に向かって、さきほど壁を破砕した一撃を叩き込む。
男はハンマーを最後まで振り下ろすこともできず、反対側に吹き飛ばされた。
広間に並ぶ柱に叩きつけられ、その柱が微塵に粉砕されてさらに次の柱にぶつかって……そこでようやく、止まる。
口から盛大に血を吐いて……。
絶命、していた。
「ひ、ひいっ、化け物だ!」
「逃げろ、あのかたで敵わなかったんだ、おれたちなんかが戦えるはずない!」
兵士たちが、悲鳴をあげて逃げ惑う。
「やりすぎだ、ばかもの」
「すまん、霊気の調整が難しいんだ」
魔剣技、ってやつで受け流すかとも警戒したんだけど、そんなこともなかった。
詳しいところを聞きたいところだったが、ほかの兵士は怯えて遠くからこちらをみているだけだ。
ここは川の中州につくられた難攻不落の要塞、逃げ場はない。
深夜。
どうか命だけは、と平伏する数十名の兵士たちを前に、おれは赤毛の少女と顔をみあわせる。
「コガネ、おぬし部下が欲しいか?」
「いらん」
「城が欲しいか?」
「ますますいらん」
ならば、と少女は兵たちを前に告げる。
「服と旅の装備、剣と兵糧を用意せよ。われらにさっさと出ていって欲しければ、なるべく上等なものを。さあ、素早く!」
兵士たちは、押し殺した悲鳴をあげ、慌てて少女の言葉に従う。
命じられたものは、あっという間に用意された。
*
かくして邪竜を討伐した勇者のひとり、このおれ、剣聖コガネは。
長い長い虜囚のすえ、野に解き放たれたのである。