第35話 ノムギ峡谷会戦
地元の人々にはノムギ峡谷と呼ばれる荒涼とした地が、決戦の舞台となった。
ボウサ軍、千五百人。
ゲンザン軍、五千人。
敵のほうが三倍以上で、よく訓練されていて士気も高い。
だが相手は、こちらのことを馬鹿にして、まるで研究していないようだった。
偵察もろくに出さず、峡谷の幅が狭い場所におれたちが陣取ることを妨害しなかった。
おかげで前衛の墨盾部隊三百人を、左右にまわりこまれることを気にせず前だけを注意していればいい狭い地形に配置できたのである。
敵からすれば、峡谷に大盾が並ぶこちらの陣は、まるで高い壁のようにみえることだろう。
ゲンザン軍は数の利を生かせず、この堅牢な壁にほぼ同数で当たらなければいけない。
「敵軍、愚かに正面からぶつかるとみせかけて、実は別働隊が動いてたりしないのか」
カサイに訊ねてみたが、索敵関係のまとめ役である彼は首を横に振る。
「我々もその懸念を抱き、しつこく周囲を調べました」
「だよなあ。アイシャはなんていってる」
「敵になんの策もないなら、それでよし。さりとて侮るべからず。再度、上空からの警戒を厳にすると」
アイシャは、己の部下とした三つ目の大鴉ライダー部隊を駆使して活動中だ。
いまも見上げれば、三体の大鴉が旋回している様子を確認できる。
彼女は見晴らしのいい後方で待機し、風の魔術を使って上空と交信しながら交互にライダー部隊を展開させていた。
さて、本当におれたちの警戒が無意味となるなら幸いだが……。
角笛の音と共に、戦が始まる。
まずは矢の雨が降ってくる。
墨盾部隊が頭上に大盾を掲げ、後ろの仲間たちを矢の雨から守る。
弓矢は無駄と悟ったのか、次の角笛が鳴り響く。
いよいよ敵軍が前進してくる。
墨盾部隊が大盾を地面に立てかけ、霊気を通す。
敵軍の後方から魔術が飛び、前衛の身体が淡い霊気の輝きに包まれる。
土の付与魔術で肉体強化を施しているのだろう。
魔術師の組織的運用とは、なんとも贅沢な話である。
両軍が衝突した。
ヒトの肉が潰れ骨がひしゃげる音が峡谷に響き渡る。
墨盾部隊の大盾は微動だにしない。
敵の前衛が、大盾の壁に潰されたのだ。
ゲンザン軍は、初撃でたいへんな被害を受けたはずである。
だがそれでも、敵軍は熱狂したように突撃を続ける。
前の兵士が後ろに押され、盾にぶつかる。
大盾の隙間から突き出された槍が、敵兵を串刺しにする。
死体の山を築きながら、ゲンザン軍は次々と新しい兵士を送り出し続ける。
ただひたすら愚直に、刺され潰されるための肉を差し出し続ける。
墨盾部隊のその後ろの槍持ちたちが、新鮮な肉を手際よく捌いていく。
「ちょっと甘くみてたな。正面からぶつかってくるなんて馬鹿者だけだと思ったけど、本当の大馬鹿者はどれほどの損耗も気にせず突撃命令を出せるのか」
それを可能にする士気の高さも尋常じゃない。
つーか、すでに五百人以上は死んでるぞ、敵軍。
文字通り死体を踏み越えて襲ってくるせいで、こちらはじりじりと下がる羽目になっている。
下がらないと、死体を踏み台にして大盾を越えられてしまうからだ。
ゲンザン軍、やってることが無茶苦茶だ。
戦場の狂気、みたいな言葉は帝国にもあったが、こいつはちょっと、そういうのとも違うぞ……。
「ホウライじゃこんな戦をするのか。だとしたら、おれはちょっとこの島を侮っていたことになる」
「ゲンザン軍の先鋒は奴隷部隊です。誓いの魔術により後退を禁じられているのでしょう。記録には存在する戦法ですが、この目で見たのは初めてですな」
「なるほど、ひでぇことしやがるな。でも、これだけ数の差があるなら有効か」
カサイとそんな会話を交わす。
いやはや、世界は広いな。
こんな戦いかた、邪竜戦争でもみなかったぜ、はっはっは。
………。
いや、笑いごとじゃないな、これ。
数の利をこういう風に活かされると、さすがに辛い。
「カサイ、アイシャに連絡だ。索敵はもういいから、ライダー全騎で上空から敵の指揮官を狙ってみてくれ、と」
ちょっと考えたすえ、敵将の性格をある程度読み切って、指示を下す。
カサイは部下に任せず、自分で後方に走っていった。
さて、これで状況が動けばいいが……。
はたして、間もなく残る三つ目の大鴉たちが舞い上がり、十体で編隊を組んで峡谷の奥へ飛んでいく。
上空から、敵の司令部に矢や魔術を射かけている。
それらの大半は的をはずれ、牽制にしかならないものだ。
三つ目の大鴉ライダーによる上空からの遠隔攻撃はあまり有効ではない。
急降下攻撃は、あまりにもリスクが高い。
これらは事前の演習でよくわかっていたが、今回、重要なのは有効な攻撃ができたかどうかではなかった。
あれほど苛烈だった敵の攻勢が弱まる。
敵軍の後方にいた魔術師部隊が下がったのだ。
前線部隊の強化を諦め、司令部を守るために動いたのである。
「わが身可愛さが出たか。よし、もういい。適当に切り上げろ、とアイシャに伝えてくれ」
戻ってきたカサイにまた伝令を頼む。
敵の後衛の弓手や魔術師部隊が三つ目の大鴉部隊に集中砲火を浴びせはじめる前に撤収させる必要があった。
目的を果たしてくれた彼らを、無駄に損耗させたくない。
「敵の魔術師部隊が戻ってくる前に押し上げるぞ。騎兵隊、抜剣! おれに続け!」
圧力が減ったいまが千載一遇のチャンスだ。
おれは騎乗し、たった五十名の騎兵を率いて敵陣へ切り込む。
長い時間をかけて墨盾部隊と渡り合っていた敵前衛は、魔術による強化がきれたところに突撃をかけられ、鎧袖一触、蹴散らされていく。
「駆け抜けろ! 止まったら潰されるぞ!」
おれが先頭に立ち、霊剣クリアを振るった。
後ろについてくる部下たちとともに敵軍の隊列を縦に切り裂いていく。
目的は兵士を殺すことではなく、敵の陣を崩すことだ。
進路を阻む敵兵を、馬上からの霊気の衝撃波で吹き飛ばす。
左右から敵兵が槍を突き出してくるが、へっぴり腰だ、切り払い、穂先を蹴飛ばし、突き進む。
どこを向いても敵兵の状況で、勢いに任せてひたすらに突撃し……。
やがて、視界が開ける。
敵の後ろに出たのだ。
慌てて戻ってくる敵の魔術師部隊、二百人程度がみえた。
「あそこに突っ込むぞ! ついてこい!」
おれは叫び、戸惑う魔術師部隊に馬首を向ける。
敵陣突撃の第二の目的が、これだった。
後ろで付与魔術をかけている部隊をこの機会に始末しなければ、遠からず墨盾部隊が堪えきれなくなると判断したのである。
魔術師部隊はとっさに攻撃魔術を詠唱しようとするが、あまりにも遅い。
霊剣クリアの衝撃波を飛ばし、詠唱を潰す。
魔術師たちが体勢を立て直すころには、もう騎馬隊が彼らの目の前にいた。
実際のところ、魔術師部隊にアイシャくらいの精鋭がひとりかふたりいれば、危なかっただろう。
だが彼らは、あまりにも実戦慣れしていなかった。
決まりきった演習ばかりしていたのだろうか。
結果、魔術師部隊は馬に踏みつぶされ、剣に叩き斬られ、槍に貫かれ、次々と断末魔の悲鳴をあげることとなった。
慌てた敵軍が前後から騎兵に迫ってくるが、騎兵隊は踏みとどまり、ギリギリまで魔術師部隊を潰し続ける。
峡谷のこのあたりは幅が広いため、騎兵が加速する余地はかなりあるから……。
「よし、撤退!」
魔術師部隊をさんざんに打ちのめしたあと、騎兵隊は前後から迫る敵軍の横を抜け、自軍へ戻った。
この間にボウサ軍は前進を開始している。
というか、これ……ゲンザン軍は壊走しているな。
背を向けて逃げるゲンザン軍の兵士たちは、騎兵隊に構わず峡谷の出口に殺到しようとしていた。
前進してきた敵の後詰めが、その兵士たちと鉢合わせしてしまう。
後詰め部隊は、騎兵隊を追い散らそうとしていたのだろう。
おかげで、敵軍同士が衝突し、つかの間とはいえ足が止まった。
そこに、墨盾部隊より前に出てきたわが軍の槍部隊が追いつく。
立ち往生したゲンザン軍の背中を串刺しにする。
阿鼻叫喚の地獄絵図が生まれた。
「ここまでとは、予想してなかった」
「そうでしたか。これも領主殿の描いたものと思っておりました」
騎馬から降りたおれの隣に、いつの間にかカサイがいた。
おれはそこまで戦が得意じゃねえよ。
ただ、五百年前の帝国軍の戦理論をかじっていただけだ。
「まあ、民には、これもすべて領主殿の掌のうえ、としておきましょう」
「そういう風に流布するのか」
「この戦は勝ちです。ほかの国が尻馬に乗るきっかけは、多いほうがよろしい」
頼りになるヤツだこと。
*
ゲンザン軍に対する追撃は、適当なところで切り上げさせた。
峡谷のなかは、兵士の屍でいっぱいだ。
今回はボウサの兵士もかなり倒れてしまっている。
激戦だったし、数の差もかなりあった、致しかたないところだろう。
死体の数を数えていたカサイが、ゲンザン軍で千五百以上、ボウサ軍で二百前後と教えてくれた。
ボウサ軍はほかにおびただしい数の重傷者がいて、光や水魔術の使い手たちがいま、必死になって治療魔術を行使している。
アイシャも、ミルから奪った光の霊気をつぎ込んで治療魔術に専念していた。
申し訳ないが、ぶっ倒れるまで頑張ってもらおう。
ミルが聖女であったころなら、この数でも一気に治してしまえるんだろうけどなあ。
ま、ないものねだりをしても仕方がない。
ゲンザン軍の魔術師はかなり刈り取ったから、負傷者の治療もままならないだろう。
そもそも逃げ散った軍を再結集させる前に、きちんと息の根を止めないとな。
「明日、すぐ動けるのは五百人ほどか。これだけで進軍するのはさすがに厳しいが、やるしかないな」
「指揮官は首都のゲンザンに逃げ込むでしょう。情報を集めます」
こちらが指示する前に、カサイは部下を率いて動き出す。
頼りになることで、なによりだ。
敵軍の大半は離散したため、残るは数百名程度とのことだが、それだけの人数が王都に立てこもるのは厄介だな。
「時間との戦いになるか」
今回は大勝とはいえ、被害も馬鹿にならない。
再度、こんな戦いをすれば、持久力の差で国として詰むだろう。
その前に、なんとかする必要がある。




