第2話 ユーフェリアとの別れ
時が、経った。
食事も排泄もなく、おれはただ生きていた。
不老不死になるとは、そういうことだ。
夜になり、朝がきて、また夜が来る。
あるとき、鉄扉がきしんだ音を立てて開いた。
ひとり、通路を歩いてくる。
足音だけで、ユーフェリアだとわかった。
「一年も来られなくて、ごめんなさい」
いつだって彼女は、ごめんなさいから始める。
実際のところ、明るい話題などひとつもないのはわかっているのだけれど。
「結婚、いたしました」
相手の伯爵の名前は、おれでも知っていた。
爵位を継いだばかりで、まだ二十代の前半だったはずだ。
性格も悪くはなかったはずだし、おおむね、いい婚姻だろう。
彼女は短い報告だけして、去っていった。
それでいい、と思った。
おれだって。
おれだって、そんな報告を長々と聞きたくはなかった。
*
「子どもが生まれました」
二年後、そう報告された。
「ふたりめが生まれました」
翌年にはそう報告された。
けっきょく、彼女は四人の子どもを産んだ。
貴族の夫人として、たいへんけっこうなことだと思う。
*
「父が、皇帝陛下が、亡くなりました。兄たちが激しく争っています」
おれが幽閉されてから五年以上が経過したころ、ユーフェリアはそんな報告をしてきた。
聞けば皇帝は暗殺されて、遺言はなく、現在は六人の皇子たちが睨み合っているという。
それ以外の皇位継承権持ちも、虎視眈々と皇帝の座を狙っているとか。
暗殺や粛清で、帝都は血の雨が降っているらしい。
いまとなってみると、降嫁、というのはよい判断だったといえる。
継承権がなくなったユーフェリアは安全とのことだ。
もっとも、それは夫の伯爵が立ちまわりに気をつけていればの話なのだが……。
幸いにして、いまのところ火の粉をかぶらない立ち位置についているとのこと。
「くれぐれも」
とおれは告げる。
「この騒ぎに乗じておれを解放しよう、などと考えないでください。どうか、御身を大事に」
ユーフェリアは黙った。
どうやら、釘を刺しておいて正解だったようだ。
おれは、重ねて彼女に自重を促した。
*
皇子たちの争いは行くところまで行って、帝国は割れた。
その隙にと、辺境の各国が独立を宣言する。
こうして、大陸の覇者としての帝国は、あっけなく消え去った。
「預言は外れたな。おれたち勇者なんて関係なく、帝国は滅びたか」
皇帝の崩御からここまで、わずか三年である。
ユーフェリアはこの隙におれを牢から出すべく画策したようだが、徒労に終わった。
王都を占拠する第一皇子が、おれのことを特に警戒しているとのことだ。
彼を恨んでいないかといえば、当然、恨みはある。
敵にまわらないかといわれると、そりゃまあ、ためらいもなく復讐に行くだろう。
彼の懸念は当然だった。
制約の魔術などによる思考制御は、竜の霊気をとりこんだいまのおれに対して無意味だった。
そのあたりは、拷問されたときに判明していた。
なにものも、おれを操ることはできない。
ゆえにいっそう、おれたちは危険視されたのだ。
「もういちど、兄を説得してみます」
「やりすぎると、あなたの身にも危険が及ぶかもしれない。いや、あなたの子どもにまでその手が及ぶ可能性もある」
子どものことを持ち出すと、さすがのユーフェリアも沈黙せざるを得なかった。
それでも、やれるだけのことはやるといって、彼女は出ていく。
それから……。
歳月が、経った。
*
「ごめんなさい」
ユーフェリアはいつだって、謝罪の言葉から入る。
その声が、しわがれていることに気づいた。
あまりにも久しぶりだったように思うが……。
実際に彼女の口から告げられたのは、「あれから十七年が経ちました」という言葉だった。
「相次ぐ戦で、辺境に避難せざるを得なかったのです。帝都は荒れ果て、長く、立ち入ることもできませんでした」
今回、彼女は危険を冒して、少数でこの監獄城へ侵入したのだという。
ただ、牢の扉を開けることができる魔術師をつれてくることは叶わなかった。
封印の魔導具を破ることができる魔術師の一族は、帝国でも秘中の秘であったらしい。
彼らの多くは、長引く戦乱で行方がわからなくなってしまった。
居場所が判明している一部の者も各勢力の紐つきで、ユーフェリアには手が出せないのだという。
この牢の扉を開くことは、現状、絶望的ということだ。
「ようやく、お兄さまもいなくなったというのに」
ユーフェリアは嘆く。
聞けば第一皇子は、傲慢で傍若無人に戦禍を広げ続けたすえ、愛妾に寝首をかかれたとのことだ。
おれをこんな境遇に追い込んだ宿敵の情けない最期に、肩透かしを食らってしまった気分である。
ユーフェリアは、咳をした。
肺を患っているという。
きっと、もう長くはないだろうと冷静に告げる。
「もはやわたしは、従者たちの支えがなければ階段を登ることすらできません」
無理をしないでくれ、とおれはいった。
心からの懇願だった。
ユーフェリアは、笑っただけだった。
「もう、ここに来ることは難しいでしょう。この扉をわたしの手で開けることはできないでしょう。ただ、ひとつだけ。わたしは、希望を残すことができます」
扉に、この部屋全体にかけられた封印は、次第にちからを失っていくという。
本来は、一定の期間ごとにそれをかけなおす術者がいるのだが……。
おれの牢にかけられた封印も、いつかは消えるだろう、と。
しかし、それが何十年後か。
それとも何百年後かは、わからないという。
気が遠くなるような話だ。
「わたしは、己の子らの子らに言伝を残します。いつの日か、必ずや、この牢を開きあなたを解放するようにと」
それは果たして、いつになることだろう。
そのとき、彼女の言伝を覚えている者はいるだろうか。
だが、まあ……まったくなんの希望もなく、この部屋で永遠の時間を生きるのでは、あまりにも救いがない。
「期待している」
だからおれは、そういった。
ユーフェリアが、ちからづよく、「はい!」と返事をする。
そのときだけ、彼女の声はあの無垢な少女だったころのように生き生きとしていた。
「さようなら、コガネ。いつの日か、あなたがこの牢獄から解放されますように」
その言葉を最後に、ユーフェリアは去っていった。
そして、もう二度と。
彼女は戻ってこなかった。
おれは、目を閉じた。
考える。
おれは、おれたちは、いったいなにを間違えたのだろう。
孤児院で生まれ、虐げられ踏みにじられる側にはなりたくないと、必死で鍛えた。
弱者を守る者になりたいと、そう願った。
大陸でも最強の一角になったおれは、大陸の民のために、帝国のために、おれの大切なひとたちのために、戦ったはずだった。
その結果が、これか。
強者になったと思っていたが、いまだおれは、弱者であったのか。
では、どうすればもっと強者になれたのか。
仙者、と呼ばれていた隠遁の老人の言葉を思い出す。
大気に霊の気あり、大気に地の気あり、大気に星の気あり。
大気からそれらを取り込み、己のものとせよ。
かの者のもとで修業して、おれは剣聖としてのちからを得た。
山を下りるとき、まだ未熟といわれた。
下界でも修行を続けよ、と。
深く深く霊気を取り込むための特殊な瞑想というものを、彼は教えてくれた。
何百年という瞑想の果てに至る境地があるのだと、彼はいった。
ヒトの寿命はそれほど長くない、とそのときのおれは笑い飛ばしたのだが……。
幸いにして、いまのおれには時間だけはある。
おれは瞑想を再開した。
仙者の言葉を思い出しながら、深く深く、潜っていく。