第12話 シルダリ教国
シルダリ教国は、その名の通り、宗教国家だ。
聖女と呼ばれる人物を、光輝神の化身と定義している。
初代の聖女の名をシルダリといい、彼女の広めた教えがこの辺境の地で根づいて、シルダリ教が生まれた。
そして、現在の聖女の名前は、ミル。
五百年を生きる、かつてのおれの仲間である。
光属性の魔術を操る、当時最高峰の治療魔術の使い手であった。
おれが知るミルは、いつもふわふわ雲のような笑顔を浮かべている、おだやかでたおやかな若い少女であった。
当時十四歳の彼女は仲間うちで最年少だったせいか、あまり自分の意見はいわず、一歩引いた立ち位置であったように思う。
その割に、魔物に襲われ傷ついた者をみたとたん、危険を顧みず駆けていっては、ネハンに説教されていた。
光属性の魔術は、全属性でもっとも汎用性が高く、特に怪我や病気の治療を得意としている。
高位の術者であれば、致死の怪我すら治療することが可能だ。
生命を司る属性、といわれることもある。
光属性の魔術を操る者がたくさんいる国、というのがシルダリ教国の一般的なイメージらしい。
なんか、それだけだと穏やかな国なのかな、と思ってしまうが……。
おれたちが辺境の村にたどりついたとき。
二百人規模とおぼしき村が、百体以上の魔物の群れに襲われていた。
村を囲む柵にとりつく狼型の魔物たちに対して、弓矢や槍を得物とした二十人ほどの男たちが必死で抵抗している。
「手を貸すぞ、アイシャ」
「うむ」
おれとアイシャは、ためらわず魔物の群れに飛び込んだ。
アイシャが風の魔術で狼型の魔物たちを吹き飛ばし、それでも向かってくる相手はおれが切り伏せる。
霊剣ナヴァ・ザグの切れ味は、これまでの幾度もの戦いを経ても鈍ることがなく、いや魔物の血を吸っていっそう鋭くなっているかのようだった。
わずかの間に十体ほど倒したところで、魔物たちがおれとアイシャのまわりから離れていく。
目を丸くした村人たちが、「助かった! 怪我はないか? こっちには光の魔術の使い手がいるぞ!」と声をかけてくるが……。
「おれたちは問題ない。それより、増援に備えてくれ」
おれは村に背を向け、魔物たちが来たとおぼしき森を睨む。
森の奥からやってくる、大型の魔物の気配に気づいたからだ。
その一歩ごとに、地響きを立てて、なにかがやってくる。
魔物たちが道を開けるように左右へ分かれる。
密な木々がへし折れ、そのどでかい頭が村人たちにもみえるようになる。
男たちの悲鳴が、あがった。
辺境の村を守っている、屈強な男たちが、腰を抜かすほど驚いている。
大蛇の頭を持つ、ひとの倍はあろうかという身の丈の巨人だった。
その両腕も蛇のようにぐねぐねとしていて、腕の先端にはカマキリのような鎌がついている。
長い尻尾が、くねり、鎌首をもたげてこちらを向く。
尻尾の先端についたもうひとつの蛇の頭がシャー、と威嚇した。
「アンフィスバエナだ! あんなの、勝てるわけがない!」
「聖騎士団はまだなのか!」
村の男たちが、口々に叫ぶ。
無理もない。
あの魔物、たった一体で、五百年前は街ひとつが壊滅したのだから。
鍛えた兵士の槍であっても弾く外皮、数人をまとめて薙ぎ払えるふたつの鎌。
そして、石造りの外壁すら破砕できるだけの膂力。
相手にするには、第四階梯以上の魔術が使える者か各林の精鋭が、最低でも十名以上……それが、五百年前の帝国におけるアンフィスバエナの討伐基準であった。
「こんな魔物が、なんで秘境から出てくるんだ」
「いくつか考えられることはあるが……コガネよ、いまはそれどころではなかろう」
「それもそうだな」
とはいえ、いまこの場にいるのは、このおれだった。
アンフィスバエナがどれほど厄介な魔物であろうと……。
邪竜アイシャザックほどでは、ない。
「コガネ、われの手助けは必要か?」
「おれひとりで充分だ。アイシャは村を頼む」
おれは地面を蹴って、飛び出す。
往く手を遮る狼の魔物を行き掛けの駄賃で蹴散らし、アンフィスバエナに迫る。
蛇の頭を持つ魔物は、両腕の鎌でおれを迎撃しようとするが……。
「閃迅衝」
おれの放った稲妻のごとき刺突が、アンフィスバエナのふたつの鎌を、まとめて砕く。
一撃は、そのまま巨人の胴に届き……。
その身を、貫く。
青い血しぶきがあがる。
魔物は、けたたましい悲鳴をあげる。
おれはさらに一歩、踏み込み、その膝を切断する。
前のめりに倒れてくるアンフィスバエナの長い首を刎ねる。
蛇の頭が宙を舞う。
素早く離脱し、返り血を避ける。
ここまで、呼吸ひとつする間である。
アンフィスバエナの巨体が、地面に倒れ伏す。
土煙があがる。
狼の魔物たちが、われ先にと逃げ出したところで、村人たちはようやく、状況を認識したようだ。
歓声が、あがる。
おれとアイシャは、互いの顔を確認したあと、共にほっと安堵の息を吐く。
*
歓迎の宴には、快く招かれることにした。
魔物の襲撃を受けた村は、教会から援助金が出るのだという。
このシルダリ教国において、魔物との戦いは国是であると。
「比較しちゃ悪いが、アイシャ。きみの生まれ育った国より、だいぶ裕福だな」
「この国は、実によく運営されておる。優れた指導者を抱き、末端まで行政が整備されている。上も下も腐っていたあの国とは比べものにならぬよ」
村では対処できない規模の魔物が出た場合、聖騎士団と呼ばれる精強な常備軍がすぐさま派遣されてくるらしい。
とはいえ、これほど大規模な魔物の襲撃は、ほとんど前例がないらしい。
「聖騎士団とは、どう連絡をとりあっておるのだ。狼煙か?」
「光魔術を使っております」
光の点滅を文字に当てはめ、遠くとやりとりするのだという。
過去の天才魔術師の名をとってモールス通信と名づけられたそれを使えば、国内の出来事を瞬時に教都まで伝達したり、その逆を行ったりすることができるとか。
通信に使う暗号表は軍事機密とのことで、さすがにこれはみせてはくれなかった。
「隣国からの侵略に対しても優位に立てよう。軍事機密扱いは、当然のことであるな。いずれは他国にも情報が流出するであろうが」
「光の魔術の使い手が、どの村にもいるという前提だろ。この国じゃなきゃ無理だと思うぞ」
光輝神を崇めるシルダリ教においては、光の魔術が重視される。
普通、この規模の村で魔術の使い手など、ひとりかふたり、いればいいほうだ。
この国においては、各村に数名、光属性の魔術師がいるという。
これは、なにもシルダリ教国の村人の光魔術適正が高いというわけではない。
六歳までには光の魔術の適正を確認するという、この国全体に浸透したシステムのおかげで、適正がある者をとりこぼさないおかげである。
貴族の令嬢として教育を受けたアイシャによると、それにかかる教育コストはたいへんなものであるらしい。
「噂には聞いていたが、なんとも徹底した国であるな」
「でも、光の魔術はいろいろ便利だ。今回の戦いでも死者が出なかったって話だし」
五百年前。
武術を司る五林では、霊気を用いた簡易な治療法が確立されていた。
しかし帝国の崩壊に伴い五林が消滅したため、そういった施術は失伝しているようである。
「光の魔術を活用すれば、もっといろいろなことができるかもしれんな」
アイシャは小声で、「もっとも」と続ける。
「他国にとって、これほどの脅威もなかろう」
*
「聖女さまは、教都にいらっしゃるよ」
シルダリ教国に入ってから、二番目に立ち寄った村にて。
おれたちが泊まった宿の主人は、そう教えてくれた。
最初の村の人々は、中央の情報に疎く、そういったことはなにも知らなかったのだ。
「ただ、お忙しいかたっていうし、会えるとは思えないねえ」
「せめて、遠くからでもひと目みられればと思うのですが……」
「新年のお祝いでも、お姿をみることは叶わないそうだよ」
聖女ミルは、たいそう高齢ながら、その姿は若い少女のままだという。
ただし、もう何十年も、会った者はシルダリ教の幹部だけ。
教都にいることだけは、間違いない。
それくらいの情報なら、すぐに集まった。
問題は、それ以上のことがさっぱりだということである。
加えて、この国の情勢もだいぶ不穏だった。
おれとアイシャは、宿の二階に借りた部屋で、手に入った情報を交換する。
おれが酒場で聞いてきた商人たちの話を聞いて、アイシャの表情がみるみる険しくなった。
「食料をかき集めて、兵士の徴募も増えておるとな。これはまた、なんともわかりやすい」
「どういうことだ、アイシャ」
「無論、戦争の準備である」
どうやら、この国はだいぶきなくさいことになっているようだ。
政変の前兆、穀物相場の変動、そして戦争の予想。
アイシャは貴族の子女として、そういったことを察知するための基礎知識は頭に叩き込まれたという。
このシルダリ教国は、東のベルグスト王国といろいろモメているらしい。
最近のベルグストは、シルダリ教を禁教として、その信者を放逐しているとか。
「魔物が増えてるって話だけど、そんな状況で他国に喧嘩を売るのか」
「隣国が、この国の都合で手を控えてくれるわけもなし。むしろ弱った国を叩くことこそ、その国の利益となろう」
アイシャは肩をすくめた。
これは、教都へ急ぐしかないな……。




