4.愛想の必要性
その後、伯父様方の待つ応接室に私を連れて戻った男は、お互いに今までの事を水に流して、婚約する事にしたと報告した。最初は伯父様方も私が無理をしていないか心配してくださっていたが、元々良好である両家の仲を壊したくない私が、侯爵令息を二度も黒焦げにした罪悪感もあって、謝罪を受け入れて前向きになってくれた、という男が用意したもっともらしい筋書きを鵜呑みにされてしまった。更に裸を見てしまった責任を取り、許してくれた私に感謝して必ず大切にする、と調子の良い言葉をつらつらと淀みなく並べる男に、最後は全員が説き伏せられてしまっていた。
とても人を脅して婚約させた男の台詞とは思えない。
淑女の微笑みを貼り付けて大人しく男に従うしかなかった私は、腹いせに、やたらと距離を詰めて馴れ馴れしく私の腰を抱く男の手を、伯父様方に見えないように只管電撃で攻撃していた。
あの男の思い通りになってしまっている現状に腹が立つ。だけど上手く外堀を埋められ、誰にも相談どころか愚痴も言えない状況になってしまった私は、怒りを押し込めたまま悶々とした日々を送っていた。
もうあの男には結婚まで関わりたくない。そう思っていたのに、男は三日後にはまた伯爵家にやって来たのだった。
「何しに来たのよ」
応接室の隅でリリーが見守る中、私は男を睨み付けながら、リリーには聞こえないように小声で吐き捨てる。
「随分な挨拶だな。婚約したばかりの相手との距離を縮めようと、互いの家に通うのは普通の事だろう」
「あんたみたいな男と距離なんか縮めたくないわ。顔も見たくないんだから」
「そう邪険にするなよ。お前は俺を許して婚約を受け入れたっていう設定なんだから、今は多少の気まずさは仕方ないとしても、嫌悪感は顔に出すな」
「デリカシーの無い覗き魔脅迫最低男を嫌悪するなって言われても無理」
極力向かいのソファーに座る男を視界に入れないように紅茶を啜る私に、男は物言いたげな視線を送ってきている。
だがそんなものは気にしない。男の存在を意識から追い出し、目の前のケーキに手を伸ばして口に運んだ。あ、このケーキ美味しい。色取り取りのフルーツが沢山乗っている所も、クリームが甘過ぎない所も私好みだ。
「気に入ったか?」
私の様子を窺ってくる男の問い掛けに、私は怪訝な顔をしながら紅茶を啜る。
「そのケーキ、俺が買って来たんだ」
「!?」
紅茶を噴き出すかと思った。何とか堪えて飲み下す。
「私を餌付けするつもり? だとしたら無駄よ」
「チッ……可愛くないな。もう少し愛想良くしたらどうなんだ?」
「あんたにその必要性は感じないわ」
「必要性ならあるだろうが。お前がいつまでもそんな嫌そうな顔をしていれば、本当に俺を許したのか、家の為に無理をさせていないかと、伯爵達が疑い出すかも知れない。心配をかけたくなかったら、少しは歩み寄る努力をしろ。俺みたいにな」
男の言っている事は正論だ。私だって、伯父様方に心労を与えるのは本意ではない。だけど、だからってそう易々と男に従う気など無い。
「脅迫男が偉そうに言わないでよね。それに、愛想についての心配なら、きっとこの家の者には無用よ」
「どういう事だよ?」
男の質問には答えずに、ケーキを切って口に運ぶ。
餌付けされる気など更々無い。だけど物には罪は無い。そしてこのケーキは美味しい。食べる、の一択だ。寧ろ何の見返りもなく貢がせてやるのも良いかも知れない。
「さて、ケーキも食べ終わった事だし、あんたそろそろ帰ったら?」
「は? 食べるだけ食べたら、俺はもう用済みかよ」
「リリー、もう帰られるんですって。お見送りの用意をしてくれる?」
「畏まりました、お嬢様」
男は納得がいかなかったようだが、リリー達を巻き込んでしまえば、腰を上げざるを得なかったようだ。
応接室を出て玄関先に行けば、丁度レオンハルトお兄様が帰宅した所だった。
「クリス! わざわざ出迎えに来てくれたのかい!?」
嬉しそうに抱き付いてくるお兄様に、私は無表情で答える。
「お兄様、苦しいですわ。それにお客様の前ですわよ」
「ん? ああ……来ていたのか、ライアン殿」
男に気付いたお兄様は真顔に戻ると、私の肩をしっかりと抱いて男に向き直った。
「ライアン殿、言っておくけれども、僕は可愛い可愛い妹を傷付けた君を、まだ完全には許していないからね。あんな事をしておきながら、僕の大切なクリスと婚約するだなんて、本当に腹が立つ……っ!!」
お兄様に睨まれた男が若干たじろいでいる。美形が怒ると怖いのだ。
伯父様譲りの艶のある美しい銀髪を後ろで一つに束ね、美人である伯母様譲りの藍色の目と顔立ちを備えたお兄様は、絶世の貴公子だと貴族令嬢の間でかなりの人気がある。身内の私が言うのも何だが、頭も良くて仕事もできるし、細身に見えるがちゃんと筋肉も付いているし、性格だって穏やかで優しい。但し、私に対してはシスコン気味である事が玉に瑕。
「お兄様、そんなに怒らないでくださいな。私ハモウ気ニシテイマセンカラ」
「クリス……!! お前はなんて優しいんだ!!」
再び抱き付いてきたお兄様に遠い目になる。どうやら甚く感激されたようで、私の一部無感情棒読み台詞にも気付いた様子は全く無い。
「お兄様、お客様の前だと言っているではありませんか。いい加減にしないと怒りますわよ?」
「ああっすまないクリス! お前が可愛過ぎるからつい……! 許してくれるかい?」
「勿論ですわ、お兄様」
「クリス!」
又しても抱き付かれかけた私は、今度はするりと身を躱してお兄様を避け、勢い余ったお兄様は見事に床にダイブされた。男が狼狽えた様子でお兄様を見ているが、私達にとってはいつもの事だ。
因みに私も最初からこんなに無愛想だった訳ではない。寧ろ私を妹として受け入れてくれた二つ年上の従兄が大好きで、お兄様と呼んで欲しい、とご本人に請われた通り、お兄様呼びで後ろを付いて回ったものだ。だけどお兄様に笑顔を見せれば見せる程、段々とお兄様の愛情が重くなっている事に漸く気付き、最近では適当にあしらってしまっている。まあ、お兄様は全然気にしていないようだけど。
「……お前も、色々大変そうだな」
床に突っ伏しても尚、へにゃりとした笑顔を浮かべて幸せそうに私を振り返るお兄様を見ながら、男が呟く。
「あら、察しが良さそうね。それなら私のさっきの台詞の意味も分かったのかしら?」
「ああ。確かにお前に愛想が無くても、この家の者なら不審に思われなさそうだな」
普段は他人には見せないお兄様のシスコン度合が余程衝撃的だったのか、男は深く溜息をついていた。