第10話 ハイジャ村奪還作戦 後
隊長の男を縛りあげて口枷をはめたあと、屋敷の裏から出て、屋上のアイシャに合図する。
もと貴族令嬢は、サイレント・ウォールを解除したあと、純白のドレスをひるがえし、慣れた様子で屋根から飛び降りた。
「もう安心ですわ、みなさん」
アイシャはドレスの裾をつまみ、屋敷に囚われていた女たちに礼儀正しく挨拶してみせた。
とんだおてんばお嬢さまもあったものである。
しかし、そもそも貴族をろくにみたこともない村人たちは、あまり違和感を抱いていないようだ。
昨日は獣道の行進で多少、薄汚れたとはいえ、この場とはあまりに不釣り合いな恰好なのだが……。
彼女の騎士であるおれが、兵士たちを手際よく始末してみせたからだろうか。
「村の男たちは外のほうの小屋に押し込められています。付近の見張りを倒していただければ、あとはわたしたちが」
という娘たちの意見を聞いて、アイシャはおれをみる。
おれは少し考えたすえ、それでいこうとうなずいてみせた。
村人たちが、自分たちで村をとりかえしたという事実は、今後を考えて大切だと思ったからだ。
ひとが生きるには、矜持が必要だ。
村人たちは、誇りをとりもどす必要がある。
たとえ、そのために犠牲が出るとしても。
「殺したやつらの武器を持って、ついてきてくれ」
女たちのうち、元気なふたりを連れて、おれとアイシャはそっと屋敷をでた。
村のあちこちの家に分散しているほかの兵士たちは、この時間、ほとんどがまだ寝ているらしい。
見張りの者も、外にばかり意識がいっているようだ。
「わたしを中心として、魔術で足音を消します。わたしから離れることなきよう」
アイシャがそう命じて、サイレント・ウォールを行使した。
周囲から、音が消える。
今回は場所にかけるのではなく、アイシャ自身とその周囲すべての音を消しているようだ。
おれとふたりの娘は、アイシャを囲むようにして、小走りに駆け出す。
身振り手振りで目的となる小屋の近くまできてから、おれひとり、そっと彼女たちから離れ、小屋を見張るふたりの兵士へ背後から近づき……。
相手が声を出す前に、ふたりの兵士の頭をわし掴みにすると、地面に押し倒す。
たっぷりと霊気をこめた一撃だった。
骨が折れる音とともに、ふたりの兵士の頭部が潰れる。
土煙が舞い上がった。
「ばかもの、やりすぎである!」
貴族令嬢の演技を忘れて、アイシャが大股で駆け寄ってくる。
彼女の声が聞こえているということは、サイレント・ウォールを解除したのだろう。
おれは腰に手を当て、苦笑いする。
幸いにして、村人たちはアイシャの変貌に気づかなかったようだ。
女たちは、小屋の戸を開けて、男たちを解放するのに忙しかったからである。
男たちが大騒ぎする前に、アイシャが手際よく、ことの次第を伝えていく。
素早く貴族令嬢としての仮面をかぶったからか、男たちは思った以上に素直な態度でアイシャの言葉を聞いていた。
「外周にいる見張りの兵士たちは、コガネ……そこの従者がやります」
アイシャはおれを指さし、救い出された男たちに告げる。
おれはぞんざいに手をあげた。
へいへい、お嬢さまの下僕としてせいぜいがんばりますよ。
「みなさんは、家のなかで惰眠をむさぼる兵士をお願いします。人質にされた村の娘たちを救い出すのは、あなたがたの役割でしょう?」
真剣にうなずく男たちに、殺した兵士から回収した武器を渡していく。
何本かの剣は刃こぼれしていたし、矢の数は驚くほど少ない。
やはり、彼らは王都の騒乱から逃げ出した敗残兵なのだろう。
そんな落ち武者どもでも、村ひとつに対して横暴を働くには充分だった。
国が荒れるとは、そういうことなのだろう。
はたして、帝国が失われてからの大陸は、どれほどの騒乱に巻き込まれていたのだろうか。
おれは、てきぱきと村人に指示するアイシャをみて、亡き想い人を思い出す。
あのひとは、国が荒れ滅びを迎える光景をみて、どれほど心を痛めたのだろう。
彼女はそんな状況でも、なんども危険を冒し、おれのもとへ会いにきてくれて……。
アイシャはこちらへ振り向き、きつい目で睨んでくる。
顔を近づけ、小声でささやく。
「ぼやぼやするでないぞ、コガネよ」
「わ、わかってるって」
「……おぬし、われに別の者を重ねておるな」
鋭いな、こいつ。
おれは少女の観察眼に舌を巻く。
ごまかすように後ろ頭をかいた。
「まあ、よい。好きにせよ。おぬしにも、長く抱えるものがあろう」
「そういうわけでも、ないんだがな。しょせん、過去は過去だ」
「過去を背負わぬ者に、未来をみることはできぬ」
とても十五の娘がいう言葉ではない。
それは、さながら竜が矮小なひとを見守るような、やさしいまなざしだった。
かなわないな、と思わずため息がでる。
「さ、行きなさい、コガネ。あなたが、わたしたちの要なのですよ」
アイシャは貴族の娘らしい声色に戻すと、ぽん、とおれの背を叩いた。
「へいへい、お嬢さま」
「へい、はいちどでよろしい。まったく、もう。素直じゃないんだから」
困ったものね、と腰に手を当て嘆息するお嬢さまに、周囲の男たちが笑顔になる。
かわいらしいものをみた、とでも思っているのだろう。
実際のところ、これもまた周囲を従わせるための演技なのだろうが……。
*
それからの作戦は、おおむね思った通りに進んだ。
おれが見張りたちの大半を始末したところで、村のあちこちから悲鳴と怒号が響きはじめる。
残る見張りを倒すころ、戦いは佳境を迎えていた。
大半の兵士は、怒れる村人によって殺されていた。
機敏に逃げ延びた少数は、アイシャの魔術によって宙を舞い、地面に叩きつけられたところを、復讐に燃える女たちによってリンチにあった。
各個撃破された五十人の兵は、あっけなく全滅した。
ここに、ハイジャ村の奪還は成ったのである。
*
村を占拠した部隊で唯一の生き残りである隊長は、おれの立ち合いのもと、アイシャが尋問した。
こんな汚れ仕事、普通に考えて十五歳の少女で貴族の令嬢にやらせることではない。
だが、王都のことを訊ねるためにはおれも、村の人々も最近の王都の情勢についてあまりにも無知であったのだ。
幸いだったことは、ふたつ。
アイシャがただの十五歳の娘ではなく、前世の記憶をもった、ある意味で超越的な存在であったこと。
そしてドルガというこの隊長は、案外根性なしで、おれが数発殴っただけで素直になったということだ。
「王都では四つの勢力にわかれて殴り合いをしているとはね。地獄もいいところだ」
「その地獄から逃げ出したこやつらの気持ちも、わからんでもない」
アイシャはそういって、裸に剥かれ後ろ手に縛られた男の尻を蹴った。
少女の目には、隠そうともしない嫌悪の色がある。
殺意をこらえているのがわかる。
なにせ、こいつらの部隊が王都でやったことは……。
「親の仇が、こうもあっさりみつかるとはのう。別に探してもいなかったのだが」
そう、ハイジャ村に逃げ込んできた部隊は、王都の騒乱に乗じてアイシャの屋敷に押し入り、親兄弟使用人のすべてを虐殺したものたちだったのだ。
強盗の理由も判明していた。
物取りである。
ただの押し込み強盗。
それを、本来は都を守るべき兵士たちがやった。
けっきょく、その屋敷にはろくに金目のものがなかったとのことで……。
襲い損となってお尋ね者となり、そのまま王都を逃げ出したとのことである。
この男、金が手に入らなかった腹いせに死体損壊(ナイーブな表現)でうさを晴らしたとかいいだしたので……。
アイシャがなにかする前に、おれが素早く動き、両腕の関節を外しておいた。
もと兵士長は、悲鳴をあげてのたうちまわる。
「申し訳ありません、お嬢さま。つい手が出ました」
「わかっておる、われが手を下すほどの者ではない。村人にくれてやらねばならぬしな。……不思議であるよ、竜であったころは、家族という概念すら理解しておらなんだ。それがいまは、こうして腸が煮えたぎるような思いを持て余している。面白い」
面白い、といいながら、少女はかたく拳を握りしめている。
掌の皮が破れて血が流れ落ちているのに気づきもしないほどだった。
おれは無言でアイシャの手を握り、拳を開いてやる。
彼女の掌に、軽く霊気を流す。
自身の爪によって裂けた掌から流れ出る血が、みるみると凝固した。
おれには身体の傷を治すちからも、心の傷を癒す弁舌もないが、この程度のことはできる。
「手間をかけるな、コガネ。この身は竜より脆弱なれど、心の強さは以前と変わらぬと慢心していた」
「家族のために怒るやつを、心が弱いとは誰も思わねえよ」
アイシャは目を丸くして、おれをみた。
深呼吸ひとつほどの間、じっとみつめていた。
そのあと、竜の生まれ変わりの少女は顔を伏せ、「そうか」とちいさく呟く。
「ひととは、そういうものか」
「ま、孤児のおれには、本当の家族ってものがわからんけどな。きみはもっと、自分の感情に素直になったほうがいい」
ちなみにこのやりとりの間、ドルガという兵士の生き残りはずっと、床を転がりまわっていた。
おれのほうに来たら軽く蹴っているが、アイシャはもう彼に触りたくもないようで、身をすくめて避けていた。
気持ちはよくわかる。
「コガネよ」
アイシャはしばし考えこむように下を向いたあと、ふたたび顔をあげ、真剣な顔でおれと視線を合わせた。
「そのほうが、おぬしにとっても好ましいか? そのほうが、おぬしはわれを好くか、という意味だ」
「なに真顔で聞いてきやがる」
「われは、ヒトの感覚を失わぬほうがいいのではないか、といま考え始めているところなのだ。おぬしがいることで、われはヒトであろうと己を律することができるであろうと」
おれは最初笑い飛ばしたが、どうやらアイシャは本気らしかった。
彼女は、前世の記憶が蘇る前と後でなにも変わらないアイシャであると宣言していたが……どうやら、必ずしもそうではなかったのかもしれない。
いや、いまようやく、彼女はそのことに気づいたのか。
「おまえの好きにしろ」
「そうか」
「どっちにしろ、おまえがヤバいほうに向かっていったら……そのときは手を引っ張って、忠告くらいしてやるよ」
おれはぶっきらぼうに、そう告げる。
アイシャは、その言葉のなにが嬉しかったのか、ぱっと顔をほころばせた。
「うむ」
と深くうなずく。
「それは、よかった」




