公爵令嬢と使用人2
どこか遠くで時間を知らせる鐘の音が鳴るのを聞き、文字の海から顔を上げた。
「…」
薄暗くなった書庫。
もう灯がないと字を読むことも難しくなっていたことを知る。
「サイラス。そろそろ帰ろっか」
「…」
隣で本を読む彼に声をかけるが反応はない。
振り向いてみれば、彼は今にも本にキスをしそうなくらい顔を近づけて本を読んでいた。
凄い読み方してるな…目悪くしそう。
私は本を置き、全く耳に音が入ってこなくなっているサイラスに呼び掛ける。
「そろそろ夕食の時間になるよサイラス」
「ん?あ、何?セナ」
「何じゃなくて、時間。そろそろ帰らないと夕食になるんじゃない?」
「あー…そうだね。もっと読みたかったな…」
「また来ればいいじゃな」
私がそう提案すれば、サイラスは目を見張ってからすぐに首を横に振った。
「無理だよ。僕はただの使用人だから、公爵家の書庫になんてそうはいれるわけないじゃないか」
「なら、私の傍付になる?」
「は!?」
「サイラスが私の傍付になったくれたら毎日楽しそうだよね」
「馬鹿なのセナ」
「なんでよ」
今の私には傍付は一人もいないのだから、誰がなったっていいではないか。
我儘令嬢だったせいで、私の傍付はことごとく辞めてしまい、ここ二週間ほど誰も付いていないのだ。
まあ二週間も傍付である侍女や従僕なしで生活できているのは単に今の私が周りに頼ることなく全てやっているからだ。
記憶が戻って以来、どうにも身の回りのことを誰かにやってもらい、自分はただ待っているだけということができず、自分の事は自分でやってきたので今更傍付は必要ないような気もしないでもない。
「六歳の子供が傍付になんてなれるわけない」
「あ、サイラス同い年だったんだ」
「話聞いてセナ」
「傍付が駄目なら、遊び相手でいいじゃない」
「お嬢様と使用人が?」
「いいじゃない。どーせ同じ敷地内にいるんだし」
明日もここに集合ね。そう言って書庫を出る私の後をサイラスは溜息をつきながらついてきた。
「セナ。もうちょっとお嬢様としての自覚持った方がいいよ」
「気が向いたらね」
そう言って書庫から出た私とサイラスの耳に、大きな声が飛び込んできた。
「サイラス!?」
「お嬢様!?」
二人の男女が私たちを見つけて急ぎ足でやってくる。
流石公爵家の使用人。どんなに急いでいても走らないし、足音も立てないとは。
思わず感心している私の横で、サイラスが小さく「やばっ」っと呟いた。
「サイラスこんなところで何をやっていたんだ」
「…ごめんなさい兄さん」
「何時もの所にいなかったから焦ったよ…」
「ごめんなさい…」
サイラスを見つけてほっとしたように息をついたのは、まだ年若い執事服を着た青年だ。
こんな若い執事いたっけな。
私は記奥の中を探るが見覚えのない顔に首を傾げる。
黒髪に榛色の瞳、白い肌にすっと通った鼻筋。バランスの取れた整った顔立ちはどことなくサイラスに似ていて、サイラスがあと十年もすればこんな顔立ちになりますよというような綺麗な顔をしている。
サイラスの血縁者であることは一目同然だろうから、ここはサイラスがこれ以上怒られないように主犯である私が何とかしないとな。そんな思いで、私はサイラスと執事の間に割り込む。
「サイラスは悪くないわ。私が勝手に連れて行ったの。だから、そんなに叱らないで」
「え?お嬢様が?」
そう言って目を見張る執事とその隣で私を珍獣を見るような目で見てくる侍女。
この二人、見覚えがないけど最近雇われた人たちかな。
まじまじと二人の顔を見ていれば、よく知った声が耳に届いた。
「セルティナ。今日もここに居たの?」
「兄さま」
私の三つ上の兄で、次期公爵のジェラルド・オルフェンスがいた。
私よりも薄い色合いの焦げ茶色の髪に青緑色の瞳が唯一兄妹だなと思うがそれ以外はあまり似ていない気がする兄だ。
セルティナは主人公のライバルキャラだけあってそこそこの美少女ではあるが、どことなく普通ぽい感じの顔に対し、兄のジェラルドは攻略対象の王子や騎士と並んでも見劣りしない美少年だ。
間違いなくあと四、五年もすれば社交界でも五本の指には入りそうな美形に育つだろう。次期公爵の顔はいいので嫁の心配はあまりしなくていい、性格も今のところは我儘で兄の授業に勝手に入り込んでいた妹を笑って許しているような寛大な性格だ。このまま成長すれば顔良し性格良しの優良物件間違いなしになるだろう。
私がそんなことを考えている間にジェラルドは優雅な足取りで私たちのところまできた。
「ああ。そんなに畏まらなくていいよ」
サイラスとその兄、さらに一緒に来た侍女が姿勢を正し頭を下げるのに対し、ジェラルドはのんびりとした柔らかな口調でそれを制する。
「フィオルド。彼が君の探していた弟?」
「はい。お手間を取らせてしまいすみませんでした」
「見つかってよかったね。名前は、えーっと」
「サイラスと言います。」
フィオルドと呼ばれた青年は、サイラスの背を押し、ジェラルドに挨拶をするように促す。
「…サイラス・フィルゼと言います」
「うん。よろしくね。今日はセルティナと遊んでくれたのかい?」
ジェラルドが私とサイラスを見比べながらそう問う。
「お友達になったの」
「そっか。よかったねセルティナ。サイラスもこんなお転婆だけど良かったらこれからも仲よくしたくれると助かるな」
「も、もちろんです」
勇み気味に答えたサイラスに、優しく微笑んでジェラルドは私の方を向く。
「そろそろ夕食になるから行こっか」
「はい」
「じゃあ、また明日もよろしくねフィオルド、サイラス、エミリア」
「「「はい」」」
一人ひとり名前を呼んだジェラルドに三人の使用人は揃って返事をした。
…こういうところが私と兄の違いなんだろうな。
使用人から慕われる兄と、遠巻きにされる私。
使用人一人一人の名前を覚えているジェラルドと使用人を物のように扱い傍付の名前すら覚えていなかったセルティナ。
両極端に育っていたと思いながら私は、サイラスに声をかける。
「サイラス。また明日ね」
「ああ、うん」
頷いたサイラスを見て、私は兄の後をついていく。
「ねえ、兄さま」
「なに?」
食堂へ向かう中、私は先ほどの二人の事をジェラルドに聞くことにした。
「あの、フィオルドさん?とエミリアさん?って最近雇った人?」
「そうだよ。言ってなかったけ?」
「うん」
「そっか。それは悪かったね。フィオルドの方は執事長のセロック爺の補佐で、エミリアはセルティナの傍付でってことで、三日くらい前に雇ったんだってさ。父さんから手紙が来てた」
事もなげに告げられる二人の事に、どうやら知らなかったのは私だけだということがわかる。
セロック爺の補佐か…執事長結構なお歳だもんな。そりゃそうかと納得する。
「ふーん。ん?私の傍付?」
「だって今、セルティナの傍付いないでしょ?さすがに公爵令嬢が侍女一人連れていないと大変だからね。色々と」
「あー…そうだね」
令嬢に専属の侍女がいないなど上級階級の貴族ではありえない事らしいのだが、人目の多いのはあまり好きではない私はできればこのまま傍付を置くことなく生活したいというのが本音ではあるが、そんなことは言っていられないのも知っているのでそこは黙って受け入れることにする。
「まあ一人じゃまだまだ大変かもしれないけど、少しの間我慢してね。そのうち元の人数揃うと思うから」
「あー…そんなにいらないです。一人で十分です」
傍付など一人いれば十分である。そう伝えれば何故か驚くジェラルド。
今までの私からは想像もできない言葉なのだろう、何か言われる前に私は話題を変えるべく、ここのところずっと考えていたことを聞くことにした。
「あと、兄さまに聞きたいことがあるのですが」
「…珍しいね。セルティナがそんなこと言うなんて」
「まあ、ちょっとしたことなんですけどね。―――――私が田舎に引っ越すことは可能ですか?」