10.生まれ故郷の村
ゴールディー王国に、夏がやってきた。
毎年この季節になると、私はゴールディー王国の北端にあるコルヴォ村に行かせてもらっている。私の生まれ故郷であるコルヴォ村は、その気候から貴族の避暑地として人気があり、また魔獣が出る山に近い為、国内外から冒険者達が集まって来ていて、常に賑わっているのだ。村と言うよりは、最早町と言った方が良いかも知れない。
例年通り、お兄様が付き添ってくださり、宿に着いて村娘の格好に着替えた私は、懐かしい人達に会いに行った。
「クリスじゃないか! 久し振りだね!」
「お久し振りです、マチルダおばさん!」
元住んでいた家の近くにあるパン屋さんの中に入ると、女将さんのマチルダさんが私を見付けて声を掛けてくれた。
「そうか、この前会ってから、もう一年も経つんだね。それにしても、ますます綺麗になっちゃって」
「ありがとうございます。おばさんこそ、お元気そうで何よりです。あ、これお土産です。皆さんでどうぞ」
「ありがとう! 王都のお菓子はどれも美味しいから嬉しいよ。お礼にこれを持って行きな。こっちは日持ちしないから、兄さんと宿で食べるんだよ」
「わあ、ありがとうございます!」
一年振りに会うマチルダおばさんは、相変わらず気風が良く、沢山のお土産を貰ってしまった。お兄様が快く持ってくださったので、有り難くお願いして、次の目的地に向かう。
よくおまけをしてもらったお肉屋さん、いつも新鮮な物を選んでくれたお魚屋さん、お世話になった近所の人々。色々な所を巡ってお土産を渡す度に、お礼にと倍くらいの量のお土産が返って来て、最終的には二人では抱え切れなくなってしまった。
「流石は僕のクリス。皆から愛されているんだね」
私に振り回されたのにもかかわらず、笑顔を絶やさないお兄様に感謝しながらも、持ち切れない大量の荷物に頭を悩ませる。
「あれ? クリス! 久し振りだな!」
「グレン! あんたも元気だった?」
困っている所に声を掛けてきたのは、幼馴染のグレンだ。お父さんの冒険者仲間のガイルさんの息子である彼は、近所のガキ大将で、幼い頃は一緒に木登りしたり、泥だらけになって遊んだり、取っ組み合いの喧嘩をしたりと、良い遊び仲間だった。
「まあな。それにしても、その荷物は何なんだ?」
「あちこち挨拶に行っていたら、色々貰っちゃったのよ。二人で持ち切れなくて、ちょっと困ってしまって」
「仕方ねーな。久し振りに帰って来た幼馴染の為だ、手伝ってやるから有り難く思え」
「ありがとう!」
グレンは口が悪いけれど、根は優しいのだ。何だかんだ言いながらも、重い物を率先して持ってくれた。流石は冒険者を志望しているだけの事はある。騎士団に入れるんじゃないか、と思うくらい筋肉が付いて立派になった体格に、短く刈った清潔感のある黒髪、そして切れ長の赤い目。きっと、相変わらず女の子に人気なのだろう。
「で、これ全部宿に運べば良いのか?」
グレンの質問に、私は少し考える。
「ねえ、グレンの家の台所を借りても良い? この食材を使ってシチューでも作るから、夕食一緒にどうかな? ガイルおじさんにも会いたいし」
「お、良いね! じゃあ決まりだな。親父はもうすぐ帰って来るだろうから、俺の家で作りながら待とうぜ」
「うん!」
グレンの先導で、荷物を手にグレンの家に向かおうとすると、また声を掛けられた。
「クリス……!?」
誰かと思って顔を上げた私は、その場で硬直した。目の前には、驚いた顔をしたあの男が立っていたのだ。
何故この男が、こんな所に!?
「ライアン殿!? 何故こんな所に?」
絶句してしまった私の代わりに、お兄様が尋ねてくれた。
「それはこちらの台詞ですよ。俺は数日前から、避暑でこちらに。レオンハルト殿とクリスも避暑ですか? そちらの男性は一体?」
「……そうですわ。こちらは私の幼馴染のグレンです。今から彼の家にお邪魔して、昔話でもしようかと言っていた所ですの」
お兄様の手前、何とか作り笑いを浮かべて、男にグレンを紹介する。
油断した。まさかこんな所で、この男に会うとは思わなかった。
ここは唯一、私が貴族になった事を忘れて平民に戻れる場所なのに、何故ここでまで貴族令嬢の皮を被らなければならないのだ。
いや待てよ。私が素の態度でこの男に接している事を知らないお兄様の視線さえ気にしなければ、皮を被る必要は無いのか。うーむ……。
「……おいクリス、こちらの方は?」
考え込む私に、グレンが耳打ちしてきた。男の服装や私達の会話から、男が貴族だと言う事は薄々察しているようだ。
「彼はライアン・ブラッド侯爵令息よ」
「ああ失礼。俺はブラッド侯爵家嫡男のライアンだ。クリスの婚約者でもある」
「ええ!?」
グレンが目を剥いて、私と男を交互に見る。
この男、私がわざと言わなかった事を、わざわざ口に出してからに。
「お前、こんなお貴族様と婚約していたのかよ? 大丈夫か? 本性バレたら婚約破棄されるんじゃね?」
「煩いわね。心配しなくても、もうとっくにバレているわよ」
「マジかよ?」
グレンと小声で遣り取りする。
「グレン君、と言ったか。幼馴染と言うだけの事はあって、君は俺の婚約者と仲が良いのだな。良かったら、俺も家にお邪魔させてもらって、クリスの昔話なんかを聞かせてもらいたいのだが、どうかな?」
男の申し出に、私はギョッとする。
「あ、はい。俺は別に構いませんが」
そこは断って欲しかったあぁぁっ!!
思わずグレンを睨み付けてしまったが、あっさり了承してしまった彼に罪は無い。グレンは何だかんだ言ってもお人好しだし、一般的に言っても、貴族の頼みを断る平民はそうは居ない。憎むべきは、突拍子もない事を言い出したこの最低男なのだ。
盛大に溜息を吐き出したくなりながら、四人でグレンの家に向かう。因みに私の荷物は、男が全て引き受けてくれた。これくらいのメリットが無ければ本当にやっていられない。
グレンの家に着いて荷物を降ろし、台所に向かおうとすると、グレンにちょいちょいと手招きされた。
「何? どうしたの?」
「いや、俺お前の婚約者に、お前の昔話聞かせろって言われたけど、正直何処まで話して良いのか分からねえから、一応お前の許可取っておこうと思って」
率直に言って、感動した。
流石はグレンだ! 私の事をちゃんと分かってくれていて、頼りになる! デリカシー皆無の最低男とは大違いだ!
「じゃあお願い! 私の事は何一つ、あの男には喋らないで」
「え!? 何一つって、それは流石に難しいだろ。当たり障りのない事なら良いんじゃねえの?」
「……その判断、あんたにできるの?」
「おう。取り敢えず、お前が相当なじゃじゃ馬だった事とか、その辺の男子に負けないくらい強かった事とか、そういうのは伏せておいた方が良いんだろ?」
「そ、それはそうだけど……。」
私は思わず赤面する。
冒険者だったお父さんに、護身術を教えてもらったり、私に魔法適性があると分かってからは魔法も教えてもらったりしていたお蔭で、男の子顔負けのお転婆な女の子だった事は、今となっては流石に恥ずかしい。
「じゃあ、どういう事を話すつもりなのよ」
「うーん……。お前が昔から明るくて、皆から人気があった事とか、料理が上手かった事とか? お前が時々差し入れてくれた飯、美味かったもんな」
「そうね、その方向でお願いするわ」
お母さんは刺繍は上手かったけれども、料理は苦手だった。お父さんがご飯を作る事もあったが、私が大きくなってからは、殆ど私が作っていた事もあって、料理は得意分野なのだ。グレンの家は父子家庭だったから、父親同士が仲が良かった事もあり、時折差し入れを持って行く事もあった。グレンはそれを覚えてくれていたのだろう。
グレンの機転に安堵して、私は意気揚々とシチューを作り始めた。久し振りにする料理が楽しくて、自然と鼻歌が出てくる。
だけど一段落ついて様子を見に行ってみたら、楽しそうに話すグレンの向かい側で、あの男もお兄様までもが、何故か怒りのオーラを発していた。経緯が全く分からなかったけれども、余計な事に巻き込まれたくなかったので、取り敢えず何も見なかった事にしようと、そっと背を向けて台所に戻ったのだった。




