16.一夜の後遺症
薄明るくなってきた空に気付いて我に返った私は、すぐにライアンの容体を確認しようとしたが、呼び掛けても返事が帰ってこない。ぐったりした様子だと言うのに、腕だけはしっかりと私の身体に絡み付いたままで身動きが取れないので、何とか引き剥がして、漸くライアンの腕の中から脱出した。
「ライアン、しっかりして!!」
額の熱さに驚きながら、肩を揺さ振っても返事は無い。青褪めた私は、急いで周囲を見回した。幸い火は既に鎮火しているし、魔獣の姿も見当たらない。今のうちにライアンを連れて下山できないかと、悪戦苦闘の末、私は何とかライアンを背負う事に成功した。
結界を解いて、よろめきながらも、一歩一歩足を踏み出して行く。ずっと下を向いていないと、ライアンがずり落ちそうになってしまう。体勢も辛いし、重いけれども、ライアンに早く治療を受けさせたい一心で、私は必死に足を動かした。
だけど、少しも行かないうちに、魔獣の気配を感じてしまった。ライアンを背負ったままで逃げ切れるとは到底思えず、止む無く私はライアンを地面に横たえて、迫って来る魔獣を迎え撃とうと身構える。姿を現した巨大な百足の魔獣を、一撃で黒焦げにして倒した。
威力が高い魔法を使って、魔力を消耗しまったけれど、今は一刻を争うのだ。また私のせいで、誰かを死なせるなんて絶対に嫌だ!
再びライアンを背負おうとすると、また別の魔獣の気配を感じて、思わず涙目になってしまった。
私の決断は間違っていたのだろうか。下手に動かず、大人しく助けを待っていた方が良かったのだろうか。
唇を噛み締めながら、魔獣の気配に立ち向かった時、姿を現した大蜘蛛の魔獣が、一瞬で氷漬けになった。
「クリス!! 無事だったんだね!!」
驚いて声がした方向に目を向けると、息を切らしながら走って来たお兄様が、目を輝かせながら私に飛び掛かって来る所だった。
「お兄様!! 良かった、ライアン様を運ぶのを手伝ってください!!」
両手を広げて私を抱き締めようとするお兄様を制し、胸倉を掴んで懇願していると、お兄様の後方から、グレンやガイルおじさん達が姿を現した。
「クリス、無事か!? ラファエル先生を連れて来たぞ!」
「ガイルおじさん!! ありがとう!! 先生、ライアンをお願いします!!」
ラファエル先生の治癒魔法で、ライアンの腕の傷は綺麗に治り、ガイルさんが持って来た体力回復薬をライアンに飲ませると、やがてライアンは目を覚ました。
「……あれ? 俺は……」
「ライアン! 良かった……」
心底安堵した私は、同時に急激な眠気に襲われてしまい、お兄様に勧められるままに大人しく抱きかかえられた所までは覚えている。
気が付くと、私はラファエル先生の診療所のベッドに横たわっていた。既に昼過ぎである事を認識した途端にお腹が鳴ってしまった。そう言えば、昨夜から何も食べていない。
身体を起こし、ベッドから降りようとした所で、ラファエル先生に声を掛けられた。
「クリス、起きたのかい? カーテンを開けても大丈夫かな?」
「はい、どうぞ」
ラファエル先生に軽く診察してもらった結果は、異常無し。当たり前だ、私の場合は単なる疲労と寝不足だっただけなのだから。
「先生、ライアンは大丈夫なのですか?」
無事に目を覚ましていた事はこの目で確認していたが、それでもやはり心配で尋ねる。
「ああ、彼なら問題ないよ。今は部屋の外で、他の連中と君が目覚めるのを今か今かと待っている筈だ」
「そうですか……。良かった……」
胸を撫で下ろしていたら、ラファエル先生に頭をぽんぽんと撫でられた。
「クリスもよく頑張ったね。今度は助けられて、僕も嬉しいよ」
「ありがとうございます、先生。その節は、お世話になりました」
ラファエル先生の気遣いに、私は少しだけ涙ぐんだ。きっと先生は、お父さんの時の事を覚えていてくれたのだろう。私とガイルおじさんと共に、お父さんを看取ってくれたのは、ラファエル先生だったのだから。
「それじゃ、君が目覚めた事を、部屋の外の連中に伝えて来るよ。ああ、後でスープでも持って来よう」
「ありがとうございます」
ラファエル先生が部屋を出て行くと、すぐにお兄様達が飛び込んで来た。
「クリス! 目が覚めたんだね!」
「ええ。お兄様、ご心配をお掛け致しました」
「……元気そうで、何よりだ」
「ラ、ライアン様こそ」
心底安心したような笑顔を浮かべて私を見つめるライアンの視線に、私はどぎまぎして目を逸らしてしまった。
「ガイルおじさん、助けに来てくださって、ありがとうございました。グレンもありがとう」
「どう致しまして。こちらこそ、子供達の捜索に協力してくれてありがとう」
「元気そうで良かったぜ」
「ええ。安心したらお腹が空いちゃったわ」
グレンに軽口を叩きながら、ラファエル先生が持って来てくれたスープを飲む。先生のスープは、温かくて、ほっとする優しい味で、大変だった一夜が漸く終わったのだと実感が湧いた。
ラファエル先生にお礼を言って、診療所を後にする。宿に帰ってお風呂に入った私は、ベッドの上にお行儀悪く身を投げ出した。
昨夜から色々あって、流石に疲れてしまった。私を庇って魔獣に咬まれてしまったライアンを、お父さんの二の舞にしたくなくて、兎に角必死だった。だけど、事が終わってほっとしたら、今度はアレが頭から離れなくなってしまって、どうにも落ち着かない。
『お前の事が、好きなんだ……!! 愛しているんだよ……!!』
いや、絶対何かの間違いだろう!!
私はブンブンと頭を横に振って、枕に顔を埋める。ライアンの顔を見る度に思い出してしまうものだから、帰り道ではライアンの顔をまともに見る事ができなかった。
あの言葉は、本当に何だったのだろうか?
そもそも、私はライアンに好かれる要素が無い。出会いからして最悪だし、婚約者とは言え名ばかりの仲だし、その後も邪険にした態度をずっと取り続けてきた。向こうだって私の事を何とも思っていないだろうし、私と仲良く見せたがるのは、世間体の為だけだと思っていたのに。
ライアンが、私を好き……? いやいやいや無い無い無い。
ベッドの上で一人ジタバタしていた私を現実に引き戻したのは、部屋の扉がノックされる音だった。
「クリス、そろそろ夕食に行かないか?」
「え、ええ、お兄様! 今行きますわ!」
お兄様の誘いに、慌てて身支度を整えた私は、取り敢えず今は何も考えないと自分に言い聞かせながら、部屋の扉を開けた。