鏡花の苦難
五月、静希達が校外実習を終えて日常に戻ってからすでに一週間近く経過していた
新しい学年になってから約一か月が経過したことで、そこそこ新しい生活環境にも慣れてきた頃、鏡花は腕を組んで眉間にしわを寄せながら唸っていた
机の上には何冊かのノートが拡げられており、そこにはびっしりと何かの計算式や項目分けされた文章が書き記されていた
「鏡花ちゃん、どうしたの?そんなに難しい顔して」
「・・・ん、あぁ明利・・・いやちょっとね・・・今ちょっと行き詰っててさ・・・」
鏡花は口を尖らせシャーペンをクルクルと回しながら再び唸り始める
その視線はずっとノートに向けられており、随分と熱心に考え込んでいる様子だった
「・・・ひょっとして陽太君の訓練の事?」
「それもあるんだけどね・・・あいつの場合は具体案があるからまだいいのよ・・・先は長いけど、問題は静希の方よ」
静希の名前が出たことで明利は目を見開くが、何故鏡花が静希のことで悩むのだろうかと不思議がっていた
そしてそれを察したのか、鏡花はノートのあるページを開いて明利に見せる、そこには以前静希が注文していた液体を高圧で噴射できる水圧カッターの基礎ともなる構造の図だった
細かく寸法や材料などが記載されており、これだけでも十分機能しそうに見える、一体何が問題なのかと明利は首をかしげてしまった
「すごく良くできてると思うんだけど・・・これじゃダメなの?」
「ただの水圧カッターっていうならそれでもいいんだけどね・・・静希はそれを超低温の液体でやろうとしてるのよ、そうなると断熱とかもしなきゃいけないわけで・・・それを考えるのがねぇ・・・」
基本的に断熱と耐久というのは両立させるのが難しい、専門知識を有している人間ならまだしも鏡花は今のところただの高校生だ
ネットなどでそれらしい知識を入れて実践してもなかなか思うようにいかず、行き詰っていたのだ
単純に超低温状態の液体をそのままにしておくだけならすでに方法はある、そして普通の水をメフィの能力を使い水圧カッターとして使用できるだけの構造もすでに出来上がっている、問題はその二つをいかに組み合わせるかなのだ
高圧をかけ、なおかつ低温を保たなくてはならない以上、熱伝導率の高い金属だけで作るわけにもいかない
かといって耐熱材料だけで構成すれば高圧に耐えきれない、考えれば考える程ドツボにはまっていくかのような感覚に鏡花は頭を机に叩き付けた
「あぁもう・・・何であいつの能力は五百グラムしか入れられないのよ・・・もっとドカッと五百キロくらい入れて見せなさいよ・・・」
「アハハ・・・でもだからこそ悩んでるんだよ、軽い液体ってほとんど低温の物しかないし・・・」
明利の言うように普通の水よりも軽い液体というのは基本低温状態のものがほとんどだ、言ってみれば空気をそのまま液体化したようなものなのだから
水より軽い液体を入れておければ、大量に液体を必要とする水圧カッターでも多少何とかなるのではないか、静希はそう考えているのだ
しかもそれが超低温となれば、仮に数秒しか使用できないようなことになっても人間相手に使うには十分すぎる武器になる
なにせ高圧で放たれる水圧カッターは数センチの鉄板も数秒で開けてしまうほどの威力を持っているのだ、人間にそれを当てればひとたまりもないのである
しかも低温ともなれば傷口は凍り付くこともあり得る、口にするよりもずっとえげつない武器になるのだ
「無理そうならそう言ってもいいと思うけど・・・静希君ならわかってくれるよ?」
「あいつに一か月待ってって言った癖にやっぱりできませんでしたって言えっての?そんなの私のプライドが許さないわ、絶対に作って見せる・・・!」
そう息巻いているものの、その期限である一か月が近づいているのもまた事実である、実際どうしたものかと鏡花は頭を抱えてしまっていた
「鏡花ちゃん、やっぱり静希君に言いに行こうよ、私も一緒に行ってあげるから」
「お母さんじゃないんだから・・・まぁ気持ちは嬉しいけどね・・・液体水素を打ち出すことになると陽太の能力とも相性がいいからできるなら完成させたいのよ・・・まぁ間に合わないからもうちょっと待ってって言うことになるかもだけど・・・」
この世の中で最も軽い気体は水素だ、そしてその液体が現状もっとも軽い液体と言っても過言ではない
最近ニュースでそれよりも軽い液体が見つかったという風に言われていたのを耳にしたことがあるが、可燃性を考慮して鏡花は液体水素を水圧カッターにできないかと考えていた
液体水素を作ること自体はそれほど難しくはない、鏡花の能力を駆使すれば状態変換や構造変換を用いて物体の状態、つまりは固体、液体、気体の三つの状態を簡単に変換できるし構造そのものを変えて全く別のものに変化させることだってできる
変換された際にはその物質の融点と沸点の上下の温度に変化する、その為超低温を作ること自体はそこまで難しくはない、問題はどうやってその状態を維持するかだ
鏡花の能力では超低温の物質を作り出すことはできても、それを維持するのは難しい、一度作ればその後には熱力学にのっとって熱の移動が発生する、熱の高い方から低い方へと熱が流れ込み、温められ液体は気体へと変化してしまう
その変化を止めるために断熱することが必要なのだが、問題はそれをどのように維持し、なおかつメフィの能力で噴射させるまで保つかである
考えれば考える程無理ではないかと思える内容に鏡花は頭が痛くなってくる
引き受けたという事もあってか後に引けなくなっている状況を見て明利は気の毒になってしまっていた
鏡花がそんな状況になっているとはつゆ知らず、静希は陽太と何やら談笑をしている、単なる世間話なのだが、苦労している鏡花からすれば本当に楽しそうに見えてならなかった
いっそのこと本当に反故にしてやろうかという考えが浮かぶ中、鏡花は明利がもつペットボトルを見て小さく口を開く
「ただ水を入れておくだけならこれだけで済むんだけどね、厄介な仕事を引き受けたもんだわ・・・」
「・・・そっか、五百グラムって大体これくらいだもんね」
自分の持っているペットボトルを確認して明利は静希の能力を再認識する
市販されている五百ミリリットルサイズのペットボトル、液体のグラムリットル比にもよるが、静希が一つのトランプに入れられる重量は大体このペットボトル一つ分と考えていいだろう
ただ入れるだけならば鏡花の言うようにこれ一つで事足りる、だが実際に入れる液体は通常の水よりも軽く、なおかつ低温のものなのだ、しかも実際には高圧をかけて噴射させるというのだから難易度が高い
「いっそのこと何層かに分けてやってみたらどうかな?一番内側は断熱にして、外側は耐圧にしてって感じで」
「ん・・・まぁそれが一番無難なんだけどね、こればっかりは一回試してみないとダメかな・・・計算だけじゃどうしても限界あるし・・・」
圧力が加わる部分も同じように耐熱と耐久の高い物質で分けた二層構造で行えば理論上は噴射するまでは問題なく保温できるだろう
以前テレビでプラスチックの箱の中に入れられた風船の映像を見たことがある、一定以上膨らむとプラスチックの箱が邪魔でそれ以上風船が膨らまずに割れることがないという内容だった
今回明利が提示した多層状のタンクも似たようなものである、断熱と耐久の二つの素材の距離をゼロにすればたとえ断熱材の耐久性を超える圧力を加えられても外側にある耐久用素材が押さえつける形でその形を保たせるだろう
もしかしたらひび割れくらいは起きてしまうかもしれないが、その場合は鏡花が適宜修復していけば問題はない
噴射された瞬間に熱が取り込まれて状態変化が起こるだろうが、その場合は断熱される機構内部にトランプを置いておける空間を作ればいいだけの話である
高圧で液体を噴射するという機構を考えるとかなり耐久力が求められる、それに水よりも軽く、研磨剤を含めることを考えると通常のそれよりもかなり強い圧力をかけることが予想されるだけに相当の耐久力を持っていないと話にならないのだ
水の速度だけでいったいどれだけになるのか、以前の話ではマッハを超える速度で噴射させるようなことを言っていたが、実際どのレベルの速度で打ち出すのかはわかったものではない
タンクよりも問題は噴射口、そして各種接続部分
「静希!ちょっと来なさい!」
話の途中で急に呼び出されたために、二人は顔を見合わせて首を傾げた後鏡花の所にやってきた
「なんだ?どうしたよそんな変な顔して」
「なんか問題発生か?腹痛いのか?」
鏡花のしかめっ面に静希は不思議そうにし、陽太は見当はずれな心配をしている、心配ができるようになっただけましというものだろうか
「今日あんたに頼まれてた奴のテストをしようと思ってるの、放課後時間くれる?」
「頼まれてた奴・・・?・・・あぁ!水圧カッターの奴か、もうできたのか?」
それを確認するのよと付け足しながら鏡花はいろいろと書き記したノートを静希に見せる
その中身を見て陽太は目をぱちくりさせ、静希は申し訳なさそうな顔をする
「・・・まさかこんなにマジにやってくれてたとは・・・悪いな、なんか」
「そう思うなら次からはもうちょっと下調べしてから頼んでくれるかしら、全部丸投げするとかはもう勘弁よ」
静希は気楽に、それこそ強めの水鉄砲くらいの気持ちで考えていたのだが、実際には強度計算をしっかりしたうえでの構造が求められるためにちょっとやそっとでは上手くいかない内容だったのだ
鏡花も今回のことで学んだが、安請け合いなんてするものではないのである
「でも鏡花は何でそんなに変な顔してるんだ?問題あるのかこれ?」
陽太がノートに書かれている設計図のようなものを見て首をかしげる、そこに描かれている絵が理解できても、そこに書き記されている条件や何やらを理解できないのだ
鏡花がやろうとしていることだから問題はないのではないかという条件反射にも似た思考停止理論が陽太の中にあるために、何故そんなに面倒そうな顔をしているのかわからなかったのである
「問題があるかをチェックするの・・・計算とかじゃわからない部分のチェックだとかをしたいのよ、いくら理論をつめたところで結局は机上の空論でしかないんだから」
それに今回の水圧カッターの肝になるのはメフィの能力である、彼女の念動力の能力で加圧するのはいいのだが、その加圧が均等に行われるわけではないのだ
鏡花の計算はあくまで機械的に、均等な圧力を加えた時に耐えられるようなものでしかない、メフィの裁量一つで壊れるようなことがあってはいちいち直すのが面倒だ、一度チェックをしてそれから本格的に作り直した方が正確なものができると考えたのだ
実際鏡花の考えは的を射ている、なにせ精密作業などとは縁遠いメフィの能力だ、適当に圧力をかけてしまう事だってあるだろう
考えることが多すぎてため息をつく鏡花に対して、ノートを見ながら本当に面倒な仕事を押し付けてしまったのだなと静希は強く反省していた
静希をはじめとする三班の人間は鏡花の言うテストのために、放課後コンクリートの演習場にやってきていた
以前のようにホースを用意し近くの水道から水を引いてまずはただの水でカッターが出来上がるかどうかのチェックをすることにしたのだ
「よし、各部チェック完了、そっちの準備は?」
「もうオッケーだってさ、いつでもどうぞ」
トランプの中にいるメフィと示し合わせ、能力発動の準備を整えると鏡花は目標となる鉄板を噴射口の前に用意する
以前は強力過ぎる勢いのためにホースを押さえきれなかったが、今回はその反省を活かして最初から完全に固定した状態で置いておくことにしたのだ
鏡花が作り出した水圧カッター用のタンクと噴射口は最初のそれと比べると随分と形が異なっているのが一目で理解できた
構造もそうだが使われている材質そのものから見直したのだろう、本当に面倒な仕事を押し付けてしまったのだなと静希は苦笑いしかできずにいた
「それじゃ水入れて・・・あとは実際にやってみるだけね・・・」
鏡花が合図をすると水道近くにいた陽太が蛇口を捻りタンクの中に水を送り込む
タンク一杯に水が入った状態で鏡花は全体の状態の確認を始めた、今のところ水漏れの類は確認できていない
「よし、静希、始めて頂戴」
「オーライ、加圧開始だ」
トランプの中にいるメフィに指示を出したのか、タンクの中の水に強力な圧力が加わり噴射口から勢いよく水が押し出されていく
水道からも水を供給し続け、高圧で射出される水を確認しながら鏡花は全体の強度と状況をチェックし続けた
「静希、もうちょっと圧力強めてもいいかも」
「オーライ、んじゃ強くしてもらうぞ」
メフィのさじ加減だからあまり大きなことは言えないが、この状況ならばまだまだ耐えられると判断したのか、鏡花はさらに加圧を強くしてもらう
噴射が強くなったせいか、それとも噴射してすぐにこうなっていたのか、配置してあった鉄板はすでに完全に貫通してしまっている、水の力とは恐ろしいものである
徐々に強くなる圧力と強くなる水の勢い、そしてそれが一定以上強くなった時、異変は起こった
何かがみしみしと音を立てているのだ、さすがにこれはまずいのではないかと静希と明利が鏡花に視線を送るが、彼女は耐久チェックを怠らなかった
水漏れはまだ起こしていないがどこかに過負荷がかかっているのは間違いない、このままだといつ壊れてもおかしくないのではと思えてならなかった
そんなことを考えていると突然水の噴射が停まる、何事かとタンクの中を確認すると噴射に対して供給が追い付かなかったらしく、水が底をつきかけているのだ
「あー・・・しまった・・・こっちのこと考えるの忘れてたわね・・・」
相変わらずホースから水が供給されているが、メフィが圧力をかけるとその供給量を上回る勢いで水が噴射されるのだ
耐久力にばかり気を配っていたため辺りはほとんど水浸し状態になっている
鏡花が地面を足で叩き、軽く傾斜を付けて水を一点に集めるとその量がよくわかる、さすがに水を出し過ぎたなと反省しながら鏡花はどうしたものかと唸り始める
「鏡花、これ以上は水がもったいないしやめたほうがいいんじゃねえの?」
「んー・・・でも実際の水圧カッターの場合もっと圧力かけるつもりでしょ?せめてもう少し耐久力を測りたいんだけど・・・こうすればどうかな・・・」
そう言いながら鏡花は排出された水を再びタンクに戻すような機構を作り始める、強い勢いで噴射された水をそのままの勢いでタンクに戻せるようにするのだ
パッと見ウォータースライダーのような状態になっているが、これで水を無駄にするようなことはないだろう、一種の永久機関のようなものだ
実際はメフィが外部から力を与えているために永久機関ではないのだが、水を無駄に浪費する必要がなくなったのだからましになったというものだろう
「とりあえずこれが壊れるくらいまでは続けたいわ、メフィにもこのまま圧力を高めていくように伝えておいて」
「まぁいいけど・・・あんまり近づきすぎない方がいいんじゃないか?水漏れの時に怪我するかもしれないぞ?」
高圧で水を噴射させているという事は、水が漏れた時にはその勢いとほぼ同じ強さの水が漏れ出るという事でもある
もしその場所に鏡花がいたらまず間違いなく怪我をしてしまうだろう
「水漏れさせないようにするために私が近くにいるんじゃないの、とっとと仕事をする、まだ確認したいことは山ほどあるんだから」
鏡花の言葉に静希と明利は不安そうにしながらも陽太に合図して水の供給を止めてもらい、再びメフィによる加圧を開始する
勢いよく噴射する水は鏡花の作ったホースのようなものをたどって再びタンクの中に戻っていく、噴射と供給を同じ量にすることで安定して噴射作業をできるようにしたのだが、やはり加圧を加えていくとタンクや噴射口から異音が発せられる
いつ壊れるのではないかと気が気でない静希や明利だが、鏡花はそんなことは知らないというかのようにノートを見ながら、時には何か書き足しながらタンクとその周辺の状態をチェックし続けている
あの度胸は一体どこから来るのだろうかと静希と明利は鏡花のこの対応に戦々恐々していた、ただ恐ろしいの一言に尽きる光景だった
誤字報告を五件分受けたので1.5回分(旧ルールで三回分)投稿
相変わらず調子最悪ですが何とか動けてます
これからもお楽しみいただければ幸いです




