三年の実習
翌日、静希達はいつものように早朝に喜吉学園前にやってきていた
荷物と装備を持って集まっている二年の班は今のところ数える程度の班しかいないようだった
今回は三年生の実習に混じるという事で、三年生が多く、若干圧迫感がある
今まで同級生の実習の時の空気は嫌というほど味わってきたが、三年生の実習ともなるとまた違った雰囲気がある
ピリピリしているとまでは言わないが、独特の緊張感を内包した空気だ、一見すると三年生たちは談笑しているのだが、その佇まいの節々に張りつめた何かが感じられた
それは静希や明利と一緒にやってきた雪奈にも感じられる雰囲気だった、あくまで感覚的なものでしかないのだが、普段の雪奈とは少し違う印象を受ける
すでにスイッチを切り替えているのだろう、日常から非日常へと
「なんか居心地悪いな・・・場違いって感じがする」
「三年生の中に二年生が混じってるわけだからな、そう思うのも仕方ないって」
「一年や二年とは違う感じね、ちょっと息苦しいわ」
「なんか私見られてるような気がするよ・・・気のせいかな・・・」
「あー・・・明ちゃんのそれは気のせいじゃないかもね」
明利だけ見られている気がする、それはきっと気のせいではないだろう、二年生にもかかわらずこの低身長、ある意味で注目を集めていると言ってもいい
一見小学生にしか見えないのだ、その反応も無理がないだろう
「雪姉は今回はデカブツは持ってこなかったのか?完全奇形相手になるかもしれないのに」
「ん?まぁ今回は鏡花ちゃんもいるからいいかなって、前にちゃんと構造教えておいたしね」
現在雪奈が所持しているのはいつも通り静希から借り受けたナイフ十数本と二本の刀、そして以前優秀班になった際に着けていた仕込み刃の入った小手である
完全奇形相手にどれほどの戦力を用意するかと思えば、雪奈は至っていつも通りである
彼女の言うように、以前雪奈の持つ大剣は鏡花の能力によって構造を理解させてある、複製品を作れと言われれば作ることはできるかもしれない
「でも雪奈さん、あの剣の構造を把握したのってだいぶ前ですよ?今もまだ覚えてるかどうか・・・」
「まぁやってみりゃわかるさ、多少性能が劣ってても使えれば文句は言わないよ」
いくら鏡花が頭がいいと言っても、一度覚えただけの内容を一年近く経過した今でも再現できるかどうかは怪しいのだ
現物がすぐ近くにあればいくらでも複製できるが、そのあたりは人間の記憶力の限界というところだろう
もっとも以前遭遇したザリガニの時は目標が硬い甲殻を身に纏い、なおかつ再生という厄介極まりない能力を有していたからこそ大破壊が可能な大剣が必要だったというだけである
今回の敵がどんな形をしているかは不明だが、以前のように大剣の出番があるとも限らないのである
とはいえ今の状態は雪奈の完全武装と言っても相違ない、以前鏡花が作った全身に着ける形のベルトアタッチメントをつけ、いつでも戦闘ができるようにしている
相変わらず物々しい限りである
そんなことを静希達が考えていると人垣をかき分けて城島の姿が見える、今回は彼女ともう一人、雪奈たちの班の教員が同行することになっている
同時に行動する人数が多いため、二つの班の教員が一緒に行動し、それぞれの班を指導するのだという、もちろん監査の教員も二人配置されているのだとか
そう言う意味ではこの一連の校外実習の中では最も活動人数が多くなる時だと言っていいだろう
「来たな、まだ三年生はそろっていないか」
「そろそろ来るってメール来たんで、もうちょっとだと思いますよ」
同じ班である雪奈が携帯を見ながらそう返すと、城島と一緒にやってきていた雪奈の班の教員を見つけて軽く挨拶をする
そしてそれから数十秒後に順々に三年生たちがやってきた、全員それなりに荷物を持っての登場である
「ごめんごめん、私が最後?」
最後に現れた井谷が申し訳なさそうにする中、全員が問題ないと言い聞かせる、なにせまだ校長の長い話が始まっていないのだ
「今回はちょっと気合い入れていくか、なにせギャラリーがいるしな」
「確かに、先輩としていいところを見せたいところではあるな」
「お、いいね、お姉ちゃんのかっこいいところを見せてあげよう」
「逆に評価が下がらないといいけどね」
三年生が軽く話し合う中、静希達はその変化に気付いていた、どこか空気が変わったのだ
雪奈も先程から独特の空気を放っていたが、全員がそろったと同時に何か威圧感のようなものを感じる
それは雪奈たちの本来の姿なのかもしれない
「そろったか、では今回はよろしくお願いします、至らぬところもあるとは思いますが」
「いえいえ、こちらこそよろしくお願いします」
教師同士の挨拶もほどほどにすると、恒例の校長からの長ったらしい挨拶と共に、今回の実習がスタートする
三年生の実習、静希達にとっては全く未知の領域だ、どんなものになるのか、今から嫌な予感が止まらなかった
まずは移動、現場へ向かうために静希達はひとまず駅に向かうことにした
「気合入れるって言ってもやっぱり移動は暇なもんだよな」
せっかく勢いよく学校を出てきたと言っても、二時間近く移動を含むという事もあって電車の中で全員まったりと過ごしていた
実際に移動中にできることと言えばまとめた情報を頭に叩き込む程度の事である、今回の場合であれば行動範囲になるであろう地形データを頭に入れるのがそれに含まれる
静希、鏡花、熊田、井谷の頭脳労働者四名はそれぞれ地図を頭に入れるべく等高線も記された地図を睨みながらこれからの行動をシミュレートしていた
一方頭脳労働を苦手としている陽太、明利、雪奈、藤岡の四人はそれを横目に菓子などをつまみながらゲームに興じていた
「こういう時頭脳労働じゃないのは楽だよな」
「そうっすね、考えてくれる奴がいると楽なもんっす」
「いやぁ静もいるし、お姉ちゃんは気楽でいいや」
「えっと・・・私も手伝ったほうがいいのかな・・・?」
前衛人間達の中に入れられてしまった明利はどうしたものかとチラチラ静希達の方を見ているのだが、実際自分はすでに地図を頭の中に入れているし、何より索敵網を敷いてしまえば覚えたものなど意味がなくなるのだ
そういう事もあって明利は少しでも休ませて疲労させないように全員が了解していた
「いいんだよ明ちゃん、私達は現場に行ってからが大事なんだから、今は楽してていいの」
「でも・・・さすがに・・・」
静希達が地図を見返しながらそれぞれ戦えそうな地形を把握するのに努めているのに自分たちだけ遊んでいるというのは些か問題なのではないかと明利は申し訳なさそうにしている
だが雪奈の言うように明利達は基本現場についてからが仕事なのだ、それまで彼女たちにできることは皆無と言っていいだろう
索敵手である明利はさておき、陽太、雪奈、藤岡の三人は戦闘が主な仕事であるために移動中は本当にやることがない、その為暇をつぶしておく以外にないのである
「じゃああれだ、明ちゃん、今のうちに全員の健康調査でもしておいたら?マーキングも済むし一石二鳥でしょ」
「は・・・はい・・・それじゃ失礼します」
明利は全員に断りを入れそれぞれの体に触れて同調を開始する、電車の中にいてやることもないのだ、どうせなら全員の健康状態を把握しておいて損はないだろう
明利が全員の同調が終了すると、僅かに眉をひそめて藤岡の方を見る、そしてその視線に気づいたのか藤岡は不思議そうな顔をする
「ん?どうした?」
「・・・藤岡先輩、栄養素が酷いです・・・いろいろ足りてません・・・あと右奥歯に虫歯になりかけの歯があります」
「え!?マジで!?」
急遽ゲームを中断し手鏡を借りて口の奥を確認しようとする、栄養素が足りていないのはいいのだろうかと思いながらとりあえず明利は足りない栄養素を補わせるために各種栄養のサプリメントを藤岡に渡す
普段静希や雪奈の栄養状態などは明利が完全に管理しているため、こういった酷い体を見る機会がなかったためか明利は若干ため息すらついている
鏡花が陽太の弁当を作るようになってからは陽太もかなり高いレベルで栄養状態と健康維持ができている、だがまさか一人暮らしの人間がここまでひどいとは思っていなかったのだ
「井谷先輩と熊田先輩も、それぞれ足りない栄養素のサプリです・・・熊田先輩は脂質の摂りすぎ、井谷先輩は糖分摂り過ぎです、注意してください」
「あ・・・あぁ、すまんな」
「いやぁ、頭を動かすと甘いものが欲しくてね」
それぞれサプリを口にしながら礼を言いながら熊田はあることを思い出す
「そう言えば、幹原は医師免許を取得したんだったな、この調子なら栄養士の資格も取れるんじゃないか?」
「はい、今勉強中です、後は調理師免許と、薬剤師も取れればなって思ってます」
この学校で唯一医師免許を取得している学生として明利はそれなりに名が通っている、なにせ学校の集会の時に表彰までされたのだ、その名前は三年生の方にも届いているらしかった
「明ちゃんの場合結構昔から医学をかじってたっていうのもあるけどね、本人の努力のたまものだよ・・・あ、明ちゃん、私はどうだった?」
「雪奈さんは健康そのものです・・・ただちょっと食物繊維が足りてないかもしれません、積極的に野菜をとってくださいね」
明利の言葉に雪奈は善処するよと苦笑しながら明利を自分の膝の上に置く
明利がいれば体調管理に関してはほぼ問題ないとはいえ、料理を作るのはあくまで静希と雪奈の親である、頻繁に明利が料理を作りに来ることがあるとはいえ毎日そうしていられるわけではないのだ、どうしても偏りというのはできてしまう
「明利、陽太と私はどう?できる限り栄養とかには気を遣ってみてるんだけど」
「二人は少しビタミンが足りないかな、やっぱりお弁当だけじゃ限界があるみたいだね」
あーやっぱりかーと地図を眺めながら鏡花は苦笑する、普段陽太の弁当を作っている鏡花からすれば陽太の体調管理をするためにできる限り栄養素には気を遣っているのだ
だが弁当という事もあり一日一食分しか作れないためにあくまである程度の栄養素の補給程度にしかなっていない
特に日本人の食事はビタミンが摂取しにくい、そのあたりはやはり定期的にサプリメントを食べたほうが手っ取り早いのかもしれないなと鏡花は苦笑していた
「どうせ先生もいるしさ、二人もやってみれば?いいですよね先生」
急に話を振られたことで城島ともう一人の教員は目を白黒させていたが、どうやら健康診断もどきのようなものをやるという事は聞いていたのか、問題なく了承することにした
とはいえ自分の体の状況を調べられるというのは気恥ずかしいものである、城島はやや複雑そうな顔をしながら明利に触れていた
二人に同調した明利は数秒したのちに驚いた様な表情になる、そしてその視線は城島に注がれていた
「・・・先生・・・」
「ん・・・?なんだ、腫瘍でも見つかったか?」
「い・・・いえ・・・その・・・体は健康体です・・・けど・・・」
体に問題がないという事を知り城島は安堵の息を吐くが、明利がさらに何かを伝えようとしているのを見て少し気にしているようだった
そして周りにいる班員たちも全員明利の言葉を聞こうとしていた
「昨日・・・前原さんとお会いしましたか・・・?」
前原の名が出ることで、その名を知らない人間は首を傾げ、知っている人間はその言葉の意味を理解する
明利の言葉の意味を察したのか、城島は明利の頭部を掴んで無理やりその顔を自分に向けさせる
「いいか、理解したからと言って余計なことは言うな・・・絶対にだ」
「は・・・はい・・・もちろんです・・・!」
そう明利に脅す城島の顔は僅かに赤くなっている、その反応から事情を知る静希達はほほうと笑みを浮かべて見せた
昨日城島と前原が会っていた、そして明利が気付くことができる変化という事はその原因はある程度推測できる
「言葉に出さずともわかるわよね・・・、いいことじゃない」
「まったくだ、別に恋人と熱い夜を過ごしていようと構わないと思うけどな」
鏡花と静希が地図を見ながら小声でそう言っているのが聞こえたのか、城島が鬼の形相を浮かべながら二人の頭部を掴む、先程からずっと顔は真っ赤だ、よほど知られたくなかったのだろう
この中で事情を把握していないのは城島の恋愛事情を知らない人間と陽太だけである、話の内容から雪奈はすでにある程度察しているようだった
「お前達・・・もう一度言っておく、余計なことは言うな・・・いいな?」
「わかりました、わかりましたから頭を離してくださあだだだだだだだだだ!」
「痛い痛い!言いませんから何も言いませんから離してくださいたたたたた!」
城島の握力が二人の頭部を握りつぶそうと強まってくる中、明利は若干顔を赤くしながら城島の体のマーキングを解除する
これ以上体の様子を確認し続けるのは失礼だと思ったのだ、健康診断とはいえさすがにプライバシーまで踏み込むことはない
先程の言葉も二人きりの時に言うべきだったなと深く反省しながら頭部を潰されかけている二人を救うべく城島をなだめはじめた
「せ、先生、そろそろ二人が危ないです、やめてください」
「・・・はぁ・・・いいだろう」
城島は未だ顔を赤くしながら二人の頭部を解放する、静希と鏡花は頭の痛みに耐えながら悶絶している、城島に頭を握られたのは久しぶりだったかもしれない、この痛みもずいぶんと久しい気がする
もっとも、そう何度も味わいたい痛みではないが
「何やらただならぬ状況のようだが・・・いまいち理解できん、前原という人物は誰だ?」
「す・・・すいません先輩・・・俺の口から言うわけにはいかないです・・・まだ死にたくないんで」
「いったぁ・・・もう・・・何でこんな目に・・・」
鏡花が言っていたように良いことであるはずなのだ、城島にとっては
何故隠すようなことがあるのか、そして城島と前原のキューピット役になった自分達にも何かあってもいいのではないかと思うのだが、その返答として頭部を握りつぶされそうになるのでは割に合わないというものである
「先生前原さんとなんかあったんすか?」
「・・・お前も黙っていろ響、余計なことは言うな」
状況を同じく理解していない陽太は首をかしげるが、今は状況を理解していない方が被害は少ないだろう、今この時だけは陽太がバカでうらやましいと思うばかりである
「響、前原って誰なんだ?二年の先生か?」
「あー・・・内緒にしとくっす、二人の二の舞になりたくないんで」
陽太にしては珍しく状況判断ができたようで口を噤む
いや、状況判断をしたというより、すぐ近くで『言ったら殺す』という無言の圧力をかけている城島がいるのだ、いくら陽太でも口を滑らせるようなことはできないだろう
さすがの陽太だってわざわざ痛みを味わいに行きたがるほど無謀ではないつもりだ
「余計な詮索はするな、これは私個人の問題だ・・・それとお前達、口を滑らせたらどうなるか、わかっているな?」
城島の鋭い眼光に静希達は首を縦に振りながら僅かに寒気を覚えた、生徒に向ける目ではない、まるで親の仇でも見るかのようなそれである
顔が赤くなっていることから照れているのだろうが、こんな物騒で恐ろしい照れ方をしなくてもいいのではないかと思えてならない
前原はなぜこの人を選んだのだろうかと疑問になってしまう、いや、こういう人だからこそ選んだのかもしれない
そのあたりは好みというのもあるだろう、城島が前原の名字になるのは一体いつの事だろうかと静希達は若干不安になっていた
静希達が電車などでの移動を終え現場にたどり着いたのは十時になろうとする頃だった、電車やバスの乗り継ぎで思ったよりも時間がかかってしまったために、少し足早に今回の依頼人のいる事業所に向かっていた
この地域の林業を営んでいる事業所、いや事務所というべきだろうか、三階建ての建物に近くには大きな保管庫のようなものも建っていた、ここで木材を保管するのだろうかと思いながらとりあえず事務所の中に教師二人が入り挨拶をしに行った
さすがに八人全員で荷物をもって押しかけるのは邪魔になると判断したのだろう、しばらくすると教員二人が一人の男性を連れて戻ってきた
「彼らが今回実習を請け負います、こういう事案には慣れた人員を厳選しました」
「おぉ、そりゃありがたいです・・・初めまして、ここの事業所の所長をしています、瀧と言います、今回はよろしくお願いします」
瀧と名乗った男性は四十くらいの細身の男性だった、だが静希を始め最低限格闘術などの訓練を受けたことのある人間は彼の体の特徴に気付ける
衣服に隠れて見えにくいが、細身でありながらしっかりと筋肉がついている、林業という事で木材を運ぶこともあるのだろう、腕や胸といった部分的なものではなく、全身にまんべんなく筋肉がついているように見えた
「よろしくお願いします・・・それで話にあったへし折られた木の場所を教えてほしいんですが」
「あぁ、事前にお知らせしたあれですね・・・今地図を用意しましょう、ちょっと待っててください」
今回の代表である藤岡の申し出に対し、瀧が事業所の中に入っていくのを見送った後、静希達はあたりを見渡していた
何もない、というほどではないがこの辺りは木々が目立つ、少し歩くと小さな町があり、そのあたりに店などもいくつか見受けられる、だが宿泊できる場所があるかと聞かれると微妙なところだった
「先生、今回ってどこに泊まるんすか?」
「今回は民宿にお世話になる、場所は資料にあっただろう」
事前資料などほとんど読まない陽太にとってそのあたりはすべて静希達任せになっているのだ、静希と鏡花は額に手を当てながらため息をつく
この辺りは林業が盛んなのもそうだが、豊かな自然のおかげか時期によってはホタルなどがよく見られるために宿泊施設がいくつか存在する
それこそ日本各地にある温泉街などのそれに比べれば劣るだろうが、蛍の繁殖期になるととてもきれいな光景が見られるのだという
「天気もいいし、荷物を置いたらさっさと行動開始するか、それで文句ないな?」
藤岡の言葉に全員が頷くと同時に事務所の中から瀧が地図をもってやってくる、その地図の一カ所に印がつけられ、そこが木がへし折られた場所であるというのがわかる
「他に協力できることがあったら何でもおっしゃってください、可能な限り手伝います」
「ありがとうございます、俺たちは荷物を置いて準備を終えたら行動を開始しますので」
藤岡の言葉に瀧は満足したのか頑張ってくださいと激励を送ってくれる
彼らからすれば営業妨害になってしまう動物を駆除してくれるというのだ、本心から頑張ってほしいと思っているには違いないだろう
「それでは我々はこれで、何かあれば事業所の方に連絡を入れます」
大人同士の挨拶も済ませ、静希達は今日から世話になる民宿に足を運んでいた
林業が行われるような場所であるためかそこまで家と家の間隔が狭くなく、十分ほど歩いたところにその民宿はあった
大人二人が先に入って確認すると、部屋はすでに用意してあるとのことだった
静希達は民宿の従業員たちに挨拶をした後男女に分かれてそれぞれ準備を始める
「それでまずは別れて索敵網を敷くわけか、山一つ覆えるのか?」
「それは問題ないだろう、確か樹海の半分ほどを索敵範囲内においた経験もあるらしい、索敵範囲に関しては幹原の右に出るものはそういない」
準備をしながら明利の実力が信じられないのか、藤岡は難しい顔をしている
明利の体というか見た目は小学生並だ、実力に関して疑われても仕方がないというべきだろうか、むしろ年齢を疑われているのかもしれないが
「・・・ていうか・・・そう言うところ見てると本当に深山の弟分なんだなって思うな」
「え?そうですか?」
静希の準備の様子を見て藤岡が嫌そうな顔をしている
静希は腰にオルビアを鞘に納め、ベルトに何本かナイフを装着している、その姿は確かに雪奈のように見えなくもない
「以前に比べるとやはり物々しくなったな・・・だがそれほど変化はないか」
「えぇ、主な危険物はトランプの中に入ってますから、こっちは常用の武器ばっかりですよ」
雪奈のそれは能力の関係上、身に着ける必要があるが静希の場合のそれは使いやすいようにというのがある、ただのナイフをいつまでもトランプに入れて容量を圧迫するよりも身に着けた方が楽だという考えに至ったのである
「それに比べると響は持ち物少ないな、そのメリケンもどきだけか」
「うっす、まぁ俺はこれだけで十分っすから」
陽太が拳に着けているのは鏡花特製のグローブだった、グローブと言っても手袋のようなものではなく、ボクサーがつけるそれに近い、しかも金属でできておりかなりの重量がある、打撃や攻撃の威力の底上げのために鏡花が作ったものだ
両方合わせて十キロ、片方五キロあるそのグローブを軽々つける陽太も陽太だが、それを持っていろという鏡花も鏡花だ、二人ともなかなかにぶっ飛んだ頭をしているのは言うまでもないだろう
「お、待たせちゃったかな?」
男子たちの準備が終わり、民宿の前で女子たちを待っていると雪奈を先頭にぞろぞろと静希達の前に姿を現した
そして静希はその時先程の藤岡の言葉を理解する
以前鏡花に作ってもらった全身に着けられるベルトに所狭しと装着された刃物の数々、一体何本あるのかもわからないようなそれを見て静希は眉間にしわを寄せてしまっていた
実際にあれを付けている姿を見るのは初めてだったために、少々驚いてしまったのだ
なにせ今までのような腰や肩だけではなく、腹や背中、脚に腕、むしろ刃物が装着されていない部分を探すほうが難しいと言えるほどに大量の刃を身に着けているのだ
「雪姉、さすがにそれは・・・」
「ん?なんか問題でも?そう言う静だって昔の私みたいな感じになってるじゃない」
雪奈にそう言われると自分の姿は確かにかつての雪奈のようである、腰にナイフ、そして刀の代わりにオルビアという剣を装備している
確か最初の実習の時の雪奈がこんな感じだっただろうかと思い返しながらため息をつく
そうこうしているうちに明利が全員にマーキング済みの種を配っていく、今回の実習の肝になる索敵に必要なものだ
「えっと、それを等間隔で蒔いてください、そうすれば索敵が可能になりますので」
「種を使うのか・・・こんなんでできるのか?」
「問題ないと言っただろう、振り分けはどうする?こちらは俺と深山、藤岡と井谷で別れるが」
未だ信じていない藤岡を窘めながらそう聞いてくる熊田に静希達は自然と二つのチームに分かれる
「こっちは俺と明利、鏡花と陽太で別れます・・・連絡はどうやって取りますか?」
「こっちで無線を用意したよ、範囲は一キロ弱、それ以上になったら携帯で連絡を取り合う用かな・・・まぁ一応電波はぎりぎり入るっぽいけど」
携帯を確認すると確かに電波は入っている、と言ってもこれは街の中だからこそだ、山の中に入ったらどうなるかはわかったものではない
山の中に入ったら誰かから経由して連絡を取り合う必要があるかもしれないなと思いながら明利は全員のマーキング状況を確認する
「一応私が全員の位置情報を認識していますので、何かあれば私に聞いてください、近くの場所までナビゲートします」
「うん、明ちゃんは相変わらず優秀だね、こっちの索敵ときたら局地的にしか効果発揮できないからなぁ」
「悪かったな・・・」
熊田の能力では確かに広域における索敵はできないだろう、音を反響させることによる所謂ソナーの役割を担っているのだ
もし広域の状況を索敵するのであればそれこそ鼓膜が破れるレベルか、それ以上の大きさの音を出さなくてはならなくなる、近くに味方がいるような状況では使えない上に、目標にも気づかれて警戒される恐れがある
熊田の能力は屋外の索敵に向いているとはいいがたいのだ
「ちなみに等間隔ってどれくらい?十メートルくらいか?」
「えっと・・・しっかり索敵するなら五メートル間隔、大体索敵するなら十メートルくらいで大丈夫です、今回の目標が大きいなら十メートルくらいでも大丈夫かと・・・」
「ふぅん・・・一応五メートルくらいにしておく?まだ目標が大きいとも決めつけられないし」
井谷の言葉に全員が頷き、とりあえず林業の事業所前まで移動することにする
「じゃあ先生、行ってきますので何か一言」
それぞれの班に分かれて担任教師に一言貰うべく教師の前に立つと、城島は口元を押さえながらどういったらいいかと悩んでいるようだった
「今回お前たちが行動を共にするのは所謂奇形種のスペシャリストだ、行動一つ一つを見逃すな、そして向こうの四人が動きやすいようにフォローしろ・・・できる限りでな」
スペシャリスト、今までの二年間で雪奈の班が対処してきた奇形種の数はもはや数えきれないだろう、それほどの奇形種と彼女たちは戦闘を繰り広げ、そしてそれら全てを倒し切ってきた
静希達も経験だけで言えば負けず劣らずと言えるかもしれないが、奇形種という目標に対する対処に関しての経験で言えば天と地ほどの差が開いている
奇形種に特化した班
静希達のようなあらゆる面倒事に晒される可能性のある班と違い、雪奈たちの班は奇形種という目標に対して特化した実力を持つ
隣にいる雪奈たちの班を見て、静希達は全員が同じ感想を抱いていた
もう戦闘モードに入っているのだなと
教師から激励の言葉を受ける雪奈たちの目は、普段のそれとは一線を画する
今朝あった時でさえもスイッチが変わっていると思ったのに、今や別人と言っても相違ないほどの変貌っぷりである
その目も、表情も、先程まで話していた人物とは別人のようだ
一年の経験の差というのはここまでなのかと、静希達は僅かに戦慄する
一年前、二年生だった時の雪奈たちを見て静希達はそれぞれ一年の経験の重さを実感していた、そして一年が経ち、自分たちもあのころの雪奈たちに近づけたと思っていた
だが当然のように、彼女たちはさらに先に進んでいる、静希達は全員そう直感した
「怪我をしないように努めろ、今回お前達は主役じゃない、あくまでフォローに徹するように」
「「「「はい」」」」
静希達の返事と共に、これからようやく実習の本番が始まる、まずは索敵網を広げるために、静希達は山へと進行することになる
事業所前に移動してから静希達はそれぞれの分担を決め、まずは林業の指定区域全体に索敵を広げることにした
全員が十分な種を持ち、それぞれがバラバラに行動することになる
「各自携帯食料は持ったな?今から日没まで索敵網を広げるために山に入る、連絡を取り合って各自報告するように、それじゃ行動開始!」
藤岡の言葉と同時にそれぞれが動き出していた
静希と明利、鏡花と陽太、雪奈と熊田、藤岡と井谷、この四つのチームに分けてまずは林業を行っている区域内を明利の索敵下に置くことを目的にし、各員行動を開始している
林業の区画は広く、端から端までは無線も通じないために中間地点を担当しているチームが無線を中継する形をとりながら少しずつ索敵範囲を広げていくことにしていた
「にしてもさ鏡花、俺らってサポートなんだろ?三年と一緒に行動しなくてもいいのか?」
「今は索敵範囲を広げるのが目的だしね、それでサポートも何もないでしょ、それとも補給物資の運搬の方がよかった?」
サポートというとスポーツなどで言えば選手の体調管理や補給支援、そして資金的な支援をするというようなイメージがあるが、現在の実習におけるサポートというのはどんなことをするのかというのはあまり印象に残らない
今回の場合で言うのなら目標の殲滅が至上目的になるわけだから、戦闘時のフォローが主な仕事になる、その為まだその準備段階である今は鏡花たちはサポートという立場には立たずに済むのだ
三年と行動を共にするのもよいかと思ったのだが、静希は万が一のことを考えているのだろう、つまりは目標と急遽遭遇した場合の連携の容易さにある
急に三年生と組まされたところでまともに戦闘などできるはずもない、それは三年生にとっても同じである、それなら索敵時においてはそれらの連携云々を切り捨てておいた方がまだ動きやすいと判断したのだろう
鏡花も今のところその意見には賛成だ、こういう山での行動では動物たちに地の利がある、複数でかかるからこそ自分たちは優位に立てるのだ、その優位性を三年と一緒に行動しておいた方が仲良くなれる程度の理由で破棄するのはさすがに危機感が足りなさすぎるというものである
「まぁそれでサポートになればいいけどな、今俺ら何のサポートもしてないじゃんか」
「違うわよ、こうして索敵範囲を広げること自体が私たちができるサポートになってるの、先輩たちは広域の索敵ができないんだから、私達が広域をカバーするだけでずいぶん楽になるはずよ」
熊田の能力特性上広範囲の索敵は不向きである、その為に明利のような広範囲の索敵が可能な能力者がいるだけで実際の実習の運びが随分と変わる
話を聞いたところ熊田たちは目標の目撃証言などがあった場所などを集中的に索敵し、そこから痕跡などを追跡する形で遭遇することが多いらしい
動物というのは基本同じ道を通ることが多い、その為痕跡の多い道、あるいは場所を重点的に捜索すれば見つけ出すことができるのだという
そう言う工夫をしていたからこそ、写真という限られた情報の中から必要な情報を引き出すことが得意になったのだろう、そこは班の特色の違いというほかない
「明利ができる最大限のサポートが広域の索敵、私やあんたは戦闘時のサポートがメインよ、その点忘れないで」
「了解、ちなみに静希は?」
「あいつは・・・雪奈さんのフォローかしらね・・・戦闘面で役に立てるかっていうと微妙だし」
静希は普段指揮に徹しているために、自分が指揮しなくてもいい場合だと囮以外にやることがなくなってしまう、これは静希の能力の弱さが原因でもあるのだが、静希は本来戦闘を苦手としている
元より収納系統は戦闘が本分ではなく後方支援が活躍の場なのだ、静希の場合収納できる容量が少なすぎるために仕方なく戦闘もできる形に矯正したに過ぎない
静希はその能力と奇妙な運から現在のような地位におかれているが、本来であれば陽太よりも落ちこぼれの立場にある、能力の強弱だけで実力が決めつけられるほど実戦は単純なものではないが、実際に今やるべきことが少ないという事を静希自身実感しているはずだ
これで人間が相手であれば先読みしたりと頭を働かせることもできたのだろうが、生憎とそんなことができるような相手ではないのは全員が理解している
できることに限りがあるからこそ努力するのだが、こういう場だからこそ静希の劣等性が浮き彫りになるというものである
「まぁ静希の事だから何かしら行動するだろ、さすがに何もしないままってことはないと思うぞ」
「まぁそうだと思うけどね・・・まさかこの場で切り札使うような真似もしないでしょうし」
今回自分たちはあくまでサポートであるという事は静希自身も理解している、だからこそ一撃で仕留めることができるような攻撃は控えるだろう
だがそうなると静希がどのような行動に出るのか鏡花にはわからないのだ、静希の攻撃は殺傷能力が極端に高かったり低かったりする、その為フォローに徹する場合戦闘では中距離における支援射撃がほとんどだ
だが今回の相手が完全奇形だった場合、その射撃が役に立つかもわかったものではない、メフィのおかげで一つ一つの威力を底上げしたことは以前静希から聞いていたが、どの程度通用するか全くの未知数である
「まぁいいわ、あっちはあっち、こっちはこっち、いつ遭遇してもいいように集中だけはしておきなさい」
「アイアイマム」
種をまきながら鏡花と陽太はひたすらに索敵範囲を広げるべく一帯を移動し続けていた、今できることをする、それが自分たちの役割なのだと鏡花たちはある種割り切って行動していた
そして鏡花や陽太に噂話をされているとはつゆ知らず、静希は明利と共に木々にマーキングを施しながら着実に索敵範囲を広げていた
明利が木々へのマーキングを、そして静希は種をまいて索敵の密度を高めている
鏡花と陽太が言っていたように、今静希ができることは索敵の手伝いだけであり、さらに言えば戦闘においても今回役に立てる可能性が低いことも理解していた
地形把握に努め戦闘が行えそうなところを探しているものの、まだ林業の指定区域内、この辺りで戦闘をすることは極力控えたい地域だ、こんなところで目標に遭遇しないことを祈るばかりである
「立派な木ばかりだね、しかもみんな背が高いよ」
「木材にするための木だからな・・・余計な枝がないっていうのは俺からするとちょっと辛いかも」
木の枝などを掴んでする移動法を使う静希からすると、この辺りにある木々は背が高すぎる上に枝がほとんど上の方にしかないのだ、よほど上空に行かないと左腕を使った高速移動はできないだろう
無理をすれば幹を掴んで代用できるだろうが、まず間違いなく体勢を崩すうえに連続して行えない、そうなってくると良い的である
「でも枝が少ない分地面の近いところは見やすいよ、この辺りは細かい木とか草もないし」
「そう言えばそうだな、今まで来た森とか山とかとはちょっと違う感じだ」
今まで静希達が入ってきた山や森は基本的に人の手の入っていない無法地帯だったために木も草も自由気ままに生え放題だったが、この辺りは人が入るという事も念頭に入れられているためか整備されているように見える
いや、整備されているというのは適切な表現ではないだろう、余計な雑草などがあまり生えていないのだ、その為土がよく見え、周囲の光景がよく見える
木材にするための木々が細めのものが多いためというのもあるのだろうか、今まで入った山や森と比べるとやや明るいような、開けたような印象を受けた
「比較的歩きやすいし、これなら索敵も早く済むかもね」
「そうだな、足場もしっかりしてるし、多少傾斜があるけどこれくらいなら問題なさそうだ」
人が頻繁に来るという事もありぬかるんでいるような場所も特になく、しっかりとした地面と思ったほどではない傾斜、そして開けた視界、さらに無駄に草木が生えていないという事で行動自体は非常にしやすい地形だ
無論それは相手にとっても同じだろうが、静希達にとってはこの状況は何より有難いものである
なにせ動物たちにとってはたとえ木々や草が鬱蒼と茂っていたところで自由に行動できるのだ、少しでも人間が行動しやすい状況というのはありがたいものである
「明利、索敵の状況はどうだ?」
「今のところみんな順調に索敵範囲を広げてるよ、林業区域の索敵率は二割くらいかな」
まだ昼にもなっていない段階で二割程度の進行率であれば十分余裕をもって索敵網は敷くことができそうだ、やはり人数は多ければ多い程優位に事が運ぶ
戦闘においても個々の実力が高い方よりも人数が多い方が勝つというのが常であるように、作戦においても人数が多い方が断然有利だ
場合によっては人数が多すぎるのも考え物かもしれないが、今回は人数が多いに越したことはない
人海戦術などという言葉があるように、何かを探したりするときにはとにかく人の数がいて何ぼなのである
特に明利の索敵の場合、種さえ蒔いてしまえばそれこそ子供でも役に立てるのだ、単純な人海戦術をここまで役立てられる能力も珍しい
広範囲の索敵はその分明利の負担が増えることになるが、彼女の能力の場合一つのものに集中さえしなければそこまで負担は大きくないようだ
かなりの数の索敵をこなしたという経験も今活きているのだろう、広範囲での索敵はもはやお手の物だ
索敵という部門において、範囲に関しては明利の右に出るものはそういないだろう、そして索敵範囲を広げるための手段も比較的容易であるために、今後かなり索敵は楽になることが予想される
もっとも、その分細かい作業が必要だったり、蒔いた種が死んでしまった場合索敵が機能しなくなってしまうためそのあたりの対策は必要になるだろう
そして明利の言ったとおり、索敵自体は非常に早く終わりそうな勢いだった
昼になり各自連絡を取り合いながらそれぞれ持っていた軽食を取りながらも索敵網を広げ続けることになる
「この調子なら案外早く終わりそうだな・・・明利、負担はいまどれくらいだ?」
「そこまででもないかな、まだまだいけるよ」
嘘を吐いているという様子はなく、明利の表情も顔色も、そして声音もまだまだ彼女に余裕があることが理解できる
一つのものに集中している場合と違い、今はとにかくマーキングを切らさないようにしているだけだ、彼女からすれば軽い荷物をいくつも持っているようなものなのだろう
索敵を行う人間はとにかく脳の処理が重くなるのが一番の問題だ、そう言う意味では索敵手は並行処理が比較的得意な女性が好ましいとされている
無理だけはするなよと付け足すと、明利は嬉しそうに微笑みながら木々にマーキングを続けている
実際ここまでスムーズに索敵網が完成するとは思っていなかった、実際は一日仕事だと思っていただけに少し拍子抜けである
人数がいるというのもあるだろうが、林業指定区域が思っていたよりも狭かったというのもあるだろう、それぞれ分担作業で行っているために、残った午後の時間は林業区域以外の部分の索敵に回せそうだと静希達はある種安堵していた
その変化に気付けた者はその場にはいなかった、少なくとも静希は気づけなかった
索敵を進める中、それがこちらを見ていることに、そしてただただじっと伏して待っているという事に
昼過ぎ、索敵網が八割から九割方完成しようとしていた時、それが起きた
『シズキ!ごめん!』
突如聞こえてきたメフィの声に、静希は半ば反射的に明利を自分のそばに引き寄せ抱きしめる
次の瞬間静希の体が上空高く打ち上げられる、それがメフィの能力の効果であると気づくのに時間はかからなかった
明利は何が起きたのかわからず目を白黒させながら顔を赤くしていたが、その顔色はすぐに一転することになる
静希達が上空に打ち上げられて一秒と経たぬ間に、その場に巨大な何かが通り過ぎた
いや、通り過ぎてはいない、長く巨大な何かが静希達のいた場所に突如突っ込んできたのだ、地面を抉りながら止まったそれを見るより早く、静希は舌打ちした
よりにもよって自分たちが遭遇することになるとは
姿勢制御しながら近くの木を左腕で掴み高度を維持すると、静希は地面の方にいるそれを見る
一見、長く太い鞭のようであるという印象を受けた、だがそれが距離による遠近の誤差であると気づくのに時間は必要なかった
何メートルあるかもわからないほどに長い胴体、そして奇妙に膨らんだ頭部、つぶらな瞳に斑点のような文様、それはどこからどう見ても蛇の様相を呈していた
『メフィナイスだ、全然気づけなかった』
『風景と完全に同化してて私も気づくのが遅れたわ・・・無事で何よりよ』
明利の同調が済んでいない個所から現れたそれに、メフィもかなり焦って能力を発動したのだろう、かなり高くまで打ち上げられたためにここから降りるのは苦労しそうだった
『すまんシズキ・・・反応が遅れた・・・よもや風景と同化していようとは・・・』
『野生動物ってそう言うもんだろ・・・にしても本当に気づかなかったな・・・あれだけのでかさに気付かないってのもそうだけど・・・全然音もしなかった』
今まで数々の奇形種に遭遇してきたが、今までの動物たちは基本的に自分の存在を誇示してきた、それは縄張り意識のある動物特有の威嚇行動だったのだろう
だが今のこの奇形種は違う、ただ息を殺し、獲物がやってくるのをじっと待っていたのだ
「し、静希君、どうしたの?なにが起こってるの!?」
「あ、悪い・・・見ろ、目標発見だ」
ずっと静希に胸板に顔を押し当てられる形で抱かれていたためにまったく状況を把握していなかった明利がようやく下を見ると、その表情が青ざめる
太さは一メートル弱、長さはもはや目測すら難しい、それほどの長さと大きさを持った奇形種、いや、あの大きさだと完全奇形だろう
完全奇形は獲物が急に上に飛び上ったのを見ていたのだろう、頭上の静希達に目を向けると口を開閉する
「すぐにみんなに連絡を・・・やば・・・!こっち来る!」
静希が何とか回避行動をとった瞬間、静希がいた木に勢いよく完全奇形が飛びついてくる
飛びつくというより長い胴体を利用して跳ねたという方が正しいかもしれない、木に半ばぶつかるようにして静希達に標的を定めた完全奇形は木に巻き付くようにして静希達と同じ高度を維持し、静希達を追ってきていた
一方回避行動をとった静希はかなり強引な移動をしたために体勢をやや崩していた、左腕を駆使して木々を掴み、何とか体勢を維持しようとするが、相手がそんなに悠長に待っていてくれるはずもない
幹を殴るようにして木から木へ移動し、蛇の連続攻撃を避けていく静希だが、当然姿勢制御などしている余裕などなく視界が回転し続け上下左右の感覚があいまいになっていく
そして静希の後を追うように完全奇形は連続して静希の下へと突進してきている
これでは無線で連絡するような暇がない、回避行動で精一杯である
「うぅ・・・し・・・静希君・・・目が回るよ・・・!」
「我慢して・・・いや我慢しなくていい!」
静希は明利にトランプを一枚持たせ、木の幹に腕を付けた一瞬、その体を思い切り投げる
自分に向けて突進してきている完全奇形は明利が投げ出されたもののその方向には見向きもせずに自分に突貫してきている、そしてそれを確認すると静希は幹を殴り跳躍する
「フィア!明利を安全なところに連れて行け!」
明利に預けたトランプから出てきたのは静希の使い魔であるフィアだった
静希の命令に従うために能力を発動させ、魔獣の姿を作り出し明利をやさしくキャッチする
「明利!無線で先輩たちに連絡!ついでにナビしろ!俺はこいつをこの区画から外に誘導する!」
「わ・・・わかった!」
明利を乗せたフィアが遠ざかっていくのを確認しながら静希は後ろにいる目標に視線を向ける、明らかに自分を標的にしている、明利よりも自分の方が大きかったからだろうか、それとも美味しそうに見えたのか
どちらにしろ今は逃げるしかできない、木の枝がほとんどない以上、木を殴るようにした移動法しかできず逃げる方向が定まらない上に姿勢制御もままならない、時には木に叩き付けられるようになりながらも回避し続けているがいつまでもつか
今自分が上を向いているのか下を向いているのかもあいまいになってきた頃、静希の足が唐突に何かにぶつかる、木の感触ではない、静希がその何かにぶつかったせいで体ごと回転している中、完全奇形が口を大きく広げて静希めがけて突貫してきていた
避けられない、静希はそう考えるよりも早く左腕を動かしていた
腕を伸ばし、完全奇形に丸呑みにされる瞬間、その上あごを掴み後方へと勢いよく飛び去る、体のほとんどが口の中に入っていた状況で、口が閉じきる寸前で脱出に成功し静希は冷や汗をかいていた
だが冷や汗をかいているような暇さえ、相手は与えてくれなかった
先程一体何に当たったのかもわからないまま、静希は再び回避行動をとり続けていた
余計な攻撃をすれば相手は能力を発動するかもしれない、今明利が全員を集めようとしてくれているはずだ、それまで自分は時間を稼ぐ、そしてできるのであれば明利のマーキング済みの種を仕込みたいところである
先程口の中に入りかけた時に種を口の中に放り込んでおけばと後悔しかけたが、そんな暇もないほどに完全奇形は静希に襲い掛かってくる
左腕を駆使し、木の幹を殴りつけるような形で半ば強引に移動していく中、静希の肉体と義手となっている霊装ヌァダの片腕の接続部分に強烈な負荷がかかっていた
当然と言えば当然だ、なにせ静希の体を近くの木まで押しのけるためにかなり勢いよく駆動させているのだから
姿勢制御もできずに回転しながら辺りを飛び回る静希はすでに僅かながらではあるものの吐き気を催していた、城島との訓練で空中での姿勢制御は学んでいたが、もっと時間に余裕がなくては体勢を立て直すこともできはしない
『邪薙、一回でいい、あいつの突進を受け止めてくれ!できるか!』
『問題ない、次の突進を止めるぞ、いいな!』
木から離れることなく、木の幹を壁代わりにして僅かに高度を下げている中、当然ながら完全奇形は静希めがけて襲い掛かってくる
静希を喰らおうと大口を開けた瞬間、邪薙の発生させた障壁がその進行を防ぎ、静希の体を守っていた
これでとりあえず地面に下りることはできそうだと安心した瞬間、静希の体が下から上に叩き上げられる
静希の胴を思い切り何かが殴りつけたような、強烈な打撃痛、骨が軋むような衝撃に顔をしかめながら静希は近くにあった木の幹を左腕で殴り少しでも完全奇形から距離をとろうとしていた
奇形種は邪薙の障壁に阻まれているのに一体なぜと、静希が下方に視線を移すとそこには完全奇形の尾が鞭のようにしなっていた
長い体、先程静希が接触したのもあれだとみて間違いないだろう、口だけではない、体にも気を配らなければならないのだ
障壁を迂回して再び完全奇形が静希に襲い掛かる前に、何とか地上に降りて落ち着きたいところだったが、そんなことを許してくれるほど相手は優しくないようだった
長い体を駆使して上半身ともいうべき頭から中腹までは静希と同じ高度に、下半身ともいうべき腹から尾までは地上に、下に逃げるのが得策かと思っていたが、どうやら上も下も逃げ場はないようだった
『シズキ、これならいっそもっと高く上がったほうがいいんじゃない?その方が移動はしやすいでしょ』
『まぁな・・・上には枝もあるし、まだ移動しやすいか・・・っと、もう時間切れみたいだな』
いつまでも邪薙の障壁に構っていてくれるほどバカでもないらしい、大きく迂回しながら再び静希に狙いを定め、襲い掛かってきていた
背に腹は代えられない、自由に行動できない空中よりも地上の方がまだ動きやすいと思っていたが、どちらも危険である以上少しでも動ける場所に移動するべきだ
枝葉のある場所であればある程度相手の視界からも逃れられるかもしれない、不意を突いてでも種を仕込む必要がある、何とかして相手の視界から逃れなくては
とはいえあの外見から蛇の奇形種である可能性が高い、蛇は獲物の体温を感じ取るピット器官というものがある、まずはそれを潰さなくてはならないだろう
「おらこっち来いよヘビ!追えるもんなら追ってみやがれ!」
ヘビが音を聞くことができているかもわからないが静希は自らを囮とするべく叫んだ
木の幹にある節を掴んでさらに上空へと移動していく静希を確認して完全奇形はそれを追うように体を動かしてくる
一体どうやってこの高さまで体を維持しているのか不思議でならないが、今はそんなことを気にしている場合ではない
静希は自分の中にあるヘビの知識を総動員して対策を練る
確か蛇に備わっているピット器官は人間で言うと鼻の部分、蛇の先端に近い場所にあると聞いたことがある、この知識が正しいかわからないが、その部分をマヒさせればいいという事だ
だがどのようにすればそのピット器官を封じることができるようになるのか静希は知らない、そもそもどういう原理で蛇が温度を感知しているのかもわからないのだ
赤外線を感知して近くにある熱を感じ取っているのだろうが、どうやってそれを行っているのかは謎だ
だがその受容体である部分が顔の先端にあるというのなら一瞬とはいえその機能をマヒさせることは可能だ
クラシックな手になるだろうが、それでも相手の目をくらませるだけの視覚的な障害物もある、ここで相手の視界から外れることは必須事項だ
枝を掴み現在位置を確認しながらも静希は左腕を駆使して移動し続ける
そしてトランプを一枚取り出し、飛翔させる、すでにそれを行えるだけの手の内は用意してある、こんなことに使うことになるとは思っていなかったが、存外必要になるときというのは来るものらしい
枝葉に身を隠すと言っても静希がいるのは林業などのための木材用の木々が群生している地域、元より枝葉の少ない木を選別して植えられている地域で野生動物である完全奇形の目を欺くことができるはずもなく、静希は再び完全奇形に追われる形となっていた
静希は左腕を駆使して高速で移動しているが、それに負けない、いや追い抜くほどの速度で相手は移動し続けている
枝葉を折りながら、木々の悲鳴を喚かせながらこちらへやってくる巨大な敵を静希は冷静に観察していた
先程のような上下左右も分からないような状態ではないために多少は頭を働かせる余裕ができていたために、静希は飛翔させているトランプの狙いを慎重に定めていく
ピット器官をマヒさせ、なおかつそれほどダメージにならないような物体は静希のトランプの中には一回分しか用意がなかったのだ
なにせ今回使うことになるとは思っていなかったのである
相手も自分を逃がさないようにするためか、先回りなどをして静希に容易に逃げられないようにしている
明利が自分の位置を確認しながら他の人員をナビゲートしているだろうが、それがいつ来るかもわかったものではない、自分が時間を稼ぎ、できるなら明利の種も仕込みたい
とはいえまずは相手の動きを予測しなくてはならないだろう、可能ならもう少し広い場所に誘い込みたいところである
形が蛇という事もありその動きは蛇に酷似している、大きさのせいで普通の蛇に比べるとだいぶ動きが早く見える
実際には大きいだけで相対的に見れば普通の蛇とそう変わらない動きなのだろうが、大きさが違うだけでこれだけ変わるのかと静希は辟易する
思えばかつて戦ったザリガニも、後方へ移動する際にはかなりの速度で移動していた、あれと同じようなものだろう
何度か静希めがけて突進を仕掛けてくるが、その度に進行方向を変えて回避し攻撃のタイミングを見計らうが、胴体の大きさから枝葉を折りながら進むために音が大きくなり相手の動きが把握しやすい
木々にダメージを与えているのは申し訳なく思うが、木材として必要な部分が残っていれば問題ないだろうと判断し静希はそのまま移動を続ける
突進してきた攻撃を少し上に飛び上って避けると、静希は巨大なその体の上に乗り全力で走る、動き続けている体に乗るというのはかなり動きにくいが、それでも久しぶりに足を動かしたような気がした
唐突にいなくなったことで相手はこちらを見失ったようだったが、すぐさまその姿を確認してこちらに襲い掛かってくる
このままではじり貧になる、そう判断した静希は木の枝を左腕で掴みまた高速で移動を開始する
左腕と生身の部分の接続部にだいぶ負担がかかっているが泣き言などは言っていられない、フィアを明利の護衛に当てている今、多少の無茶くらい許容しなければ自分はあの巨大な口で丸呑みにされてしまうだろう
次襲い掛かってきたタイミングが好機、そう判断し静希は相手の観察に集中するが、次の瞬間、斜め下から完全奇形の尾が鞭のように襲い掛かってくる
枝葉の折れる音と奇形種の頭部に集中しすぎて足元にある胴体から尾の部分への警戒を怠っていたために気付くのが数瞬遅れた
丁度枝を使って移動したところで静希の周りには掴めそうなものはない、方向転換をしようにも気づくのが遅すぎた
空中にいる静希は避けられないと判断し、腰にさしてあったオルビアを引き抜いて左腕と十字を書くような形で盾を作る
心の中でオルビアに詫びながら尾の一撃を受けると、回転しながら弾き飛ばされ、木に叩き付けられる
肋骨が軋み、亀裂が入ったような独特の音が体内で響く中、奇形種は大きな口を開けながら静希めがけて突進してきている
だが、静希は笑っていた
動物は本当に読みやすい、なにせ行動がある程度決まっているのだから
静希は左腕を動かして横に躱しながらトランプを飛翔させる
木に突進したことで停止するその一瞬に、静希はトランプの中身を完全奇形の頭部の先端にぶちまけた
それはこれといって特別な物体ではない、この世界の生き物であればほとんどが口にしたことがあるようなものだ
それは水だった
正確に言えば、調理用に沸騰させたもので、百度まで熱してあるものだ
山に行くという事で万が一遭難したとき用にカップラーメンなどのインスタント食品を調理できるように用意しておいたものだったが、まさかこんなところで役に立つとは思わなかった
本当にどこで何が役に立つかわからないものである
百℃もの熱湯を浴びせられた奇形種は驚いたのか、全身を暴れさせるようにしてのたうち回っている長い胴体が大きくしなり、地面や木々に叩き付けながら辺り一帯に破壊をもたらしていた
無茶苦茶な、ただ暴れているだけ、それだけで辺りは一斉に騒がしくなっていた
邪薙の障壁により守られながらもそののたうち回る胴体から逃れようとした静希の体に、障壁の死角から完全奇形の体が直撃する
肋骨が折れる音が静希の耳に体内を通じて届く中、静希は大きく吹き飛ばされた、そして木々にぶつかりながら地面に投げ出される
あばらだけではなく足も途中で木に衝突したためか完全に折れてしまい、あらぬ方向を向いていた
誤字多くてごめんなさいフェア開催中 30/46
この話それなりに引っ張ろうとか思ってたのにこのざまですよ
ストックがやばい・・・
これからもお楽しみいただければ幸いです




