早朝の霧
『それじゃあイガラシ、こっちはこっちで忙しいんだこれで切るぞ、どこかの極悪人にそのデータを盗まれないように注意してやってくれ』
「あぁ了解した、たまにはお前の頼みも聞いてやるよ、せいぜいしっかり見張ってないとな」
二人は言葉を交わして同時に通話を切る、それと同時に静希は大きくため息を吐いた
これでうまくいけばデータの方はオーストリアの上の人間の如何にかかわらず問題は無くなるだろう、アランに話した内容の半分がここで片付いてしまったことになるなと静希は苦笑していた
「・・・今回は随分と回りくどい言い方をしていたけれど、何か意味があったのか?」
「ん・・・まぁちょっとした世間話ってことですよ、俺は何も企んでない、そういう事をアピールできればってところですね」
この部屋の防音は確かではない、しかも忙しかったせいで盗聴器の有無などの確認はできていない、仮に今の会話が録音されていても静希の声だけでは今回これから起こることの判別はできないことになる
静希はテオドールにあのデータを盗ませるつもりだった、蛇の道は蛇、餅は餅屋という事だ
もし仮に盗むことそのものが罪になるというのであれば、最初から犯罪などを行っていることが当たり前の組織にその泥をかぶってもらうだけの話である
自分から犯罪者になるなんてまっぴらごめんである、静希はそう言う面倒事は可能な限り避ける主義なのだ
先程は平和主義者などといったが、それはあくまで自分とその身内限定の話である、他の場所や人間達がどこでどのように争おうが静希は知ったことではない
故に静希とは別なところで争ってもらうのだ、面倒はすべてよそへ押し付けて自分には安全かつ平和な仕事を回してほしいところである
「要するに私たちはこのまま調査を続けていればいい、そういう事かしら?」
「えぇ、最初からそれが目的ですからね、俺らは平和的に調査を続けましょう」
平和的などとどの口が言うのかと大野と小岩は思っていたのだが、静希がこういっているのだ、自分たちができるようなことは他にはないだろうと半ばあきらめているようだった
自分たちに害がないというのであればそれでいい、そして静希を守るのが今の自分たちの仕事なのだからと完全に割り切っているようだった
後は情報規制がどこまで持つかというのが問題だ、テオドールが関与している以上、データがむやみやたらに拡散されるという事は無いだろうが、他の場所から漏れないように注意しなくてはならないだろう
一番怖いのは研究者たちだ、調べたことをあることないこと吹聴しかねない
人の口に戸は立てられぬというが今回の事はまさにそれだ、人の口一つ一つにチャックでもできればいいのだが、そんなことができないことはわかりきっている
情報を規制したところで『ここだけの話だけど』と言ってしまえばそれでどんどん情報は伝わって行ってしまうのだ
この辺りはいくら静希でもどうしようもない、後は自分にできることをすることしかできないのだ
できることと言ってももう周囲の人外への警戒くらいしかできることはないのだが
「とりあえず今日はもう休みましょう・・・もうお二人もくたくたでしょうし」
「そうだね、さすがに眠い・・・もっと言うならちゃんとした飯が食いたいよ、軍の簡易食料だけじゃ飽きてくる」
「まぁお風呂にはいれたのだけは幸運だったかも、シャワーも浴びられないと思ってたから」
この辺りにライフラインなどありはしない、水道もなければガスもない、だがここには軍の能力者が山ほどいるのだ
収納系統の能力者が近くの湖や川から大量に水を運び、変換系統がそれを受け止める桶やタンクを作り、発現系統の能力者が火を起こすことで簡易式ではあるが風呂を作り出したのである
周りも囲って外部から見れないようにし、最低限入浴が可能になったのは本当に僥倖だった
まだ夏は程遠いとはいえこれほど行動していれば汗もかく、こんな状態で次の日に移行しようものならまず間違いなくコンディションは下がっていくだろう
こういう時能力者は便利だなと心底その力に感謝していた
もともとこの町に伸びていたライフラインをそのまま流用できれば話は早いのだが、そんなことができるほど簡単な話ではないのだ
「明日からはどうするんだい?また調査と警戒?」
「そうなるでしょうね、実際俺ができることといったらその程度のものですし」
「それだけでも十分よ・・・ところで他の悪魔とかの気配は・・・」
小岩の言葉に静希は首を横に振う
あの黒い何か、歪みの放つ気配のせいで人外の気配などは依然として感じることができない
あれがあのままだと流石に索敵においてはつらいなと静希は嘆息する
静希は人外への気配察知能力は多少なりとも自信があった、なにせ毎日一緒に暮らしているのだ、集中できる状態が維持できるなら悪魔と神格に関していうなら数百メートル離れている程度であれば感じ取れる自信はある
だが今はそれよりも強い気配に覆い隠されてしまっている
ほぼゼロ距離、あるいは数メートルの距離なら多少は感じることができるかもしれないがそれでは索敵としてはほとんど役に立たないと言っていい
こうなってくると静希ができることと言えば見回り位のものである
その日は結局そのまま就寝し、静希達は時差によるボケを修正するためにも、しっかりと眠ることにした
そして次の日、静希が目を覚ましたのは現地時間で五時にもなっていない頃だった
妙な時間に目が覚めてしまったと静希はため息をつきながらも目を覚ますために仮設宿泊施設の近くにある水を溜めてあるタンクまで顔を洗いに行くことにした
簡易施設であるという関係上、どうしてもある程度水場と宿泊施設は離さなければいけないというのがなかなかに不便なところである
日が昇るまであと少しというところだろうか、僅かに白む空を見ながら静希は大きく欠伸をしながら貯水タンクの下へと向かい、軽く顔を洗っていた
一日でだいぶ時差は修正できたのだろうが、さすがにまだ倦怠感が残る、急に生活環境を変えるとどうしてもこういうことは起きるが、早めに慣れないといつ面倒事が起きるかわかったものではない
静希が顔を洗い眠気を洗い流すと辺りに霧が出始める
この辺りには湖もあった、もしかしたらこういった霧が出る地域なのかもしれないと高を括っていたのだが、その判断は静希の体が霧に覆われた瞬間に覆される
微弱ではあるが、人外の気配を感じたのだ
黒い何か、歪みのせいでほとんどの人外の気配を感じることができないというのに、霧に体が触れた瞬間に人外の気配を感じた
よもやこの霧が人外ではないだろうかと疑ってしまうほどにその気配が周囲に充満しているように思える
「・・・なんだ?誰だお前は?何の用だ」
人外が応えてくれるかは不明だが、少なくとも語り掛けることくらいはするべきだ
この人外の気配は希薄だ、まるでその存在を霧に混ぜているかのような感覚、今まであったことのあるそれとは少し毛色の違う人外のようだった
『メフィ、なんか人外っぽいのに絡まれてるんだけど・・・』
『この霧?そうなの?私でたほうがいいかしら』
『待て、相手に敵意があるようには見えん、ここは私かオルビアが出るべきだろう』
『でしたら剣の形をしている私より邪薙の方が適任かと思われます・・・幸い周りに人の目は無いようですし』
軍の見回りなどはどうやらもっと遠くの外周部と宿泊施設に集中しているようで、貯水タンクの方にはほとんど人はいなかった
確かにこれならば人の目は欺けるだろう
念のため森の中に入り、完全に外部から見られないようにしてから静希はトランプの中から邪薙を取り出した
「ふむ・・・希薄だが確かに気配を感じる・・・少なくとも敵意はないようだが・・・」
「どこに本体がいるかとかわかるか?なにが目的なのかは知らないけどこのままってのはちょっと気持ち悪いぞ」
邪薙が周囲の霧を肌で感じながら周囲を見渡すが、どうやらうまく感じ取ることはできないようだった
歪みの気配に加え、これほど希薄な気配ではその大本をたどることは難しいのだろう、邪薙もこの気配に難色を示していた
敵意は無い、守り神独特の感覚はかなり信憑性がある、という事はこの霧状の人外は何をしようとしているのだろうか
「霧に紛れるものよ、我々は敵ではない、なぜこのようなことをしているのかは知らんが、姿を現してはくれまいか」
邪薙が大きく手を広げて敵意がないことを示しながら霧に話しかける、傍から見たら奇妙すぎる光景だが、今はそれ以外にできることがなさそうだった
数秒間そのままの状態が続いたかと思えば、急に周囲の霧の密度が濃くなっていく
これは邪薙の言葉に対する反応とみていいのだろうか、邪薙の眼前に向けて霧が次々と集まっていく、そしてそれは小さな雫となり、十センチほどの水の塊のようになった
その形は不安定で人の形のようになろうとしているのだろうが、上手く形を作ることができずにいる
ようやく作られた形をもってしても、それが人型であると判断するには少々歪すぎた
そして何やら邪薙めがけて手を伸ばしている、その手が何を意味しているのかは分からない、どうやら言葉を話すことができないようだった
「邪薙、こいつは一体・・・」
「精霊の一種なのだろうが・・・ひどく弱っているな・・・何があったのか・・・シズキ、すまんがトランプにこれを入れてやってはくれまいか」
邪薙の提案にそうするしかなさそうだなと静希は一歩前に出てトランプを用意する
瞬間、水でできた人形は距離をとろうとするが、静希はゆっくりと近づき、自身も敵意がないことを示した
「このトランプの中に入れば、少しはましな状態になると思う、抵抗しないでくれるか?」
静希がトランプを見せると、水の人形は少し悩むような仕草をしてからゆっくりとトランプの下へと向かっていく
どうやらトランプの中に入ることを決心してくれたらしい
どこの誰とも知らない人間の能力を受け入れるあたり、どうやらかなり切羽詰まっている状態のようだ
恐らくはこの不定形の水の人形は、随分と不安定な状態なのだろう、それが精霊が弱体化しているのか、それともまた別の何かがあるのかは不明だが、今できるのは最低でもこの精霊が話ができるところまで持っていくことだけである
静希は水にトランプを触れさせ能力を発動した
瞬間、目の前から水の塊は消えて失せる、静希の能力は入れたものを最善の状態にする効果がある、これで少しはまともな状況になっていると思いたい
静希がトランプから先程の精霊を取り出すと、先程とは打って変わって完全な人の形をした水の塊がそこにあった
と言ってもその大きさは変わっていない、どうやらこれが本来の形なのだろうかと静希は小さく首をかしげる
『・・・あれ?ひょっとして・・・』
『ん?知り合いか?』
どうやらメフィが出たがっているようなので静希はメフィをトランプの中から取り出すと、水の人形の姿をした精霊を見てやっぱりと手を合わせて驚いた
「あんたウンディーネ?何でそんな情けない様になってるのよ」
ウンディーネ、その名前はいくら静希でも知っている、ゲームなどでたまに出てくることのある水の精霊の名前だ
まさか悪魔であるメフィと知り合いであるとは思わなかったが
「・・・メフィストフェレス・・・何故あなたがこんなところに」
まるで脳内に直接響いてくるような声に静希は一瞬驚いたが、メフィは特に気にした様子もなくけらけらと笑っている
「ちょっといろいろあって今この子と契約中なの、あ、こっちは同僚の邪薙よ」
「・・・契約・・・また貴女は気まぐれにそんなことを・・・」
「今回は気まぐれじゃないわよ、きちんと私が見て判断したんだから、それに契約してもう一年経ってるのよ?」
どうやらメフィの知己であるらしく、随分と話に花が咲いているようだが今はそんな話よりも別の話をした方がいいのではないかと思えてならない
静希と邪薙は互いに困ったような顔を浮かべながらどうしたものかと視線を交わす
そしてその様子に気付いたのか、メフィはごめんごめんと言いながら話を先に進めるようだった
「シズキ、この子はウンディーネ、水の大精霊よ、名前くらいは聞いたことあるんじゃない?」
「あぁ、ゲームとかにも出てくる四大精霊の一角だっけか」
火水風土の四つの精霊と言えば多くの作品などで取り上げられる有名な精霊だ
サラマンダー、ウンディーネ、シルフ、ノーム、この四つの精霊はこの世界の四大元素と搦めて四大精霊などといわれることもある
「本当ならもっと大きいんだけどね・・・何でこんなちんまい姿になってるんだか・・・でウンディーネ、こっちが私が契約している人間のシズキよ、私のだからとっちゃだめだからね」
メフィの彼女らしい紹介に静希は苦笑してしまうが、とりあえず静希はウンディーネに挨拶するべく彼女の前に歩を進める
小さい、全体的に小さくまるで人形のようだ、これが噂に名高い四大精霊の一角だとは信じがたい
メフィ曰くもっと大きいらしいが、何故こんな有り様になっているのか
「えっと、初めまして、メフィと契約してる五十嵐静希だ・・・思えば精霊に会うのは初めてかな」
「初めましてシズキ、先程はありがとうございます、おかげで多少は楽になりました・・・随分と私たちのような存在に慣れているようですね」
「幸か不幸か・・・な、この一年で人外には結構あってきたし」
本当に運がいいのか悪いのかわかったものではない、静希は苦笑してしまうが今はそんな世間話よりもまず先に話さなければならないことがある
そしてそれはメフィが先程から気になっていることでもあった
「で、ウンディーネ、何であんたそんなに小さくなってるの?イメチェン?」
「・・・そんなわけがないでしょう・・・原因はあの黒い物体です・・・」
ウンディーネが視線を向ける先、次元の歪みのある黒いドーム状の何か、その言葉にメフィはなるほどねとある程度状況を察したようだ
「あれが原因って・・・なんかあったのか?」
「あー・・・ウンディーネは基本綺麗な湖とかに宿ってるの、たまに場所を移すことはあるけど、たぶんここ最近はこの近くの湖にいたのね・・・」
「はい・・・近くの湖に宿っていたのですが唐突にあれが現れ、湖の大半が呑み込まれ・・・今のこの姿は本来の姿の二割にも至っていません・・・」
神格や悪魔と違い、精霊は自然のものなどに宿る、あるいは干渉することで力を得るらしい、逆に自然が破壊されたり宿っているものが唐突に破壊されると急速に力が衰えてしまうのだとか
ウンディーネは運悪くこの近くの湖に宿っていたらしい、そしてあの黒い何かに湖の大半が呑み込まれ、ギリギリのところで本体と分離し何とか今の状態になったのだとか
とはいえあまりにも強引な退避方法だったために非常に不安定な状態にあったのだとか
その為近くの水場を退避場所にしようとうろついていたのだという、その際に静希達と接触したらしい、不幸中の幸いとはまさにこのことだろう、不安定な状況だけは解決したのだから
「そりゃ災難だったわね・・・まさかあんたがあれに巻き込まれてたとは・・・」
「全くです・・・いったいあれは何なのですか?また人間の環境破壊の一環ですか?」
「いやそう言うわけじゃ・・・まぁあれを起こした犯人も分かっていないから確かなことは言えないけど・・・」
彼女のような精霊からすれば人間の環境破壊はかなり重大な問題らしい
自身の力の強弱に関わってくるというのもあるのだろう、そう言う意味では同じ人間である静希は非常に心苦しくもあった
評価者人数が345人突破したのでお祝いで1.5回分(旧ルールで三回分)投稿
誤字報告がないとなんか不安になる、いい傾向なはずなのに何かプレッシャーを感じる・・・これは一体・・・
これからもお楽しみいただければ幸いです




