黒い何か
授業を終え、静希は荷物を持って職員室にやってきていた
まずは城島から資料を受け取ろうと思ったのだが、職員室に到着し城島の方に目を向けるとそこにはスーツ姿の人間を見つけることができる
以前どこかであったことのある顔だ、静希が記憶の中を手繰り寄せると、かつて喜吉学園にやってきて資料を持ってきた男であることを思い出す
「来たか・・・では資料を」
「はい、ではお願いします」
アタッシュケースの中から資料を取り出すと城島に手渡す、彼女は中身を確認したうえでしっかりと静希へと渡す
「今回のお前の依頼内容だ、移動中によく読んでおけ、空港で大野と小岩が待っている」
「了解しました、ではいってきます、何かあったらメールしてください」
資料は受け取った、見送りにしてはあっさりしすぎているが、これくらいがちょうどいいのかもしれない
資料をカバンの中に入れて職員室を出るとそこには明利と雪奈が待っていた
「もう行くの?忙しいね」
「まぁな、明利、雪姉留守の間頼む」
「お任せあれ、掃除くらいはしておいてあげるよ」
雪奈が掃除などというと逆に散らかされそうな気がするが、ここはその厚意を素直に受け取っておくことにした
「それじゃ行ってくる、できる限り早く帰ってこられるようにするよ」
「早くしないと私が明ちゃんを食べちゃうからね、さっさとするように」
「アハハ・・・行ってらっしゃい、気を付けてね」
二人に見送られて静希はそのまま空港へと向かうことにした
空港への移動中に静希は今回の依頼内容を大まかにではあるが頭の中に入れておくことにした
どうやら今回の静希への依頼内容は悪魔が存在した場合にはその打倒あるいは調査メンバーの護衛、そしていなかった場合には今回の事件の解決、あるいは解決への糸口を見つける事
そしてなぜこのような事態が起こったのかを調べるにあたってのアドバイザーとしての役割も担っているらしい
一人にこれだけの仕事を押し付けられてもこなせるわけがないだろうにと静希は辟易するが、それだけ人外に対する対応は限られた人間しかできないのだろう、こんなことならエドたちに協力を要請すればよかったと静希は半ば後悔していた
悪魔がいた場合であれば、契約者としての自分の立場を考えればその打倒と調査団の護衛は理解できるのだが、解決かその糸口を見つけろと言われてもどうすればいいのか
アドバイザーなどといえば聞こえはいいが、結局のところ静希を介して悪魔であるメフィの知識を当てにしているという魂胆が見え見えだ
正直に言えば静希からすればこういった内容の依頼は勘弁してほしいのだが、こればかりは仕方がないだろう
なにせ事件の規模が規模だ
一万人にも届くかもしれないレベルでの被害が出ている時点で、日本における最大級の災害のそれに匹敵するかもしれない規模の事件だ、見て見ぬふりができる程悠長な問題でもなかったのだろう
広範囲にわたって被害が出るならまだしも、ピンポイントにその町だけが消えるなどという事があったのだ、明らかな異常事態だというのは誰の目にも明らかである
故に静希が動くのも自然な流れかもわからないが、恐らく静希以外にも専門家が何人もやってきていると考えていいだろう、それを守るのと調査に協力するのが自分の役割
言葉にすれば簡単だが、所謂『足手まとい』がいる状態で自分を含め人外たちがどれほどまともに戦えるかは微妙なところである
誰がどう見ても面倒な仕事だ、可能ならば引き受けたくはなかった、だが静希としても個人的にこれが一体どういうことなのか知りたいと思っているのもまた事実だ
城島に見せてもらった上空からの写真、町ごと覆い込んだあの黒い何か、モザイクなのではないかと思えるほどにくっきりと写されていたそれを見て僅かながらに静希は興味を引かれたのだ
以前にも似たようなものは見たことがある
それはヴァラファールが作り出した能力の呪い、自らを中心としてまるでドームのように展開する巨大な呪いの塊だった
あれだって数メートルから十数メートルレベルのものだったのに、これは明らかに数キロまで広がっている
仮にこれが能力だったとしたら、その規模が違いすぎる
悪魔でもあの程度の大きさしか作れなかったのだ、本気で作ってもこの規模にできるかわからないとなると、上位の神格の仕業ではないかとも思ったものだ
メフィや邪薙の話では神格は信仰によって力を増し、増した分だけ自らの依代のようなものに縛られることになるがその分強い力を使えるようになるのだとか
上位の神格となると、その力は上級悪魔をも凌ぐらしい
もし今回の相手が神格であれば、静希は多少役に立てるかもしれないが、仮に上位の神格だった場合、この球体の被害を自分自身受けているのではないかとも思えてしまう
どんな相手なのかはわからない、そもそも何を目的にしたのかもわかっていない
資料によると、未だに何かの声明のようなものは上がっていないのだそうだ
テオドールが言っていたようなテロではないことは確かである
テロなどは基本何かの目的や意図があって行われる、だからこそそれを声に出して糾弾するのだ、だがそれがないという事は、愉快犯の仕業か、あるいは事故か
これがただの事故だった場合、どこにその責任の矛先が向くことになるのか、そもそも入ることすらできない場所にどうやって調査の手を届かせるのか、問題は山積みになっていると静希自身理解していた
資料を読みながら移動し、空港に到着すると静希はすぐに大野と小岩を見つけることができた
毎度毎度海外に行くときには世話になりっぱなしだなと思いながら二人の下へと駆け寄る
「お二人とも、お待たせしてすいません、今回もよろしくお願いします」
「あぁ、今回はオーストリアだっけ?これならあと数年かければヨーロッパ圏は全部の国に行けそうだ」
「やめなさいよ、気にしないでね、こっちはこっちで楽しんでるから」
大野も別に皮肉のつもりで言ったわけではないらしいが、一応小岩がたしなめるとごめんごめんと謝っていた
確かに静希が海外に初めて行ってから一年ほど、たった一年でイギリス、イタリア、フランス、そして今回のオーストリアと四つの国に行っている
これから数年かければ大野の言うようにヨーロッパ圏の国はすべて制覇できるかもわからない、これが笑いごとではないから何とも情けない話である
「で、今回はちょっと今までのとは毛色が違うみたいだけど・・・どうするんだい?」
今までのようにたんに悪魔の契約者が確認されていたり、召喚に関する問題であれば静希はすでに対応し慣れているのだが、今回に関していえば完全に初見と言ってもいいほどだ
どうすると聞かれてもまだ何も考えていないというのが正直なところではあるが、今のところの行動基準はすでに決まっている
「向こうに契約者がいるならその対応、いないのであれば事態の把握に努めます・・・と言っても後者はどこまで役に立てるかわかりませんが・・・」
「私も資料を見せてもらったけど・・・あんなの人に起こせるとも思えないしね・・・規模大きすぎるし、何より何が目的なのかわからないし」
小岩としても今回の事件が人間が起こしたという風には考えられないようだった
規模を考えれば仕方のないことかもしれない、資料には今のところ行った調査の結果も記載されている
中でも注目していたのは物理的な突破が可能か否かという検証だ
現場にいる能力者が突破を目的として多種にわたる能力を使用したのだが、黒い何かを突き破ることはできなかったのだという
そしてそれはどの場所でも同じ、一点に力が集中しているのではなく黒い何か全体が強い物理的な障壁のように作用しているのだ
邪薙の障壁をさらに強力にさせているという風に考えればまだ聞こえはいい、だがあの黒い物体が壁であるという確証はないのだ
「今回はなんだか一筋縄じゃ行かないみたいだね・・・俺らもフォローはするけど・・・」
「私達じゃほとんど役に立たないでしょうね、私達はあくまで君の護衛として行動するわ、好きなように使ってちょうだい」
護衛、以前もそのような形で同行してもらったものの、悪魔戦になった時何処まで護衛としての役割を果たせるかは疑問である
もっともこの二人の役割は静希を現地に連れていくことなのだろう、そこまでが彼らの仕事であり、そこから先はできることをする、そう言う風に上司である町崎からも言われていると思われる
むしろその方がありがたい、できないことをしようとするよりもできることを全力でやってくれた方が余計な手間が省けるのだ
「今回は何が起こるかわからないので、大野さんと小岩さんにもちゃんと装備を整えておいてほしいんですけど・・・そのあたりの準備は・・・」
「問題ないよ、向こうに装備を送ってもらってるから、空港で受け取りができる」
「必要になるような場面が来ないことを祈るわ・・・まぁ使ったとしてもどこまで役に立つか・・・」
悪魔との戦いにおいて軍の装備などはほとんど役に立たないと言ってもいい
銃などの火器は制圧射撃など、相手を牽制することにおいては有効ではあるがそれは相手が人間であった場合だ
今回もし相手に契約者がいるのであれば契約者に向けての牽制射撃くらいはできるだろう
「とりあえず手続してきちゃいますね、移動は例によって転移ですか?」
「あぁ、一刻を争うらしいからね、時間になったらすぐにテレポートだ、向こうに着いたらチームの一部に合流して同じくテレポートで移動、なかなか忙しいスケジュールになるよ」
現在時刻は十七時、時差が八時間あることを考えると現在の現地時間は九時、移動に約一時間かかるとして十時くらいにはオーストリアに到着できることになる
そこからさらに移動、車で行ける場所のようだがその時間さえ惜しいのだろう、転移での移動は独特の感覚が体に残ることがあるために多用は控えるものだが、事情が事情だ、そう甘いことも言っていられないだろう
転移で移動し続けてかかる時間はおおよそ一時間と見積もって、現場に着くのは十一時くらいになるだろうか、こちらの時間で言えば十九時、まだまだ活動範囲内の時間だ
時差の修正、調査、警戒、状況の確認
やるべきことは山積みだ、今から頭が痛くなってくる
とりあえず出国の手続きをして荷物を預けた後、静希たちはそろってロビーで待つことにした
転移やら書類の手続きが終わるのはすぐだがそれから先はほとんどノンストップで移動し続けることになる
ほとんど休憩などもないことを考えると今のうちに済ませるべきことは済ませておいた方がいいだろう
「それじゃ大野さん、小岩さん、今回もよろしくお願いします」
二人に軽く笑みを浮かべた後、静希達は呼び出しのアナウンスと共に移動を開始することになる
海外への移動、六度目の外国での行動、もはや慣れたものだと静希は半ば自分の変化に呆れていた
転移を使った移動というのはなかなか慣れるものではない
普段からしてその力を使っている人間であればその感覚も慣れているのだろうが、静希達は基本転移系統の能力の恩恵を受けてこなかったために転移する際の独特の感覚が体に残る
俗にいう転移酔いというものだ
転移による移動は基本的に何回かに分けて行われる、長距離になればなるほどその回数は増えるのが基本である
転移系の能力者で空港などの移動機関に勤められる人間は、大体が長距離転移に向いている人間に限られるが、その中でも数千キロの距離を一度に転移できる人間は限られる
その為に何度か別の空港やポイントを経由することで移動していくのだが、その距離に比例して使用者の疲労は溜まるためある程度の休憩も必要とする
更に急に場所が変わるために転移慣れしていない人間は突然の環境の変化についていけず異変が生じるのだ
それが転移酔いの原因とされている、無論静希達もその例外ではない
独特の感覚と急変する環境にたった数分程度の休憩ではまともに体が慣れることなどできないのだ
静希達がオーストリアのザルツブルク空港に到着したのは予想していた通り現地時刻で十時を少し過ぎたところだ、特に問題もなく入国手続きも終了し、荷物を受け取ったところで静希達はとりあえずすでに現地入りしているチームの案内人を探すことにした
「話ではこの空港に使いをよこすことになっているんだけどなぁ・・・」
「確かここが一番現場に近い空港なんでしたっけ・・・?それらしい人はいないですけど」
静希達が辺りを見渡しても軍服を着たような人間は見当たらない
こちらは学生服が一名にスーツが二名という目立つ、かつ分かりやすい恰好でいるというのに、それらしい人物を見つけることも、逆に見つけられることもできなかった
元より日本人というだけで結構目立つのだが、そんな都合は向こうには関係ないのかもしれない
午前中という事もあってロビーの中にはそれなりに人が多い、出入り口付近を見ても誰かを待っているような人は少ない、皆それぞれ話していたり一直線に受付に向かっていたりと動き続けている
どうしたものかと悩んでいると不意に静希の知らない言語でアナウンスが流れ始める
オルビアの簡易翻訳では訳せないために静希は小岩に助け舟を求めることにした
「今のはなんて言ってるんですか?」
「えっと・・・今のはドイツ語かな・・・忘れ物があったとかそう言うのだと思うけど」
オルビアの簡易翻訳や能力による翻訳は基本的に面と向かって対峙していない限り効果を発揮しない、電話などでは通訳はできないためにこういったアナウンスなどでは自らの知識に頼るしかないのだ
静希もほかの言語を覚えるべきかもしれないなと思っていると、静希達めがけて走ってくる人影を三人ほど見つけることができる
その姿からして恐らくは静希達が探していた人物だろう、軍服にも似た服装をしていることから今回の調査に当たり警護を担当している人間であることがうかがえる
「ミスターイガラシとその護衛二名で間違いありませんか」
「相違ありません、初めまして、五十嵐静希です、こちらの二名は俺の護衛の大野さんと小岩さんです」
身分証明になる学生証とパスポートを掲示した後、静希が紹介すると大野と小岩はそれぞれ頭を下げる、最初の挨拶は重要だ、今回は静希が主動で動かなくてはいけないためにこういった対応はすべて静希任せになる
「ご丁寧にどうも、私はカール・ローウィ、階級は少尉、今回の専門家たちの護衛を行っている部隊の隊長だ、到着してすぐで悪いがすぐに移動を開始したい、構わないか?」
「構いません、移動は転移ですか?」
「あぁ、時間が惜しい、すぐに行こう」
カールに連れられ空港の入り口にやってくるとそこには数人の軍人が待機していた、恐らくは転移系統の能力者だろう、軍服にしては妙に軽装なのが目立つ
「全員現場にお連れしろ、丁重にだ」
「少尉、大まかにで良いので状況を教えていただけますか、現地に入っている人間の種類などで構いませんので」
能力者がそれぞれ静希達の近くに向かってくるのに従い、現場の状況を把握したかったのだがその時間的余裕もないのか静希達はすぐに別の場所へと転移する
恐らくは中継ポイントだろう、近くにはバス停などが見える、いくつかの中継地点を経由して現場に向かうようだった
「現在現場にいるのは研究者、我々軍人、そして諸外国からくる君のような協力員だ、現在は件の黒い何かの向こう側への到達手段がないか検討している」
研究者、軍人、そして静希のような外部からの協力員
恐らくそれなりの人数になっているだろう、規模が規模だけに協力するよりそれぞれ思い思いのことを試して定期的に情報共有したほうが楽だと考えているのだろう
実際その考えは正しい、研究者などはこの事件を事件としてではなくただの現象として捉えるだろう
そうなった時、どのような対応をするか、考えてみればすぐにわかることだ、あらゆることを試した後でどのようなことをすればこうなるのかを調べたくなる
静希の場合現場を見てある程度状況を把握したら周囲の警戒に努めたほうがいいかもわからない
少なくとも現時点ではできないことの方が多い、もしメフィの能力でもどうにもならなかったのなら、その時はもうお手上げ状態である
「現在試した行動などの一覧はありますか?能力的、あるいは物理的な突破など、手段やその詳細を記してあると助かるんですが」
「一応我々の書記がそれぞれの行動を記録はしているが、全てを記録するのは難しい、細かいことをあげればきりがないしそれぞれ別々に散らばっている者もいるくらいだ」
この状況に好奇心を刺激された人間は何も静希だけではないようだった
当然と言えば当然だ、研究者がこんな状況を放っておくはずがない、中には自分から調査の志願をした人間もいるだろう
そう言った人間がそれぞれ協力する姿勢を見せないのであれば、静希も同じように単独行動をした方がいい、その方が動きやすいし何より行動を制限されずに済む
「今回俺は研究者の護衛、あるいは状況打開の何かを見つけることができればいいんですね?」
「そうだ、近くに悪魔がいないとも限らない、万が一そう言った類のものが確認されたときは君が対処してくれ」
了解と告げた後、静希は一度オルビアの簡易翻訳を停止させる
「という事らしいですよ、俺は勝手に動きますけど、お二人はどうしますか?」
ただの日本語で急に話され、なおかつその言葉の意味が理解できないことにカールたちは若干驚いていたようだが、能力を解除したのだという事に気付き深くは追及してこなかった
先程の会話が静希の能力なのか、それとも大野か小岩の能力ではないかと勘繰っているようだが生憎とこれは静希の持つ霊装の能力である
こういう時に相手に能力を誤認させやすいのが楽である
「こっちとしては君を守ることが仕事だからね、派手に動くならあらかじめ伝えておいてほしいかな」
「同意するわ、いきなり移動されると反応しきれないもの」
以前フィアに乗って一気に移動したときのようにこの二人の機動力ではその速度に追いつけないのだ
護衛としては護衛対象が一気にいなくなったというなんとも間抜けな状態になってしまうために、二人からしたら重要事項と言えるだろう
「わかりました、移動するときにはお二人も一緒にという事で・・・まぁそこまで遠くに移動するという事は無いでしょうけど・・・」
事件が起こった場所がそもそも限定されている以上、その範囲内での移動になるだろうが、その範囲が広すぎるというのも問題だ
「そう言えば今日の宿泊とかはどうするんだろう?町が呑み込まれたってことは近くにキャンプかな?」
思えば今まではホテルなどに宿泊していたが、そもそも交通の便が良くないところなのだ、近くにホテルなどがあるはずがない
町の中には観光客用の宿泊施設もあったかもしれないが、生憎その町は今入ることができなくなってしまっているのだ
「少尉、今日から俺たちはどこに寝泊まりすればいい?どこか場所はあるのか?」
オルビアの簡易翻訳を再開し、カールに聞くと、彼は問題ないと言って地図を取り出した
「現場近く・・・と言っても一キロほど離れた場所だが、うちの能力者が仮設の宿泊施設を作った、そこまで便利ではないが最低限雨風は防げる」
「・・・そうか、ありがとう、楽しい数日間になりそうだよ」
精一杯の皮肉のつもりでそう言い、静希は小さくため息をつく
仮設の宿泊施設という事は、恐らく水や電気などのライフラインなどは通っていない可能性が高い、せめてシャワー位浴びたいものだがそれができるかも怪しいものである
静希は男だからまだいいが、女性の小岩からするとこの問題は重要だろう
今回のことを踏まえてあらかじめ覚悟はして来たようだったが、それでも落胆は隠せていなかった
それでも軍などである程度の野営経験がある、それに比べればましな方だろと大野が元気づけようとしているがそれは難しそうだ
なにせ何日間ここにいるかもわからないのだ
そんな話をしていると再び転移する準備ができたのか能力者たちが集まりつつある
転移にもある程度間隔をあけて能力者を休ませる必要がある、その休憩時間にある程度の情報を集められるのだからこの時間もまんざら捨てたものではない
それから何度かの転移を繰り返し、静希達は現場から一キロほど離れたところにある宿泊施設に到着していた
「まずはここに荷物を預けてくれ、貴重品などは自分で管理するように」
「わかった、どの部屋を使えばいい?」
外見は五階建てほどの大きな建物だ、恐らく何人もの人間がここで寝泊まりしているのだろう
「一つの団体で一つの部屋を使ってほしい・・・女性がいるのが心苦しいがな・・・君たちは四人部屋を用意した、三階の一番奥の部屋だ」
案内を見ながらその部屋へと向かうと、その内装は本当に即席というのがよくわかるものだった
余計な家具などはなく、壁に扉、窓にベッド、その程度のものしかない
まるで留置所のようだと思うが、まだベッドがあるだけましだろう、事件が発生して数日しか経過していないのだ、こういった状況になるのも仕方のないことだろう
着替えなどの荷物はここに、貴重品は身に着けた状態で静希達は部屋を出てカールたちの待つ建物の外へとやってくる
周りは木々に隠れているせいでよく見えないが、静希は先程から異様な気配を感じていた
悪魔や神格といった人外ではない、感じたことのない異様な気配、静希は警戒を強めながらカールの後についていくことにした
現場に着いたときに静希が最初に考えたのは、これは壁ではないのか、という疑問だった
目の前にそびえたつその黒い壁のように見えるそれが、上空からの写真に写っていた黒い円であると気づくのに静希は少々時間がかかった、それほどまでに巨大で、大きくそびえていたのだ
黒い壁の近くには仮設テントがいくつも作られ、あたりには研究者風の人物や軍服を着こんだ人物が右往左往している
恐らく現在進行形で調査を続けているのだろう、これに自分たちも混じるかと思うと妙な気分である
「では君たちはこれから護衛と調査を行ってくれ、くれぐれも頼む」
「了解、とりあえず近くに悪魔がいないかだけ確認してきます、それが終わったら調査の方に手を貸しますよ」
カールは伝えるべきことだけ伝えて現場を指揮するべく近くの仮設テントへと走って行った
それを見届けた後静希はゆっくりと黒い壁の近くへと歩いていく、近くの小石を拾って軽く投げてみると、壁のように跳ね返ってくるのではなくその場で停止し、重力に従って落下していった
どうやら普通の壁ではない、小石をぶつけた際にただの壁であれば跳ね返ったり音がしたりするものだ
だが音はなく、小石が跳ね返るようなこともなかった、明らかにただの物理的な障壁ではないのがこの現象からうかがえる
「すごい大きさだな・・・写真から見ると小さく見えたんだけど」
「あの写真の縮尺を考えれば自然に見えるけど・・・で、これからどうするの?」
これがただの壁ではないという事は確認できた、まず静希は自分にできることをするべきだと考え、トランプの中からフィアを取り出した
「とりあえずこの真上まで行って周囲の警戒をします、お二人も乗ってください」
フィアが能力を発動し巨大な獣の姿になると近くにいた軍人や研究者たちは一瞬驚いた顔をするが静希達がその巨獣に乗っている姿を見て問題はないと判断したのか、再び元の仕事に戻っていた
今は獣よりもこの壁という事だろうか、興味深いという事は十分理解したが、静希がするべきことはこの黒い何かよりも周囲に人外がいないかを確認することだ
これだけ人がいると人外の気配を察知するのは難しいだろうが、ある程度姿をさらしてでも確認はしなければいけないだろう
こういう時に明利がいればもっと楽に索敵ができたのだろうが、今回は自分が単独で行う任務だ、ない物ねだりをしていても仕方がない
邪薙の協力の下、空中に障壁を展開しながら静希、大野、小岩の三人を乗せたフィアは一気に上空へと駆け上がっていく
そして黒い物体のてっぺんが見えるあたりにやってくることでようやくその全体像を把握することができた
今一体どれほどの高さにいるのだろうか、それを確かめるすべはないが人工の建造物のそれよりは高くなっているのではないかと思われる
「こうしてみると、完全な球体じゃなくて楕円みたいになってるのかな・・・真上からだとただの正円みたいに見えたけど」
「そうね、横に比べると高さはそれほどでもないのかも・・・でもやっぱり相当高いわよ?」
二人が球体に意識を向けている中、静希は周りの気配に集中していた
人が多いために正確ではないが、悪魔程の強い気配であれば感じ取ることはできるかもしれない
そう思って高い場所に位置取り、あたりを警戒しようとしたのだ
「・・・ダメか・・・やっぱり・・・」
だが、静希の感覚はあるものによって阻害されていた
そう、今自分の足元にある黒い物体である
先程から静希の人外センサーとでもいえる感覚は自らの下にあるこの黒い物体から異様な気配を感じ取っているのだ
悪魔や神格のような気配ではない、根本的に何かが違う、そんな気配を静希は感じ取っていた
この状態では自分の感覚頼りの調査はできそうにないなと静希はため息をつく
「どう?何かわかった?」
「ダメです、この黒いのが変な気配を出してて近くに悪魔がいるかどうかも分からない・・・これ一体何なんだ・・・?」
以前静希が気配だけで契約者であるエドの居場所を感じ取ったことから、大野も小岩も静希の感覚を当てにしていたらしく少々落胆しているようだった
そして何より、黒い何かが気配を発しているという言葉に二人は首をかしげていた、どうやら二人はそんな気配は感じ取れないらしい
「とにかく近くに契約者がいるかもわからないってのは怖いな・・・一度カールにその旨を伝えておいた方がいいんじゃないか?」
「・・・そうですね、この黒いのの近くに可能な限り誰も近づけさせないようにしてもらいましょう・・・援軍を呼べるかどうかはさておいて」
自分で索敵ができないのであれば軍に動いてもらうほかない、幸いにして事が大きいおかげで人員はそれなりに確保できている
これだけの広さとなると流石にすべてをカバーすることは難しいだろうが、最低でも場所のあぶり出しさえできれば後は静希の仕事だ、軍の人間にはそこまでの見回りや索敵などを重点的に行ってもらうことにする
自分にできることはする、逆に言えばできないことはしない、そうすることが一番簡単なのだ、もっとも静希にとってこの場所でどれだけのことができるのか、まだ彼自身わかっていなかった
「ってことだ、悪いけど索敵に関してはそっちに頼ることになる、何かあったらすぐに連絡してくれ」
「わかった、一応無線を渡しておく、何かあったら連絡しよう」
一旦上空から地上へと戻り、本部で指示を出していたカールに事情を話すと彼は快く了解してくれた
そして静希が感じた異様な気配に関しても研究者に伝えているようだった
人外である悪魔たちとはまた別の気配、一体何だろうかと静希も分かっていなかったがこの黒い巨大な何かが人外ではないと願うばかりである
「・・・とりあえずいろいろ試してみるか」
静希は近くにいる人間をさがらせてトランプの中にいる人外たちに意識を向ける
『メフィ、とりあえず全力で攻撃してみてくれるか?』
『了解よ・・・たぶん無駄だと思うけど』
メフィの言いぐさからして、何かしら勘付いているようだが、今はその事柄は後回しだ
この黒い何かにメフィの攻撃が通じるかどうか、それを確かめる必要がある
有事の際にこの黒い何かが盾代わりになるという明確な指標にもなるし『攻撃が通用しない』という事実を確認できる
メフィが能力を発動し、静希の体の周囲に輝く光の弾がいくつも顕現していく、それが悪魔の能力であると気づいた人間は一体どれだけいるだろうか
一斉に射出された光弾は黒い何かに直撃するが、音も衝撃もなく黒い何かに直撃してすぐに消えてしまう
何かほかの部分に影響があったというわけではないようだ、黒い何かは依然としてその場にあり続けている、どこかが損傷したという事もないようだ
「攻撃は無効・・・か・・・厄介なんだかありがたいんだか・・・」
悪魔の全力の攻撃でも破壊どころか傷一つはいらない、この結果から少なくともこの黒い何かが人間が作り出した物ではないのは間違いなくなった
能力の出力で人間が悪魔に勝つなんてことは万に一つもない、しかもトランプの中からの攻撃とはいえメフィの全力を受けてもびくともしないとなると、相当厄介なことには変わりない
そして逆に、仮に悪魔が近くにいたとしてもこの黒い何かを壁代わりにできるという事は確認できた、そう言う意味ではありがたくもある
とはいえこの不可思議な黒い何かに対して静希がこれ以上できることがあるかといわれると微妙なところだ、メフィの攻撃が通じなかったという事は静希が有するいかなる攻撃手段を用いても傷一つ付けることはできないだろう、そもそもにおいて傷という概念がこの黒い何かにあるかどうかも不明だが
「今のって悪魔の攻撃?」
「えぇ、全力で撃ってもらったんですけど・・・効果なしみたいですね・・・一筋縄じゃ行かなそうだ・・・」
少なくとも静希が現在有している最大の攻撃力を持っていると思われるメフィの攻撃でもびくともしなかったのだ、この世界における八割以上の兵器はこの黒い何かに対して効果を得られないという事が証明されたようなものである
静希は黒い何かの近くに歩み寄ると、その地面を軽く掘ってみることにした
すると黒い何かは地表だけではなく地下にも存在しているのが確認できる
どれほどの深さまでこの何かが存在するのかはわからないが、何かを中心に正円、あるいは楕円球状に展開しているのは間違いないだろう
「めり込んでるのか・・・一体どこまで・・・」
「それよりも問題はここにあった物体はどうなってるのかって話ですよ・・・単純に薄い壁があって向こう側には入れないだけならいいんですけど」
静希が危惧しているのはこの黒い何かがある場所に存在した物質などはすべて消滅していた場合だ、この黒い何かがある範囲にいったいどれだけの質量が存在したかは静希も分かっていないが、もし消滅していた場合いろいろと面倒なことになる
地球の総質量が変わるという事になるとわかりやすいだろうか、基本的に人間が鉱物を掘り出して加工したところで総合的な質量は変わらない、だが消滅となると話が変わってくる
地球が今こうして生き物が住んでいられる星になっているのは太陽との位置関係というのが大きい、これがもし唐突に質量が変わるようなことがあればどうなるか
静希はその道の専門家ではないために確かなことは言えないが、急速すぎる質量の変化はまず間違いなくいい影響を及ぼさないだろう
これが単なる壁であればどんなにいいだろうか、中にある質量という事もそうだが、もし仮に内部がすべて消滅していた場合、この中にいる人間は全員死亡したという事になるだろう
この町に住んでいた人間は約八千人、つまりは最低でも八千人が犠牲になったという事である、多すぎる、あまりにも多すぎる犠牲者の数である
「この時期は観光客は少ないと思うけど・・・一応ここ数日の間に日本からこっちに来た旅行者がいないかだけ確認しておく?」
「そうですね、万が一ここを訪れていた場合巻き込まれている可能性もあります、一応確認しておいてもらえますか?」
小岩の気遣いに感謝しながら静希は目の前にそびえる黒い何かを凝視する
ここに来てから、いや、ここに近づいてからずっと感じているこの強い気配
静希の中の何かが警鐘を鳴らしているが、それは強大過ぎる危険に対するものではない、もっと異質なものであるのを静希は感じ取っていた
可能なら長居はしたくない、静希が心の底からそう感じるほどにこの場所は異質な空気に満ちている、まるで普段自分がいる場所とは違う世界であるかのように
誤字報告を二十件分受けたので三回分(旧ルールで六回分)投稿
炬燵は魔性の暖房器具である(確信)
これからもお楽しみいただければ幸いです




