実習の終わりに
「では今日は失礼します、何かあれば連絡してください、メールでも構いませんよ」
「わかりました、どうかあの人をよろしくお願いします」
そう言って深々と頭を下げる妻と娘を見ながら静希は薄く微笑み部屋を出た
扉が閉じた瞬間、浮かべていた笑みを崩し、眉間にしわを寄せてため息をつく
「もうおしまいか?もう少しくらいゆっくりしていてもよかったんだぞ?」
扉の近くで監視していたテオドールの部下二人がこちらにやってくると静希はにらみを利かせながら舌打ちする
「冗談ぬかせ、話すべきことは話した・・・くれぐれも言っておくがあの二人に手は出すな?傷一つ付けたらどうなるか、わかっているだろうな?」
「わかっている、テオドールから言い聞かされているからな、ここにいる間の安全は保障する・・・それに俺はもう少し胸がある方が好みでな」
どうでもいい下劣な追加情報に頭を痛めながら静希はそのまま建物を後にする、すると鏡花の携帯から電話が届いた
何事だろうかと通話を開始すると、向こうからのんびりとした鏡花の声が聞こえてくる
『あ、もしもし静希?デビットさんの部下の人が来てるわよ、至急本部に来てほしいってさ』
「本部に?・・・・あー・・・そう言う事か、了解、そのまま直接向かうわ」
本部に呼ばれているという事は恐らくデビットが重い腰を上げたのだろう、しっかりと裏取りができたという事でもあるが、話が先に進むのであればこちらとしてもありがたい
後はエド達との話し合いが必要だろう
ジャン・マッカローネの処遇を決める必要があるうえにしっかりと情報を漏らすことができるだけの条件を突き付けなければいけないのだ
最悪でも静希やエドたちと直通で繋がる連絡手段の一つも用意しておきたいところである
『もしもしシズキかい?今度は何の用かな?』
静希が電話を掛けるとエドは朗らかな声を響かせる、先程は少し緊張していたが今度はそんなことは無いようだった
「これから捜査本部の方に行ってジャン・マッカローネの今後について話すことになると思う・・・そっちとしてはどうするつもりだ?身柄の引き渡しに関しては何か不都合はあるか?」
『あぁそのことかい?それなら問題ないよ、彼の携帯の一部に盗聴用の機材をいくつか取り付けた、通話もメールも全部見放題さ、見つからないように工夫するのに苦労したよ』
どうやらエドはエドでしっかりと仕事をこなしていたようだった
もうこれでジャン・マッカローネに対してできることは八割方は済んだことになる
「逆探知の方はどうだ?そっちはさすがに小型じゃ無理か?」
『そうだね、そっちの方はやっぱりきちんとしたところに頼んだ方が確実だと思うよ、後はシズキの交渉次第かな』
「アハハ、了解、じゃあこっちはこっちで頑張るよ、ジャンの確保は任せた、また連絡する」
静希はそう言って通話を切る、自分にのしかかる重圧もそれなりのものだ、なにせ自分だけではなくエドやカレンもこの情報を非常に重要視している
上手く事を運ばなければあの二人からにらまれることは間違いないだろう
静希の、そしてエドとカレンが求めるのはリチャード・ロゥの現在位置と目的である
後者の方は会話の盗聴で何とかなるかもしれないが、現在位置となると会話だけではわからない可能性がある
その為に逆探知の可能な機材を使って会話をするというのが一番手っ取り早いのだ
詳細な位置はさすがにわからないかもしれないが、どの国に潜伏しているか、そしてどのように移動しているかを把握することで今後の行動を読みやすくなるだろう
それに専門の人間がいれば能力から詳細な現在地の調査も可能なはずだ
それもこれも静希の今後の交渉次第、情報を流すのと、そのデータを送る程度はしてもらいたいところである
ジャン・マッカローネの家族を保護しているという部分は秘密、あるいは知らないという事にして今後の流れを作るためにはやはりリチャードを出汁にするのがいいだろう
悪魔の契約者を作り出す、あるいは悪魔を無差別に呼び出した危険人物だ、すでにリチャードの調査は始まっているために自分に白羽の矢が立つのは時間の問題だろう
問題は情報の提供の速度である
できる限り早く情報を受け取りたい、そう考えるとエドのやった盗聴器を仕掛けるというのは非常に適切な行動だ、リアルタイムの会話まで聞こえるのだからありがたいことこの上ない
ただそこだけでは不十分なのだ
相手が危険であることと、そして自分たちが今まで関わってきたという事を押し出して何とかアドバイザー的なポジションに落ち着いて情報を提供してもらいたいところである
もちろん強引に情報を手に入れようと思えば、実月に頼めばそのくらいはしてもらえるだろうが、さすがに彼女に協力を求めすぎるのもどうかと思うのだ
彼女がリチャードに目を付けられるというのもあまり好ましくないため、最低限の協力をしてもらうにとどめたほうがいい
となればこの捜査を請け負っているチームと、それにつながりのあるデビットを説き伏せるのが一番手っ取り早いだろう
どう説得したものか
そんなことを考えていると目的地である捜査本部のあるマンションに到着し、静希は小さくため息をつく
今日はやることがたくさんだと思いながら本部のある部屋まで行き、その中に入っていった
結果から言えば、静希やエド、そしてカレンの思惑通りの展開になったと言えるだろう
本部にたどり着いた静希はまず今後のジャン・マッカローネの立場について話すことにした、当初は逮捕を確定的にしていたが静希の説得のおかげか監視対象としての見方を強めているようだった
脅されていたとはいっても犯罪は犯罪、一連の事件が片付いた後は法の裁きに身をゆだねるという事になるだろうが、それは彼の義務だ、仕方のないことだろう
そしてこれからジャン・マッカローネがどのように生活するかだが、今までと同じように生活するようにさせるそうだった
確保でき次第その旨を伝え、多少の減罪を餌にするつもりなのだとか、実際はその必要はないのだが、彼の今後のことを考えるならむしろ好都合だっただろう
会社に関しては、トップにだけ事情を伝えそれ以外は緘口令を敷いて情報の流出を防ぐのだとか、唯一彼の中で変わるとすれば、給料が激減するくらいだろうか
さらに言えば流用した会社の金の支払いについては、一割を彼自身が負担し、残りは犯人逮捕の際に補填するとのことだった
無論すべてが終わった後での話らしいが、ジャンに対しての話はここまで、その後は彼の家族についての話が主になった
人質という形で彼の足かせになっていたのであれば、保護をするのは当然なのだが、それを監視していた可能性がある以上、家族に異変があれば当然のようにジャン・マッカローネの利用価値を犯人が疑う可能性がある
そこでデビットのチームの中で変装や分身などを得意としている能力者が数人で偽装生活を送ることになるのだそうだ
実物のサイズなどを確認し、顔や仕草を真似て、あらかじめ監視カメラなどの有無を調べたうえで生活を始めるらしい
保護を最優先に動いていたために、静希もそのあたりに気が付かなかった、完全に盲点だったと言えるだろう、そう言った対応ができるあたりさすがはプロというべきだろうか
そして現在誘拐された研究者たちや、それを監視していた人間達に事情を聞いているらしい、近々新しい情報も入ることになる可能性がある
そしてその後に話されたのは彼が有する情報的価値と、得られた情報を静希達に教えるという内容だった
今回の事件の背後にいる犯人が静希が個人的に追っている人間であり、何人もの悪魔を召喚しなおかつ何十人も殺すきっかけになっているという事を知ったからか、悪魔の契約者である静希に情報を渡すのは自然だと考えたのか、この話は随分とすんなり了承された
現場を仕切っていたデビットとの話し合いは非常にスムーズに進んだのだが、ややこしくなったのはここからである
エドと連絡をつけ、ジャン・マッカローネの身柄を引き渡すと同時にやってきた携帯端末などの逆探知が可能な機材と能力者を連れた専門チームが到着した時、話がややこしくなった
どうやらデビットのチームとは指揮系統が異なっていたらしく、余計な情報を一般人に渡すことはないと主張していたのだ
急に呼び出されたという事もあって静希の事情などは知らされていなかったのだろう、悪魔の契約者であるとも知らずに静希をただの子ども扱いした時には、デビットたちも思わず苦笑いしていた
事情を説明したり直属の上司を説得させたり、ようやく静希の方にも正しい情報が入るように調整したころには日はすっかり暮れ、深夜近くになってしまっていた
ホテルに帰るころには日付も変わり、欠伸を噛み殺しながらホテルのロビーに入るとそこには城島が待っていた
「・・・帰ったか、随分と時間がかかったな」
「・・・すいません・・・ちょっといろいろ面倒でして・・・さすがに疲れました」
動き回っていたのならまだしも、静希は今日大人との話し合いばかりだった、さすがに頭を回転させ続けていたせいか疲労感が強い
「・・・あいつらは?どうしてます?」
「私が部屋を出た時はまだ起きていたがな・・・今はどうしているか・・・夕食は摂ったのか?」
城島の言葉に静希は首を横に振る、なにせずっと打ち合わせやら説得やらに時間を費やしていたのだ、そんなことをしている暇はなかったのである
鏡花たちがまだ起きているのであれば今回のことも報告しておきたかったのだが、さすがに深夜を過ぎた今となっては寝てしまっているかもしれない
「何か食べるか?携帯食であれば用意できるが」
「いいえ、もうこうなったら明日の朝まで何も食べないでいいです・・・もう疲れて・・・すぐにでも眠りたいです」
こういう疲労感は実に久しぶりだった、今まで緊張からくる精神的疲労はあったのだが、頭脳労働をし続けたために起きる疲労というのはなかなか味わったことがなかった
これもいい経験になるなと思ってはいたが、そう何度も体験したいような感覚ではなかった
「今日はもう休むか?清水達には私から伝えておこう」
「お願いします・・・じゃあ今日は失礼します」
城島に引き連れられ、何とか静希達に宛てがわれた男子部屋にたどり着くとそこには陽太の姿はなかった
そして静希が着替えてベッドに潜り込もうとした瞬間扉が開き、鏡花たちがやってきた、どうやらこの時間まで起きていたらしい
「お疲れ様、もう寝るわけ?」
「あー・・・なんだ起きてたのか・・・」
「あんたが帰ってきてないのに寝るわけにもいかないでしょうよ」
どうやら全員起きて静希を待っていたようだ、明利に至っては相当眠いのか、瞼をこすりながら静希の所に駆け寄り抱き着いている
「経過は・・・まぁ明日聞くわ、疲れてるならもう休んだ方がよさそうね」
「おー・・・お開きか、結構盛り上がってたんだけどな」
静希が交渉している間一体何をしていたのやら、とりあえず随分と待たせてしまったことは否めないが、こうして待っていてくれたことが若干嬉しくもある
「それじゃ静希、陽太、お休み・・・ほら明利、行くわよ、あんたはこっち」
「うぅ・・・静希君、陽太君、おやすみなさい」
鏡花に引きずられるようにして女子部屋へと連れていかれる明利を見ながら
静希は苦笑してしまう
そしてベッドに倒れるように横になると強烈な疲労感と眠気が襲い掛かる
こんなに疲れたのはいつ以来だろうかと考えながら静希はゆっくりと眠りについていった
やるべきことを終えた静希達は何とか日曜日に日本に帰ることができることになった、エド達とも別れを告げ、長かった校外実習もこれで終了となる
「イタリアともこれでお別れか・・・なんか今回はあんまり見て回れなかったな」
「まぁ状況が状況だったしね、仕方がないんじゃない?」
前回に比べると自由に行動できる時間はかなり少なかったために仕方がないと言えるだろうが、せっかく海外に来たというのに戦闘らしい戦闘もなく、活動らしい活動もなかったために陽太や鏡花にとっては少々消化不良な内容だったようだ
「まぁ、これで面倒なことは一旦片付いたし、後は情報次第だな、もしかしたらまた海外に行くことになるかもだけど・・・その時は俺一人で」
「ダメだよ静希君、一人だとまた無茶するんだから、私はついていくよ」
静希が無茶をしないように明利はしっかりと見張りをしておくつもりなのだろうか、静希の右手を掴んで離さない
その様子に鏡花たちは苦笑してしまう、なにせ静希は明利を含めた近しい人間が近くにいると確かに無茶ができないのだ
いい意味で明利達の存在が足かせになるため、強引で無茶な行動が減る代わりに、面倒で安全な策をとることが多くなる、今回ずいぶんと回りくどい方法をとったのは明利達に面倒が及ばないようにするためでもあるのだ
その気になればテオドールに命じてジャン・マッカローネを誘拐したうえで情報提供させることだってできただろう、エドたちが関わっているという事もあるのだろうが、そう言った強硬策を使わないのは偏に明利達のためだったのかもしれない
「この勢いだと学生の間に主要な国はいけそうね、まったくもう」
「ハハハ、さすがの鏡花姐さんも泣く子と明利には勝てないか」
陽太の軽口を流しながら鏡花はため息をつく、実際鏡花の言うように学生の間に主要な国はほとんど回れそうな勢いだから笑い話ではないのだ
なにせこの数か月で二回も海外に行くことになっているのだから
「でも静希、いくらなんでもこれから毎回実習の度に海外に行くのは嫌よ?そのところ分かってるでしょうね?」
「俺もそのほうがいいとは思ってるけど・・・それは向こうに言ってくれよ、俺が望んで海外に行きたいわけじゃないんだから」
静希は別に海外での活動が好きというわけでも、海外に行きたいというわけでもない、ただそこで事件が起きている、あるいはそれに関わる何かが起きるからそこに行くことを強いられているだけなのだ
自分からかかわりに行く節はあるものの、静希がそれを心から望んでいるというわけではない
無論鏡花もそのことはわかっているが、二連続で海外に行かされる身にもなってほしいものである、あまり使うことはないと思っていたパスポートをまさかこんなに使用することになるとは思っていなかったのだ
「まぁまぁ、ただで海外旅行できると思えばいいもんじゃねえの?むしろお得じゃね?」
「あんたは楽観的ね・・・まぁその通りなんだけどさ・・・」
校外実習においての静希達の移動にかかる交通費などは基本支給され、さらに言えば必要な手続きなども全て学校側が行ってくれるのだ
その為外国などに行くために必要な手順はすべて整っている状態での行動になるために何もしなくても海外に行けるだけの準備を整えてくれるのである
陽太の言うように楽観的になれば、楽して海外に行けているという風に考えられなくもないのだ
「・・・響の言う通りではあるが、清水の言うことももっともだ、五十嵐、お前の事情も理解できるがそう何度もこいつらに面倒を持ちかけるのは容認できんぞ」
「重々承知してます、何より俺自身も面倒はごめんですから」
静希自身も可能な限り面倒事が少なくなるように取り計らいたいところではあるが、実際それをするのは非常に難しい、なにせ相手はこちらの都合など全く考えてくれないのだ
犯罪者なのだから当然と言えば当然なのだが、ままならないものである
「先生としては海外に行けてもやっぱり面倒事はいやなんですか?」
「ただで海外に行けるというのはありがたいのだがな・・・引率という立場上遊べるわけでもない、せいぜい行き帰りに土産を買う程度のものだ・・・正直に言えばあまり役得は無いな」
以前大野と小岩にも海外にただで行ける、さらに普通ではできない体験ができるというのを利点にあげられていたが、本当にそれ以外に利点がないのだ
静希が持ってくるものは基本面倒事がほとんど、関わればそれだけ深みにはまっていくだけに可能なら関わりたくないところである
城島は教師であるためにその願いはかなわないのがすでに確定しているのだが
「まぁ、学生のうちに派手に暴れておけ、そのうち柵が増えていくんだ、今の内は好きに動けばいい・・・まぁあまり羽目を外しすぎない程度にな」
「ありがとうございます、そうさせてもらいます」
「先生甘いですよ、巻き込まれるこっちの身にもなってください」
鏡花はそう言いながらも案外まんざらでもないのか僅かに笑みを浮かべている
海外に行くことが増えるというのもいい社会勉強だ、その土地にしかない独特の空気などを体験するのは決して悪いことではない
飛行機の時間がやってくると同時に、静希達は帰国するべく飛行機に乗り込んだ
今回の件で、リチャードを包囲できるだけの条件はある程度整えた、後は情報が届くのを待つばかりである
一年近くかかってようやくここまで来れた、静希は今までのことを思い返しながらゆっくりと手を握りしめる
ようやく自分は尻尾を掴んだのだ、そう確信しながら
そしてそれはエドもカレンも抱いている感情だった
もう逃がさない、逃がすものかという強い想いと共に三人の契約者は一人の人間を追って結託を強くしていた
諸事情により誤字カウントをリセットするために1.5回分(旧ルールで三回分)投稿
諸事情に関しては活動報告にあげておこうと思います、誤字報告に関わってくださっている方はぜひ見てほしいです
これからもお楽しみいただければ幸いです




