第17話 浮遊機動要塞潜入作戦、開始
すぐ近くでみるそれは、空に浮かぶ巨大な岩塊だった。
岩といっても、サイズ的には、ちいさな城塞都市ひとつぶんくらいあるだろう。
それが、ひとの背丈の十倍以上は上空を浮遊している。
風の魔術ではない、とアイシャは断言する。
あれは失われた闇の魔術によるものだと。
闇の魔術には、大地の楔を切り離す、特別な魔術があるのだと。
「旧人だけが使える魔術、それが闇属性の魔術であったらしい」
「お嬢ちゃん、めっちゃ詳しいねえ。っていうかおいら、旧人なんて知らなかったよ。それどこ情報?」
「あー、うむ、な、内緒だ。そのあたりは、深く突っ込むでない」
この二日間、間違いなくいえるのは、クロウがアイシャに関する疑惑を深めたであろうなということである。
この通り、彼女、守りがガバガバなのだ。
おれが止める間もなく、間断なくボロを出し続ける。
正確には、尊大な邪竜モードのときがガバガバ、なのだが。
おしとやかな貴族令嬢モードのときは、なかなかに口が堅い。
ふたつの役割の切り替えがうまくできていない、といったほうが正しいか。
すでにクロウは、アイシャがこの歳で風の魔術に長け、誰も知らないような古代の知識に通じていることを知っていた。
精霊と会話したことがあるという話や、霊脈という特殊な大地のスポットについても、耳を大きくして聞きたそうにしているが……おれが睨むと、おどけた様子で肩をすくめてみせる。
「へいへい、余計な好奇心を発揮した猫は龍に殺される、ですやね」
この地方のことわざらしい。
図らずも、ことは龍に関係するのだが……まあ、黙っておくとしよう。
「ともあれ、だ。われの記憶がたしかなら、この地はだいぶ、国の東よりであるな? 国境まで、あと少しであろう。クロウ、おぬしシャザム要塞の移動ルートを把握しておったということであろう」
「そうだよー。夜になると、この空飛ぶ岩は東の方に移動するんだー。昼はこうして、補給を待って動かないんだけどなー」
浮かぶ岩塊の足もと付近で、米粒のようなものが浮かび上がっている。
遠くからみているおれたちにはよくわからないが、あれはロープのようなもので地上からから荷物を運びこんでいるのだという。
要塞への補給は、ああして行われているのだと。
「ヒトも、ああやって入るのか」
「そうだよー。だからこっそり侵入とか、とてもたいへんでねえ」
「おぬし、われらをミルに会わせてやると大言壮語したではないか」
クロウは、「いやーその場の勢いってのがあってさ」と後ろ頭を掻く。
いい加減な言動をしているが、実際のところ、予定があってそれがご破算になったのか、最初から嘘だったのか、おれでは判断がつかない。
「ただ侵入するだけなら、アイシャの魔術で空を飛べばいいんだよな。月明かりだけを頼りに索敵はできないだろ」
「そーそー。それが楽だぜえ。こっちの使える手札だって、限りがあるんだあ」
「……つまり、クロウ。おまえは自分の切り札を切らずに済むなら、そうしたいってことだな」
相変わらず得体のしれないこの男は、でへへ、と笑ってごまかした。
まあいい、こいつはなんだかんだ、ここまでちゃんと案内してくれた。
あとの問題は、要塞のどこにミルがいるか、そこまでどうやってたどり着くか、なんだが……。
「今夜、騒ぎを起こす」
クロウは計画を告げる。
「外から牽制攻撃を仕掛ける。それに乗じて、乗り込むさー」
「おまえも来るのか」
「当然だろー。そうじゃなきゃ、内部のことなんてあんたらはわからんだろうし」
この男がどこまで信用できるのか、いまだに計りかねていた。
もともと、おれは腹芸が苦手なのだ。
アイシャだって、貴族同士のつきあい程度ならともかく、こういった海千山千の輩が相手では分が悪い。
だが、ここは彼を信じるしかないだろう。
最悪の場合でも、要塞内部に入ってしまえば、あとはちからづくという手段がある。
「わかった、それでいこう。いいな、アイシャ」
「うむ。ここで臆することなどできるものか」
おれたちは、互いにうなずきあう。
*
夕方になる。
小高い丘のうえから、おれたちは夕日を浴びて茜色に輝く巨大な岩塊を眺めていた。
「やはり、のう。わかったぞ、あれが大地の霊脈を吸い上げ、エネルギーとしておるから……」
少女が呟く。
「どうなるんだ」
「この大地に、魔物が湧く」
おれとクロウが、どういうことだとアイシャをみる。
「川の水を一気に吸い上げることで、川は干上がり、水溜まりができる。同様、霊脈から急激に霊気を吸い上げることで、霊気溜まりができる。霊気溜まりとは、霊気が豊富に存在しているがゆえ生まれるものではない。逆に、霊気の流れが寸断されたことで大地が淀み、根が痛むことで発生するのである」
少女が、そういったときだった。
浮遊機動要塞シャザムの足もとで補給を終え、いましも撤収しようとしていた馬車の群れ。
その周囲で、ぼこり、ぼこりといくつもの陥没が起こる。
戸惑う兵士たち。
地面に開いた穴から、リトル・オグルの群れが顔を出す。
魔物たちは、慌てる兵士たちを襲い始めた。
「あれは……教都のときと同じじゃないのか」
「で、あろうな」
「へえ、おいらにも詳しく説明して欲しいところだねえ」
クロウは目を細くして、眼下に展開される戦いを観察していた。
この国と対抗する勢力の配下なのだろうから、この国の兵が戦う様子を観察するのは重要なことなのだろうが、それ以上に彼の興味は、この状況そのものにあるようだ。
ことに、直前とはいえこれを預言してみせた、アイシャの言葉の真意に。
「なんでわかったのか、おいらにも詳しく教えてもらってもいいかねえ」
「風が変わったのだ。われはこの風を知っていた。大地が腐る、忌むべき風だ。もし、われにもっとちからがあったなら、精霊の悲鳴すら聞こえていただろう」
「そりゃまた」
絶句するクロウに対し、アイシャは「で、あろうな。ヒトの身では経験したこともなかろう」と小声で呟く。
その言葉は、彼の耳に届いていただろうか。
他国の密偵とおぼしき男は、それ以上、このことについてなにもいわなかった。
「兵士を助けに行きたいか、アイシャ」
「教都のときとは事情が違う。あのときは無辜の民が犠牲になっていた。いま襲われているものたちは、己の意志で、命を懸ける覚悟で、戦地に足を踏み入れた兵士であろう?」
「だぁな。やめといた方が、いいぜえ」
クロウが宙に浮かぶ要塞を指さす。
岩塊の下部から、ハエのようにふらふら舞う影が、いくつも降りて来るところだった。
ペアで飛ぶ、兵士たちだ。
飛行魔術の使い手が、軽装の歩兵を地面に下ろしているのである。
おおよそ、二十ペアほどか。
光の魔術が盛んな国だからといって、術者がそれだけというわけもない。
さすがに空中の城を維持するだけあって、風属性の魔術を使える者が多いのだろう。
無論、光と風を両方行使できる器用な者もいるに違いない。
「選りすぐりの使い手たちだろうさ。あんたらが助勢する意味はねえ」
「なるほど。……ところで、クロウ。あんたがいっていた、陽動作戦とは、この魔物の襲撃のことなのか」
おれはいちおう、そう訊ねてみた。
クロウは首を横に振る。
「まーさか。想定もしていなかったぞ、こんな状況。ちゅうか、やっべえかもしれねえ」
「やばい? なにがだ」
クロウの懸念の理由は、すぐにわかった。
浮遊要塞から少し離れた森のなかで、戦闘が始まったからだ。
木々がなぎ倒され、ちいさな爆発がいくつも起こる。
「まさか、魔物とヒトが戦っておるのか。……そうか、クロウ、おぬしがいっていた陽動のための部隊が、あそこに」
「あぁ。魔物のやつら、森のあっちこっちに現れたんだろうねえ。うちの部隊も優秀だが、不意を打たれたら厳しい。ましてや……」
浮遊要塞の下で行われている戦いは、さらに激化していた。
間もなく夕日が山の向こう側に沈むなか、地面の下から、ぬっと巨人が現れる。
おれたちが教都で戦ったブラスト・オグルが、補給部隊の兵士たちに牙を剥いたのだ。
そのブラスト・オグルに、上空から降下した精鋭兵士が襲いかかる。
巨人の炎が渦を巻き、兵士たちが構築する水の結界がそれを防ぐ。
土の魔術により巨人の足もとが崩れ、風の魔術が周囲のリトル・オグルを吹き飛ばしていく。
同様、クロウの組織の部隊にも、ブラスト・オグルが襲撃していた。
こちらでも火弾や竜巻が飛び交う、激しい戦闘が展開している。
浮遊要塞の者たちも、そろそろ森のなかで行われるふたつめの戦いに気づいただろう。
「ある意味で、陽動になっている……のか?」
「被害は、予定よりでかくなるだろうけどねえ」
クロウは悲しそうに呟く。
「ま、仕方ないねえ。おーい、おふたりさん。おいらのお友達を助けにいこう、とかいわないでくれよぉ」
「よいのか。いまなら被害も少なく収められよう」
「おまえさんたちが、おいらたちが命を懸けるに値する者かどうか。これからみせてもらうんだからさぁ」
おれは「わかっている」とうなずいた。
帝国軍に雇われていたころ、そして邪竜との戦いの前段階における幾多の作戦でも。
おれたちは、無数の友軍と共に戦っていた。
特におれは、たいていの場合、決戦戦力に組み込まれていたから……友軍が命を張って、血の海を流して好機をつくってくれることも、それによって昨日は笑っていた仲間が死んでいったことも、経験していた。
ミルは特に、それによって心をすり減らしていたように思う。
彼女はそれでも、歯を食いしばり、前を向いて戦い続けた。
いまも、あの要塞のなかで、辛そうな顔をしながら戦いを眺めているのだろうか。
それとも、見ることすらできず、あのなかで孤独を囲っているのだろうか。
あるいは、この五百年で彼女は変わってしまって……。
それは、ないな。
おれは、すぐにその考えを打ち消した。
この国のあちこちでみた聖女ミルの痕跡から判断できるのは……あいつは、いつまで経ってもまっすぐだということである。
だからこそ、おかしい。
この浮遊機動要塞も、東の国との係争も。
霊脈からちからを吸い取る、だから魔物が現れるのだというアイシャの観察は、きっとこの国の上層部でもある程度は承知しているだろうに……。
「もうすぐだ。いいな、アイシャ、クロウ」
「う、うむ」
「わかったぜぇ」
太陽が、沈む。
星が夜空に輝きはじめる。
夜の時間が、始まろうとしていた。
「《優しき螺旋の風、彷徨う大気の精、集い満ち巡り舞い、われらが身に纏う翼となれ》」
アイシャはおれとクロウの手を掴み、風の第三階梯魔術を行使する。
おれたち三人の身体が、ふわりと浮かび上がる。
宙を舞いあがりながら、おれは眼下でいまだ激しく行われている戦闘を眺めていた。




