3.売られた喧嘩
「それは許せんな……!!」
「酷いですわ……!! 乙女の裸を覗くだなんて……!!」
「黒焦げにしたくらいじゃ腹の虫が治まらないな。僕だって、クリスの裸はまだ見せてもらった事がないのに……っ!!」
「お兄様、最後の台詞がおかしいですわ」
私の説明が終わると、伯父様と伯母様とお兄様は、皆揃って怒りに打ち震えていた。若干怒りの矛先がおかしい人が約一名いるけれども、いつもの事なので放っておく。
あの後、気絶した少年を流石にそのままにしておく訳にはいかず、仕方なく負ぶって山を下り、偶々出くわした少年の使用人らしき人々に彼を押し付け、黒焦げにしたのは自分だとバレないうちにそそくさと家に逃げ帰った。この事は犬に噛まれたとでも思って忘れよう、と記憶の奥底に厳重に封印してきたのに、何で今更こんな所で二度と会いたくなかった男と再会してしまったんだろう。つくづく運が無いな、と私は遠い目で明後日の方向を見つめた。
一方、ブラッド侯爵は打って変わって、顔面蒼白になっていた。
「その節は愚息が、大変申し訳ない事を……っ!!」
勢い良く深々と頭を下げる侯爵に、私は慌てる。
「あ、あの、お顔を上げてください。その……私もご子息をあんな目に遭わせてしまった訳ですし、お互い無かった事にしていただければ、私はそれで……」
「いや、黒焦げにしただけではこちらの気が済まん」
「そうですわ。年頃の乙女の心の傷を何だと思っていらっしゃるの?」
「あの男、吊し上げて八つ裂きにしてやる……!」
「伯父様方も落ち着いてくださいな」
憤る伯父様方を懸命に宥めていると、不意に部屋の扉が開く。
「失礼、ノックをしても返事が無かったので……」
姿を現したのは、言わずもがな、あの男だ。
「貴様ァ! よくもうちの娘を!!」
「よくこの場に顔を出せましたわね!」
「おい覗き魔、表に出ろ!! 八つ裂きにしてやる!!」
「伯父様方、落ち着いてください!」
「何をしている!! 土下座して謝らんかこの馬鹿息子!!」
広い応接室に、様々な怒声が響き渡る。
ああもう、何だってこんな時に戻って来たのよこの男! まだ寝てなさいよ! 余計ややこしくなるだけじゃない!
だけど事態を把握したのか、男は勢い良く深々と頭を下げた。
「その節は、誠に申し訳ございませんでした! つきましてはその件に関して、クリス嬢と二人でお話ししたい事がございます。皆様のお怒りはごもっともですが、何卒お許しを頂けませんでしょうか?」
意外と誠実で真摯なその言動に、私は思わず頷いてしまった。
伯父様方には反対されたけど、このままじゃ話が進まないと押し切らせてもらった。
応接室に伯父様方を残し、男と二人で庭に出る。伯母様の好みで四季折々の花が咲くよう手入れされている庭は、私のささくれ立った心を少しばかり癒してくれた。
「クリス嬢。五年前の件は、大変申し訳なかった。心からお詫び申し上げる」
改めて深く謝罪する男の姿に、こちらも黒焦げにしてしまった罪悪感が湧いてくる。
「いいえ、私の方こそ、いきなり申し訳ございませんでした」
「いや、貴女が怒るのは当然の事だ。あの時、長袖長ズボンで、フードを被っていた貴女を見て、俺はてっきり少年だと……。まさか女性だとは思わなかったんだ」
はい? 何ですと?
今、謝罪と見せかけて喧嘩を売られているんだろうか、私。
「クリスと言う名前も、男女どちらでも付ける名だし、その……裸を見て、漸く女性だと気付いたくらいで……」
「あんたやっぱり見たんじゃないこのドスケベ変態野郎」
よしその喧嘩買ってやる。
淑女の仮面をかなぐり捨て、左手で背の高い男の胸倉を掴み、右手に軽く電撃を走らせながら男を睨み上げる。こんなデリカシーが無い覗き魔野郎に、敬語なんて最早不要だ。謝って損したわ。
素の私を見た男は、たじろぎながらも焦った様子で口を開いた。
「お、俺は変態じゃない! それにあれは不可抗力だ! そもそも何で女が魔獣の出るような山を一人でうろついているんだよ! あんな所であんな紛らわしい格好をしていれば、誰だって男だと思うだろうが!」
「煩いわね! こっちにも事情ってものがあったのよ! あんたの顔なんか二度と見たくなかったのに、何で今更こんな所で顔を合わせなきゃなんないのよ!」
私の言葉に一瞬顔を歪めた男は、私の両手首を両手で掴んだ。振り解こうとしたけれども、男の力は存外に強く、あっさりと胸倉を掴んでいた左手を外される。両腕に強めの電撃を走らせて、漸く男の手を振り解いた。
「……だったらお前、何でこの縁談を断らなかったんだよ」
電撃が効いたのか、男は顔を顰めながら尋ねる。
「伯父様の持って来た縁談の内容が好条件だったからよ。相手があんただと知っていたら、即断っていたわ。あーあ、いくら忘れたい相手だったとしても、名前くらいは覚えておくべきだったわね!」
悪態をつく私を、男はじっと見つめていた。無表情で、何を考えているか全く読めない。
「……今からでも断る気か? そんな事をすれば、伯爵令嬢ともあろう者が、次期侯爵をいきなり黒焦げにしたってあちこちに吹聴するぞ」
「何ですって……!?」
男の脅しに、私は青褪める。
不味い。それは非常に不味い。
「そ……そんな事をすれば、あんただってただでは済まないじゃない。一介の令嬢に黒焦げにされただなんて、良い笑い者だわ」
「そうかも知れないな。だがよりダメージが大きくなるのは、果たしてどちらの方だろうな?」
まるで動じない男の態度に、私は唇を噛んだ。
そんな事は一々訊かれなくても分かっている。もし事情を話さなければ、上位貴族を黒焦げにしたとして、白い目で見られるのは私の方。伯父様方まで常識を疑われ、貴族として生きていけなくなってしまう。
そして正直に事情を話した所で、男の方は完全に事故だと主張が可能。一方で私は裸を見られた事が知られてしまって大恥を掻く上に、貴族令嬢としても致命的だ。どちらにしても詰んでいる。
この人でなし!! と憤りつつも、私は脳裏に浮かんだ疑問をぶつける。
「あんた、そこまでして私と結婚したい理由でもあるの?」
怒りを抑えつつも睨み付ける私を、男は無表情のまま見下ろす。
「こちらとしても、この縁談は好条件だからだ。俺の婚姻でシルヴァランス伯爵家との繋がりを強化できるなら、俺は喜んで貴族として生まれた責任を果たす。……お前はどうなんだ? 貴族令嬢として、育ててもらったシルヴァランス伯爵家の為に俺に嫁ぐのか? それとも元平民は、尻尾を巻いて逃げるのか?」
男の言葉は、何処までも私を逆撫でする。
この男の思惑通りに事が運ぶのは悔しいが、私だってこのまま大人しく尻尾を巻いて逃げる気などない。私は男に向かって言い放った。
「上等じゃない。売られた喧嘩は買ってやるわよ。元平民舐めないでよね!」
「その意気だ。じゃあ宜しく頼むぜ、俺の未来の奥さん?」
ニヤリと楽しげに笑う男を、私は歯噛みしながら睨み付ける事しかできなかった。