ヘイオンナニチジョウ
静希が目を覚ますと、そこは見慣れた天井が広がっていた
自分の部屋、長いこと過ごした自分の家の自分の部屋だった
数秒間放心して天井を見上げて、少しの間自分の体の状態を確認していた
何かおかしい、何か大切なことをしていた気がするのに思い出せない
夢を見ていたようなそんな感覚があるのだが、その夢の内容を思い出せないような奇妙な不快感が静希の中には存在していた
一体なんだったのだろうか、どんな夢を見ていたのだろうか、そんなことを思いながら静希はゆっくりと体を起こす
欠伸と共に時計を見ると現在時刻は七時過ぎ、そろそろ起きなくては学校に遅刻するだろうという時間帯だった
未だ眠気は強いが、ここで起きなければ幼馴染にバカにされることになるなと思い、静希はゆっくりと布団から抜け出す
七月ももうすぐ終わりという事もあって暑さが強くなってきてはいるが、さすがに朝は涼しいものだ、日中これだけの気温であればありがたいのだがそうもいかないだろう
両親が海外で仕事をしているという事もあり静希は一人暮らしをして長い、一人暮らしだとどうしても疎かになる掃除と食生活、幼馴染であり恋人である明利がいなければ確実に自分はダメ人間街道を突き進むことだろう
静希がリビングにやってくると、そこには誰もいない、あるのはパソコンとソファ、そしてテレビとテーブルくらいのものである
余計なものが一切ない空間に静希はほんのわずかに違和感を覚えた
なんというか、あるべきものが足りないような気がしたのだ
別に静希は物を衝動買いするような趣味も癖もないし、ここ最近なにかを買ったという記憶もない
一体何が足りないのだろうかと思いながら、静希はさっさと着替えを終えていく
今日も体に異常はない、両腕両足しっかり動く
ただ手の爪が伸びて来たかもなと静希は両手の爪を見ながらそろそろ切らなければと思い、そして朝食のパンを食べていく
なんとも簡素な朝食ではあるがこれが毎日の朝食だ、誰か作ってくれるのならまだしも、朝にまで幼馴染の世話になるわけにはいかない
朝食を食べ終えた後は冷蔵庫のチェックだ、今日の夕食なども考えなければいけないだけに一人暮らしの辛いところである
親がいないというのは楽ではあるが、その分家事全てを自分でこなさなくてはいけないのだ、そう言う時だけは同居人が欲しくなってしまう
豚肉に玉ねぎ、そしてピーマンがあるのを確認した静希はとりあえず今日は生姜焼きにでもするかと生姜の有無を確認する
幸いにしてチューブの生姜があるのを確認し今日の献立は何の障害もなく決定した、あとは学校に向かうだけである
あともう少しで今学期も終わる、二年生になっても特に変わり映えのない毎日が続いている
思えば秋には修学旅行もあるなと思いながら今年の夏休みは何をして遊ぼうかと考えていた
家に鍵をかけていつも通り学校へと向かう
静希が通うのは喜吉学園、小中高の一貫校で比較的進学もしやすい平凡な学校である
近くに住んでいる幼馴染である深山雪奈、幹原明利、そして響陽太も同じ学校に通っている
毎日のように顔を合わせているから特に気にしたこともないのだが、高校に上がった時に一人転校生がやってきたのが印象的だった
名前は清水鏡花、頭がいいのは良いことなのだが少々口が悪く、時折陽太と対立していたのを覚えている
今はどういうわけかその二人は付き合うことになっていて、何があったのかと聞くと恥ずかしそうに話をはぐらかす
いつか明利と一緒に問い詰めてやろうと画策している最中である
最近最も驚いたのがその二人が結ばれたという話くらいで、それ以外には特にこれと言って面白い話題も衝撃的な事件もなかった
毎日のように学校に行って勉強して、部活をやって帰宅する
なんとも平凡で起伏のない人生である
だが、静希はなんとなくおかしいと感じていた、自分の人生がこんなに平凡なものだっただろうかと疑問符を飛ばしてしまうのである
今までそこまで衝撃的な事件などなかったはずだ
あったとすれば幼いころに山で迷子になったくらいである、それも一日としないで大人たちに救助された、それ以外に劇的な事件と言えるようなものなどなかった
中学に上がってからも、高校に上がってからもそこまで特筆するようなことなどなかった
そう『なかった』はずなのだ
なのに何故か静希の中の何かはそれは違うと告げている
何かがあったはずなのに静希はそれを覚えていない
もしかしたら自分が忘れているだけで、漫画や小説のような面白くもおかしい事件か何かがあったのかもしれない
あるいはそれに近しい何かが自分にもあったのかもしれない
もしかしたら先程見たのは予知夢というやつなのではないかとも思ったのだが、肝心な夢の内容を覚えていないのでは意味がない
とりあえず自分のことは他の人間に聞くのが一番である、まずは自分の幼馴染に話を聞くことにしようと静希は教室の扉を開けた
その教室は二年A組、静希が所属する教室だった
「あ?びっくりするような事?」
「そう、なんか無かったっけ?最近」
自分の席に着いた後静希は身近な中で二番目に付き合いの長い陽太に話を聞くことにした
陽太は基本お世辞にも頭が良いとは言えないが、時折妙に頭の回転が速くなる時がある、今回もそれを期待したのだが、陽太は腕組みをした状態で唸りながら頭を揺らしている
どうやら何も思いつかないらしい
「そもそも学校に通うだけでそんな劇的な事なんて起きないだろ・・・前に遊園地に行ったことくらいしか面白かったことなんてないぞ?」
「んー・・・なんかあったような気がするんだよな・・・こう・・・うまく言えないんだけどさ」
静希にしては珍しく抽象的な言葉に陽太も考え始めるのだが、やはりとくに思いつかないのか途中で考えるのをあきらめてしまう
何かが足りないのだ、そう何かがおかしいのだ、なのにそれが何なのか理解できない
何かを忘れてしまっているかのような奇妙な感覚、それでいて思い出せないという不快感
言いようのない感覚に静希が悩んでいると、教室の扉が開いて幼馴染である明利と鏡花が教室の中に入ってきた
「おはよう・・・って静希君どうしたの?変な顔してるけど」
「朝っぱらからどうしたのよ、なんか忘れ物?」
「おっす二人とも、なんか最近びっくりするようなことがあったような気がするんだと」
陽太の言葉に明利と鏡花は顔を見合わせながら首をかしげる
唐突にびっくりするような事と言われても特に何もないような気がしたのだ
それこそただ学校に通っているだけでそこまで吃驚するようなことがあるとも思えない
陽太が宿題を忘れて怒られたとか先生にチョーク投げられただとかそう言う事ならあるが、日常においてそこまで吃驚するようなことはまずないのだ
「びっくりねぇ・・・少なくともここ最近は無いわね」
「うん・・・あ!でもこの前城島先生が指輪付けて学校に来てたのはびっくりしたよね」
「あぁあれね、確かに驚いたわ・・・確か前原さんだっけ?先生ももうすぐ苗字変わるのかもね」
城島とは静希達の担任だ、鋭い視線のせいでよく勘違いされるが、基本的に優しくて頼りになる教師である
一年生の頃に現在の婚約者である前原と歩いているところを偶然静希達は目撃していたのだ、その時にひと悶着があって、二年の六月あたりだろうか、指輪を付けて学校に来ていたのを今でも覚えている
二人の仲はうまく進展しているのだろうと喜ぶべきところなのだが静希が気にしているのはそう言う事ではない
そう言う日常的なものではなく、もっと異常な何かなのだ
巨大な怪獣がいきなり襲い掛かってきたとかそう言う事はさすがにないだろうが、もっと異常な何かがあったのではないかと思えてしまうのだ
だが、それだけの衝撃があったと思われることなのに、静希は思い出せない
「いやそう言うのじゃないんだよ・・・なんて言うか・・・もっとこう・・・妙というか変というか・・・」
「変ねぇ・・・なんかあったっけ?」
「ん・・・特には・・・無いと思うけど・・・」
鏡花も明利も思い当たることはないのか、記憶をたどっているのだろうが首を横に振っている
陽太ならまだしも鏡花や明利も覚えていないのではやはり気のせいなのではないかと思えてならない
「忘れちゃうってことはそんなにたいしたことじゃないんじゃないの?どうでもいいことってすぐ忘れちゃうし」
「・・・そう・・・なのかな・・・んー・・・」
鏡花の言う事は正しい、それは出会って一年以上経過した今だからこそわかることでもある
そして鏡花の言葉が理に適っていることも、正しいことも理解できる
だがなぜかそれもそうだなと、どうでもいいことなのだなと口に出すことができなかった
頭ではそんな突拍子もないことが起こるはずもないと理解できている、鏡花の言葉が正しくて、自分がただ忘れているだけで、その忘れてしまったことが至極どうでもいいものであるという事をわかっているはずなのに
静希の中の何かがそれを否定している
どうでもいいはずがない、忘れていいはずがない、そう叫び続けている
なのに、静希はそれを認識できず、それが何なのかも理解できない、故に静希の中には言いようのない違和感と不快感だけが残っていた
「ていうかあんたそんなこと気にしてるくらいなら明日のこと考えなさいよ、一応明日終業式なんだからさ、どっか遊びに行くとかないの?」
「え?あぁ・・・カラオケとか普通に適当に行こうとか思ってるけど・・・?」
今日と明日で今学期も終わり、だから学生らしくお疲れ様会ではないけれどちょっと羽目を外して遊ぼう位のことは考えていた
それもいつものことだ、学期が終わったりテストが終わったりすると静希達は集まって適当に遊んですごす
それもいつもの事なのだ
「じゃあ明利、こいつの家片付けに行ってやりなさいよ、どうせまた汚くしてるでしょうから」
「アハハ、そうだね、今日行ってくるよ、静希君いいでしょ?」
「あ・・・あぁ、いいぞ、大丈夫だ」
明利がこうして掃除に来る、それも当たり前のことだ、いつものことのはずだ
なのにどうしてか、静希は強烈な違和感を覚えていた
「じゃあ静希君、掃除しにいこ」
「え?あぁそうだな、それじゃな」
「お、なんだ静希部活サボりか?」
放課後、授業が終わった後に静希と明利は詫びながらそそくさと一緒に下校を始める
静希と明利は部活に所属している、静希は運動部で明利は文科部、それぞれテニス部と料理部に所属している
と言っても静希の方はそこまで本気のものではない、あくまで運動程度になればいいと思ってやっているだけだ
大会には出たことがあるが、身体能力に差がありすぎる、静希はそこまで高い身体能力を持っているというわけではないのだ
だからこうしてサボるときはサボるし、そこまで強いというわけではない
明利は料理部に入ってたくさん料理を学んでいる、将来的には調理師免許の資格を取りたいと言っているほどだ、現時点でも料理の腕はすさまじい
時折つくりに来てもらうのが楽しみになっているという意味では、明利はいい嫁になるだろう
「そう言えば静希君、今日の夕食は何にするつもりなの?」
「ん・・・一応生姜焼きにするつもりだった」
「ちゃんと野菜も摂らなきゃだめだよ?今日のご飯作ってあげようか?」
「マジでか、お願いします、明利の飯が食べられるなら言う事なしだ」
明利は期待されているということに気付いたのか、それとも明利の食事だから食べたいと言われていると思ったのかふふんと鼻を高くしながら笑っている
「うんうん、仕方ないなぁ、では作って差し上げよう」
「ははー・・・どうか美味しい料理をお願いします」
「ハハ、任せて、頑張って作るから」
家にある食材を合わせて何かを作ると思っているのか、明利は何があるかなと楽しみにしていた
いつものようにマンションのエレベーターに乗り、自分の家の鍵を開けて中に入る
明利を中に招き入れ扉を閉め、鍵を閉める
瞬間、静希は数人の人影を見た
まるで自分の体の中から出てくるかのように唐突に現れた人影を
あまりに唐突過ぎたそれは、ほんの一瞬見えたかと思うとすぐに消えてしまっていた
静希は視線を動かして先程の人影を探すが、もうすでに静希の目にはその人影は映っていない、目の前にいる明利と自分以外には誰もいなかった
「・・・ん?静希君どうしたの?」
「え?・・・あ・・・いや・・・なんでもない」
ひょっとして霊感でも目覚めたのかと思ったのだが、それは違うと何かが告げている
自分の中の何かがずっと警鐘を鳴らしている気がした、あれを見ろ、あれは違う、これが違う、気づけ
そう告げているのに何故か静希は気づけない
何が足りないのかもわからず、何がおかしいのかも気づけない
ただの違和感と不快感だけが静希の中で溜まっては少しずつ消えていっていた
「あー・・・静希君また掃除しなかったんだ、結構埃溜まってるよ?」
「・・・あ、あぁ・・・うん、やっぱ一人暮らしだとどうしてもな」
「もう、仕方ないんだから」
仕方ない、そう言いながらも明利は嬉しそうだ、自分が世話をしてやれるというのが嬉しいのか、それとも静希のために何かできることが嬉しいのか
明利が笑っている中、静希はずっと違和感を覚えていた
毎日起きて寝て、いつもいるような家のはずなのになぜか自分の家ではないような感覚になる
ここは自分の居場所ではない、そう思えてしまう
部屋にあるソファに、なんでもないただのフローリングの床に、そして窓際の空白のスペースに、それぞれ何かが足りない気がするのだ
それが何なのかはわからない、何かがない気がする
だがそんななにかも、明利が窓を開けて掃除機をかけ始めると杞憂ではないのだろうかと思えてきてしまう
静希は次に自分の部屋に戻ってみた
何でもない、いつも自分が過ごしている部屋だ
勉強机にベッド、それに本棚や掛け時計といった普通の物しかそこにはない
それ以外にあるものと言えばかなり昔に雪奈から押し付けられた漫画のポスターくらいだろうか
そう、それしかないのだ、それ以外に目を見張るものは何もない
「なぁ明利、俺の部屋ってこんな感じだったっけ?」
「え?うん、そうだったと思うよ?私は別にいじってないけど・・・」
もしかしたら自分が何かしてしまったのではないかと明利は不安そうにしていたがそんなことはない、別に何かが無くなっているという気もしないし別におかしいところも何もないのだ
おかしいところがないという事がおかしいのであると気づくことは、今の静希にはできなかった
「それより掃除終わったよ?冷蔵庫の中見てくるから、足りなかったら一緒に買い物いこ」
「あ・・・あぁ、そうだな」
自分の部屋には何も異常なところはない、ただの普通の部屋なのだ
そう言い聞かせながら静希は自分の部屋の扉を閉める
異常はない、ここは普通なのだ、そう何度も言い聞かせて静希は明利の後についていく
静希の中にある違和感は続いていた
明利と買い物をしている時も、そして食事をしている時も続いていた
明利を家に送って風呂に入るとき、静希は裸になって体に強い違和感を覚えていた
何か動作が足りないような気がしたのだ
ただ服を脱いで風呂に入るだけのはずなのに、何かが足りない気がしてならないのだ
体を洗っている時も、湯船につかっている時も、自分自身の体に違和感を覚えてしまう
自分の腕はこんなのだっただろうか
十数年間見てきた自分自身の腕が、自分のものではないような、そんな気がしてならない
ただの普通の人間の腕だ、肌の色も指の形もその動きも、人間のそれであることは間違いない、だからこそこの腕は自分の腕なのだと思えるはずなのに、何故か静希はこの『普通の腕』が自分のものではないように思えたのだ
普通の腕だ、普通の人間の腕なのだ
本来であればこの腕が自分のものか否かなど考える事さえもしないはずなのに、静希は自分の腕に違和感を覚えつづけていた
いや、正確には少し違うのかもしれない
この腕が今ここにあり、自分の腕についているということに違和感を覚えていると言ったほうがいいのかもしれない
何が違うのか、それは静希自身にもわからなかった
風呂から上がって体を拭いて、寝間着代わりのTシャツと短パンを着て、リビングでくつろいでいる間にも喪失感にも似た違和感が静希をむしばんでいる
いつも過ごし慣れたリビングなのに何か足りない
いつも見ている光景のはずなのにどうしてこうも喪失感があるのだろう
一人暮らしにはもう慣れているはずなのに、家で一人でいる事なんて当たり前になっているはずなのにどうして『寂しい』などと思ってしまうのだろう
テレビを見ていても、ゲームをしていても何かが足りないと思えてしまう、誰かがいないように思えてしまう
自分以外にここに頻繁に来る人間と言えば、明利と雪奈くらいしかいないというのに
静希は少しだけ不快感を覚えながら自室に戻ることにした
明日になればこの違和感もきっとなくなるだろうと思って寝ることにしたのだ
だが部屋の中にも違和感は付きまとってきた
勉強机を見てとりあえず明日の宿題だけ終わらせてしまおうとカバンの中からノートを取り出す
そして目の前にある壁を見た時、無意識のうちにその壁を触っていた
ここに何かあったような、この壁に何かがあったような、そんな気がするのだ
それが一体なんなのか、思い出せない
毎日のように見ていた壁なのに、ただの壁のはずなのに何かが足りないような気がする
自分の部屋を再度見渡してみても、やはり違和感が付きまとう
自分の部屋はこんなに物が少なかっただろうかと
もっと何か、他になかっただろうか
視界にノイズのようなものが走る
ほんの一瞬だけ、部屋の景色が変わったような気がした
だがそれはほんの一瞬、それを十分に観察できるだけの時間もなく静希は目をこする
今自分は何を見たのか
一体何が起きたのか
それも理解できずに静希は首を横に振る
疲れているのだろうか、特に疲れるようなことをした記憶もないのだが、どうにも今日の自分はおかしい
毎日同じようなことをしているだけなのになんで疲れるというのか、疲れる理由などない、だが今の自分が何かおかしいという事には気づいていた
宿題を終わらせて早々に寝ようと静希は今日出た宿題を片付けることにした
何のことはない、いつものことだ、いつも宿題は出るものだ
だから気にするようなことも違和感を覚えるようなこともないのだ
この部屋もいつも通り、自分の家の自分の部屋なのだ
宿題を終わらせると静希は一度水を飲もうと台所へ向かうことにした
先程まで消えていた電気をつけると、ほんの一瞬人影が見えた気がした
まただ
だが今度は静希の体から出てくるような形ではない、リビングにあるソファに横たわりながら何かをしていた
それも一人ではなく、もう一人か二人いたような気がした
何をしていたのか、それはわからない、それを確認するよりも早くその人影は静希には見えなくなってしまっていた
気のせいか、いや気のせいではない
確かに何かがいた、誰かがいたのだ
ひょっとして本当に霊感でも目覚めたのかなと寒気を覚えながら静希はコップに水を注ぎ一気に飲み干す
冷たい水がのどを潤し、少しだけ頭も冷えた気がする
寝てしまおう
自分は今おかしいのだ、普段見えないものが見えたり、自分のいつもの生活がおかしいように感じたり、自分の体そのものに違和感を覚えたり
体調が悪いとかそう言うのではない、きっと疲れているのだ
もしくは遅れてやってきた中二病だ、高校二年にもなって恥ずかしいことこの上ない
きっと鏡花にこの事を話したら笑いながらバカにされるだろうなと思いながら静希は横になる
寝てしまえば明日はいつも通りのはずだ、いつも通りになるはずなのだ、そう信じて静希は目をゆっくりと閉じ眠りの中に身をゆだねた
静希の目の前には、真っ暗な空間があった
ここはどこだろう、それを考えて数秒した後に、唐突に目の前が赤黒い光に包まれた
一体何が起こったのか
そして次の瞬間には自分の右腕を誰かが触っているような感覚に陥った
一体誰が
そんなことを考えていると静希はそれを見つけた
いや、見つけたというより唐突に現れ突き付けられたと言ったほうが正しいかもしれない
目の前にいたのは静希自身だった
だがその静希は左腕がなく、右腕も人間のそれではなかった
黒く変色した肌に、鱗のようなものが体表面にできている、あれが人間のものだと言われても誰も信じないだろう
目の前の自分は一体なんだ
それを理解するよりも早く静希は自分の体の異常に気付いた
左腕の感覚がない、先程まであったはずの『自分の腕』がない
猛烈に襲い掛かる腕の痛みに声にもならない絶叫をあげる、自分の腕が千切れた
そう、唐突に腕が無くなったのに静希は『千切れた』のだと認識していた
痛みに悶える中、静希の右腕にも変化が生じていた
まるで内部から無理矢理破裂させようとしているかのような圧迫感、それが数秒続いたかと思うと右手が変形していく
いや変形などという生易しいものではない
作り替えられているかのようなそんな変化だった
皮膚の色が変わり、内部から骨が突き出して形を変え鱗のように変化していく
両腕から出る血は止まらない、それぞれが違う痛みを脳に伝達して行く中、静希はそれを見た
目の前にいる静希が、右手を差し出しているのだ、あの異形の右腕を
そしてその右腕には何かがある、何かを持っている、それを静希に渡そうとしているのだと直感した
だが、その手にあるのが一体なんなのか静希には見えなかった
近くにあるはずなのに、目の前にあるはずなのに、静希の目はその『何か』を認識することができなかった
まるで静希自身がそれを見るのを拒んでいるかのようだった
目の前にいる静希が口を動かしている
何かを自分に伝えようとしているのだという事はわかった、それはわかるのだが声が聞こえない、何を伝えようとしているのかわからない
両腕の激痛が耳にも影響を及ぼしているのだろうかと思い、何とかその言葉を聞こうとした
聞かなければいけない気がしたのだ、自分自身が何かを言おうとしているということに、何かしらの意味があると感じたのだ
だが口を動かしているだけで、声を出していないのではないかと思えるほどに、静希の耳には何も届かない
一体何が言いたいんだ、もっと大きな声でしゃべれ
そう強く思っていると目の前にいた静希は差し出していたものを静希の異形化しつつある右手に持たせた
一体なんだ、何を渡された
それを認識するより早く、静希の眼前が唐突に白一色に変わっていく
荒い息と共に、静希は目を開いていた
目の前に広がっているのは自分の部屋の天井だ
一瞬何が起こったのかわからなかったが、静希は飛び起きるようにして自分の両腕を確認した
左腕もついている、右腕も異形化していない普通の手だ
そこまで確認してようやく静希は先程までの光景が夢だったのだと気づく
なんてことはない、夢でよかった
そう思っている中、静希は自分の体が汗だくであることに気付いた
悪夢を見ていたせいか、それともただ単に暑かったからか、それとも暑かったから悪夢を見たのか
そのどれかはわからないが非常に不快なのは事実だった
時刻は六時半、起床するには少々早い気がしたが、シャワーを浴びないとこの不快感はどうしようもない
静希はため息をつきながらとりあえず起きてシャワーを浴びることにした
シャワーで寝ている間にかいた汗を流していくと同時に、静希は自分の右手を眺めていた
あの時、何を持っていたのか、そして何を渡されたのか
ただの夢であることはわかっている、あまり夢を見ない静希が偶々偶然見てしまった悪夢であることは理解できている
だがあまりにもあの痛みは強烈で、生々しかった
まるで自分で経験したことがあるのではないかと思えるほどに、強く、鮮明に記憶に残っている
夢の中では痛みは覚えないなどと誰が言ったのだろうか、頬をつねっていたくなかったら夢だなんて誰が言ったのだろうか
痛かった、泣き叫んでしまうほどに
腕が千切れた部分と、異形化した場所を触りながら静希はその痛みを思い出していた
今でも思い出せるあの痛み、夢で体の一部が壊れたり怪我したりするのはむしろ吉兆の証だというが、実際はどうなのだろうか
今日学校に行ったら鏡花辺りにでも聞いてみようと思いながら静希はシャワーを浴び続けた
「それではこれで今学期を終了とする、夏休みに入るわけだが全員気を引き締めて日々を過ごすように、怪我などには特に気を付けろ、以上」
翌日、今学期最後のHRも終わったところで教室内は一気に騒がしくなっていた
遊びに行こうと誘う人間もいればこれから部活だと意気込む人間もいる、その中で静希達は一塊になっていた
「おっしゃ!とりあえず打ち上げするか!カラオケとか行こうぜ!」
「そうだな、まぁいつも通りでいいんじゃないか?」
「その後は静希の家で騒げばいいって感じね、明利、ちゃんと掃除した?」
「うん、ちゃんと綺麗にしてきたよ」
静希達は一塊になってとりあえず遊びに行くべく学校を後にしていた
いつものように適当に遊んで、あとは夏休みの計画でも立てればいいだけである
「それでさ、左腕が無くなって右腕がなんか変な風になったんだよ、この夢ってなんか意味あるかな?」
「んー・・・怪我するとか死ぬとかいうのはむしろいいことの予兆みたいなことは言ってたわね、あんたの両腕にこれからなんかしら良いことがあるんじゃないの?」
静希はとりあえず今日見た夢のことを鏡花に話していた
鏡花が何でも知っているというわけではないだろうが、鏡花の知識量は静希のそれをはるかに凌駕する
何かしらの意味があるのかとも思ったが特に何か意味があるようには思えなかった
「後何か内容は?別のものがあると判断しやすいけど」
「あとは・・・あぁ、目の前に俺がいた、んでもってなんか差し出してきた」
「差し出してきた・・・それが何かはわからなかったのね?」
あの時目の前にいた静希は自分になんかを渡そうとしてきた、最後にそれを渡していたが最後までそれが何なのか静希はわからなかった
目の前にあったはずなのに見えなかった何か、それをキーワードに鏡花は静希の夢の意味を探し出そうとしていた
「そうね・・・自分自身が出たっていうのはあんたが今の自分に不満を覚えてるのかもしれないわね、要するに理想の自分の暗示、んでもってその差し出してきたものがあんたが今欲しい物、でもそれが見えなかったてことは漠然としすぎてるからじゃないかしら」
つまりあんたは今のままじゃいけないことがわかっていても、その具体的な打開案がないことに悩んでる、そう言う事ねと鏡花が結論付けると静希はなるほどと納得するほかなかった
「両腕のことに関しては?」
「たぶんあんた自身が両腕が重要だってことを無意識のうちに認識してるんじゃない?一応テニス部だし、腕力付けなきゃとか考えてたんじゃないの?」
鏡花の言葉にそうなのかなと静希は自分の両腕を見る
あの痛みにはそう言う意味があったのだろうか、だがあの痛みは夢というにはあまりにも
そんなことを考えていると静希達はカラオケ店についていた
いつも通り部屋をとってそれぞれ思い思いに歌い始める
高校生らしい遊び、歌って叫んで笑って、ただの高校生らしい生活
何の不満もないはずなのに、夢のことに関していえば不満があるのではないかと指摘される
何が不満なんだろうかと思いながら静希はあの時自分に渡された『何か』を思い出そうとして自分の右手を開閉していた
「それでさ、今年の夏は何するよ、海とか行くか?」
「いいかも、どうせなら泊りがけで行きたいよね」
歌を歌いながら静希達は夏休みの計画を立てていた
それぞれが行きたいところを言いながらあれがいいこれがいいと意見を出し合っていく
「どっか遠くに旅行に行くってのもありだよな、沖縄とか行ってみたいな」
「あんたその金はどこから出すのよ、学生らしく行ける場所なんてたかが知れてるでしょうが」
静希達はただの高校生だ、バイトをしたところで時間が限られている現状では貯められる金額もたかが知れている
それを考えると遠くに旅行に行くというのはなかなかハードルが高い
「じゃあ温泉とか、近くにあるらしいよ?」
「それもいいけどさ、遊園地行かない?みんなで泊まりで」
遊園地
その言葉を聞いて静希は少し違和感を覚えた
「何言ってんだよ鏡花、俺らは遊園地いけないじゃんか」
静希の言葉にその場にいた全員が首を傾げた
「なんで?別に行けるじゃない遊園地くらい」
「え?だってほら・・・俺たちは・・・」
俺たちは
その後の言葉が出てこない
何で自分は今、自分たちは遊園地には行けないと思ったのだろう
過去に遊園地に行ったこともあるはずだ、思い出せないが行ったことがあるという事は覚えている
なのに何故、今自分は遊園地には行けないと思ったのだろう
それがさも当たり前のように思ってしまったのだろう
「それもいいけどよ、今度映画も観に行きたいよな、ほらハリウッドの超能力映画」
「あー・・・まぁあぁいうのは非現実的だから一度見れば十分って感じするけど・・・」
「何言ってんだよ、一度はあぁいう超能力を使ってみたいって思うのが男の子だろ」
「超能力なんてあったって面倒なだけだと思うけどね」
まぁあぁいうのは現実にはないからいいものでしょと鏡花は笑いながら次の曲を入れている
何かおかしい、何かがおかしい、おかしいということがわかっているのに何がおかしいのかが分からない
静希は言葉にできない矛盾と不安を抱えながら夏休みの計画が書かれた紙を眺めていた
「あー・・・歌った歌った、やっぱ久しぶりに歌うといいわね」
「大声出せるのがカラオケの利点だからな、普段叫ぶことなんてないし」
カラオケを終えた静希達はひとまず店を出て静希の家で騒ぐべく菓子や食べ物を買って静希の家へと向かっていた
思い思いの食べ物や飲み物を手に持って、あとは家でのんびりダラダラと遊ぶだけである
「でもこういう時に一人暮らしの奴がいると便利よね、たまり場みたいにして悪いけど・・・」
「あ・・・あぁ・・・まぁ気にすんなよ、片付けさえしてくれれば俺は文句ないからな」
後は雪姉の相手もしてくれれば一石二鳥だよと付け足すとあの人はなんていうかいつも通り過ぎてねと笑っている
静希の違和感は拭えない、むしろ強くなり続けていた
一体何がおかしいのか、何に違和感を覚えているのかもわからないが、何かがおかしいのは決定的なのだ
確証があるわけではない、むしろ自分がおかしくなっていると思ったほうが自然だ
周りの友人たちは全くいつも通りに過ごしている、そう特に変わりなどないというかのように過ごしているのだ
その光景が静希の違和感をさらに加速させた
静希が家の中に入り友人たちを迎え入れ、とりあえず荷物を置こうとリビングの方へ向かうと、それは聞こえて来た
「あー・・・やっぱり我が家はいいわね、シズキ、ゲームやってていい?」
それは一体誰の声だったのか、女性の声だったのはわかる
明利でも鏡花でもない、自分の姉貴分である雪奈でもない
だが、どこか聞きなれた声だった
近くには静希達以外には誰もいない、なのにその声は聞こえて来た
一体誰が?
そんなことを考えていると静希の視界に再びノイズが走る
リビングのソファに横たわりながらゲームのコントローラーを持つ女性、フローリングの上で座禅を組む犬顔の大男、自らに付き従うように近くにたたずむ女性、そして窓際にあるハムスター用のケージと水槽
自分の家にあるはずのない、いるはずのない謎の人物たちが見えたことで、静希は混乱し始めていた
まだおかしいままなのか、自分はまだ何かおかしいのだろうか
一晩過ぎてもそんなものが見えた静希は、いつの間にか何かを持っていた
それは、カード、トランプだった
五十三枚のトランプ、静希はこれをどこかで見たことがあった
そう、あれはたしか幼少の頃、親と一緒についていったデパートで見ていたはずだ
ガラスのショーケースの中にいれられたトランプ
どういうわけか幼いころの静希はあれが欲しくて手を伸ばしていた
手を伸ばして、気付いたらそのトランプを自分が手にしていたのだ
何が起こったのかはわからない、どうして目の前にあるトランプが自分の手の内にあったのかはわからない
だがそうだ、あの時だ
静希はあの時、能力者になった
「違う・・・ここは違う」
あの時、夢の中の自分が何を言おうとしていたのかようやく分かった
『目を覚ませ、そこはお前の居場所じゃない』
「ここは俺の居場所じゃない」
能力者のいない世界、ここは恐らくそう言う世界なのだ
もし能力者がいなかったらどうなっていたか
静希達がどうやって仲良くなったのかとか、どうやってこうして集まるまでに仲良くなったのかとかそう言う面倒なものをすべて排除して、都合よく静希の記憶と知識によって構成された世界が、この場所なのだ
能力もいさかいもなく、平和に過ごした世界がこの場所なのだ
陽太と陽太の両親がいがみ合う事もなく、明利の両親が言い争うようなこともなく、鏡花もただこっちに引っ越してきただけかもしれない
平和で何も起こらない、そんな凡庸な日々
「どうしたの静希君?そんな怖い顔して・・・」
「・・・ん・・・何でもないよ明利」
明利は変わらない、相変わらず自分を好きでいてくれている、当然だ、この世界は静希の記憶をもとに構築されているのだから
静希は目を閉じてゆっくりと耳を澄ます
聞こえるはずだ、あの時静希がやろうとしたことは失敗した
ならば次の手を打たなければいけないのだ
ここは自分のいるべき世界ではない
ここは平和すぎる、平和であることはよいことなのだろう、だが自分には不釣り合いだ
聞こえるはずなのだ、自分の体はまだそこにあるのだから
『・・・スター・・・マスター・・・!』
徐々に聞こえてくるその声を静希は知っている、そうだ、自分はこの場所にいていい存在ではない
静希の周りの世界に徐々に亀裂が走っていく、風景にも、この部屋にも、近くにいる明利にも
自分が一体何者であるか、静希はすでに気づいていた能力者、悪魔の契約者、ジョーカー、五十嵐静希
「目を覚ませ、ここは俺の居場所じゃない」
本気投稿プラス誤字報告十件分で3.5回分投稿
この話は何回かに分けるつもりで書いていた記憶があります。まさか一度で終わるとは・・・
これからもお楽しみいただければ幸いです




