第30話 墨盾部隊
暇だったから、というわけでもないだろうが、アイシャは「ちょっとこの地の霊脈を診てくる。数日で戻る」といって出ていった。
おれもついていこうとしたのだが、「コガネは軍事の要でしょ! 行っちゃだめーっ」とミルに怒られたので留守番である。
実際、領主が変わったタイミングなんてその国に侵攻する絶好の機会だろうしなあ。
うちの国はいま、いつ攻められてもおかしくないわけだ。
仲が悪いという隣国がまだ動いていないのは、様子を窺っているからだろう。
ボウサの東方にあるふたつの国は、名をナカガク、デズモという。
どちらも町ひとつに村が数個のちいさな国で、兵数はボウサとどっこいであるらしい。
ただし経済規模については、本来であれば南方の港と隣接するボウサの方がだいぶ上。
本来であれば。
というのはもちろん、前領主がいろいろやらかしてしまっているせいである。
南方との交易再開のため、ミルの命令で役人が馬を飛ばしたのが数日前。
土下座してでもなんとかしてきて、金貨で頬を引っぱたいてもいいからとミルが尻を叩く様子は、「やっぱり政治って怖い」とおれをビビらせるに充分だった。
やーだって、あの普段温厚なミルが、温厚な顔はそのまま、背筋が寒くなるような声を出すんだもの。
役人たちもめっちゃビビっていた。
ミルの後ろに座って本来なら権威として睨みをきかせるはずのおれまでビビっていた。
五百年の大部分を政治に携わるというのがどういうものか、心の底から理解させられたものである。
アイシャが霊脈を診に行くと出ていった理由のひとつは、その場に居合わせてビビったからかもしれない。
*
ボウサの領主となってから半月ほどが経った。
おれは訓練場で、大半がぶっ倒れている配下の兵士たちを見下ろしていた。
「だいたい、ものになったか」
他にやることもなかったのでこいつらを毎日しごいてやったのだが、なんだかんだで百人以上が残っている。
耐え切れず脱落していった者はこの三倍くらいいて、そいつらには別の訓練をさせていた。
思ったより生き残ったやつが多いな。
このホウライの地では纏の技術が残っていたようで、おれ式の、つまりは五林式の技術を伝えるのがけっこう楽だったというのもある。
というか五林の技術が形を変えて継承されているっぽい感じだ。
ヘリウロスあたりが何かやったのだろうかもしれないが、具体的な剣の導師の名前とかは伝承されていない。
このへんも、東の方に行けばわかるのかなあ。
ミルが命じて役人たちに商人からの話をまとめさせてもいるんだけど、いまいち情報が入ってこないとのことだ。
具体的にいうと、隣国との行き来が難しいせいで情報封鎖状態になってるとのこと。
ナカガクともデズモとも仲が悪いからね、仕方ないね、というミルは、目が笑っていなかった。
こいつ……普段は温厚だし間違いなく慈悲深いやつではあるんだけど、たまにブチ切れるとやばいんだよな……。
今回は仲間をみつけるための情報を収集しているわけで、情に厚いこいつだけに、その一線を越える可能性はある。
ま、そうでなくても、隣国とは遠からず戦争にはなるだろう。
向こうにはこっちが富国強兵政策をとろうとしていることは伝わっているだろうし、時間を与えていいことはない。
南方との交易が具体化すれば、経済力で圧倒されるのは目にみえている。
そうなる前に叩きに来るだろう。
おそらくは隣国同士、手を結んで。
ここまではおれもミルもアイシャも読めているのだ。
過去のデータから考えて、ナカガクとデズモの合計兵力は最大で千五百人。
対してこちらは、いまの領主になってからすり減ったり逃げ出したり粛清されたりで、四百人と少し。
普通に考えて、ちょっと厳しい。
というわけで、兵士のなかでもついてこれそうな人材を選んで、五林の技の基礎を叩き込んだわけだ。
おれは風林の皆伝だが、ほかの林も基礎くらいはわかる。
特に土林の防御術である墨盾は集団戦闘の要となる技術である。
シャザムの異名である墨の名を持つ通り、墨盾は大盾に霊気を流し込み、堅牢かつ不動の柱となる技術である。
これを百名で同時に行えば、戦場に巨大な壁が出現することになる。
残りの兵はこの壁の後ろから攻撃する役目にまわす。
わずか半月で墨盾を習得できたこの百名の兵士は極めて筋がいい。
時間さえあれば、もっといろいろな技術を身に着けさせたいところであるが……。
「コガネ、コガネ、ねえねえ、コガネ」
訓練場にミルがやってくる。
ばたばたと慌てているから、まあ、用件はだいたいわかった。
「東の二国が連合して、攻めてきたって! 近くの村には避難の指示を出したよ! そっちは、どう?」
「ギリギリ間に合った」
「そっか。よーし、じゃあ、わたしもがんばって、いっくぞーっ」
とどこからともなく大槌を取り出すミル。
この元聖女、戦う気まんまんである。
「ダメだダメだ! ミル、きみは待機だ、待機!」
「えー、なんでっ」
「切り札だからな。まだ諜報にみせたくない」
戦場には他国のスパイも現れるだろう。
風変りな大陸人が支配する国がなにをやらかすか、興味津々だろう。
そんなやつらに、切り札である闇の魔術を披露するわけにはいかなかった。
ちなみに、なにもないところから大槌をとりだしたのも闇の魔術である。
邪竜時代のアイシャザックの知識にあったシャドウ・ポケットという名の魔術で、己の影に物品をしまうことができるというとんでもないものだ。
この影に収納できる重量は、本人の霊気の総量によって変わるものの、ミルの場合それがかなりおおきいため、米俵が何百個と入ってしまう。
やろうと思えば、ミルひとりで兵糧の輸送ができてしまうのだ。
そんな軍隊にとっての秘密兵器、もうしばらくは秘密にしておかなければならない……というのがおれとアイシャの共通理解だった。
ちなみにミルの意見は「えへへー、こんなのがあるよーってみせびらかせば、相手も怖がって襲ってこないんじゃないかなあ」である。
現状のおれたちは、「さっさと攻めてきてくれれば返り討ちにして領土を広げられるんじゃね?」なのでまったく噛み合っていない。
このへんは、基本的に内政屋であるミルと戦争屋であるおれ、それにちからこそすべての世界で前世を生きてきたアイシャの違いだろう。
「アイシャは戻って来ていないが、ま、おれひとりでやるしかないか」
幸いにして、小隊長の何人かは前領主の暴虐にも耐えて残ってくれている。
兵士との意思疎通はしっかりできていた。
こいつら基本的にちからこそすべての世界で生きてきたから、初日におれがちからをみせたらコロンといったしな。
ちからこそすべて。
こういう世界はわかりやすくて、助かる。
政治とかホント勘弁。
*
二日後。
おれが率いる四百名のボウサ軍は、ボウサの町から一日のところにある荒野で、ナカガクとデズモの連合軍、合計千名と対峙していた。
敵軍の将は、ボウサの過去の非道についてあれこれ大声で叫んでいるけど、こっちはてんで無視する。
この島のやりかたに合わせる意味もないしね。
どのみち、この戦いに勝つか負けるか、だけだ。
こちらはボウサのほぼ全軍であり、ここを抜けられたら国は終わる。
とはいえ、まあ。
正直なところを……ほんとに正直なところをいうと。
この戦い、おれが本気を出せばひとりで勝てるのだ。
一騎当千、という言葉がある。
五林の皆伝は、ひとりで兵士千人に値する、という意味だ。
具体的な逸話はそれこそ皆伝を与えられた者の数だけあるのだが、おれもまた皆伝を与えられたひとりである。
というか、それくらいの実力はなくちゃ邪竜退治なんてできない。
あの当時のおれで、兵士千五百人くらいなら相手にできたと思う。
だから、ただ目の前の軍勢を退けるだけなら難しいことじゃない、のだが……。
それは、この程度の数が相手だからだ。
もっと東には多くの国があり、何千人、いや万を超える軍勢を揃える大国すら存在するらしい。
そういったところを相手にするためには、こちらもちゃんと兵を揃え、それを運用していかなければならない。
これは、そのテストケースである。
おれは五百年前、せいぜい百人程度の小隊を率いた経験しかなかった。
ここで四百人の部下を上手く使ってみせる程度のことができなくては、先に待ち受ける戦いで指揮官を任せられることはないだろう。
「この戦いで勝てば、褒美はたっぷりくれてやる。前領主がため込んでいたからな、期待していろ。奴隷はこの戦いが終わったら全員解放してやる。気合入れていけ!」
ちなみに前領主が一年と少しでため込んだ財産は、この国の税収の倍以上だった。
どうも、金持ちや権力者に難癖つけて潰しまくっていたらしい。
おかげで風通しがよくなっていて、誰もミルの言葉に逆らわないのは嬉しい誤算である。
いやー、困窮した人々を見るのは心が痛むけどね。
ミルもいま、必死になって困窮者の対策をしてるし。
このままじゃ冬を越せないって人がたくさんいるから、蓄財の大半はそこと今回の戦いに消える。
で、奴隷についてだけれど。
最盛期の帝国には奴隷制がなかった。
高い生産性を得るには必要がないどころか邪魔だったのだよ、と以前、ネハンがいっていたものだ。
なんで奴隷制が邪魔だったのかはよく覚えていない。
説明は聞いたのだがちんぷんかんぷんだったのである。
自慢じゃないが、おれは統治とか経済とかが、よくわからない。
ミルによれば、彼女が統治していたシルダリ教国にも奴隷制はなかったらしい。
こっちの場合、光の魔術を発展させることにより民衆の生活レベルを大幅に向上させることに成功したため、とかで……。
彼女的には、ネハンの教えに従って民衆のためにと心砕いた結果の現れで、その点に関してはとても満足していたとのこと。
でもこの島では、全島的に奴隷が多い。
戦に負ければ男も女も奴隷にされるのが当然、という価値観である。
これを蛮族の風習、と切って捨てない程度には、おれもミルもネハンの教えを覚えていた。
制度は必要によって生じる。
たとえばこのボウサで奴隷となっている人々を解放したところで、解放されたもと奴隷たちは生活の場所がなくなるし、彼らを雇っていた人々も労働力を失い暮らしていけなくなる。
鉱山労働などの重労働だって、それをしてくれる人がいなければ国全体の経済がまわらなくなる。
各地を旅して、地方によってはそりゃ、おれたちの誰かにとって気に入らない制度や風習もあった。
血の気が多いやつもいたから、そいつらが暴れ出さないよう、ネハンやナズニア、アルネーあたりの頭のいいやつらはそりゃ丁寧に、そういった社会の仕組みを説明してくれたものである。
ちなみにいちばん血の気が多かったのはおれで、その次はミルだった。
特にミルは困ったひとをみつけると突撃する性質があるため、それを押しとどめるのは苦労した。
現地でモメても魔物との戦いで不利になるだけだからなあ。
あいつらには、ほんと迷惑をかけた自覚がある。
ま、それはさておき。
ミルは、だからといって奴隷にされている人々や困窮している人々を見捨てる気はないようで、どうしたら彼らをうまく引き上げられるか、という作戦をアイシャと練っていたのである。
奴隷兵士たちに対する布告も、そのひとつであった。
まあ、はためには、圧倒的不利な戦いでやけくそになった指揮官が、適当なことをほざいているように見えるかもしれないが……。
少なくとも、この半月、おれがその身に墨盾の技術を叩き込んできた百人は知っている。
おれが、いざとなれば少なくとも数百人は相手どれるということを。
訓練の一環として、同時に魔物に困っている村を助ける意味もあって、この兵士たちと共に、ちょっとばかり魔物が溢れてて危険な森を掃除しに行ったのである。
彼らは、すぐ近くで、おれが魔物の群れを間引く様子を見ていた。
いや本当は彼らにやってもらうつもりだったんだけど、森に巣食う魔物が予想より強かったので、つい、な……。
そういうわけで、いま大盾を構えて最前列に立つ百名、彼らは逃げない。
おれの号令を聞いて、冷静に、ゆっくりと前進していく。
その後ろから長い槍を持ってついてくる残りの三百名は、いささかへっぴり腰だが……。
彼らは、それでいい。
へんに気合が入りすぎて突撃されても困る。
敵軍は、ゆっくりと前進してくるこちらを一千名で待ち構えてるわけだし。
かくして、戦争が始まる。




