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旅立ち

作者: 四ツ角

よろしくお願いいたします。

 僕は、煙臭い匂いで目が覚めた。

 

 ベッドから上体を起こして、眠気眼を指でこすりながら辺りを見回してみると、部屋は、灰色の煙で充満していた。

 天井を漂う灰色の煙を見た途端、喉の奥の方が、焼けるように痛くなって、激しく咳き込んだ。

 急いで部屋から出ようとすると、ドアの下の部分から、黒い煙が入ってきていた。

 部屋から出ると、リビングがある。、ゆっくりとドアを押すと、一気に黒い煙が入りこんできた。

 リビングは、壁に炎が這うようにへばりついていて、カーペットにも飛び火していたし、リビングにあったもの全てを包み込み、黒い灰と焦げ臭い黒い煙に変えていた。


「お母さん」僕は呼ぶ。

 

 しかし、返事はなく、メラメラという何かを焼き尽くす音が辺りに響いているだけだった。

 鼻の奥がつんと痛くなる。そして、僕の目から涙が溢れる。いっそ、この涙で炎が消えてしまえばいいのにと思った。

 一瞬、自分の部屋に戻ろうか、迷ったけれど、やっぱりお母さんを探しにいくことにした。僕は、ぐっと歯を食いしばり、服の袖で涙を拭きとり顔を上げた。そうすると、顔が焼けるように熱くなって、痛くなって、ああ僕はこのまま死ぬのかって思った。


「お母さん」


 やっぱり返事はない。

 一歩前に足を踏み出す。

 かろうじて、リビングの端の方は、炎に侵されていなくて、進むことが出来た。

 物凄く苦しくて、涙がにじみ出て、熱かったリビングを抜けると、少し涼しくなった。だけど、廊下も煙は充満していて、喉は物凄く痛くて、カラカラで、水を飲みたいと思った。今ならバケツいっぱいの水だって飲めそうだ。

 

 こんな時お父さんがいてくれたら、僕のことを脇に抱えて助けてくれるのかなと思う。

 でも、僕にはそんなお父さんはいない。僕の本当のお父さんは、小さい頃に死んだらしい。それから、ずっとお母さんと二人で暮らしていたけど、最近、僕にも『お父さん』ができた。

 それは、ただのお母さんの恋人なんだけど、お母さんが「お父さんよ」と言うから、僕はお父さんと呼ぶ。でも、その今のお父さんが、お父さんというものなら、僕はお父さんなんていらないとよく思う。

 

 壁に手をついて、廊下の一番奥にある、お母さんとお父さんが寝ている部屋に近づいていく。昔は、僕があそこにお母さんと寝ていたのに、今では僕はお母さんから一番離れた部屋で寝ていることが少し寂しい。でも、お母さんが、「拓はもう小学3年生なんだから一人で寝なさい」と言うから、僕は一人で寝る。時折、枕に顔を押しあてて、泣いてしまうときがあるけれど、この部屋は昔、死んだお父さんが使っていた部屋なんだと思うと、少し頑張れて、気づくと朝になっていることがよくある。

 お母さんの寝室の前に来る。その時思ったのは、もしかしたら、お母さんはまだ、この火事に気づいていないんじゃないかってことだ。もしそうだとしたら大変だ。すぐに起こして、逃げなくちゃといけない。

 僕は、ドアノブを回転させて、ドアを開く。

 そこは、灯りがついていなくて良く見えなかったけど、窓から入る、外套や月の明かりが微かに部屋を青白く照らしていて、僕は綺麗だなと思った。

 だけど、そこには誰もいなくて、シーツの乱れたベッドとか、乱雑に開かれたタンスの引き出しとか、床に散らかった服とかしかなかった。

 僕は、盛大に鼻を啜った。

 それでも、鼻からは鼻水が滝のように流れ出てくるものだから、僕は手で抑えつけて、もう一度盛大に啜った。

 僕の手は、黒い煤だらけで、きっと顔も真っ黒けなんだなと思って、何だか笑えてきたけど、別に笑えなくて、代わりに頬を熱い涙が伝っていくだけだった。

 僕は振り返った。

 そしたら、炎は今通ってきた廊下にまで到達していて、廊下はまさに火の海で、そこから僕の方に飛んでくる火の粉が僕のパジャマについて、僕のパジャマを焼いた。

 僕は、そっとドアを閉めた。

 

 それから、部屋の中をぐるぐると回り始めた。足にグシャリとした感触がして、床に落ちていたものを手に取ると、それはタバコだった。お母さんは吸わないから、これはあの男のものだ。僕はよく火のついたタバコの先を背中に押し付けられた。とても痛くて、それをやられた後は、お風呂に入れなかった。

 僕の体にはいくつか傷があって、それは全部あの男にやられたものだ。

 

 僕は、ベッドに飛び込む。 

 片方の枕は、何だか薬品の匂いと汗の臭いが交りあって臭かったけど、もう片方の枕はとてもいい匂いがして、これはお母さんの枕だと分かった。

 僕は、お母さんの枕を顔に押し付けて、うつ伏せになって寝た。

 外からはサイレンの音が聞こえてきて、ドアの向こうからは、炎の音が聞こえてきていたけど、僕はこのまま眠ることができそうだった。だって、さっきから頭がぽわーんとしていたから。

 僕はそっと目を閉じる。

 

 お母さんと二人で暮らしてた時は良かったなと思う。お母さんは仕事で忙しくて、遅くて、ご飯もコンビニのお弁当だったけど、だけど、一緒に寝れたから。

 でも、それをあいつが壊した。でもお母さんはあいつを愛してる。でも、あいつは僕のことを愛してくれない。僕はあいつのことを愛そうとしたのに。

 あいつは僕を殴った、蹴った。お母さんはそんなことしないのに。

 お母さんは僕のことを愛してるからそんなことしないのに。

 でも、愛してるならどうして、僕は独りぼっちなんだろう。

 ああ、そうかと僕は納得した。納得して、お母さんの枕の匂いがとてつもなく臭く感じた。

 僕はベッドから起き上がって、青白い光が入ってくる窓辺に立った。僕は窓を力いっぱい開くと、気持ちの良い風が僕の頬をそっと撫でて、気持ちよかったし、新鮮な空気が僕の肺に溜まった真っ黒な空気と入れ替わって、幾分頭がすっきりした。

 外からは、「子供がいるぞー」とか大人の叫ぶ声が聞こえた。同時にお母さんの僕の名前を呼ぶ声がしたけど、どうでもいい。

 僕は、窓枠を飛び越えて、ベランダにに出る。

 夜空には満月が煌々と輝きを放っている。

 僕はベランダの柵に登って、両足で立つ。そしてそっと片手を壁に当ててバランスをとる。

 マンションの四階。ここから飛び降りて助かるかは、分からないけど。

 僕は背中に熱を感じる。

 炎がドアを燃やして、中に入ってきたようだ。

 重心を上体に傾ける。僕の体が前の方に倒れていく。

 

 僕は両手を広げて、まるで鳥のようになる。僕は、この家から飛び出す。それはやはり寂しいもので、泣き虫な僕はまた泣いてしまいそうになるけれど。

 足裏全体に力を入れて柵を蹴ると、体が前へと飛ぶ。

 体全体に大きな浮遊感を感じてからすぐに、目の前が真っ暗になる。この後のことは僕にもよく分からないけど、なんとかなるんだと思う。


お読みいただきありがとうございました。

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