第36話 王都ゲンザン攻略
ゲンザンの王都を、ゲンザンという。
ややっこしいので、ゲンザン市と呼ぼう。
人口三万を抱えるこのあたりでも有数の大都市で、高い城壁に囲まれた堅牢な城塞都市でもある。
これだけの人口を持つ大都市が軍事的にどう厄介か、説明したい。
この島の軍はおおむね常備軍で、多かれ少なかれ纏や魔術を用いる兵士たちは、雑兵でもエリートである。
五林の教えがまだ残っているこの島において、一般人を徴兵しても野戦では足手まといとなってしまうのだ。
籠城戦では話が異なる。
町を取り囲む壁の上から油を落としたり粗末な弓でとりあえず矢をばらまく程度なら一般人をちょっと鍛えただけでも可能だし、そもそも町が落ちれば待っているのは悲惨な運命だ、壁のなかの一般人たちも必死になる。
そういうわけで、ゲンザンに逃げ込んだゲンザン軍の残党は、一般人を徴兵して備えてくるだろう、と予想された。
攻城戦において必要なのは纏に長けた兵士や武芸を磨いた戦士ではない。
一般人とて、やれることはたくさんある。
したがって、都市の攻略戦を行う場合、非常に面倒なことになるというのがホウライ島における常識であった。
しかも、ボウサ軍ですぐに動けるのはたったの五百人と少し、敵の残党はまだ千人以上いてただでさえ数の差があるのだ。
もうひとつ、それとはまったく別の次元の話で面倒なことがあって……。
「ダメだよ、コガネ、アイシャ。一般人を虐殺するような作戦はダメ。わたしが許しません」
元聖女のミルさまが怒っておられる。
この国の建物が木造なことを利用して空から火を放つというアイシャの提案した作戦が彼女の逆鱗に触れたのだ。
無差別の放火は、そりゃ邪竜アイシャザックの得意技ではあっただろうが……。
まあ、知ってた。
われらが元聖女さまは、こういうヤツなんだ。
「もっとも効率のよい方法をとることで、味方の被害を抑えることができる。おぬしの拒絶で、おぬしが顔を覚えている兵士のうち何人が死ぬか、それを理解したうえでの言葉であるな」
「うん、わかっているよ。昔、いっぱいそういうことがあった。でも、ダメ。一回や二回、そんな方法で勝ったとしても、のちのちの禍根になる。絶対に、あとで苦労するよ」
ミルとアイシャが睨み合う。
ミルの言葉には、仮にも五百年もの間一国を統治してきただけあって、重みがある。
昔は、彼女の言葉は理想論すぎると思ったものだが……そうだよな、いまのミルは、五百年前の彼女とは違う。
一方、アイシャの言葉だって空虚なわけではない。
彼女にも、邪竜としての長い人生の記憶があるし、その口から吐く炎でいくつもの都市を灰にしてきた実績がある。
相手の心を折るためにそれが有効であると、誰よりもよく知っているのだろう。
「ならばおぬしには策があるというのか」
「もちろんだよ」
ミルは、えっへんと胸を張った。
おれのほうをみる。
うん、これも知ってた。
「コガネがなんとかしてくれるよ」
*
無責任すぎる、とアイシャがツッコミを入れる。
しかしミルは、だいじょうぶだよ、とふわふわ雲のように笑っていた。
だってコガネなんだから、と。
「こいつ五百年で少しは成長したかと思ったけど、おれの勘違いだったわ」
「失礼だなあ。わたしは、コガネならできるって信じてるだけだよ。むしろ、五百年前より強く信じているよ」
「信じるだけでなにかが達成できるなら、いまごろきみは大陸を支配してるだろうな」
皮肉のつもりだったが、ミルは首を振って「そんなこと、わたしは望んでないからね」というだけだった。
そのうえで、と彼女はいう。
「わたしのコガネに対する信頼は無限大なんだよ。ナーサリアのときも、エフィメスのときも、コガネはなんとかしてくれたもの」
「お、重いやつだな」
「重いとか、女の子にそんなひどいことをいっちゃダメだよ! めっ」
めっ、と口をひんまげて、人差し指を立てるミル。
こいつ、五百年の間に心なしか、ひとを子ども扱いすることが多くなったような気がする。
考えてみれば、こいつのまわりはこれまでずっと、自分より年下のやつらばっかりだったわけだしな……。
不老不死の己は姿が変わらず、でも自分のまわりの人々がどんどん年をとって死んでいく。
そんな歳月で、彼女の精神がすりきれていった話は……けっきょく、あまり聞けてないんだよな。
そんなことを考えていて、ふと気づく。
そうか、エフィメスか。
吸血種の魔物に支配された退廃の都を攻略する際、そこに住む人々を守るためにおれたちはどういう手段をとったか、不意に思い出したのである。
なんだ、ミル、きみはちゃんと、どうすればいいのか理解していたわけか。
「斬首作戦か」
言葉に出すと、そばでおれたちの話を聞いていた諜報部隊の長、カサイがおれをみた。
「ゲンザンを支配しているやつらを暗殺するってことだ。おれが行く。ミル、おまえも来いよ」
「もちろんだよ! わたしだって、汚れ仕事くらいできるもの!」
そう、斬首作戦。
エフィメスにおいて、必要だったのは人々を騙し巧みな言葉と麻薬で町を支配していた吸血種の魔物を退治することだけだった。
命令に唯々諾々と従っていただけの者たちまで殺す必要なんて、なにひとつなかった。
だからおれたちは、隠れてエフィメスの町に潜入し、町を支配していた魔物たちだけを倒したのである。
結果、最小の犠牲で最大の戦果を得ることができた。
今回の場合、そもそもまともに戦う場合の不利も考えてのことだが……。
首脳部だけを潰す作戦、悪くはない。
ただ、これには可能かどうかとは別に問題があって……。
「ゲンザンって、大陸人に対する偏見がとくに強いんだろ。おれたちが上だけを始末したとして、下が素直に降伏するのか。下手したら、一兵卒に至るまで戦う、とかいいだすんじゃないか」
「は。その可能性は低いかと。ここ数年、ゲンザンの民は王の苛烈な為政に疲れきっておりました。西方や大陸人に対する対応は王の扇動である、ゲンザン各地の領主と王が結託しての悪行であるとの風説を流布しておりますれば」
「うん? その口振りだと、すでに流言飛語で工作してるってこと? ゲンザン市でも? おれ聞いてないんだけど」
カサイは黙って頭を下げた。
こいつの独断……じゃないよなあ。
おれはミルをみた。
ミルが、えへらと笑う。
こいつかーっ!
「ミル、きみは五百年の間に、ずいぶんとひとを使うのが上手くなったじゃないか」
「自分ひとりじゃなんにもできないって、コガネをみて悟ったからね」
皮肉まで覚えたとはなによりだよ、チクショウめ。
「コガネは戦うことに専念して欲しかったから、情報を絞ってたの。ううん、もうちょっというと、後ろ暗い作戦はコガネが知らなくてもいいかなって。ごめんね」
「わざわざミルがそっち側を総括することもないだろうに」
「ダメだよ、わたしがやらないと、コガネかアイシャがやることになる。こういうのはお姉さんの仕事なのです」
誰がお姉さんだ、誰が。
おれの方が年上だっての。
*
かくして、斬首作戦が決行されることとなった。
夜陰に紛れてゲンザン市に潜入するのは、ミルの闇の魔術があれば簡単だった。
なにせ夜の闇はすべてミルの領域なのだから。
夜間の闇の魔術、強すぎるんだよなあ。
城壁の内側は深夜でも篝火が炊かれ、人々が戦の準備に忙しい。
ぼそぼそとしゃべる声は、戦争への不安と現王への不満、そして西方人への蔑視ばかりだ。
同じ島のちょっと西に住んでいるだけの人々に対して、調子に乗った猿とか劣等人とか奴隷がふさわしいとか、よくもまあ……。
こんなやつらをこれから飼い慣らすことができるのかね。
いや飼い慣らすなんておれの態度もよくないんだろうが……。
「コガネ」
建物の陰になった場所で、ミルがぎゅっとおれの服の裾を掴む。
おれの増長に気づいて、戒めてくれているのか、と思ったが……どうやら違うようだ。
ミルは市の中央にある大きな三階建ての屋敷、この地には珍しい石造りの、王が住むその場所を指さしてみせる。
「あっちから、すごく嫌な気配。アイシャを連れてくるべきだったかも」
「おい、どういうことだ」
「この可能性も、考えておくべきだった。わたしのミスだね。カサイも知らなかったとなると、ものすごく上手く隠蔽していた」
暗がりだからミルの表情はわからないけれど、彼女が最上級の警戒をしたということだけは、よくわかった。
本当にヤバいやつが相手のとき、ミルは本能みたいなものでそれが現れる前に理解してしまう。
なにか霊気のようなものをみているらしいのだが、本人いわく「よくわからないけど、わかるよ」とのことで……つまりはアテになるけれどよくわからない、なんとも困った能力である。
とはいえ、それが発動したということは……。
おれもまた、その屋敷を睨む。
篝火に照らされ、赤黒くそびえ立つおおきな屋敷を。
次の瞬間、ぞっとするような気配があった。
おれはミルを抱え飛び退る。
地面から生えた巨大な氷の柱が、おれたちのいた地点を薙ぎ払っていた。
ほぼ同時に、町のあちこちから悲鳴があがる。
近くの建物の天井が割れて、太い氷の柱が突き出た。
柱のなかに、数人のヒトが埋まっている。
子どももいるから、家族まるごと犠牲になったのだろう。
無差別攻撃だ、これはおれたちだけを狙ったものではない。
町の人々を巻き込んだ攻撃……いや、町の人々をこそ狙った攻撃である。
おそらく、おれとミルはイレギュラーで、相手はおれたちの存在に気づいていない。
やつらの狙いは、そう。
生贄だ。
「デズモのときと一緒か! この都市の地下に、いるんだ。封印された魔物が!」
「だね。でもあのときとは被害の規模が違うよ。生贄の数も。止めないと」
「どうやって」
ミルは返事のかわりに、詠唱を開始した。
闇の短縮詠唱だ。
地面に手をつく。
影から伸びた太い黒い手が、近くを走って逃げていた町の人を襲う氷の柱を弾いた。
魔術によって生まれたふたつの巨大物体が、激しくぶつかりあう。
ミルが行使したのはハイド・アームという闇の第三階梯魔術で、相手の魔術も同じような代物なのだろう。
「ミル、そいつと拮抗できそうか」
「長くは無理。コガネ、いまのうちに元凶を叩いて」
元凶がどこにいるのか、あるにはあるのか。
それはもう、わかっている。
おれとミルは、ゲンザン市の中央、王の屋敷を睨んだ。
「なるべく引きつけておいてくれ」
「できる限り、ね。安心して。無茶はしないから。むしろ、コガネこそ……」
「ああ、無茶はしない」
おれとミルは顔を見合わせ、うなずきあう。
儀式のようなものだった。
互いに、無茶をしなければいけないときはあるとわかっていて、それでもこう思ってしまうのだ。
無茶をするのは、自分だけでいい、と。
自分がちょっとがんばれば、相手が楽になるのだと。
おれは彼女に背を向け、屋敷に向かって駆け出す。
少し無茶をすれば、なんとかなるはずだった。




