高架線
「バラ色の人生とはよく言うが、そのバラは何色だろうな」
これは友人の言っていた話だ。あいつはそんなふうに時々、変わったことを口走っていた。
「何訳の分からないことを言っているんだ、おまえは」
「少し前に、女の子に赤いバラの花束を渡したんだが、その時、思ったんだ。そう言えば、バラの花は色によって、花言葉が変わるんだった、と」
いけ好かない微笑を浮かべながら友人は言った。
「さも当然のように言うけれど、高校生で赤いバラの花束を贈る輩を俺は、少女漫画に出てくる男とお前の他に見たことがない」
「そうか?」
不思議そうな顔をする友人は、非常に整った顔立ちをしていた。その上、軽妙な雰囲気をまとっているものだから、女子からの人気が高かった。
「ああ、普通はやらないぞ」
「常識なんてものは、偏見のもう一つの呼び名でしかない」
真剣な表情でそう話すそいつを、通行人の女性が興味深そうに見ているのが目に入った。
「ふざけた野郎だ」
俺は舌打ち混じりに言った。彼は通行人に手を振っていた。
「理想を言うなら、女にこれでもかってくらい愛されて死にたいんだよね」
俺とそいつは、町はずれの飲み屋の前に座っていた。穏やかな風の吹く午後だった。すぐ近くには高架線があり、時折列車が通り過ぎる。
「お前なら、愛人の十人や二十人簡単につくれるだろ」
俺は羨望と嫉妬の意味も込めてそんなことを言った。
「どうだろうな。一度に複数の女と付き合うのは、相当なエネルギーがいるんだ。簡単にはいかない」
「さも体験してきたかのように言うなよ」俺は呆れて言った。
「……知り合いがここで演奏をするんだ。今日はそれを聴かせたかったんだけどさ」
彼はそう言って店の入り口を見た。扉には「本日休業」の文字が見える。
「見事に休みだな」
「まさか店長が家族で旅行に出掛けてるとは知らなくてさ」
彼は申し訳なさそうに言った。
「そう言う日もあるってことだな」
高校生二人で飲み屋の前をうろついている風景は、不良が溜まっているようにも見える。
「未成年だから入りにくいかもしれないけど、一度寄ってみてくれよ。俺がいないときでもいいから」
彼は何とかこの店を宣伝したいらしい。しかし、俺はあまり乗り気ではなかった。
「気が向いたらな」
だから、返答もいい加減なものだった。俺にはそれよりも興味のある事柄があった。
「ところでさ、女を落とすのってもしかして簡単なのか?お前を見てるとそう思えてくるんだが」
いつだって男は馬鹿なんだと、過去の自分を振り返って思う。
「安い飴細工みたいに甘い考えだな。あんまり舐めてると怪我するぜ」
彼は笑い飛ばすようにそう言った。お前の発言のほうが人を舐めている、とその時は言い忘れた。彼とそんな話をしていたのは、いつのことだったか、ずいぶん前のことのように感じられる。
夏休みを目前にして、俺の友人は殺された。
犯人は同じ高校に通う女子生徒だった。線路に押し出して轢き殺したという。動機は恋愛関係のトラブルらしい。犯行現場となった場所はとある無人駅だった。新聞には事件の内容が簡潔に書かれていた。その記事を読み直すのはもう何度目か分からない。灰色の紙はくしゃくしゃになっていた。嘘みたいな事実がそこには書かれていて、粗い印刷の文字をいくら眺めてもそれが現実だという実感がわかなかった。まるで、どこか遠い場所で起きた事件のように。溜め息も涙も出てこない。もう何日も経ったが、何が起きたのか整理できていない。頭では理解しているつもりだ。でも心がついて来ない。その記事は小さな見出しだったから、暗記できそうなくらい見直した。何度も読み返したが、書いてあることは同じだった。
学校では事件の次の日に緊急の集会があった。その時の集会の内容はまるで覚えていない。そもそも教師たちが事件の全貌を把握していたとも思えない。俺だって何であいつが死ぬことになったのかさっぱり分からないのに。
学校中でいろんな噂が飛び交っていた。「あいつは女ったらしだったから、恨みを買ったんだ」とか「女を売ったことがあるらしい」とか、友人の容姿や性格からそういった憶測がなされた。机に突っ伏しているだけでもそういう話は耳に入ってきた。好き勝手なこと言いやがって、と思う反面当たっていることもあると思う。あいつが女たらしだったのは事実だし、そういうトラブルに縁があったのも否定できない。中にはあいつのことを嫌って悪い噂を流しているような奴もいたし、少しは恨んでいる奴もいたかもしれない。
でも、死ぬほど酷い奴ではなかったと、俺は思う。
事件の後も学校はこれまでと変わらずに機能していた。蒸し暑い中でも今まで通りに授業を行い、何の役に立つのか分からない問題を解いた。一人が死んで、一人が捕まっても、それ以外はこれまでどおりの生活をする。誰だって思うところはあるだろうけれど、そればかりに気を向けていても仕方ない。時間は常に前へと進んでいくのだから。多分、時が経てば事件のことも過去の話になるのだろう。それは瘡蓋が剥がれて落ちるのと同じくらい当然のことだ。
だけど、俺は友人の死を受け入れられずにいた。
町はずれの道を歩いていると、額から汗が流れた。夏は日差しが痛い。俺は数日前の新聞を握って、高架線そばにある飲み屋に向かっていた。友人に誘われて行った時は休業で、中に入ったことはなかったが場所だけは覚えていた。そこに行こうと思ったのは、彼のことを思いだしていたからだろう。何度勧められても面倒くさがって一人では行かなかった場所に、今になって行こうとしている。
高架線の近くには今は使われていない古い線路があった。何にも利用されていないその場所は、雑草が好き放題に伸びていた。草の隙間から見える線路を見て、友人が殺されたのは、電車に轢かれてだったと思い出す。事件のあった場所は田んぼのど真ん中にあるような無人駅だった。そこで何が起こったのかは、新聞や噂で聞いた程度のことしか知らない。
「なんだってお前が死ななきゃならなかったんだ……」
そう呟き、線路に近づいた。事件の起きた無人駅ではないし、列車も走っていない。それでも、想像せずにはいられなかった。
「君、女島史城君だよね」
線路に降り立ちぼんやりしていると、名前を呼ばれた。驚いて声のした方を振り向くと、長い黒髪の女が現れた。その顔に見覚えがあった。同じクラスの熾屋千春だった。例の友人が、ちょっと変わっていて好感の持てる面白い女だ、と言っていたのを思い出した。
「よお、こんなところで会うなんて奇遇だな」
知り合いに会うとは思っていなかったので、不意打ちのように感じた。
「それはこっちの台詞。君はそんなところで何をしているの?」
千春は腰まで届きそうな長い髪を邪魔そうにしていた。
「気まぐれ、かな」
そう言いながら、俺は草の茂る線路から道路に出た。
「気まぐれではないでしょう。君、普通はそんな何もないところには入らないんじゃない?」
千春に断定されて、俺は口をつぐんだ。
「……まあ、その通りだ。というかお前の方こそ、何でここにいるんだ?」
そう返すと、千春は困ったような表情をした。
「私は人探し。黒いリュックを背負った小柄な中学生を探しているんだけど」
「迷子か?」
「家出よ。知り合いに頼まれてね。全然見つからなくて困っているの」
千春は大袈裟に溜め息を吐いて見せた。
「家出中学生がこんなところに来るのか?」
「ここらで見かけたって人がいたの。数日前の話だからもういないとは思っていたけど」
「じゃあ、何でここに?」
「家出少年がここから何処に向かったのかを考えるためにね」
千春は顎に手を当て、考えるような仕種をした。
「他人のことなんて、ましてどこぞの中坊のことなんざ放っておけばいいんだよ。俺なら頼まれたって無視するね。なんてったって面倒だからな」
「君、不真面目だね」
千春がじとっとした目でこちらを睨んでくる。
「第一、同じ場所に来たからって他人の行動が分かるもんなのかね」
「だって、それ以外に手掛かりはないし……」
千春の声は小さくなっていった。家出少年探しは上手くいっていないらしい。
「それより、ねえ。君はどうしてそんなところにいたの?何か理由があるんでしょう」
千春が興味のありそうな視線で俺の方を見つめてきた。耐えきれなくなって、俺は目を逸らした。妙な眼力でもありそうだった。
「……友人の死にまるで実感がないんだ。あいつと話した場所に行けば、少しは受け入れられるんじゃないかと思って歩いてたんだが、今のところそんなことは全然ないんだよな」
「……最近駅で起きた事故のことだよね」
「ああ。どうやってもあいつが死んだってのが信じられない。そう簡単にくたばる奴じゃあないんだよ」
頭上を白い入道雲がゆっくり流れていった。馬鹿みたいに暑い日差しが降り注いでいた。
「君は友人の死に疑問を感じているんだね」
千春のその声は落ち着いていて、こっちまで冷静になりそうな力を持っていた。
「……そうだな。新聞や学校の教員の話では納得できないことがある」
「君の抱える疑念に少しばかり付き合ってあげようか?」
千春は余裕のある笑顔を見せた。
「迷子探しはいいのか?」
「家出だってば。そっちは無闇に探すより目撃情報があってから動いたほうが、効率がいいでしょ」
「そう言うもんなのか」俺には千春の人脈が分からなかったから、何とも言えなかった。
「それに君と話した方が有意義な気がする。時間の余裕はあるしね。さて、君の思う不審な点を挙げてみなさいな」千春はどこか楽しそうに言った。
俺はくしゃくしゃになった数日前の新聞を取り出した。穴が開くほど読み返した記事を指した。
「殺したのは同じ学校に通う女子生徒。動機は恋愛がらみのことだそうだ。あいつには悪いが、まあ無理矢理なら納得できなくはない。恋愛に関してはトラブルメーカーだったからな。線路に押し出して轢き殺されたとなっている。俺にはこれがどうしても信じられない」
「何故そう思うの?」
「考えてもみろ。あいつは身長180cmもある。それに対して女子生徒は150cmくらいだ。体重も力もあいつのほうが上だろう。それに無人駅なら、人で混んでいるってこともまずない。ヤバい奴が近づいてきたらすぐに分かるだろ。どうやって押し出したっていうんだ?」
気温のせいか、気持ちが熱くなったせいか首筋に汗が流れた。
「じゃあ、試してみる?」
千春は悪戯を仕掛ける子供みたいに微笑んだ。
「え」
「ちょうど目の前には線路がある。ここを駅のホームだとして、君は電車を待っている。そして、私は君を線路へと落とす犯人。身長は少し違うけど、男女の力の差を実際に試すには丁度いいでしょう?」
千春は平然とそんなことを言った。
「そんなことをして、何か意味があるのか?」
「新聞とにらめっこし続けるよりは、ましだと思うよ」
「……分かった。何もしないよりは、まあいいか」
そう言って、俺は雑草の伸びる線路の前に立った。事件が起きた場所も無人駅だから、似たようなものだろう。千春は肩を覆うような髪を結んで、長いポニーテールを揺らしていた。
「じゃあ、行くよ」
その掛け声の後に、背中にドンッ、と言う衝撃が走る。千春は勢いよく俺の背中を押した。しかし、少し前のめりになっただけで線路には落ちなかった。
「そんなに踏んばらないでよ」千春が拗ねたように言った。
「いや別にそんなに頑張ってはいないんだけど」
俺は何だか情けない言い訳をしているような気分になった。
「仕方ない。次はもっと全力で押すから、覚悟してね」
「おう、お前の方こそ転ばないようにな」
そして、二度目のトライが始まった。今度は助走をつけてやるらしい。
「熾屋千春、行っきまーす!」
そう叫んだあと、駆け出す音が聞こえた。俺は線路のほうを向いているからどの程度のスピードなのか分からないが、音から判断するに全力のようだ。
「とうっ!」
掛け声とともに背中に強い衝撃がやって来た。体ごとぶつかって来たみたいだ。今度は堪え切れそうにない。俺はバランスを崩して線路へと押し出された。
「うわっ」
助走の勢いをそのままに千春も倒れ込んで来た。全力過ぎる。俺と千春は線路の上で倒れていた。その時、敷石に手をついたので結構痛かった。千春は俺の背中に倒れたので、怪我はしていないだろう。
起き上がって見上げた空には鳶がいて、その鳴き声は何だか俺たちを馬鹿にしているように聞こえた。
「とりあえずこれで、女の子の力でも押し出せることが証明できたね」
千春が一仕事したぜ、みたいな達成感に満ちた顔をしていた。
「いや、無茶だろ。お前も転んでるし。もしこれで殺したんだとしたら押した方も死んでるぞ」俺は起き上がりながら言った。
「そうだね。じゃあどうやって成功させたんだろうね」
千春は服についた埃を払った。
「さあな」
空を見上げると、うざったいくらいにいい天気だった。
俺と千春は線路の上に腰かけていた。俺は自分の疑問が余計に深まってしまって何だかイライラしていた。千春は何か考え事をしているようだった。
「犯人の女子生徒が筋肉の塊だったなんてことはねえだろうしな……」
全く答えが出てこなかった。そういう時は思いつく冗談も詰まらない。
「君の友人について、少し訊いてもいいかな?」
千春は真剣な面持ちで俺の方を向いた。
「構わない。俺にこたえられることならな」
「彼はどんな男の子だったの?」
千春の問いに俺は友人の憎たらしい笑顔を思い出した。
「基本的に奴は女たらしだ。もうどうしようもない、筋金入りの女好きだ。それから、愛について真面目に語る阿呆でイケメンで馬鹿だ」
簡潔に述べてみたが、これで何が分かるんだろうか。
「女性に対してはどう接していたの?」
「さあな、馬鹿みたいにモテる奴だったてのは間違いない。割と思ったことをそのまま口にする奴でもある。基本的に女には優しいが、知らずに他人を傷つけているってことはあったと思う。ただ故意に傷つけるようなことはしなかった」
これまでの友人の女性関係を思い出していた。一度に複数人とは付き合えないと言って、いったい何人の女からの誘いを断って来たのやら。
「根は悪い人じゃないのね」
「あいつは悪人じゃない。馬鹿なだけさ。それから、惚れた女にはとことん尽くすような奴だったよ。でも、それ以外には冷たく映ったかもな」
「やっぱり友達だと分かることも多いんだ」
「そうでもない。俺が知ってるのはほんの一部だ」
実際俺の知らないことは多い。彼とは友達だが、いつも一緒にいるというわけではなかった。たまたま昔から仲が良くて、女のことで問題が起きなかったのが俺というだけだったのかもしれない。
千春がまた考え事をするポーズをとったため、無言の時間が訪れた。蝉の声だけが騒がしく辺りを包んでいた。
「彼のよく行く場所とかはある?」
「これから行く予定だったよ。すぐ近くだ。ミシェルだかマイケルだかっていう名前の飲み屋で、俺は入ったことは無いけど」
「そこに行けば何か分かるかもしれない」
「何でそう思うんだ?」
「女の勘ってやつ。事件の真相を解いちゃったりするかもよ」
「犯人はもう捕まってる」
「そういえばそうだったね。いずれにしてもそこで話を聞くのが一番いいと思う」
「解決した事件の真相なんて、誰のためになるんだ」
俺は溜息交じりに言った。
「君のために、だよ」千春の瞳はまっすぐに俺の方を向いていた。俺はまたしても目を逸らした。直視されると心の中まで見透かされてしまうような気がした。
初めは友人の死を実感したくて飲み屋に向かっていたというのに、いつの間にか趣旨が変わっている気がした。
「あ、ひとつ思い出した」
頭に浮かんだのは、あいつの発言だった。
「『女にこれでもかってくらい愛されて死にたいんだよね』って、あいつは言ってた」
それは女になら殺されてもいいってことと同義なんじゃないだろうか。
「それはまたすごいことを」
「でも、それを考えれば妥当なのかもしれない……」
俺は友人が何を思っていたのか、見当もつかない。出来るのはあれやこれやと余計なことを想像するだけだった。
「君はそれで納得できるの?」
千春に言われて思い返す。新聞の記事も、無責任な噂も、何ひとつ実感がなかった。だから、こうして彷徨っている。
「……いや。納得できない」
「愛ってなんだろうな」
あるとき彼は、馬鹿みたいに真面目な顔をして、阿呆みたいに恥ずかしい台詞を口走った。場所は飲み屋の前だった。店の入り口には、またしても「本日休業」の文字があった。
「知らねーよ、そんなもん」
俺は投げやりにそう答えた。今になって思い出すのはそんなくだらない会話ばかりだ。
「何でお前と来るときは、いつも休みなんだ?」
「知るか。愛がどうのとかもどうでもいいわ」
友人は噂の通り女ったらしだった。そこは俺も本人も認めている。なかなかのクソ野郎だ。顔は格好良かったし、服のセンスも良かった。俺の百倍はモテる男だった。
「少しは考えろよ。俺はいつも愛について考えてるぜ」
俺が真面目に取り合わないから、友人は少しむっとしたような表情をした。
「あいにくそんなことは考えたことも無いんでね」
「よし、なら俺の考えを聞かせてやろう」
何か名案を閃いたかのように明るい声を出した。
「聞きたいなんて誰も言ってないぞ」
俺の意見を無視してあいつは、愛について独自の解釈を語りだした。
「俺の持論だと愛ってのは、手作り弁当だと思うんだよ」
自分の言葉に何の疑念も抱いてはいないようだった。
「は?」思わずそう声が出た俺は、心底間抜けな顔をしていたと思う。
「え、そう思わない?」俺と同じくらい彼も間抜けな顔をしていた。
「何でそうなるんだ?」
「考えても見ろよ。愛ってのは、明確な定義があるわけでも、法的な基準があるわけでもない。人それぞれに違うわけだ。手作り弁当もそうだろう?」
友人は目の前に弁当があるみたいに、蓋を開ける動作をしながらそう言った。
「まあ、それを弁当に喩えてしまうのはお前らしい。さっぱり意味が分からないけどな」
「俺は極上の手作り弁当を求めて彷徨っているのさ」
世界の果てを目指す探検家のような熱意をその瞳に燃やしていた。
「どこかの弁当屋で修業すればいいと思う」
「お前もつまらんことを言ってないで、少しは弁当について考えてみろよ」
その声には女と縁のある奴ら特有の余裕が感じられた。女に縁のない僻みのせいでそう聞こえたのかもしれない。
「モテるお前とは違うんじゃい」
俺は惨めに吠えた。全くもって悔しい限りだ。
「いいか、安い恋愛はするなよ」彼は真剣な表情で言った。
「それは何だ。忠告か?」
俺の言葉に頷くと、彼は自信に溢れた無駄に恰好のいい顔でこう言った。
「レンジで温めたコンビニ弁当みたいな愛じゃすぐに冷めちまうだろ?」
変な喩えするんじゃねーよ、と突っ込むべきだった。そんなことを今更ながら思う。
今思い返してみればあいつはあの店によく来ていたのだろう。俺が行く日はことごとく休みだったが。あの店へ行けば、もしかしたら何か分かるかもしれない。何故だか、そんな気がし始めていた。
「君に一つ言っておこうと思う。これは私の憶測だから真実とは違うかもしれないけれど」神妙な面持ちで千春は切り出した。
「何か分かったのか?」
「出来れば、事件の起こった瞬間を見ていた人の証言があればいいんだけど」
「何だよ、まどろっこしいな」
「君の友人はもしかしたら、本当に女の子が好きだったのかもしれない。好きで好きで仕方がない、というくらいに大事に思っていたんだね。きっと」
「は?」
いきなり何を言い出すんだ、と思った。
「ただの妄想だから、気にしなくていいよ」
言い終えると千春は草むらを出て道路に戻った。俺はその背中に声を掛けた。
「なあ、これから例の飲み屋に行こうと思ってたんだが、お前も来ないか?」
「遠慮しておくよ、ごめんね。私は家出中学生を探さなくちゃいけないし」
そう言って、千春は手を振った。ここから先はひとりで行くべきだ、とでも言っているかのようだった。
「分かった。千春、またな」
俺は線路から手を振った。千春は笑顔を見せると、高架線から離れて行った。俺も草むらから出て、目指していた飲み屋に向かった。
高架線沿いに歩いていくと、目的の飲み屋はあった。店の名前は『ミシェル』とある。友人のオススメだが、高校生が飲み屋を紹介するというのはどうなのだろう。今更そんなことを思いながら、店の入り口に向かった。
「……」そこで足が止まった。
目に飛び込んできたのは、これまでも目にしてきた「本日休業」の文字だった。
「またかっ!」思わず扉に突っ込んでいた。
千春と話し、ここに来れば何かあるかも、と思い込んでいた俺はすっかり落ち込んでいた。店の前にある狭い駐車場で、虚しさのあまり俺は体育座りをしていた。来るたびにこの店は休みの気がする。もしかして、もう営業していないんじゃないか。あるいは俺に対する嫌がらせか。女々しくもそんなことを考えていた。
店が開いてない以上もう用事などここには無かったが、何となく帰る気になれなかった。友人とはこの店の前で何度か話したことがあったので、少しはそのことを思い出していた。そうしたらあいつに対する文句ばかりがこみ上げてきた。どれも普通の高校生が考えることではないだろうと、俺は突っこんでいたはずだ。
友人は年上と付き合っている時には、結婚について語っていた。
『オタクやマニアはない、なんて言っている女は間に合わない』
ちょっと語呂がいいからって、そんな台詞で格好つけるなよ、と言ってやりたかった。聞いている時は、大抵ぽかんと間抜け面をさらしているものだから、言いたいことを思いつくのはいつも後になってからだ。
そんな友人と話したくだらないことの数々が鮮明に蘇っていた。
日はだんだんと傾き、ヒグラシが遠くで鳴き始めた。もうしばらくすれば日も暮れてしまう。いったい今日という日は何だったのか、西日を避けるように俯きながら俺は考えていた。
不意に目の前のアスファルトに影が三つ現れた。
「へい、ゆー!」
「悲しむな少年」
「日はまた昇る」
突然、はっきりとした滑舌のいい声が発せられた。俺が顔を上げると目の前には三人の女子がいた。三人とも背中にはギターケースを背負っている。逆光で顔はよく見えない。青春漫画みたいに、眩しい太陽を背景に登場してきた。
「……何だ?突然」俺が訝しんでいると、一人が俺の顔を凝視してきた。そして、思い出したように言った。
「君はもしや女島史城君ではないかな」
「と言うと、女たらしの彼の友人だね」
「女島君は何でこんなところにいるの」
三人とも妙に息が合っていた。不思議なくらいの連携だった。
「君たちはあいつの知り合いか?」とりあえず、落ち着いて訊いてみようと思った。彼女たちのペースに持っていかれそうな気がしたからでもある。
「その通りよ」一人は賢そうに腕を組み直していた。
「間違いなく」一人は強い肯定を示すように頷いた。
「友達でした」一人は悲しそうな表情で目を閉じた。
「……あんたらは何者?」友人はここでも有名人だったようだ。が、俺は友人のことよりもこの三人組が気になってしまった。彼女らは奇妙なまでにシンクロした動きを見せてくれる。俺はマクベスに登場する三人の魔女を思い出した。
「よくぞ聞いてくれました」待ってましたと言わんばかりに鼻を鳴らした。
「私たちはイレブンウッズ」まるで有名人であるかのような口ぶりだった。
「素敵な音楽を聴かせます」明るい笑顔でギターを構える真似をし始めた。
そして、彼女たちはそれぞれに謎のポーズをとっていた。どうやらそれが決めポーズらしい。
「……何それ?」
「この店ミシェルにて時々三人で演奏させてもらってるの」
「森林、木村、杉森。三人合わせてイレブンウッズなのさ」
「学校ではバイトは禁止だから、他言無用でお願いします」
「…へえ、そうなんだ」
何と答えていいのか、俺には判断しかねる状態だった。俺がこれまでにあったことのないタイプだった。三人なのに何故イレブンなのだろうか、とか思ったが突っ込んだらまた三人同時に、勢いよく話してきそうなのでやめておいた。
「今日が休みだということをすっかり忘れてしまって」
「店長は確か親戚の結婚式に招待されていたってのに」
「いつもみたいに三人揃って来てしまったんですよね」
この店が休業なのはどうやら偶然らしい。俺はその偶然にことごとく当たっているのだから、もしかしたら運が極端に悪いだけなのか。
「……なあ、あいつについて知ってることがあったら、何でもいいから教えてくれないか?」
俺は改めてここに来た目的を思い出した。俺の名前を聞いて、あいつのことが出てくるくらいには親しい仲だったのだろうし、何か分かるかもしれない。
「時々この店に顔を出してたよ」
「毎回違う女の子を引き連れて」
「悪い噂の絶えない男でしたね」
俺の知っているような内容のことだった。それだけで、彼がこの店でどんな顔をしていたのか容易に想像できた。
「死んでしまって本当に悲しい」森林は悲しむように顔を伏せた。
「割と嫌いじゃなかったけれど」木村は思い返すように空を見た。
「死んでしまった人は戻らない」杉森は嘆くように胸を押さえた。
友人のよく来ていたっていう場所も、何の手掛かりにもならなかったらしい。俺は俯いて飲み屋の前に腰を下ろした。少し疲れた気がした。
「少年、悲しいのかい」
「それとも、悔しいの」
「もしくは虚しいかな」
三人はそれぞれの言葉で優しく語りかけてきた。全くもって不思議な雰囲気の三人組だった。
「泣きたいわけじゃない。何だかもうよく分からなくなっちまったんだ。何のためにこんなところまで来たんだか」
手がかりはもう何もない。何かを知りたくてやって来たのだが、もう当てがない。
「なあ、あんたらは何でここに残ってるんだ?店が開いてなかったんだから帰ってもいいんじゃないか」
「何だか君を放っておけなくて」木村は少し照れくさそうに。
「私も右に同じ理由なのですよ」杉森は溢れるような笑顔で。
「それが青春というものなのさ」森林は演技くさく気取って。
その言葉を聞いて、俺みたいなよく知らない人間でも心配してくれるのか、と少し嬉しく思った。日は沈み始めていて、涼しい風が高架線を吹き抜けていった。ああ、もうすぐ夜が来るんだな、と肌で感じた。
「俺さ、未だにあいつの死を実感できてないんだ。まだどこかであいつは女と歩いてるんじゃないかって、本気で思っちまうんだ。いないと分かってるはずなのに……」
汗が冷えて、体が冷たくなっているような気がした。それとも、冷たくなったのは心のほうか。
突然、ジャーン、というフォークギターの音色が冷たい風と共に流れてきた。何事かと思って顔を上げると、あの三人がいつの間にかギターを構えていた。
「へい、ゆー!辛気臭い顔をしてるとツキを逃すぜ」
「ここへ来た君のために一曲、弾いてあげましょう」
「粋な計らいで今回は特別にタダで聴かせてあげる」
薄闇に包まれ始めた飲み屋の前に、三人のギターの音色が広がった。それはどうやらジャズのようだった。
「三人ギターってバランス悪いだろ」俺は聴きながら突っ込んだ。
「サックスやトランペットを買う金が無かったんだよ!」一人は憤慨して。
「普通のギターだったらそんなに高くはならないからね」一人は言い訳を。
「ピアノを習ってる人も、家にある人もいなかったしね」一人は妥協した。
妙に現実的な理由だった。まあ確かに金管楽器は高い。個人で、それも高校生が手を出すには少し厳しい。そう考えたら納得できた。
「観客は文句を言わずに」木村はびしっと指を立て。
「その辺に正座でもして」森林は駐車場の隅を指し。
「ただ黙って聴きなさい」杉森は上から見下ろした。
三人にそう凄まれては、タダで聴いている態度の悪い観客は言われた通り、黙って正座をするほかない。改めて聴いてみると、この三人がそれなりに上手いことが分かった。それぞれに役割があって、ちゃんとこなしている。俺はジャズには詳しくないから何と言う曲なのかは知らない。それでも、良い曲だなと思った。
そして、演奏が終わると彼女たちは深々と礼をした。俺は拍手を送った。観客がたった一人で淋しいものだが、そんなことはどうでも良かった。
「いやー、思ったよりも全然良かった。あいつがここを薦めてたのがよく分かるよ!」
俺はまだ拍手を続けていた。三人は照れたように、何か考えるようにお互いに顔を見合わせていた。
「ご清聴ありがとうございました!」
「実はまだ言ってないことがあるの」
「杉森は、事件の現場にいたのだよ」
「本当か?」
俺は自分でも驚くくらい、怖い顔をしていたと思う。そして、杉森が俺の方へと近づいてきた。まさか当事者がいるとは思ってもいなかった。もしかしたら、何か分かるかもしれない、そんな期待が俺の心を過る。
「ええ、本当なんです」杉森は控えめに言った。
「彼女は嘘を吐かない」森林が強い肯定をした
「私たちが保障するよ」木村が太鼓判を押した。
すぐに俺はどうしても疑問に思っていたことを訊こうと思った。それしか、頭になかったのだ。俺は縋るように杉森を見つめた。
「事件のあった時のあいつのことを教えてくれ!」
俺は杉森の前に立っていた。杉森は驚いていたけど、深呼吸をして、話し始めた。
「私はあの無人駅でいつも乗り降りしてるんです」
「神妙な面持ちで、関係者は語りだすのであった」
「森林、今から大事なとこなんだから茶化さない」
この時だけは三人の独特のペースの会話に若干の苛立ちを感じた。いいから早く教えてくれ、と思った。
「電車が来るころになって走ってくる子がいたの」杉森は思い出すようにして。
「おそらくそれが、この事件の犯人の登場ですな」森林は思案するようにして。
「嫌だな、あんまりそういう話って聞きたくない」木村は耳を塞ぐようにして。
俺は線路で千春と話していた時のことを思いだした。
「真実がいつも一つとは限らないのさ。そこにはただ事実があるばかり」
「森林が探偵気取ってどうするの。ねえ怖いから杉森早く言っちゃって」
「……そして、その勢いのまま彼にぶつかって二人とも線路に落ちたわ」
「二人とも?」
俺は耳を疑った。犯人の女子生徒は押し出して轢き殺したはずだ。
「ええ」杉森の目に、間違いは無さそうに見えた。
「へえ」木村は初めて聞いた、という感じだった。
「ほう」森林は無い髭を撫でるような動作をした。
二人共落ちた、という言葉を聞いて、俺はある妄想をした。線路の前で話した千春の声が蘇る。
『君の友人はもしかしたら、本当に女の子が好きだったのかもしれない。好きで好きで仕方がない、というくらいに大事に思っていたんだね。きっと』
不意にあいつのむかつく笑顔が脳裏に浮かんだ。そして、その顔を思い浮かべてしまったら、急に悲しみや寂しさが津波のように押し寄せてきた。
「どうしたの?」
「泣いてるのね」
「それが青春だ」
森林、杉森、木村が近づいて俺の顔を覗き込んでいた。なにやら不安そうでもある。遅すぎるかもしれないけれど、今更になって俺は友人の死をリアルに実感した。
「あんたらの演奏が良すぎて、涙が出るほどに、感動したんだ……っ!」
もう日も暮れて辺りは暗くなっていた。この小さな飲み屋の前を照らすのは、頼りない街灯の明かりだけだった。
友人は死ぬまでどうしようもないほどに女好きで、女を大事にしていたというだけの話だったのだ。
彼は自分を押し出した女を、弾かれる寸前に線路から弾き出して助けたのだと思う。友人のことを美化しすぎな妄想かもしれないが、俺にはこれが一番しっくりくる。
もしかしたら真実は違うかもしれないし、森林の言うように真実は一つとは限らないかもしれない。でも、俺はそう思うことにする。探偵まがいのことをする気はないのだ。
高架線の下で、ギターを弾く彼女たちは、薄暗がりの中でも輝いて見えた。




