崩れる日常
六月、徐々に蒸し暑さが増し、湿気と雨がその不快指数も増やしていく中で、静希は若干呆れ交じりにため息をついていた
何故かと理由を聞かれれば答えは至極単純である
「あ!見て見てイガラシ!あれがメイドさんね!すごいわ!町に普通にいるのね!」
そう、先日オーストリアの歪み事件の際に再会したイギリスの王族、そのお姫様であるセラが日本にやってきているのである
何故かと聞かれれば、それも至極単純、彼女が半ば無理矢理に日本にやってきたのだ
しかも護衛もなしにたった一人でやってきたのだ、一体どんな手を使ったのか、それを話すには時間をやや遡る必要がある
数日前、静希は自室でエドと電話をしていた、以前話していたアイナとレイシャの留学の話が現実味を帯びてきたのである
その為二人に学園内を案内するとともに、学園の教員に彼女たちの能力などを検査させるという事だった
その為また短期ではあるものの日本にやってくるのだという
『ようやくここまで来たよ、何とか今月中には手続きも終わる、早ければ七月から留学ができそうだ』
ずっと書類と格闘していたであろうエドとしてはようやくここまでこぎつけることができたとなかなかに感慨深いようだ、その声音からかなり機嫌が良いのがうかがえる
「案外時間かかるもんだな、二人にはもう留学のことは話したのか?」
『あぁ、二人も日本でシズキ達と同じ学校というのには興味を持っているようだったからね、短期であれば僕も日本を拠点にできるし、こちらとしては大助かりさ』
日本を拠点に活動をすればアイナとレイシャの面倒を見るついでに仕事をすることだってできる、何より彼女たちが学校というものに通いたいと思うかどうかが今回の留学の肝だ
これで学校に通いたいと思わないのであれば、それは彼女たちの選択だ、エドからすればそれ以上何も言うことはないのだろう
『あとは日用品をそろえて・・・それにそっちで過ごすなら最低限の準備はしておかないとね』
「そうか、まぁこっちに来るなら連絡してくれ、また準備しておくから・・・」
近日中という話だったが、静希からすると今はそちらよりも別の事の方が気がかりだった
それは先日リチャードの情報を得たことによるカレンの変化である
「・・・それで、カレンの様子はどうだ?」
『・・・うん・・・一見いつも通りに過ごしてるけど、やっぱりどこかピリピリしているよ、あの二人も感じ取れるくらいにね』
ピリピリしている、彼女としても今動くのが得策ではないという事は理解している、だからこそ普段通りを演じようとしているのだろうが、どうしたって自身の中にある憎しみを抑えられるはずがない
欠片程度ではあるが静希もそれを理解できるからこそそれ以上何も言うことはできない、そしてその気持ちを理解できるエドも同じように特に何かを言うことができずにいるのだ
彼女が普段通りに過ごしたいと思っているのであればわざわざそれを壊すわけにもいかない、問題は今の状態がいつまで続くかという事である
『シズキ、君の方に何か情報は入ってきているかい?』
「情報って言ってもお前に伝えたので全部だ・・・それ以上のことはまだこっちにも伝わってないよ」
あの後、静希に伝わってきた情報はリチャード・ロゥの個人情報だった
リチャード・ロゥはもともと偽名だったのは知っていた、テオドールを経由して静希に知らされた本名は『チャーリー・クロムウェル』、出身はドイツ、かなり前に実験の失敗で事故を起こして以来行方不明になっていたらしい
外科により整形手術を行った痕跡などが見つからず、素顔のままでいたというのはある意味幸運だったかもしれない
静希が送った素顔のデータからここまで割り出すことはできたのだが、そこから先が難航しているようだった
どうやら正規の移動手段を使っていないらしく、どこにどうやって移動しているのかを把握し切れていないようだった
そのあたりは裏稼業のテオドールの担当なのだが、やはりどこにでも網をかいくぐる人間というのは出てきてしまう、全てを把握するなどという事は無理なのだ
無論この情報はエド達にも伝えてある、本名を告げた後エドは「なんだかありきたりな名前だね」と少し残念そうにしていた
名前や素顔よりも、仇を討つことよりもエドはカレンの方が気がかりなようだった、なにせ彼女の復讐への想いは測りきれない、次の瞬間何をするかわかったものではないのだ
いくら恩義のあるエドの下にいるとはいえ、抑えていられるのも時間の問題かもしれない
「とりあえず今は待つときだ、去年のことを考えるなら必ず近々アクションを起こすはず、そうなったらお前らに一番に報告するよ」
『あぁ、頼むよ・・・僕個人としても、あの状態の彼女は見ていられない』
気丈に振る舞い、普段通りを装うカレン、だがその節々に抑え込まれた怨嗟と殺意が垣間見えるのだ
家族を殺された憎しみ、利用された恨み、そしてそれが起こるまで気付けなかったという自責の念
彼女の中では今そう言った感情が渦巻いているのだ
身近にいるエドとしては、彼女を何時までもそんな状態にはしておけないと思っているのだろう、それは静希も同意見だった
あのままにしておいてはいけない、きっと取り返しのつかないことになる
そうさせないために他の事にも目を向けさせようとしていたのだが、やはり人の感情というのは一朝一夕には拭えないものらしい
「静、電話終わった?」
「あぁ、今度またエド達がこっちに来るってさ、アイナとレイシャの留学の件で」
「へぇ、じゃあ留学できるんだ、楽しみだね」
さも当然のように家にいる雪奈と明利は静希の電話を遠巻きにではあるが聞いていた
そしてその内容が決して楽しいことだけではないのもある程度は察している、だからこそ話題を楽しい方向へと逸らそうとしていた
「あの子たちが来たらアンネの紹介しなきゃね、何か一発芸でも考えておいたら?」
「芸と言われても・・・水を操る程度しかできませんよ?」
新しい人外であるウンディーネもすでにこの家に随分となれていた、雪奈の言うアンネとはウンディーネの愛称である
ウンディーネというのは長くて呼びにくいのか、彼女の名前のスペルから略称を考えたのだという
最初はアンディにしようと思っていたらしいのだが、それは男性名であるためにそれっぽいアンネにしたのだとか
邪薙のことはわんちゃん神様と呼んでいるのにウンディーネとは呼びたくないあたり何が違うのか静希にはわかりかねるが、ウンディーネ自身この愛称は嫌いではないらしい
ウンディーネは静希と明利の用意した水槽で暮らしている、ほどほどに水草や生き物を入れることで介入しなくても自然と綺麗さを保てるように調整した疑似生命球だ
幾度かの実験の結果、どうやらメフィなどが放つ人外の気配は魚にも有効らしい、試しにペットショップの一角、金魚やらを扱っている個所でほんの一瞬メフィを取り出したところ慌てふためくかのように動きまくる魚たちを見ることができた
申し訳ないことをしたなと思う中、一つのことに気付けたのだ
貝などの類に関してはメフィの放つ圧力の影響をあまり受けていないようだったのだ
その為水槽の中にはいくつかの種類の貝を入れてある、コケなどを食べるタイプの貝で水槽の中をきれいに保ってくれるのだ
その為洗わなくても綺麗な水槽が維持されるためにウンディーネは住み心地が良いと喜んでいた
「あの子たちがまた来るのか・・・じゃあお泊りの準備しないとね」
「あぁ、雪姉に随分懐いてたからな、留学することになったらしばらくこっちに住むことになるだろうけど」
留学の期間がどれくらいになるかはわからないが、七月末までに留学が行われない場合次の学期、つまりは九月まで留学が延びるという事になる
今度アイナとレイシャの能力のチェック、そして本人たちの学力のレベル、そして性格などの人格調査などを主に行うようだが、それが上手くいけば早くて七月には留学ができるかもしれない
書類などの段階はすでに終え、後は当人たちの問題になっているのだ、後静希にできることと言えば住まいの提供くらいである
「あの子たちもこっちに慣れることができるといいけど、やっぱり日本と海外じゃいろいろ違うもんね」
「そうですね、食生活とか特に、何度か作りに来てあげなきゃ」
そんなことをほのぼのと話している雪奈と明利だが、静希はあることについて少々悩んでいた
それはアイナとレイシャの身長の事である
つい先日、エドからまったく別件というか世間話程度に話をした時に小耳にはさんだのだが、身長がついに明利を超したという事らしい
彼女たちの身長は現在アイナが百四十九センチ、レイシャが百四十七センチらしい
どちらも明利の百四十六センチを超えたことになる、この事実を伝えるべきか否か、静希は少しだけ迷っていた
「後は勉強とかも教えてあげたいね、遊ぶのももちろんだけど」
「そうですね、わかりやすく教えてあげないと」
今は直接会っていないためにお姉さん的なポジションでいられると思っているようだが、実際に会ってすでに身長を抜かされているという事実に気付いたとき、その状態を保っていられるかどうかは疑問だ
どうするべきか
静希は明利を見ながらひどく悩んでしまった、結局会う時になればわかることなのだがその前に知らせるべきか否か
「ねぇ静希君、二人が来たら私も何日か泊まっていいかな?」
「はぇ!?あ、あぁ、もちろんいいぞ、是非来てくれ」
明利としてはあの二人と一緒にいるのは嬉しいのだろうか、雪奈と一緒に戯れるのもいいと思っているのだろうが、その表情が笑顔のままでいられるかどうかは微妙なところである
幸いにしてまだ東雲姉妹には抜かれていないが、それも時間の問題、恐らく今年中には抜かれるだろうと静希は考えていた
「オルビア、もしもの時はフォロー頼むぞ」
「お・・・お任せください、何とかして見せます」
事情を知っているオルビアは若干自信がないのか顔をひきつらせながらもそう宣言する
押し付ける様で申し訳ないのだが、これに関しては女子同士の方がいいように思えたのだ
身長がコンプレックスである明利にとって、子供の成長は恐らくかなり大きな問題になってくるだろう、喜ばしい反面、彼女の自尊心は傷つけられていくのだから
「雪姉、万が一の時は頼むな」
「ん?なにが?」
一応頼んでおいたが、たぶんこの人はわかっていないなと静希は一種の覚悟を決めるしかないようだとため息をつく
楽しみなようで楽しみではない、エドたちがやってくるのはあと少し
「へぇ、じゃあまたあの子たち連れてくるんだ」
「そうなんだよ、今度は二人の事をメインに調べるんだと」
翌日、静希は雑談交じりに鏡花たちにエドたちのことを話していた
実際留学するとなれば鏡花たちに協力を要請することもあるかもしれない、ある程度事情を伝えておいて損はないのだ
何より彼女もエドたちの事情を知る数少ない人間の一人だ、少なからず思うところはある
「でさ、結局どの学年に配属になるわけ?年相応なの?」
「いや、どうやら学力テストをしてそれにあった学年に入るらしい、そのテストを今度やるんだと」
「へぇ、じゃあもう留学は決定なのか?」
「そのあたりももう最終段階に入ってるらしい、本人たちの気性だとかも含めてチェックするんだとさ、言葉をある程度理解できるかどうかとかも調べるらしいぞ」
何も留学というのは学力だけで決まるわけではない、その個人の性格やコミュニケーション能力なども重視される
特に言語をどれだけ理解しているかというのはかなり重要だ、どれだけ気さくな人間でも言葉が通じなければ意味がないのだから
「それに関しては問題ないんじゃないの?あの子たち大人しいし・・・子供っぽいけど」
「日本語もある程度話せてるしな、留学秒読み段階ってところか」
陽太の言うようにすでに二人の留学は秒読み段階に入っている、後はあの二人がテストや審査を通ることができれば問題なくこの学校に留学することができるだろう
期間としては二週間から一ヶ月くらいが妥当だろうか、一般的な留学の期間のことは知らないが、あの二人の年齢を考えるとそれ以上の長期の留学は倫理的に難しいように思える
もっとも静希の家に泊まるのに加え、近くにエドもやってくるという事もありそこまで気にするような事ではないかもしれないが、慣れない土地で暮らすというのはそれだけ肉体だけではなく精神にも負担をかけるのだ
「あの二人がうちの学校にかぁ・・・エドモンドさんとしては嬉しいんじゃない?」
「学校に通わせてやりたいって言ってたからなぁ・・・まぁこれはきっかけになればいいんじゃないか?あの二人かなり優秀だし、しっかり通えば大学にだって行けるだろ」
能力者が大学に通うことができるようになる条件は厳しい、学力的な問題だけではなく性格などの日常的な評価も加えられるのだ
あの二人であれば学力は問題ないと思われる、性格面でも特にこれと言って今のところ問題はない、叶うのならば大学まで通わせたいと思っているだろうが、あの二人がそれを望むかは微妙なところである
「そういや俺あの二人の能力知らないんだけどさ、どういう能力なんだ?」
「さぁ?俺も詳しくは知らん、ていうかあの二人が能力使ってるところ見たことないんだよ」
初めて会ってからそれなりに時間が経っているにもかかわらず、静希はアイナとレイシャの能力を知らなかった
そもそも自分の能力を他人に教えるという事自体あまりない、それが敵か味方かわからない人間には特に
そう考えれば彼女たちの対応は正しい、今度来る時に聞いてみようと思ったのだが、このまま秘密の方がいいのかもしれないなという気もするのだ
なにせ彼女たちはまだ成長期だ、能力も円熟期に達していない可能性がある、まだ能力の伸びしろがある状態ならば他の人間に教えるべきではないというのも理解できる
「発現か同調か、変換だったら私教えられるんだけどなぁ・・・」
「同調だったら私が教えられるね、それ以外はからきしだけど・・・」
鏡花と明利はそれぞれ変換と同調の専門家だ、指導をするのも可能だろうがそれはあくまで同じ系統に限った話だ
同じ系統であれば技術指導も問題なく行えるだろうが、系統が違うだけで能力の発動の仕方は一気に変わる
それぞれ感覚的なものでしかないが直接的な指導も含め間接的にアドバイスをすることも可能なのが同じ系統の能力者同士ではよくあることだ
陽太の姉の実月と明利が師弟関係にあるように、同じ系統の能力者を師匠として教えを乞う事はよくあることだ、そう言う意味では鏡花は東雲優花を弟子にしたことがあると考えてもいいかもしれない
師匠と弟子という形はよく見られる、この学園内でも何人かは先輩を師匠にして指導をしてもらっている人間もいるくらいだ
静希や陽太の場合特殊すぎるために教えられる人間がいなかったというのが一番の不運だっただろう
「ちなみに戦闘能力はどれくらいあるんだ?結構経験積んでるんだろ?」
「さぁな・・・毎日エドたちと訓練してるみたいだけどどれくらい強いんだか・・・一度も手合わせしたことないし」
エドやカレンを含めて対人訓練や、ヴァラファールたちとも訓練をすることがあるため疑似的な対奇形種訓練と対悪魔訓練をこなしていると思っていいのだろうが、その実力は定かではない
能力の強弱にも左右されるが、その立ち回り方に関しては他の同学年の人間よりは先を行っているのではないかと思われる
少なくともすでに訓練のレベルはただの小学生を凌駕しているのは事実だ
対人戦、対悪魔戦、疑似的な対奇形種戦、それぞれすべてこなしているのだから
静希達が小学生の時はせいぜい能力を使わない組手と能力発動、そして怪我をさせない範囲での能力戦くらいだった
それを考えるとエドの英才教育は非常に難易度の高いものが含まれているのがわかる
彼女たちがどのように成長するのか、静希達としては楽しみだった
「幹原、イーロンが戻りたがっている、そろそろお前の首に巻き付かせてやってくれ」
「わかった、ありがとね」
丁度イーロンに巻き付かれていた石動が教室にやってくると、明利の体が恋しくなったのか、イーロンはしきりに明利の方に首を伸ばしている
明利以外の人間に巻き付くことが増えたイーロンだが、やはりまだ親代わりとなっている明利から離れるのは早いのか、必ず明利の所に戻ろうとする
一時期は明利から離れている時期が多かったのにこうしているとやはり親とは偉大なものだなと思えてしまう
教室に戻ってきた石動からイーロンを受け取る明利、だがその大きさは徐々に明利の体には負担になるほどになってきている
元々完全奇形というのもあり、きっと今以上に大きくなるだろう、今まではちょっとしたマフラーのように見えていたのだが、今はもうそんなレベルではなくなってしまっている
重さもそうだがその長さと太さを含め、どんどん大きくなってきているのだ
ヘビやトカゲの成長速度がどれほどのものかは知らないが、もともと体長は一メートルを軽く超えていたためにこの成長速度も納得のいくものだった
「なんかさ、この子もずいぶん大きくなったわよね、そろそろ明利も巻き付かせるの辛いんじゃない?」
「うぅん・・・確かにちょっと重くなったかな・・・今はまだ平気だけど、これ以上重くなると私じゃ持てないかも・・・」
今はまだ明利の筋力でも十分支えていられるだけの大きさと重さだが、これ以上重くなると明利の筋力では支えられなくなるかもしれない
成長速度から計算すると、恐らく再来月にはもう明利の許容重量を超えるかもしれない
「男子ならまだ支えられるけどな、でもこれからどうするよ、さすがに誰かの首にずっと据え置くこともできなくなるだろうし」
大きさと重さのせいもあって、そろそろ人間ではイーロンの居心地のいい空間を作ることができなくなりつつある、このままでは彼女に余計なストレスを与えることに他ならない
「鏡花、なんかいい具合の置物っていうか、巻き付くことができる台座的なものを用意してやったらどうだ?」
「あー・・・確か爬虫類系を飼う時に止まり木的なやつを持ってる人いるわよね・・・ちょっと作ってみましょうか・・・デザインは・・・」
鏡花は窓から外を見渡してそれらしい枝などがないかと思ったのだが、イーロンの今の状況を見なおして口元に手を当てる
思えばイーロンが人の首以外のものに巻き付いている光景を見たことがない、飼育小屋の中に入ってもとぐろを巻いているところを何度か見たことがある
「いっそのこと人の体をモチーフにしようかしら・・・前作った銅像みたいに」
「あぁ、石動の銅像か・・・まぁ本人がいいならそれでいいんじゃないのか?」
相手は奇形種なのだから本人というのは若干間違いかもしれないが、この場ではそれは置いておくとして、問題はイーロンが気にいるかどうかだ
生まれてからすぐ人の首に巻き付いていたこともあって、彼女はもはや人の首に巻き付かなくては落ち着かないようになってしまっている
この辺りを矯正するべきだったかなと、全員が若干後悔しているのだがもはや手遅れというべきだろう
後はイーロンが巻き付く対象を人の首から置物に徐々に変えていくことができれば生徒たちの負担も幾何か軽減されるだろう
奇形種の成長の早さを侮っていたとはいえ、まさかここまで大きくなっていくとは
「それじゃ今度いくつか作ってみるわ、明利、イーロンの誘導は任せたわよ」
「うん、わかった・・・イーロン、ちょっと陽太君に巻き付いててね」
明利が手を陽太へと向けるとイーロンはその意図を察したのかするすると腕の上を移動し陽太の首へと巻き付いていく
今のところこの学園内でイーロンを最も操れるのは明利だ、操ると言うと語弊があるかもしれないが、しっかりと躾をしているらしく、明利の言う事には大概従ってくれるらしい
母は強しというやつだろうかと静希が悩んでいると、陽太がにやにやと笑っている
「相変わらず静希は嫌われてんのか?お前ほとんど巻き付かれてないもんな」
「・・・まぁな、前にあいつを中に入れた状態で学校に来てからまた随分と嫌われてるよ、まぁあれは悪かったと思ってるけどさ」
以前海外での依頼を終えて、メフィを体の中に入れたまま学校に顔を出して以来、静希はさらにイーロンに嫌われていた
他の動物にはそこまで嫌われているというわけではないらしく、鏡花の家の飼い犬であるベルにはほどほどに接することができた
恐らくイーロンにだけ嫌われているのだろう、何故自分だけがと思うかもしれないが、何とはなしにその理由がわかってしまうだけに悔しかった
「この前餌で釣ってもダメだったもんね、何でこんなに嫌われてるんだろ」
「この子結構頭いいから、わかるんでしょ、静希が危険人物だって」
鏡花はそう言いながら明利の方をちらりと見る、なんとなくだが、鏡花はイーロンが静希のことを嫌う理由に心当たりがあった
静希と明利は恋人同士だ、恐らく親をとられたくないという感情も静希が嫌いという理由の一つになっているのかもしれない
雪奈も一応明利の恋人のようなものだが、あの二人は同性だ、イーロンの中ではあれはセーフの部類に入るのだろう、だが静希は異性、母親をとられまいとする子供の心境をイーロンが持ち合わせているのではないかと思えてならない
ヘビやトカゲというよりまるで人間に近い考え方をするのだなと思えるかもしれないが、そんな気がしてならないのだ
「へぇ・・・じゃあ今週中には来るのか」
『うん、今やってる仕事が片付いたらすぐにそっちに行こうと思ってる、事前に学校とかを案内してもらえると助かるよ』
静希は夜にエドと話していた、今度やってくるときの打合せ的な意味も含めたものだったのだが、どうやら向こうの方では仕事が立て込んでいるらしい
仕事と子育てを両立しているというとなんだか本格的に親のように見えるが、そのあたりはもはや今さらというものだろう
どうやら試験があるのは今週の土曜らしい、時間的に見ればもうそうそう時間はないが事前に予告されているだけありがたいというものだろう
それに今回のテストはあくまでどれだけの学力があるかをチェックするものだ、ある程度の学力がなければ留学させないというものではない
もっとも、さすがに足し算や掛け算ができないでは話にならないが、その程度の学力は当然のように持ち合わせているだろう
「あいつらの様子はどうだ?多少緊張してたりするのか?」
『んん・・・そうでもないかな、今はテストに向けて猛勉強してるよ、そう言う意味ではちょっと緊張くらいはしてるかもね』
テストに向けて猛勉強、何とも学生らしい光景だが、そんな学生らしい光景を見ることができてエドとしては嬉しいのだろう
なにせ去年までこの二人はまともな学など修めていなかったのだから、一年も経っていないのにこの変化は身近で見てきたエドとしては嬉しい限りだろう
「あ、そう言えば言い忘れてたことがあるんだけど、お前らって爬虫類平気か?」
『随分唐突だね、爬虫類か・・・トカゲとかヘビのことだよね?どうして急に?』
静希が懸念しているのはイーロンのことだ、なにせ日常的に人の首に巻き付いているためにふとした拍子にアイナとレイシャに巻き付く可能性がある
もしあの二人が爬虫類が苦手だった場合危険だ、下手すれば能力を発動しかねない
「いやさ、うちの学校で爬虫類の・・・トカゲ?みたいなのを飼っててさ、触れ合う機会もあるだろうから一応と思って」
『あぁそう言う事かい?一応大丈夫だと思うよ、大概の生き物は問題なく触れると思う』
エドの言う大概の生き物というものの中に奇形種が入っているかは微妙なところではあるが、ひとまず安心というところだろうか
奇形種といえど一応は爬虫類だ、トカゲとヘビの中間のような形をしているためにどちらかが大丈夫ならば問題はないだろう
「それなら大丈夫かな、一応今度紹介するよ、結構大きいからびっくりするかもだけど」
『へぇ、大きい爬虫類っていうとイグアナとかかな?そんなものを飼ってるなんて日本の学校は変わってるね』
大きな爬虫類というとやはりイグアナなどの大きなトカゲ類を連想するのだろうが、実際はそれよりもかなり大きなヘビもどきだ
しかもただの蛇などではなく完全奇形、日本の学校が変わっていると言われても否定できない状況なのは間違いない
「一応二人にも爬虫類の生き物がいるってことだけ伝えておいてくれ、心構えは重要だからな」
『あぁそうするよ・・・そう言えば二人が『ガクショク』というものに興味を持っていたけど・・・』
「あぁ、学校にある食堂か・・・まぁ普通だと思うぞ、そこまで期待するようなものじゃないと思うけど・・・」
学校内にある食堂、略して学食なのだが、どうやら雪奈からそういう知識を教え込まれていたらしい、あの人は本当に妙なことを教えるなと思いながら静希は自分の学校内にある食堂を思い浮かべる
学食は基本劇的に美味いというものではない、それは恐らく全国共通だろう
安く、そして用意されるのが早い、そう言うものであってレストランのような味で勝負しているようなところではないのだ
『まぁそのあたりは彼女たちも納得しているだろうさ、どんなものなのかが気になっているんだよ、なにせ今までそこまで人が集まるところで食事をするという事はなかったからね』
「あー・・・そうか、基本お前について行ってるんだもんな・・・それだと結構衝撃的かもなぁ」
喜吉学園は小中高一貫の専門学校だ、代によってその総数は若干の違いがあるものの基本的に昼食時になると食堂はひどく混む
「でもエド、小学校に留学するなら学食じゃなくて給食だぞ?うちは中学から弁当とかになるし」
『え?そうなのかい?あちゃー・・・それは失念していたな・・・』
喜吉学園は小学校は給食、中学校からは弁当になるために中学生と高校生の食堂利用者が一堂に会するのだ
小学生はそれぞれ自分たちの教室で食事をとるために学食を利用するためには少々特殊な手順を踏まなくてはならないだろう
留学前に利用するのであれば問題はないかもしれないが、留学中に学食を利用するというのは恐らくできないと思っていい
『そうか・・・残念だけど留学中は諦めたほうがいいかもね、じゃあ今度案内するときにでも頼むよ、そう言う雰囲気を味あわせておいてあげたくてね』
「そりゃ構わないけど・・・そこまで良いものかなぁ・・・」
時折学食を利用する静希からすればあの空気はそこまで良いものとは言えない、右も左も人の話し声とものを食べる音で満ちているのだ
騒音とまではいかないがあの空気に慣れるのには少々時間がかかるだろう、特に今まで大勢の中で食事をしてこなかった人間ならなおさらかもしれない
「よし・・・こんなものかしら」
翌日、鏡花はイーロンのために止まり木のようなものを作っていた
場所はいつも訓練を行っているコンクリートの演習場、そして作り出したその止まり木もどきに静希達は眉間にしわを寄せていた
「んじゃ明利、とりあえずイーロンを誘導してくれる?」
「う・・・うん・・・」
明利が誘導するそこにあるのは見た目マネキンのような人形だ
しかも明利の体そっくりに作ってある、少しでも違和感をなくすためだというが近くで見ているこちらからすれば違和感満載な光景だった
「なぁ鏡花、ここまで人間の形にする必要あったのか?」
「そりゃあるわよ、もともと人間に慣れさせるのが目的でしょ?人間の形の方がいいに決まってるじゃない」
「そりゃそうかもだけど・・・」
用意された明利の体形にそっくりな人形に巻き付くイーロン、明利の体を見本に作っているためか居心地はよさそうなのだがやはり如何せん小さいようだった
鏡花がそれを見越してもう少し大きいサイズの人形を作り出す、今度は静希の大きさに近い、そしてその方向に誘導すると今度はちょうどいいようで居心地よさそうに眠り始めていた
「ふむふむ、今のサイズだと静希の体がジャストみたいね・・・今後大きくなったらちょくちょくサイズ調整しましょうか」
「でもこのまま大きくなったらさ、そのうちでかい山みたいな人形が必要になりそうだよな、イーロンの親のサイズまで育ったら・・・」
もしイーロンがかつて静希達が戦った完全奇形と同じくらいの大きさに育った場合、確かに山のような大きさの人形が必要になるかもしれない
その場合全身ではなく肩から上だけを作ることになるかもしれないが、どちらにしろ大がかりな準備が必要になるのは言うまでもない
幸いにして用意してある飼育スペースはかなり大きなものになっており、多少の大きさであればカバーできるだろうが、これからもっと育った場合校舎の方には来ることはできなくなるかもしれない
「で、これはどうすんだ?各教室においておくのか?」
「さすがにそれは無理でしょ・・・まぁこれから教室でこの子を支えるのが難しくなったら仕方ないかもしれないけど・・・」
現状でイーロンの飼育は学園全体で行っているが、やはりメインとなるのは初期に発見した静希達だ
生まれた時から見ているために多少癖のようなものも分かるし、その感情の機微なども把握できる、とはいえ相手が奇形種である以上もちろんある程度でしかないが
「でも教室の一角にこれがあるところを想像してみろよ・・・なんかダメじゃね?」
「まぁ圧倒的な存在感はあるよな・・・なんて言うか監視されてるみたいな感じがする」
人形というだけで後方から誰かが見ているという感覚はしないだろうが、鏡花が作った人形はやけに存在感があるのだ、それこそここに誰かがいるのではないかと思えるほどである
精巧すぎる出来栄えが存在感を増長しているのだ、なにせ衣服のしわだけではなく、肌の細部まで再現してあるのだ、ここまで再現する必要があったのだろうかと思えてならない
以前石動の銅像を作ったことと、ゴーレムの動かし方を学んだおかげでまるで人間そっくりに作ることができるのだ
「ここまで来ると分身とか作れるんじゃねえの?ちょっとやってみてくれよ」
「え?これ作るの結構疲れるんだけどな・・・」
そう言いながら鏡花は自分そっくりの、まさに鏡合わせのようなゴーレムを作り出す
色まで完全に再現し作り出したそれに、三人は歓声を上げていた
「さすが鏡花姐さん、一発でいい仕事しますね」
「あー・・・でもやっぱり細部はちょっと人間っぽくないな・・・特に顔のあたりは・・・」
「でも仮面着けちゃえばわからないんじゃないかな、十分分身として役に・・・」
それぞれ感想を言っていたところで明利は何かを思いついたのか、鏡花に何かを耳打ちする
「・・・明利、それやったところで何のメリットも・・・」
「お願い!一回だけでいいから!」
どうやら何かをお願いしているようなのだが、鏡花はあまり乗り気ではないようだった
明利が真剣に頼み込むのを見てさすがに断れないと察したのか、鏡花は地面を足で叩きもう一体ゴーレムを作り出す
大きさは百六十センチほどだろうか、すらりと伸びた手足に肉感的な体、そして腰まで伸びた長い髪、そして穏やかな表情、一体どこの誰を作ったのだろうかと静希と陽太は首をかしげる
「これでいいの?」
「・・・うん!これ!これだよ!」
明利は何やらテンションをあげながら作り出されたゴーレムの細部を観察し始めていた
「・・・なぁ鏡花、あれ一体誰だ?見たことない人だけど・・・」
「・・・あれは明利の理想よ・・・あぁいう風になりたいんだってさ」
鏡花の言葉に静希と陽太はまじまじと先程作られたばかりのゴーレムを見る、確かに目元や口元は明利に似ているところがある、髪の柔らかそうな形も明利のそれに似通っている
だがあまりにも違いすぎる、むしろ似ている部分を探すほうが困難なくらいだ
確かにこれを作ったところで根本的な解決にはならない上に、逆にむなしくなるだけかもしれない
幼馴染の健気で遠すぎる目標に静希達は僅かに涙を流していた
「あぁなるほど・・・この写真が明ちゃんの理想の自分なんだ・・・」
家に帰った後、静希は先刻鏡花が作ったゴーレムの写真を雪奈に見せていた
原形すらとどめていないのではないかと思えるその姿に、雪奈は若干どう反応したものか悩んでしまっていた
比較対象として静希が横に立っているために、その身長や体格などがよくわかるのだが、それがさらに哀愁を誘うのだ
なにせこれ程のものに彼女がなろうとしているのだから、はっきり言ってこれは無謀と言えるレベルのものである
「いつか私もこんな風になりたいんです、まだ時間はかかるかもしれないけど」
「・・・へ、へぇ・・・それは・・・だいぶ頑張らないとね、これはちょっと・・・ある意味抱き心地よさそうだけど・・・」
あまりの健気さに雪奈はこれは無理だろうという本心を隠すしかなかった、かつて未来の自分を見て絶望していた明利だが、自らの成長という絶対的な目標に関してはまだあきらめていないらしい
一体明利の小さな体のどこからこれほどまでの執念にも似た感情が湧いてくるのか不思議でならない
「ねぇシズキ・・・私人間の成長ってよく知らないんだけどさ・・・メーリの歳からあそこまで大変身できるものなの?」
「いやまぁ・・・可能性はゼロではない・・・と思う」
大変身などとメフィは言っているが、確かにあの変貌は成長というよりはもはや変身と言えるだけのものだ
すでに今年の八月で十七歳になろうという明利があそこまで成長できる可能性は限りなくゼロに近い
ただゼロではないはずだ、たぶん
「・・・メイリ、貴女はこのようになりたいのですか?今のままでも十分可愛らしいと思いますが・・・」
写真を見ていた雪奈の後ろにウンディーネが浮遊しながらやってくる
生活にも慣れ、雪奈や明利とも仲良くなり始めているのか、軽いガールズトーク程度をしているのをよく見かける
どうやら彼女の性格のおかげか、明利も雪奈も彼女のことを気に入っているようだった
有名というのもあるのだが害がないというだけで随分と印象が変わるものである
「うん、今はまだ無理だけどいつか頑張ってこうなりたいんだ」
「・・・メイリ、これはさすがにその・・・っ!」
ウンディーネが無理ではないだろうかと言いかける瞬間、その場にいた人外全員がウンディーネに向けて『空気を読め』という念を送っていく
ここで下手な一言を言おうものならその場で消滅させられかねない念に、ウンディーネは笑顔を若干ひきつらせながら明利に向き合う
「大変な努力が必要でしょうが・・・不可能ではないでしょう・・・頑張ってください」
長年存在してきた精霊だけあって、空気を読む技術もある程度あるようだった、人外たちとしては全員が全員無理だろうという事は理解している、だが明利がここまで一生懸命目指そうとしているのだ、それを邪魔するのは憚られる
これほどまでに劇的な変化だと、もはや生体変換を用いない限り難しいのではないかと思えるのだが、さすがにこんな理由でそんな危険な能力を使わせるわけにもいかない
形成外科などが請け負う整形などというのとは別次元だ、そもそも体積が足りないためにどこか別なところから持ってこないといけない
これだけの変化を行うとなると整形手術というよりもはや改造手術のレベルである
別人レベルまでの変化はさすがにもう成長では無理だろう、明利の能力を使って成長を促したところで限界がある、それは彼女自身わかっているのだろう
だがそれでも憧れるものなのだ
「こういうのはあれかしらね、人が見る夢と書いて儚いと読む的な・・・」
「うまいこと言ったつもりか・・・ていうかお前よくそんな漢字知ってたな」
以前ゲームをやるために勉強していたとはいえ、まさかそんな言葉まで知っていたとは予想外だった
確かに間違っていないのだが、明利のこの姿を見ていると泣けてくる
儚いという類のものではない、あきらめを知らないように見える
眼前に絶望を叩きつけられてなお諦めないこのメンタルの強さは本当にどこからやってきているのだろうか
「なぁメフィ、お前の知り合いの悪魔で身長を伸ばせる奴とかいないのか?」
「そんなピンポイントな能力持ってる奴知らないわよ・・・ていうか存在したとしてどうするつもり?まさか召喚するだなんて言わないでしょうね」
「いや、聞いてみただけだ・・・悪魔にも無理ならもう神に祈るしかないか」
そう言って静希は近くにいた守り神である邪薙を見るのだが、きっと管轄外だと言われるだろう
成長を促すための神様、それに祈ったところでどこまで効果があるかも不明である
もしかしたら神様も黙って首を横に振るレベルかもわからない、そんなことになったらもう目も当てられない
そんなことを考えていると静希の家のインターフォンを誰かが鳴らした
家の中には明利と雪奈がすでにいる、通販などでも別に注文もしていない、一体誰が鳴らしたのかなどと考えていると、そう言えばエドが今週中にやってくるということを思い出した
随分早くやってきたものだと静希が扉を開けると、本来エドがいるはずの目線には誰もいない
一瞬悪戯かと思ったのだが、人の気配を感じ視線を下に移すと、綺麗な金髪と安堵した表情をしたセラがそこにいるのが見えた
「よかった、イガラシの家ここで合ってたのね」
「・・・え・・・あぇ?」
静希は混乱していた、先日会ったばかりのイギリス王族、イギリスのお姫様であるセラ、それが何でこんなところにいるのかと
テオドールなどからの連絡は一切なかった、なのに何故こんな日にセラがこんな何でもないマンションにいるのか
そして考えるより先に静希はトランプを部屋の中に飛翔させる
その意味を察知した人外たちは急遽近くにあるものに隠れることにした
メフィは明利の中に、邪薙は雪奈の中に、オルビアは自らの本体である剣を静希の部屋に運ぶとその剣の中に、ウンディーネは水槽の水の中に宿りその身を隠すことに成功した
「え?え!?なに!?何事!?」
「ど、どうしたの?」
唐突に人外たちが隠れたことに驚く明利と雪奈だったが、それよりも驚いているのは静希だった
面倒の中心である静希の近くにイギリスのお姫様がやってくるだなんて一体どういう事だろうかと思えてならない
とにかくまずは状況を確認することが必要だろう
静希はセラの手を引いてまずはリビングに呼び込んだ、唐突に金髪の少女が現れたことで明利と雪奈は目を丸くしていたが、先程の人外たちの挙動がこの少女にあるという事を理解したのか、明利と雪奈は軽く自分の体を指さし、静希の部屋と水槽の方に視線を向けることで人外たちの居場所を知らせた
それを把握した静希はまず自分の部屋に置いてあるオルビアを回収することにした、あまり遠くにいすぎると簡易翻訳が働かないかもしれない、トランプの中に早々に回収すると、静希はリビングにいるセラに掴みかかる
「おいセラ!お前何でこんなところにいる!?そもそもどうやって来た!?」
「お、落ち着きなさいよ!とりあえず喉乾いたから何か飲み物くれない?」
この娘は今のこの状況がどういうものであるかを一向に理解していないようだった、というか何が目的でやってきたかも謎である
明利がとりあえずセラに紅茶を出すと、以前写真で見たことがあるためか若干驚きを混ぜながらも明利を眺めていた
この外見で静希と同い年であるという事実を確かめるように静希と明利を見比べている
そしてそんな中雪奈が静希に近づいて小さく話しかける
「ねぇ静、この子何者?日本人じゃなさそうだけど」
「・・・とんでもないVIPだよ・・・イギリスのお姫様だ」
お姫様
その単語を正しく理解できなかったのか、雪奈は一瞬思考停止した後、自分の中にあるお姫様という単語を検索し始める
「え?王様とか女王様とかのお姫様?ちやほやされてる的な意味のじゃなくて?」
「正真正銘のお姫様だ・・・第三王子の娘だったかな・・・?細かいことは忘れたけど、何度か接待もどきをしたことがある・・・」
正真正銘のお姫様という事で雪奈はセラに興味がわいたのか、その頭てっぺんからつま先までを観察しているが、その中で一つ疑問が生まれたようだった
「ねぇ静、私イギリスの政治とかそう言うの詳しく知らないんだけどさ・・・これまずくない?お姫様がこんなところにいるのって問題にならないの?」
「大問題だよ・・・まずいなんてもんじゃねえよ・・・とりあえず雪姉達はそいつらをかくまっててくれ、後で回収するから」
明利や雪奈の中から人外の気配を感じ取った静希は、それぞれの体の中にメフィと邪薙がいる事を察知する
とっさの反応だったのだろうが、この対応はファインプレイだ、人外たちの姿は可能なら見られたくない、明利と雪奈には悪いが今は隠れ蓑になってもらうしかない
「おいセラ、とりあえず話を聞かせろ、何で日本にいる?護衛とかは?何で俺んち知ってんだ?」
「こっちに来たのは私だけよ?なかなかの大冒険だったわ・・・イガラシの家はテオドールのパソコンのデータを盗み見たの、あってて安心したわ」
その回答に静希は一瞬めまいを起こす、一人で?一人でやってきた?どうやって?そもそも何をしに?
そんな疑問が次々湧いてくる中、セラは明利の入れた紅茶を飲んでのんびりしている、今自分が一体どんなことを起こしているのか全く分かっていないようだった
「・・・だいたいどうやって来たんだ?パスポートは?いやていうかお前みたいな立場だと勝手に動くのはほぼ厳禁だろ」
「ふふ・・・お仕事についていくときに行先を変えてもらったの、それから先はちょっと面倒だったけどね」
一体どうやって移動してきたのか、そのあたりが全く分からないが彼女のコネを使って日本までやってきたのだろう
密入国でないことを祈るが、そもそも入国管理などは一体何をしているのか
それ以前に彼女の護衛となる人間は一体どこにいるのか、というか何をしていたのか
一国の姫をこんなところに来させるなんて正気の沙汰ではない、しかもそれがただの人間ならまだしも静希は悪魔の契約者だ、日本国内でも指折りの危険人物である、そんな所に来ることを許している時点でもう護衛失格だ
とりあえずこのことを向こうの人間に知らせなくてはと、セラの相手を明利と雪奈に任せて静希はテオドールに電話をかけることにした
「もしもしテオドール君?今何してる?」
『なんだイガラシ!?今こっちは忙しい!世間話ならよそでやれ!』
電話の向こう側からは鬼気迫る勢いでテオドールが声を張り上げている、どうやらかなり焦っているようだった、恐らくセラのことで大忙しになっているのだろう、一体どういう状況で逃げ出した、もとい大冒険に出てしまったのか向こうでも把握しかねているようだった
「こっちも火急の要件なんだよ・・・どっかの誰かさんの監督不行き届きのつけがこっちに来ててな・・・」
『なん・・・?・・・まさか・・・』
「あぁそうだよ、お前んとこのお姫様がうちに来てんだよバカタレ」
静希の言葉にテオドールは卒倒しかけたのか、近くにいた部下の心配するような声が聞こえてくる、どういう心境で卒倒しかけたのかは静希も知るところである
まさかよりにもよってという感じなのだろう
「とにかく状況が知りたい、何でこいつがうちに来てるんだ?ていうかどうやった?」
『・・・イガラシ、確認しておく・・・いやお転婆姫はそこにいるのか?いるなら代わってくれ』
随分と素直に頼むのだなと思ったのだが、自分の友人の娘がいなくなったとなればそれなりに心配するだろう
さらに言えばその娘はただの娘ではないのだ
「おいセラ、テオドールだ、とりあえず声だけ聞かせてやれ、ていうか謝っておけ」
「えぇ・・・テオドール口うるさいんだもの・・・仕方ないわねぇ・・・」
明利達と話していたセラは面倒くさそうに静希の携帯を手に取るとどうしたのよと言った後一瞬で携帯を遠ざける
瞬間に向こう側から怒鳴るような声が響いてきたのが静希達にも聞こえた、恐らくは思い切り怒鳴ったのだろう、怒鳴るのも無理もない、静希だって怒鳴り散らしたいのを必死に我慢しているのだ
「えー・・・いやよせっかく日本まで来たのに・・・どうせだったら買い物とかして帰るわ・・・知らないわよそんなの・・・え?あんたの引き出しからいろいろと・・・うん・・・そうよ、それを使って・・・うん・・・え?わかった」
一体何を話していたのか、セラは携帯を静希に返すと再び明利達と話を進めていた
何がわかったのかわからないがとりあえずセラとの話は終わったようだ、テオドールと今後の話をしなくてはならないだろう、静希は携帯を耳に当てると、向こう側から大きなため息が聞こえてくる
「・・・とりあえずどういう状況なのか聞かせてもらえるか?」
『・・・あぁ・・・セラの奴俺が用意していた偽装パスポートを使ったんだ・・・緊急使用ができるように空港にも話を通してある特注品だ・・・それで日本まで・・・』
テオドールの声がやけに憔悴しているように聞こえるのは気のせいではないだろう
何て面倒なことをしてくれたんだと唸っているようだが、とりあえず今の状況はしっかりと説明してくれた
どうやら王室などの人間がプライベート、あるいは緊急的に退避しなくてはならなくなった場合のために偽装パスポートを用意してあったらしい、そして彼女はそれをテオドールの机から持ち出した
父親の仕事についていくという名目でいつものように学校をさぼった彼女は貯金をはたいて日本への転移能力者での移動用の券を購入すると、偽装パスを使ってそのまま日本へ
その日は本当に父親の仕事についていく予定だったのだが、トイレに行くなどという理由で抜け出し、そのままさっさと日本へと高跳びしたらしい
どうやってトイレなどから抜け出し、その一瞬の隙に手続きなどを終えたのかは彼らも把握できていないらしい
いつまで経ってもトイレから出てこないことを不審に思ったのだろう、捜索を始めたのだがトイレはもぬけの殻、アナウンスしても空港内を捜索しても一向に見つからない
誘拐されたのではという疑念が深まる中テオドールにもその話が伝わり大捜索を開始
そして今に至るという事だった
すでに大ごとになっているなと思いながら静希は大きくため息をつく
「状況はわかった、とりあえずとっととお姫様の迎えをよこせ、お姫様の護衛なんて俺は引き受けるつもりはないぞ」
『・・・いや、これはむしろお前のそばにいる方が安心だ、幸か不幸かお前ほどの奴なら近くに妙な考えを持つものがいても手出しできんだろう』
テオドールの言葉に静希は眉間にしわを寄せる、明らかに面倒をこちらに押し付けようとしているようにしか見えない
というか普通姫が勝手にどこかへ行くという時点で大問題だ、もう少し危機管理を持った方がいいのではないかと思えてならない
「ふざけるなよテオドール、お前これだけの爆弾を俺に抱えろっていうのか?」
『大混乱はしているが、セラが使ったのは偽装したパスポートだ、そこにいるのは姫ではないという公式見解は出せる・・・が・・・そちらの大使館に預けるよりはお前の所にいたほうが安全だ』
セラは良くも悪くもお姫様だ、日本にあるイギリス大使館に行けば最低限の保護はしてもらえるだろう
だが偽装したパスポートではただの一市民程度にしか扱われない可能性がある、それならセラのことを知っている静希に預けたほうが幾分かましだと考えたのだろう
「お前・・・俺にでかい借りがあるのを忘れたとは言わせないぞ・・・俺を顎で使うつもりか?」
『そうは言わん・・・後日正式に謝罪と礼はする・・・だがお前以外にそいつを守れるだけの人員がそっちにいないんだ・・・頼む』
僅かに殺意すら混ぜた静希の言葉に、明利と雪奈は若干冷や汗をかいていたが、数秒してから静希は小さくため息をつく
テオドールが素直に頼むなどという言葉を言うとは思っていなかっただけに、静希は今回のことが彼にとってもかなり予想外で、何より静希以外に頼れる人間がいないことを察する
相手に恩を売っておくのも必要なことだ、それにこのままセラを追い出した場合、本当に誘拐されてしまうかもわからない、そうなった場合自分に厄介が降りかかるのは目に見えている
「この借りはでかいぞ・・・少なくとも一度や二度じゃ返済できないと思え」
『あぁわかっている・・・まさか子供の家出でここまでかき回されることになるとはな・・・』
「子供の躾くらいきちんとしておけ・・・まったく・・・」
静希が殺気を収めると明利と雪奈も安心したのか、安堵の息をついた
家出、そんな風に言うには多少規模が大きすぎる気がするのだが、このお姫様は幸か不幸かテオドールなどのあまり公にできないような組織とつながりがある、しかもかなり密接に
と言っても個人的に付き合わせているだけなのだろうが、恐らくあらゆる場面での脱出の方法やら手続きにおける抜け道やら、そう言うテクニックを教わっているのだろう
子供に大の大人がここまでかき回されている時点で目も当てられないが、過ぎたことをとやかく言ってもしょうがない、今後の話をした方がよさそうだった
「で?俺は何時までこのお転婆を守ってりゃいいんだ?今すぐってのは無理か?」
『あぁ、こっちとしてもそこのお転婆がやらかしたことの後始末がある・・・そう長くはかからんだろう・・・だがそいつが満足しない限りまた同じことで抜け出される可能性がある』
テオドールの言う事も理解できる、迎えをよこすだけならおそらく二時間程度で済むだろう、転移能力者を使って全力で移動して来れば、ここまでたどり着くのにその程度で済むかもしれない
だがそれではだめなのだ、このお転婆姫は良くも悪くも行動的だ、強引に連れて行けばきっとまた同じことをするだろう
「・・・要するに、お姫様が満足するまでそのお守りをしろと、そういう事か?」
『そうなる・・・経費などはすべてこちらで持つ・・・可能な限りお姫様を満足させてやってくれ』
金はすべて持つと言われたところではっきり言ってこちらにかかる負担は金銭面だけではないのだ、どちらかというと精神的な負担の方が大きくのしかかる
今は明利と雪奈が女子同士の話し合いをしてくれているからまだいいが、これからは静希が対応しなくてはならないのだ、そんな面倒を押し付けられてこちらとしては不満しかないのは当然だろう
「宿泊先はどうする?日本で安全なホテルなんて知らないぞ」
『・・・可能ならお前の家で預かってくれ、なんなら襲っても構わんぞ』
「ほっほぅ・・・テオドール、お前が冗談が言えるほどユーモアに富んでるとは思わなかったよ、つい笑っちまった・・・死にたいならそう言え今すぐ息の根止めに行ってやる」
ようやくテオドールらしくいつもの軽口が戻ってきているようだったが、こちらとしては割と殺意を抱くような内容だっただけに静希の額に青筋が浮かび上がる
誰がこんな少女に手を出すかと言いたくなるほどだ、明利にすでに手を出しているためにあまり強くは言えないだろうがそれでも静希は明利と雪奈一筋だ
二人いる時点で一筋ではないがそのあたりは今は放置しておこう
「で、まじめな話本当に俺の家に泊めるつもりか?さすがにそれはまずいだろ」
『だがお前の家の近くのホテルの安全性はあまり褒められたものじゃない、お前の家がそのあたりで一番の安全地帯だ』
テオドールの言うように、静希の家の近くにあるホテルなどは安全性はあまり高いとは言えない、普通に泊まるだけなら十分なのだが、簡単に侵入を許してしまいそうなのだ
少なくとも静希ならばすぐに侵入できる、そんなところに一国の姫を宿泊させるわけにはいかないだろう
この姫様が護衛の一人でも連れてくればすべてその人の責任にできたものを
そう考えたところで静希は首を横に振る
実際問題静希の家に泊めることに特に問題はない、よく明利や雪奈が泊まりに来る関係でそれなりに女性用の物品も増えている、何より明利と雪奈がいれば多少の面倒は緩和される
何も自分だけで面倒を見る必要はないのだ
「ならせめて制限時間を作るぞ、いつまでも居座られると面倒だ」
『もっともな意見だ・・・そうだな・・・三日後に迎えをよこす、それまではお前が預かれ、一応部下に遠方での護衛役を命じておく』
「三日後だな・・・わかった、それまでは俺が預かる・・・ただこっちも学校とかがある、俺と・・・そうだな・・・今から言うやつあてに依頼を持ってこい、複数人で相手してたほうがいいだろ」
巻き込むのは気が引けたが、静希としても三日間丸々このお転婆お姫様の相手をさせられるのはごめんだ、何より依頼がない場合静希は学校に行かなくてはいけないが、学校に預けたとして静かにしているとも思えない
前回は一人で非常に面倒な思いをしたのだ、今回は一蓮托生、一緒に行動して面倒を味わってもらうことにしよう
三日という事は週末にお迎えが来るという事になる、もしかしたらエドとも行動を共にできるかもしれない、そうなったら一緒にお姫様の護衛をすればいいだけだ
歳が近いアイナとレイシャがいればお姫様も少しは気がまぎれるかもわからない
そうこうしていると静希の後ろではセラと明利と雪奈は三人でゲームを始めていた、こっちが話をしているのなんて全く気にしない図太い神経の持ち主であるお姫様に静希は顔をひきつらせながらテオドールと今後の流れを決めて行った
誤字報告を四十件分受けたので五回分(旧ルールで十回分)投稿
▶勇者たちは逃げ出した、だが大魔王からは逃げられない!
これからもお楽しみいただければ幸いです




