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J/53  作者: 池金啓太
二十八話「見るべき背中と希少な家族」

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格と祝い

その後、城島の説得のおかげか明利に懐いている状況を見たおかげか、数日間ではあるもののイーロンは明利の家に住むことになった


その間にも学園の一角にはイーロンが住む環境を作るために工事が進んでいた、城島の話ではそれは喜吉学園に限った話ではないらしい、他の専門学校でも同じような動きがあるのだとか


数日が経ち、研究所内で孵った卵は今のところ五つ、イーロンを含めれば六匹の奇形種が生まれたことになる


明利は基本家でイーロンの世話をし、学校に行く際は一緒に連れていくという奇妙な生活を送っている、最初こそクラスメートたちに驚かれたものの城島が事情を説明するとイーロンはすぐに生徒に受け入れられていた


そもそも実習の内容によっては奇形種すら見たことがない生徒もおり、こういう機会が本当に少なかったという事がよくわかる


無論奇形種と対峙したことのある生徒はあまりいい顔はしていなかったが、生まれた時から明利と一緒にいるという事もありそこまで警戒はしていないようだった


教師たちも最初は明利に巻き付いているイーロンを見て面食らっているようだったが、それも数回授業を繰り返すと慣れたのか、今となってはイーロンが教室にいる風景が普通となりつつある


「にしてもこの子もずいぶん馴染んだわね・・・他のクラスからも見に来る人がいるのはどうかと思うけど」


「あはは・・・私以外の人に慣れるのは必要なことだと思うよ?」


先日医師免許を取った時に注目を浴びた明利だが、今度は別の意味で注目を浴びることになっていた、なにせイーロンは学校にいる時もほとんど明利から離れようとしないのだ


教室内だけではなく、移動教室中も食事中も一緒にいるために他のクラスの人間にも、そして当然他の学年の人間にも目撃される


そして時折三年の雪奈のクラスに行って様子を見せているのだ


実際発見した人間に様子を報告するのも一種の日課になりつつある、三年生が静希達の教室に足を運ぶことも少なくない


今回のこともあって明利は勿論のこと、奇形種の卵を発見及び飼育のきっかけを作った雪奈達の班と静希達の班はそれなりに高い評価を受けているようだった


だが教師陣からすると今のイーロンの様子はあまり良いと言えるような状況ではないのだという


今はまだ赤子にも等しい時期であるために教師陣もそこまで強く引き離そうとはしないが、これから成長していくにつれいつか親離れをしなければならないのだ


当然ながら明利だっていつかはこの学校を去ることになる、明利が教職免許を取得し教師にならない限りはこの学校に来ることも少なくなるだろう、そうなったときイーロンが急激な生活環境の変化に強いストレスを感じる可能性がある


そうならないように徐々に明利とイーロンが一緒にいない時間を増やすべきなのだ


少しずつ飼育するのを明利から学園全体に変え、親代わりを明利から学園の人間であるとイーロンに認識させることができれば、そうなれば奇形種を学園で飼育するという目論見の第一段階は終了する


後はその状態をどこまで維持できるか、そしてどのようにして繁殖させるかという問題がやってくる


抱えている問題はまだまだ山積みだが今のところイーロンは学校にも慣れつつあるようだった


「幹原、今日も巻き付かれているな、イーロンの様子はどうだ?」


「あ、石動さん・・・石動さんも巻き付かれてみる?」


明利が手を石動の方に向けるとイーロンはその意図を察したのか腕の上を移動して石動の眼前へと移動する


「ハハ、相変わらず賢い奴だ、よし来い、たまには私が巻き付かれてやろう」


石動が手を差し出すとその手から首へと巻き付いてやがて定位置となる場所を発見したのか、大人しくなっていった


イーロンは元来大人しい性格なのだろうか、あまりどこかへ行くということがなく、人の首辺りにマフラーの様に巻き付いて眠ることが多い


いつまでこうしていられるかは彼女の成長速度と度合によるだろうが、とりあえず今の所は幸せそうだ、このままでいさせるのが一番いいのだろう


「お、なんだ今日は石動が巻き付かれてるのか、珍しいな」


「おぉイーロン、今日も巻き付いてるな」


すでにイーロンは誰かに巻き付いているという認識があるのか、トイレに行っていた静希と陽太が石動の方を見てさも当然のような発言を放つ


明利以外の人間に巻き付いているのは地味に珍しい、明利にべったりだった状態から少しずつ移行している時期であるために、この反応は実は重要なのだ


これから明利の首だけではなく、いろんな人間の首に巻き付くことができれば、きっと明利という親から離れることができるだろう


「最近はイーロンも私以外の人に巻き付くのが楽しいみたいで、よくお父さんとかお母さんに巻き付いてるよ」


「そうか・・・おじさんおばさん大変だな・・・いっそのこといろんな人に会うために今度城島先生に巻き付いてもらうか」


「あの人大人しく巻き付かれてくれるか?その前に殺気で追い返しそうだぞ」


教師の誰かに巻き付いてもらうというのは存外いい案かもしれない、なにせ教師という立場である以上多くの生徒や教師陣と交流を持つのだ、それこそ静希達のように基本一つの教室にいる人間とは接する人間の数が違う


城島が教室にやってくるときに交渉でもしてみるかと静希達はとりあえず教室で城島の到着を待つことにした






「断る、何故私がそんなのに巻き付かれなければいけないんだ」


城島が授業でやってきた際にイーロンに巻き付かれてくれないかと進言した時の彼女の反応がこれだった


眉間にしわを寄せて僅かににらみを利かせているが、もともとの目つきの悪さのせいかものすごく怖い、だがそんな表情をしていてもイーロンは全く怯んでいなかった


恐らく本能的に城島が自分に危害を加えることがないというのを理解しているのだろう、強く睨まれても接近するのを止めようとしなかった


「えー・・・でも先生、この子を巻き付けてるとひんやりして気持ちいいですよ?」


「今はまだそこまで暑くないから問題ない、それにそんな僅かな涼を得るためにそんな間抜けな構図にはなりたくない」


近づいてくるイーロンを軽やかに回避しながら城島は頑なに巻き付かれるのを拒否していた


別にイーロンを嫌っているのではなく、単純に巻き付かれている姿が様にならないと思っているようだった、確かにマフラーのごとく巻き付かれている構図はお世辞にも恰好いいとは言えない、少なくともスーツ姿の教師がするような姿ではないのは確かだ


「でも先生、今のうちにイーロンにいろんな人と合わせて慣れさせないと、いつまでたっても明利にべったりなままですよ?それじゃ困りますよね?」


「・・・それは・・・確かに困るが・・・だがなぜ私なんだ」


「だって先生ならいろんな人に会うし、それに実習の時に一緒にいたのも先生じゃないですか、ちょっとの間預かっててもらいましたし」


この反論に城島は返す言葉ないのか顔をひきつらせていた


確かに実習中、女子たちが入浴中にほんの少しではあるがイーロンを預かっていたことはあったがそれも数十分の話だ、だがたかが数十分とはいえ他の教師たちに比べればイーロンに慣れているのもまた事実


イーロンを多くの人と関わらせるというのは城島も賛成だ、多くの人間と関わらせてこの学校の人間全員が敵ではないと認識させ、なおかつ親離れを促進させるには確かに多くの人間と関わる教師に預けるのが適任である


無論急に大勢と関わらせても逆効果、急に知らない人間が増えたことでストレスを感じるかもしれないが、この数日でイーロンは四十人程度の一クラスの中ではすでに馴染んでいる、ここから人数を増やしても問題が無いように思える


そうなってくると、確かにそろそろ教師に預けるべきなのかもしれない、より多くの人間と積極的にかかわらせるために


理屈は十分に理解できる、この奇形種が学校になじむのであれば良いことなのだ、これから飼育するうえでも大勢の人間と関わっておくことは必要だ


だがだからと言ってその役を自分が担わなければいけないとなると話は別だ、教師という立場もあるが、今までの自分のイメージというものがある


そこまで積極的にイメージ作りなどした覚えはないが、生徒に軽視されるというのも問題なのだ、城島としてはここはどうにかして断りたかった


「だが、私が近くにいたのではこいつが緊張を強いられるのではないか?これでも凶暴なのは自覚しているぞ」


「でもこの子はそこまで先生を怖がってませんよ?むしろ好いてるように見えます」


明利の言葉通り、イーロンは積極的に城島の体に巻き付こうと試みている、その度に城島は避けているのだが、これが一種の遊びのように見えてならなかった


何故イーロンが城島に対して好印象を持っているのかは不明だが、彼女自身それなりに城島に懐いているようだった


「ほら、さっきからしきりに巻き付こうとしてますし」


「ただ単に誰かに巻き付いていたいだけじゃないのか?なにも私じゃなくても」


頑なに巻き付かれようとしない城島に静希達は業を煮やしたのか、城島を生徒数人で囲み始める


背後から静希や鏡花、横側から陽太と明利、そして正面から石動がイーロンと共にゆっくりと接近していく


「な・・・お前ら一体何を・・・!?」


「先生、往生際が悪いっすよ・・・これも必要な事なんです・・・仕方ないことなんす!」


「これもイーロンの為、ひいては学校全体の為です、一時の恥くらい我慢してください、大人でしょ!」


周りを囲まれたため逃げることもできないのか、城島はじりじりと石動に追い詰められていく、このままでは巻き付かれると感じたのか、城島は一瞬目を閉じた


一体何をするのかと思いきや、城島はイーロンめがけて本気で殺気を向け始めていた


イーロンが学校にとって貴重な存在である以上、物理的にはねのけるわけにはいかない、ならばイーロンが自分に寄ってこないようにすればいいと考えたのだ


城島のきつい性格とかつて軍に所属していたこともあり、放たれる殺気は恐らく現役時代のそれと変わらないものなのだろう


今まで出会ってきた敵の中でもこれほどまでに強い殺気を向けてきたものはいなかっただろう、雪奈の本気のそれに匹敵するのではないか、いやそれ以上かもしれない殺気に晒されながら、イーロンは城島の目をじっと見ていた


鋭い眼光とそこに含まれる殺気、だがイーロンは相変わらず怯まなかった


野生動物であればこの眼光とそこに含まれた感情を察知し、その場から逃げ出すかもしれないような針のように肌を突き刺す殺気、だがイーロンは全く怯えるそぶりさえ見せずに勢いよく城島に飛びつく


その首に巻き付いてもなお殺気を放ち続けていたが、やがてイーロンが落ち着ける定位置を見つけてのんびりし始めると、城島も諦めたのか小さくため息をついて脱力していた


この奇形種には殺気の類が通用しない、もはやこの状況を容認するしかないのだろうかと城島は額に手を当てて項垂れていた







「・・・にしてもイーロンって案外度胸あるのかな・・・先生にあんだけ殺気出されて全然怯まなかったぞ」


城島がイーロンを首に巻いて授業をしている間、静希達はイーロンの胆力に驚きを隠せなかった、なにせあれだけの強い殺気を向けられたのも静希達でさえ数えられる程度なのだ


クラスの何人かは城島の恐らく全力の威嚇行動ともとれる殺気に数分動けなかったものもいる程だ


非戦闘系の人間は特にその傾向が多かった、後方支援などを得意とし『敵』と認識できる相手の前に立ってこなかった人間にとって、静希達でさえ数える程度しか体験してこなかった強大な殺気を向けられて正気でいられるはずがない


俗にいうところの蛇に睨まれた蛙のような状況だったのだ、脚が竦んで動かないと言い換えてもいい、それがイーロンに向けられているものであり自分たちは関係ないとわかっていても、圧倒的な強者が向ける殺気は恐ろしいのだ


所謂、城島は規格外な存在ともいえる、実戦を経験した、どちらかというと戦闘の方が得意な人間、しかも体自体はエルフなのだ、それも当然かもしれない


そしてその殺気を向けられてなお平然と城島に巻き付いているイーロンも、ある種規格外と言えるだろう


元来自分に向けられる敵意などを感じることができるのだろうか、城島の先ほどの威嚇は殺気こそ込められているものの敵意や悪意などは込められていなかった、だからこそ城島に睨まれてもあのように平気で巻き付けているのかもしれない


「クラスの人間の一部がビビるようなのを直接向けられても平然と・・・か、確かにあの子完全奇形ってだけはあるのかもね」


「なんだそりゃ、完全奇形って関係あるのか?」


「あるわよ・・・なんて言うか、器が違うっていうの?」


器が違う、鏡花の言いたいことを静希達はなんとなくでしか理解できなかったが、なんとなくその言葉の意味が分かる気がする


それは一年B組一班だった人間にしか理解できないだろう、かつて遭遇した斑鳩という完全奇形のエルフ、彼と出会っているからである


器が違う、なんとなく斑鳩という人間はそう感じるところがあった、確証も理屈もないのだが持つべき人間がそれを持っていると言える、そう言う格の違いとでも言えばいいだろうか、そう言う雰囲気を鏡花はイーロンの様子から感じ取ったのである


思えば、彼女が一番最初に孵化したのも『そういう事』なのかもしれない


持つべき存在がそれを持って生まれた、最初に生まれたというのは、一番危険が少ないという事でもあるのだ、残すべき命を、もっとも優秀な命を生き残らせるために


「あの子ってすごく大人しいけど、すごく堂々としてるようにも見えるのよね、どんな状況でも問題ないぜって感じ・・・あ、女の子だからこの口調はおかしいか」


「まぁでも言いたいことはわかるな、確かに妙な風格っていうのがある気がする」


城島の殺気に竦んでいた人間はこのクラスに何人もいる、だというのにあの生まれてまだ一週間も経っていない赤子同然のイーロンは全く気にした様子がないのだ


そう言われると鏡花の言う器が違うというのもよくわかる気がする


「ってことはだ、イーロンもいつかあの完全奇形みたいになるのか?」


「さぁ?さすがにあの子が大きくなる頃には私たちも大人になってるでしょ、そもそもどのくらい大きくなるのかもわからないしね」


動物の大きさというのはその種類によって異なる、犬という一つの種族であってもその種類によっては全く大きさが異なるように、原種と異なる完全奇形という全く別の生き物になっているイーロンがどの程度の大きさになるのかなど誰にもわかりようがない


今は首に巻き付けることができているがいつそれができなくなるかもわからないのだ、こうして城島の首に巻き付いた状態で授業をやっているシュールな光景を長く見られないかもしれないと思うと少し寂しくもある


「でもさ・・・あれはさすがにシュールだな」


「・・・そうね・・・言っちゃなんだけど・・・かなり面白い図だと思うわ」


城島ももはや気にしないようにしているのだろうか、半ばあきらめたような表情で淡々と授業を進めている


時折その光景に吹き出すものもいるが、その瞬間に城島からチョークが飛んでくるため皆が皆口元を押さえて笑うのを堪えていた


かく言う静希達も普段の城島の姿を見慣れてしまっているために今の状況は非常に笑いたくなるところだった


なるほど、城島がイーロンを巻きつけたくなかった理由もよくわかる


明利のように普段から生き物や他者に対して柔らかい対応をしているのに比べ、城島は基本的に周囲の人間に厳しく接しようとする


普段から彼女に持っているイメージの違いだろうか、自分を律したうえで他人を指導しようとする彼女の首にイーロンが巻き付いて、なおかつ和やかに休んでいるという光景が自然と笑いを誘うのだ


しかも城島のまるで今まで通りに振る舞おうとする姿勢がさらに笑いを誘う、なんというか全力で取り繕おうとしているのが見え隠れしているのだ


だがなかったことにしようともその首にはイーロンが巻き付き、時折城島の顔に体を擦り付けてきている、傷つけるわけにもいかないのか、きわめて優しく押しのけながらも授業を続ける城島


見る人が見たらきっと爆笑するだろう


これは後で写真を撮っておくべきだろうなと静希が考えていると、ついに陽太が耐えられなくなったのか吹き出してしまう


その瞬間陽太の額めがけて高速でチョークが飛んできたのは言うまでもないことである


この日を境に城島の首に度々イーロンが巻き付くようになったのはまた別の話である










「えー・・・では、遅れに遅れましたが、陽太十七歳の誕生日おめでとう!」


「「「おめでとう!」」」


後日、静希達三班と雪奈はカラオケ店にやってきて陽太の誕生日を祝っていた


十七の誕生日はすでに過ぎてしまっているが、それも仕方のないことだと陽太自身納得していた、むしろ彼としてはそっちの方がよかったらしい


なにせ陽太の誕生日のあたりに実習が入っていたために実月が気を利かせて戻ってこなかったのである


当たり前のようにプレゼントは送ってきているようだったが、実月と直接対峙することがないというだけで陽太は非常にありがたく思っているようだった


「でもなんで今日は静希んちじゃないんだ?大抵あそこだったのに」


陽太の言うように今日はカラオケの個室の中での誕生会だ、陽太の家でやることはないために基本は静希の家でやるのだが、今回ばかりは事情がある


「いやまぁ、俺もそっちの方がなれてるんだけどな、なにせ今はイーロンがいるし」


そう言って明利の方を指さすとその首には完全奇形のイーロンが巻き付いている


以前獣医から指定された環境を作るのに案外苦労しているらしく、今週末も明利が面倒を見ることになってしまったのだ


静希の家に帰るとまず間違いなく人外たちが飛び出してくる、もはや条件反射に近いその行動にイーロンが驚いてしまう可能性が高いのだ


その為今日は陽太の誕生日を外の店で祝うことにしたのである、無論他にも理由はあるが


「まぁまぁ、こういう時のためにきちんと手はまわしてあるから安心しろ、そろそろかな」


静希が扉の方を見ると店員がホールケーキを運んできた、カラオケ店によっては誕生日を祝いたいという事を事前に言っておくとこういったサービスを行ってくれる場所もあるのだ


「カラオケだとあんまり大きな食い物は持ち込めないからな、こういうのを頼るしかないだろ」


静希の言うようにカラオケというのは基本飲食物の持ち込みは禁止している、もちろんそれを律儀に守る利用者の方が少ないのも事実だ


お菓子や小さなものであればカバンの中に隠せるのだが、ホールケーキなどの大きいものになると流石に隠しきれない


こういう時は本来収納系統の能力者の出番なのだが、生憎静希は収納できる容量が少なく、収納できるタイプのホールケーキとなるとかなり小さくなってしまうのだ


その為、今回はカラオケのサービスを利用したという事である


「それじゃあ私から、この前髪留が欲しいって言ってたでしょ?男の子にも似合うのを買ってきたんだ」


「おぉ!サンキュー、これで寝癖ともおさらばだ!」


陽太の髪は基本癖が強いために寝癖ができると直すのに非常に時間がかかる時が多い、その為髪留めなどを使いたがっていたのだが、如何せん男物となると数が少ない上に買いにくさもあったのだろう、このプレゼントは地味に喜ばれているようだった


「んじゃ私はこれ・・・大事にしなさいよ」


鏡花が渡したのは銀色のブレスレットだった陽太のサイズにしっかり合うように調整されているらしい、重さもそこまでなくアクセサリーという印象はあまりない一品だった


「おぉ、これ自作か?」


「さすがに買ったわよ、でも裏にちょっといろいろ細工はしておいたわ」


裏側を見るとそこにはローマ字で名前が彫られていた、細かい仕事に陽太は笑みを浮かべていた、どうやら気に入ったようだった


「さてそれじゃ次は私だね、陽も装備を付けることになったって聞いてさ、ほい、装着用のベルト、鏡花ちゃんにサイズは微調整してもらってね」


陽太が装備するものというと、金属製の重厚なグローブだ、打撃などの威力の底上げのために鏡花が作ったもので、それを装着できるようなアタッチメントが取り付けられていた


「おぉ!これかっこいいな!鏡花、調整してくれ!」


「はいはい、ありがとうございます」


陽太の代わりに鏡花が礼を言うあたり、まるで保護者だなと思いながら静希は懐から白い封筒を一つ取り出す


「さて、じゃあ最後は俺だな、俺からは今夜のディナーを用意させてもらったぞ、鏡花と一緒に行ってこい」


静希が差し出したのは駅をいくつかまたいだ先にある高級ホテルの招待券のようなものだった


以前鏡花に面倒事を押し付けた件と誕生日を合わせて消化できる最高のタイミングなのだ


今回カラオケにしたのも夕食を食べないでおけるという格好の理由作りにもなるのである


そして静希のプレゼントは何も夕食だけではない、そのホテルの良い部屋を一つすでに予約して料金も支払ってある


この後鏡花と陽太がどうするかは本人たち次第、静希はその場を整えるまでが仕事だ


静希からのプレゼントであれば陽太も無碍にしない、それを鏡花も理解している


これは絶好の機会でもあるのだ


「おぉ・・・これって結構高いホテルじゃねえの?いいのか?」


「いいんだよ、たまには羽伸ばしてこい」


笑みを浮かべる静希が陽太に見えないように自分に向けて親指を立てているのを、鏡花は見逃さなかった


お願いしたこととはいえ、こうしてその時がやってくるとなかなかに緊張してしまう、薄く化粧もしてある、しっかりとした服で挑むつもりである


だが緊張に心臓が意味もなく強く鼓動しているのが自分でも理解できて鏡花はため息をついていた


いつまでも足踏みしているわけにもいかないのだ、そう自分に言い聞かせながら鏡花は薄く笑みを浮かべる



「悪いわね静希、気を遣わせて」


「いいっていいって、それよりがんばれよ」


頑張れよ、その言葉にいったいどれだけの意味が込められているのか、鏡花は何とはなしに理解した


頑張るのは果たして自分の方か、それとも陽太の方か、どちらになるのかはわからないがたぶん鏡花が事を進めない限り事態は進展しないだろう


最初から陽太にそこまでのことは期待していないのだ、自分が頑張らねば


鏡花が内心決意を新たにしていると、静希は陽太と肩を組んで何やら小声で話し始める


そんな様子を見てか、鏡花の下へは明利と雪奈がやってきた


「鏡花ちゃん、頑張ってね、今日が勝負だよ!」


「いざとなったら無理やりにでもやっちゃいなさい、私が許す」


「もうちょっと気の利いた激励はなかったんですか・・・」


明利のそれはともかく、雪奈の激励は下世話というレベルのものではない、それに仮に雪奈が許したとしても実月が許すとは限らないのである


元より実月が許さなかったところで鏡花としても引く気はないが、彼女を怒らせるのもまた少々厄介なのだ、ここは黙っておいた方がいいだろう


それに、今日事を起こせるかどうかも分かっていないのだ、それは鏡花の、引いては陽太の行動次第となる


「でも二人が付き合ってもう結構経つもんね、そろそろ次のステップに行くべきだよ」


「そうだよ、いつまでも生娘じゃいかんぞ、さっさと陽に捧げちゃいな」


「雪奈さんさっきから下品すぎます、もうちょっと言葉を選んでくださいよ」


雪奈の露骨すぎる誘導に明利もほんの少し引いているようだが、それでも雪奈の言いたいことと明利の言いたいことは内容的には一緒なのだ


そして悔しいが鏡花がこれからしたいこととも一致している、それがまた鏡花の焦りを誘発するのだ


これからしようとしていることを意識してしまうためか、妙に緊張してしまう


告白するときも、いやもしかしたらそれ以上に緊張しているかもしれない


鏡花の頭の中は今ごちゃごちゃになっていた、とはいえこれほどの好機を逃す手はない


なにせ半ば一人暮らしをしている静希達と違って鏡花たちが外泊できる機会など数えられるほどしかないのだ、静希が用意してくれたこの機会を無駄にするわけにはいかない


「・・・ねぇ、一応聞いておきたいんだけどさ、やっぱり最初はその・・・痛い?」


鏡花の言葉に明利と雪奈は顔を見合わせる、自分の時はどうだっただろうかと思い出しているのだろう、口元に手を当てて悩み始める


「私の時は・・・うん、確かに痛かったけど・・・痛みのおかげで意識がはっきりしたかな、静希君が結構しっかり前準備してくれたし、しばらくはちょっと痛かったかも」


「私の時も同様かな、でもすぐに慣れたよ」


明利と雪奈で違いがあるのはこの二人の戦闘時の立ち位置の問題だろうか、傷を負うことが多い雪奈は痛みに慣れている、だが明利は痛みというものに慣れていない


この二人に違いはあるものの共通していることがある、それはやはり痛いという事だ


痛みが伴うという事実に鏡花は顔色を悪くするが、その様子を見て明利と雪奈が鏡花の肩を掴む


「大丈夫だよ鏡花ちゃん、陽太君ならそのあたりしっかりしてくれるよ、たぶん」


「平気だよ鏡花ちゃん、陽なら鏡花ちゃんが痛くないように気遣ってくれるよ、たぶん」


二人とも語尾にたぶんを付けるあたり絶対の自信はないのだろう、それが逆に鏡花の不安をあおる


だがこの二人もすでに経験済みなのだ、特に明利のような小さい体でも経験できたのだ、一回り以上大きい自分ができない道理はない


怖いのは変わらない、不安なのも依然として続いている、だが目の前の両名はすでにそれを乗り越えたのだ、自分だけが後れを取るわけにはいかなかった


「・・・よし・・・女は度胸!やってやろうじゃないの」


「その意気だよ鏡花ちゃん!頑張って!」


「終わったら感想聞かせてね」


雪奈は最後まで下世話な話しかしなかったが、ほんの少し、本当に少しだけだが気が楽になった気がする


相手は陽太なのだ、そこまで気負う必要はないのだと自分に言い聞かせながら鏡花は精神統一を図る


それに何もこの後すぐにそういうことをするわけではない、まずは夕食をとって、それから部屋への移動になるだろう


夕食時にどれだけ雰囲気を良くできるか、そしてどれだけ自分の心を落ち着かせることができるかが勝負になってくる


今までのどの実習よりも困難に思えてくる内容に、鏡花は若干気圧されている感はあるが、これまでの実習では悪魔とだって対峙できたのだ、今さら慣れ親しんだ陽太と対峙するのの何を恐れるというのか


そう自分に言い聞かせ鏡花は自分を奮い立たせる


いつだって自分が陽太を引っ張ってきたのだ、今回も自分がしっかりしなければいけない


「そうだ、一応これ渡しておくね」


「ん?なにこれ」


「避妊薬だよ、ちょっと気分が悪くなるかもだけど」


さりげなくそんなものを渡してきた明利に、そう言えば彼女は医師免許を持っているんだったなと思い返し、ありがたく受け取ることにする


身近に医師がいるというのは実はすごく頼もしいことなのだなと実感しながら鏡花はその薬を懐にしまい込んだ



「おし、それじゃ今日はこれでお開きにするか、陽太と鏡花は一度着替えてから行けよ、制服のままうろついてるとまずいからな」


静希の言葉に鏡花は現在時刻を確認する、確かに移動や着替えを含めると予約した時間に間に合うにはそろそろ移動しなくてはいけないだろう、静希なりに気を利かせたという事だろうか


「んじゃ班長、締めの言葉をいただきたいんだけど」


「ん・・・そうね・・・じゃあ陽太、改めて誕生日おめでとう、これからもみっちり鍛えていくから覚悟しなさい、それじゃ以上、今日は解散」


鏡花の締めの言葉を受けて全員がその場から帰ろうとする中、陽太と鏡花は互いに示し合せたかのように同じ道を歩いていた


陽太は鏡花の家まで送った後で自分の家に帰り、そして駅前で鏡花を待つことにしていた


「あら、案外早く着いてたのね」


「おうよ、こういう時は女より早く待ってたほうがいいんだろ?」


「じゃあ・・・ごめーん、待ったぁ?とでも言えばいいかしら?」


「あぁ、それっぽいそれっぽい」


陽太と鏡花は笑いながら静希が予約したホテルへと向かう


鏡花はこの後どうしようかと迷っていた、陽太は恐らく今日泊まりだという事実を知らないだろう、なにせ静希がプレゼントを渡すとき、今夜のディナーを用意すると言っていたのだ


その後どのようにこの事実を伝えるべきだろうか


鏡花はすでに自分の親に今日は泊まってくると告げてある、自分を信頼してくれているのか、鏡花の両親は彼女の行動に関して寛容だ


そして陽太は両親と不仲であるが故にいちいちそんなことを気にも留めないだろう、そう言う意味では泊まりやすい環境はできていると言っていい


とはいえどう切り出したものか


陽太のことだから静希がプレゼントしてくれたという事であれば無碍にしないのは理解できる、だがどうやってそのことを陽太に知らせるか


もし鏡花から口に出した場合不自然になってしまう、何でそんなことを鏡花が知っているのだろうという事になる


となるとどうするべきか、そんなことを考えながら陽太と雑談しホテルに向かうと、静希が用意したホテルはさすがというかなんというか、パッと見ただけでも豪華だというのがわかる


装飾も照明も何もかもが高そうだ


鏡花も陽太もそこまで物事の価値を見極められるわけではないが、見るからに学生が、しかも高校生が来るべき場所ではないというのだけはわかる


何度か任務を行って資金が潤沢にあるとはいえ、これほどまでしてくれているのだ、結果を残さなければ静希に合わす顔がないなと思いながら鏡花はホテルのロビーを経由して上層階にあるレストランにやってきた


「どうする?また正装するか?」


「今日はいいでしょ、こういう私服で、今日はあんたの誕生日祝いなんだから、いつも通りでいいわよ」


陽太の誕生日祝いなのだから


以前のようにクリスマスだったなら周囲に合わせて正装するのもありだったかもしれないが、今回ばかりはこのままでいたかった


これは鏡花の個人的な意見なのだが、正装すると気持ちが引き締まる反面、緊張を強いられてしまうのだ


少しでもリラックスしたい鏡花からすれば正装は逆効果だ


「すいません、予約をしていた清水ですが」


「清水様ですね・・・承っております、こちらへどうぞ」


あらかじめ予約をしておいてくれたおかげかスムーズに席に行くことができる、静希の話ではすでにコース料理を頼んでいるという事を言っていた、後は雑談でもしながら料理を待つべきだろう


「お飲み物はいかがいたしましょう」


「二人とも未成年なのでノンアルコールを、陽太、何がいい?」


「んだな・・・じゃあオレンジジュースで」


「私も同じものをお願いします」


「かしこまりました、少々お待ちください」


てきぱきと自分たちの飲み物を注文し、給仕の人間が下がっていくのを確認すると鏡花は小さく息をつく


あのような場では変に繕うよりもそのままの対応をした方がいいのだ、特に自分たちは未成年、ただでさえこの場に合っていないのは自覚済みなのだから


「にしてもこういうところの飯は久しぶりだな、クリスマス以来か?」


「そうね、いつか自分たちの力でこういうところに来たいもんだわ、今は静希におんぶにだっこだからね」


「そうか?むしろ逆じゃね?俺らの方が鏡花におんぶにだっこって感じがするぞ」


事実上、三班の中で一番の戦闘能力を持っているのは静希だ、悪魔の力や神格の力を最大限まで活用した場合、この日本で静希に勝てる人間はそういないだろう


だが静希は結構な割合で鏡花を頼る、物事というのは戦闘だけで何とかできるものではないのだ、そう言う意味では三班の中で一番優秀なのは間違いなく鏡花である


できることも静希や陽太、明利のそれとは比べ物にならない、それこそ鏡花が四人いればほぼ誰にも負けないのではないかと思えるほどだ


誤字報告を20件分受けたので三回分(旧ルールで六回分)投稿


この誤字の多さ、ちょっと油断しすぎてるかもわからんね・・・あれだけの量が二週間足らずで・・・あれだけ書いたのに・・・!


これからもお楽しみいただければ幸いです

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