2.過去の遭遇
や……やってしまった……。
大変な事をやらかしてしまった私は、それでも生粋の貴族令嬢のように可愛らしく気絶する事などできず、顔面蒼白となりながら呆然とその場に立ち尽くしていた。その間に、伯父様やセドリック達が、私が気絶させた男を、唖然としながらも素早く介抱し、今は別室で休ませている。
「……さて、それではどういう事か、説明していただきましょうか」
「はい……」
ソファーに座り直したブラッド侯爵に促され、同じく正面のソファーに腰掛けた私は冷や汗をダラダラと流しながら神妙に頷いた。
侯爵家の嫡男相手に、いきなり攻撃魔法をぶっ放す貴族令嬢なんて前代未聞だ。この事がもし世間に広まってしまえば一巻の終わり。私は勿論、シルヴァランス伯爵家も貴族社会から爪弾きにされてしまう。我に返って只管謝罪を繰り返す中、『きっと何か訳があったのだ』と伯父様方が擁護してくださったお蔭で、今はブラッド侯爵も穏やかに尋ねてくださっているが、笑顔を浮かべている目元は全く笑っておらず、青筋を立てておられる辺り、相当怒っていらっしゃるに違いない。どんなに言い辛い事だろうと、私はきちんと説明しなければいけないのだ。でないと大恩あるシルヴァランス伯爵家に、恩を仇で返してしまう事になる。
私は一度、静かに深呼吸した。
今、私にとって一番大切なのは、新しい家族となってくださった伯父様方なのだ。それに比べれば、私の恥が何だって言うんだ……!
覚悟を決めた私は、過去の黒歴史を紐解いていった。
***
五年前。
お母さんを亡くした私は、冒険者であるお父さんの仕事を手伝うようになっていた。幸いにも私には魔法適性があり、お父さんの教えの元、風魔法と雷魔法を使えるようになっていた為、当初は渋っていたお父さんも認めてくれたのだ。とは言っても、お父さんが請け負っていたような、魔獣退治等の危険な仕事ではなく、薬草採集等の簡単な仕事だったけれども。
その夏の日も、お父さんは仲間達と一緒に魔獣退治へ、私は薬草採集へと、ゴールディー王国北端に広がる山々に向かっていた。
「じゃあクリス、行って来るよ。何かあったら連絡するように。後、この前教えた、魔獣に遭遇してしまった時の結界の張り方はちゃんと覚えているだろうな?」
「勿論だよ、お父さん。連絡魔石も結界魔石も、ちゃんと持っているから。それに、私の雷魔法の威力、この前お父さんも見たでしょう?」
「ああ。だけど、お父さんは心配性なんだよ。十分に気を付けるんだぞ」
「うん! お父さんも気を付けてね!」
山奥に進むお父さん達を見送り、私は麓の比較的安全な場所で、依頼のあった薬草を探す。長袖長ズボンでフードを被った格好で、夏の山の中を歩き回るので、少し歩いただけでもすぐに汗で蒸し暑くなる。もっと涼しい格好をしたいけれども、日焼け予防、虫刺され予防、更には可愛い娘が良からぬ人間に目を付けられない為にと言うお父さんとの約束で、これを破ったら山に入れてもらえないので仕方がない。熱中症で倒れてしまうんじゃなかろうかと思いながら、持って来た水筒の水で喉を潤す。お父さんは過保護なんじゃないかと思う今日この頃だ。
「よし、全部揃ったかな」
渡されたリストと採集した薬草を見比べ、全種類揃った事を確認する。ついでに途中で見付けた茸や山菜も採っておいた。晩御飯のおかずになるだろう。
後は一足先に山を下りて家に帰り、晩御飯を作りながらお父さんの帰りを待とう。そう思って歩き始めた時だった。
「ウワアアアーッ!!」
少年のものと思われる悲鳴が聞こえ、私は周囲を見回した。すると山の上の方から、火だるまになった大きな猪のような魔獣に追われて、こちらに逃げて来る少年が目に入った。
えええええ!? どうしてこんな事に!?
一瞬、私も逃げようかと思ったものの、見てしまった以上、少年をそのまま放って逃げる事なんてできない。この頃には漠然と、将来はお父さんのような冒険者になるのだと考えていた私は、咄嗟に勇気を振り絞り、お父さんなら彼を助ける筈だと自分に言い聞かせながら、木の陰に身を隠して魔獣に狙いを定める。そして、少年を追う魔獣が目の前を走り抜ける時、真横から風の刃を繰り出した。
「ブオオォォーッ!」
不意を突く事ができたからか、魔獣は風の刃を急所にまともに食らい、血飛沫を上げながら地面に倒れ、暫く痙攣していたが、やがて動かなくなった。
よ……良かった。何とか倒せたみたいだ。
折角魔獣が倒せたのだから、魔獣が持つ魔石を回収しようと、木の陰から出て魔獣に近付く。魔石には魔法を補助したり、遠距離にいる人とも話ができたりと、色々な効果があってとても有用なので高く売れるのだ。
手や袖を魔獣の血で汚しながらも、魔石を回収した時だった。
「お、おい、お前が助けてくれたのか?」
その声に振り返ると、さっき魔獣に追われていた少年が、私に声を掛けてきていた。歳は多分、私と同じくらいだろう。赤い短髪に、綺麗な緑色の目。整った顔立ちで、着ている服も上等そうだ。きっと貴族の子なのだろう、と私は推測した。
冒険者に限らず、魔法が使える少年達が連れ立って、腕試し兼小遣い稼ぎにこの辺りの山を訪れるのは、よくある事だとお父さんから聞いている。きっと彼もその一人なのだろう。
「あ……はい、そうです」
一応貴族なのだろうから、敬語を使って答えてみる。
「そ、そうか。助かった。俺はライアン・ブラッドだ。お前は?」
「クリスと言います」
「クリスか。お前も結構強いみたいだな。いやぁ、俺の火魔法で魔獣を火だるまにして、もう少しで倒せると思ったんだが、いきなり俺に向かって突進して来られて驚いてしまってな。まあ、お前が助けてくれなくても、そのうち燃え尽きていたとは思うがな!」
バツが悪そうにしながらも、少年は虚勢を張ろうとしているようだ。さっき半泣きで逃げていたのは何処の誰だろう。
まあ、助かったのだから、正直どうでも良いんだけど……。何だか面倒臭そうなタイプの予感がするから、あまり関わりたくないなぁ。
「そうですね。私が手を出さずとも、大丈夫だったとは思いますが。では私はこれで。気を付けてお帰りください」
「あ、お、おい! 俺を置いて行く気かよ!?」
そそくさと離れようとすると、少年は驚いたように声を上げた。
「あ、じゃなくてだな! お前は強いようだが、まだ子供じゃないか。心配だから、俺が一緒に山を下りてやる!」
尊大な口の利き方をする少年は、何処か焦っているように見えた。
……ふむ。
彼の態度から推察すると、魔獣に追い掛けられたせいで道が分からない。一人では帰れないから、道案内をしてくれ、という事だろうか?
……まあ、別に良いけど。
「それは有り難いお話ですが、先に川で魔獣の血を洗い落とさなければなりません。ご存知だと思いますが、魔獣は血の匂いを嗅ぎ付けて襲って来ますので。私を待つのがお嫌なら、先に帰ってくださっても構いませんが」
「し、仕方がないから待っていてやる。その代わり、早く済ませろよ!」
「さっき魔獣の血飛沫が全身に掛かってしまったので、どう頑張っても時間が掛かります」
「で、できるだけ早くしろ!」
と言う訳で、私は少年を見張りに立たせ、川でジャブジャブと服と全身を洗った。幸いフードに長袖長ズボンという格好のお蔭で、服の他は手と顔以外、殆ど被害は無かったのだが、魔獣は僅かな血の匂いも嗅ぎ付けるので、念には念を入れて洗う。ついでに汗も流しておく。川の水が冷たくて気持ち良い。
全身を洗い終え、服も風魔法で乾かし終えた時だった。
「おいクリス、いくら何でも遅すぎるぞ! 何時まで待たせる……気……」
少年の怒声に、私は咄嗟に振り返ってしまった。怒っていた少年の声が尻すぼみになり、目線が徐々に下に下がる。その少年の目線を追い掛けた私は、自分の格好に気付いてパニックに陥った。
「キャアアアアアァーッ!?」
「お、女ぁ!?」
急いで胸を隠しながらその場にしゃがみ込む。
見られた!? 裸、見られた!!
「見るなこのスケベ野郎ーッ!!」
手加減も忘れて全力でぶっ放した特大の雷魔法を浴びた少年は、全身黒焦げになってその場に倒れ込んだのだった。