第27話 旅立ち
ミルが養生するいっぽう、アイシャはあちこちを駆けまわっていたようだ。
ミルから奪った霊気によりちからを増した風の魔術。
これを利用して国中を飛びまわり、霊脈の状態を確認してまわったという。
結果、この地の乱れた霊脈は、少しずつ回復に向かうだろう、とのことだった。
これ以上の魔物の氾濫は、防げたということだ。
もっとも、このあと数年は散発的な魔物の襲撃があちこちであるだろうし、山から降りてくるような魔物まで防げるわけではないようだが……。
「この国のものたちがなんとかできる範囲であろうよ。われの役目は、ここまでである」
戻ってきたアイシャは、そう語った。
さすがに疲労しているようで、数日は羽根を伸ばすといっていたが……。
翌日からは、ミルに闇の魔術を教授するため、つきっきりで働きだした。
「いっこくも早く、もとのちからを取り戻すため旅に出たいのだ」
そのためなら助力は惜しまないと、はりきっていた。
がんばりすぎて身体を壊さないか、心配になる。
「おぬしたちから譲り受けたちからのおかげで、幸いにして健康そのものであるぞ」
心配はいらないと笑っていたが……。
別におれたちから奪ったちからは、そう万能でもなかったようだ。
ミルがベッドから離れるのと入れ替わりに、こんどはアイシャが寝込むことになる。
「うぐぐ……っ、よもや、このような不覚をとるとは……。ヒトの身体とは、なんと脆いものよ」
「竜の霍乱、ってやつだな。昔話にある、無双を誇る竜が決闘の日に風邪を引くやつ」
「ふんっ、うまいこといったつもりか」
スネてしまったアイシャだが、これで彼女も、自分の限界がよくわかっただろう。
おかげで、旅立ちの予定はさらに後ろに延びてしまった。
自業自得である。
*
アイシャは、ミルから霊気を奪ったとき、前世の記憶を少しだけ取り戻したという。
詳しいことは教えてくれなかったが……。
「大切な、とても大切な友との約束を思い出したのだ」
少女はそういって、少し寂しそうに笑った。
「いずれ、話す。だがいまは、心の整理をさせて欲しい。急ぐことではないのだ」
無理に聞き出す気はしなかった。
彼女がそういう以上、信用できると思ったのだ。
*
おれたち三人が教国を出立したのは、浮遊機動要塞の墜落から二十日後のことだった。
最初はテリサ・アルフェッサが「わたしは聖女さまの侍女です。どこまでもついていきます」ときかなかったが……。
「もう、聖女は終わりだよ。わたしはこれから、ただのミルになるの。あなたも、これからは自分の人生を生きて」
と何日もかけたミルの説得により、しぶしぶ辞退してくれた。
実際のところ、旅の難所はアイシャの風の魔術で越える気まんまんだったので、あまり人数が多いと困るのだ。
いまのアイシャでも、飛行の魔術を長時間維持するのは三人が限度らしい。
加えて、旅慣れていて頑健な者だけなら、行程は大幅に楽になる。
たぶん、よほど精強な兵士でも、おれたちほどの速度は出せないだろう。
ミルだって、いっけん可愛らしい小娘だが、五百年前はおれたちと共に、さんざん命がけの冒険を乗り越えている。
いざとなれば、徹夜で数日、歩き続けることも苦にしないことはよく知っていた。
そんな無茶はさせないけどな。
単純に、ほかの者にとっての無茶が、無茶じゃなくなるというのがおおきいだけで。
「わたしの闇の魔術、旅に使えそうなものもあるんだよ。でも、もうちょっと練習してからね」
とミルは張りきっていた。
ただ、なにせ闇の魔術というものが本来、ヒトには使えないはずのちからである。
あまり大勢の目につくところで使用したくない、というのが正直なところだった。
「ま、だいじょうぶであろう。よほどの目と知識を合わせ持つ者でもなければ、闇の魔術であることなど見破れまい」
「そうだと、いいんだがな」
「いちおう、ね。アイシャが、ほかの属性の魔術っぽくごまかす方法とかも考えてくれてるから、きっとへいきだよ!」
それなら、いいのだが。
おれとしては、どうにも不安でたまらない。
ミルのやつ、五百年間も為政者だったくせに、やたらと間が抜けているんだよなあ……。
ま、そういうわけで。
おれたちは、ふたたび旅に出た。
東へ。
ずっと東へ。
*
「五百年の間、待っていたんだ。夢だったんだ。コガネと、また旅に出るのが」
街道をスキップで歩きながら、ミルはそんなことをいいだす。
銀の髪が揺れ、太陽の光を浴びて、空に浮かぶ雲のように舞う。
シルダリを出てからこっち、彼女は終始、ごきげんだった。
すれ違う旅人たちも、まさか聖女がこんなところで鼻歌を歌いながら歩いているとは気づきもしない。
聖女ミルのトレードマークは見事な金色の髪であったのだから、いまの銀髪の彼女をみてそうとわからなくても無理はないのだけれど。
そもそも、彼女が公の場に出なくなってからだいぶ長いこと経っている、というのもあるのだが……。
それゆえ、おれたちは顔を隠す必要もなく、シルダリを出ることができた。
教会内では、彼女が出ていくことについていろいろとあったらしい。
でも、光の魔術が使えなくなった彼女は、もはや厄介ごとの種でしかない。
公的には、聖女ミルはしばらくの間、地方で療養するということになっている。
安全確保のため、彼女がどこにいるかは公表されない。
「これは、当然なんだよ。わたし、何度も何度も、ほんと嫌になるくらい暗殺者が送られてきたし」
「国家の要人など、そんなものであろうさ」
アイシャは当然のようにうなずいているし、たしかにそうかもしれないが、たまらないなあとおれとしては思う。
政治の世界でひどい目にあったのはおれも同じなわけで……。
だから、なんだろうな。
おれは未だに、国家とか政治とかに対して、苦手意識ばかりある。
それじゃいけないと、わかってはいるのだけれど。
「ゆっくり慣れていけばいいよ。悪いことばかりじゃないの。今回のことも、わたしを擁護してくれるひとは多かった。……うん、本当にいっぱいいたよ。とても嬉しかった」
それでもミルは、お荷物になりたくないのだと、彼らを説得した。
教会は、聖女などというものに頼ることなく、新しいかたちで出直すべきだと。
「ベルグストとの揉めごとについては、心配しないで。わたしたちが、ちょっとだけ手を出すから」
隣国については、行きがけの駄賃でなんとかしておこう、と話し合った。
それが聖女ミルとしての、最後の置き土産になるだろう、と。
どうせ、向かうのは東なのだから。
いや、ミルがそうしたいなら、いいけどさ。
アイシャのやつなんか、「それはそれで、面倒なことであるぞ……?」と及び腰だったのだが……。
実際にベルグスト王国に赴き、シルダリ教徒を弾圧している現場を目の当たりにすると、アイシャがいちばん先に動いてしまった。
「女、子どもを嬉々として殺戮するとは、貴族の風上にもおけぬ」
かの国の騎士たちをみて憤懣やるかたない様子で、特大の魔術をぶっぱなそうとしたところを、おれとミルが必死で止めた。
明らかに制御できない魔術を使おうとしていたからだ。
ふだんは自重しているだけで、なまじ伝説の大魔術まで習得しているというから始末が悪い。
かろうじて暴走は免れたが……おれたちはベルグストの貴族たちに目をつけられた。
そのあと、すったもんだあって、おれたち三人はベルグストの国王暗殺計画を阻止し、貴族会議の首を半分くらい入れ替えたすえ、犯罪者として国を追われることになる。
そのあたりは、長くて陰惨でつまらない話となるので、詳しく語らないでおきたい。
*
東へ行く、といってもベルグストの東には内海が広がっている。
ミルたちが浮遊機動要塞を捨てようとした海だ。
海上の交易は盛んで、向こう岸までの船便も豊富だったが……。
ほとぼりを醒ますため、おれたちは、いちど文明圏を離れて南下した。
前人未到の山脈を文字通りひょいと飛び越えたあと、東へ針路を戻す。
魔物たちがわんさといる一帯を突っ切り、未開の部族と出会ってあれこれあったりもした。
けっこう死にそうな目に遭ったにもかかわらず、ミルとアイシャはやけに楽しそうだった。
「だって、ずっと夢だったんだもん」
ミルは、いつだってそう話す。
「やっと夢が叶った。わたしは、いまがいちばん楽しいんだ」
「うむ。われも、楽しい。ヒトとしての生を、存分に謳歌しておる」
湿地帯で巨大ヒルの群れに襲われながらそんなことをいえるのだから、ふたりともたいしたタマだと思う。
*
おれたちの目的地は、大陸の東にあるという、五百年前の仲間のひとり、ネハンの故郷の島である。
帝国の首都があった大陸西部では、東部の果ての情報など、五百年前でもほとんど入手できなかった。
当時からいちおう交易はあって、海洋ルートがもっとも確実なのだが……。
それでも、クラーケンという巨大な魔物が徘徊する海域を航行する船は少ない。
かの地との安定した交易はそれだけでおおきな利権であるため、コネのない者では乗船すらできないという。
いろいろ考えたすえ、おれたちは陸路で大陸の東端まで行くこととなった。
困難な道のりになることは明らかだ。
「わくわくするね!」
「素晴らしいことであるな!」
なのに、ふたりの少女は、この状況を心底、楽しんでいる。
あまりにも笑顔だから、おれまでつい、まあなんとかなるかと気楽に考えてしまうほどだった。
幸いにして、金だけはふんだんにある。
道中で退治した魔物から剥ぎ取った魔石だけでも、ひと財産である。
それらを惜しげもなく投資して、入念に装備を整え、情報を集められるだけ集め、安全な道を探しつつの旅となる。
「いつか、戻ってこようね。こんどは、七人全員で。……あ、アイシャもいっしょに、八人で」
「ああ。全員で、な」
おれとミルは、そんな約束を交わす。
もっとも……。
その約束は、叶わない。
うすうす、気づいてはいたのだ。
いちど分かたれた道が、必ずしもふたたび交わるとは限らないのだと。
*
シルダリを出てから一ヶ月が経過した。
普通の人間ではとうてい不可能な速度で野を越え山を越えたおれたち三人は、ついに極東の島にたどり着いていた。
豊かな森林に恵まれた大地だ。
おれとミルは、その地で。
とっくの昔に仲間を失っていたことを知る。




