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J/53  作者: 池金啓太
二十四話「交錯する幼馴染」

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子供から大人へ

「鏡花ちゃんがいるとありがたいなぁ、昔着てた服も調整してもらおうかな」


「あんまりたくさんはいやですよ、そもそも結構面倒なんですから」


元々価値のあるものを作ることは違法なためにそこまで練度が高くなく、一つ作るのにもそれなりに集中が必要なために鏡花にとって衣服を作るというのはなかなか骨の折れる作業だった


なにせ服を作るうえで縫い目や折り目なども作らなければいけないのだ


鏡花の能力ならそんなものがなくても服の形にできるがそれでは能力で作ったものだと一発でばれてしまう、こういうところでしっかりと証拠がないようにしなければいけないのが面倒な点の一つなのである


「そういや鏡花ちゃん、せっかくの休みなのに陽と一緒にいなくてよかったの?」


「まぁ・・・陽太は今日は多分四苦八苦してますよ、静希の所にでも行ってるんじゃないですか?」


バレンタインのお返しについて陽太に告げた言葉を思い出しながら、今日きっと手作りの菓子を作ろうと奔走しているところだろうと鏡花は予想していた、その予想は大まかにではあるが当たっている


カエデのことが頭に浮かばないのはあの外見のせいだろうか、それともただ単にかかわりが薄かっただけだろうか


「一応実月さんにお許しはもらえたんでしょ?せっかくなんだし一緒にイチャイチャしてればよかったのに」


「そうしてもよかったんですけどね、あいつにもあいつなりに考えがあるんですよ・・・」


実月の話題が出てきたことで鏡花は空港でのことを思い出していた


先日偶然という体で空港に突如現れた実月によって根掘り葉掘り二人の状況を聞きだされ生きた心地がしなかった鏡花だが、実月が極度のブラコンとはいえ最低限の常識はわきまえていたのか、それとも静希から鏡花の評判を聞いていたからか二人が付き合う事には何の不満もなさそうだった


そのとき彼女が見せた表情は、喜びでもあり悲しみでもあり、悔しさでもあり嬉しさでもあるようだった


今まで自分が守ってきた、自分が見つめてきた弟を好きになってくれる人ができた喜び、いつの間にか弟が自分を必要としなくなったのだという悲しみ、そして自分だけのものではなくなっていた悔しさ、そして自分の弟が誰かを好きになったのだという嬉しさ


手がかかっただけに、溺愛していただけにその感情は複雑だ


彼女は重度のブラコンではあるが、陽太の実の姉だ、陽太が自分を選べないという事も、選んではいけないことも昔からわかっていることだ、だからこそ安心したし、同時に大事にしていたものを奪われたような気にもなってしまう


「ちなみに実月さんはなんて言ってたの?何かしら言われたんでしょ?」


「・・・不出来な弟だがよろしく頼むって、そう言ってました」


「・・・実月さんにしては珍しい言い方だね・・・」


陽太のことを溺愛している彼女の口から陽太を貶すような言葉が出るとは思っていなかったのだ


実月のことを昔から知る雪奈と明利からしたらそんな言葉が彼女から出てくることが不思議でならなかった、もしかしたら実月なりのけじめなのかもしれない


今までもずっと姉としての立場を保ってきたが、陽太に恋人ができたという事でその立場をさらに厳格にするべくあえてそのような言葉を言ったのかもしれない


だが鏡花は実月のあの複雑な表情が忘れられない


喜怒哀楽をすべて含めたような表情と、そこから出る抑揚がない代わりに僅かに揺れる声


自分の思っていることをすべて押し込んで弟のために自分を殺しているようなそんな気がした


「雪奈さん、実月さんって昔はどんな人だったんですか?」


「昔?また唐突だねぇ・・・そうだなぁ、私達より年上ってのもあったけど、落ち着いた人だったかなぁ、大人しいんじゃなくて落ち着いた感じ」


大人しいと落ち着いたという言葉は似ているようでまったく違う、大人しいというのは明利のように自己主張が少なく、活発ではない性格をしている人物に当てはまるが、落ち着いているというのは物事を冷静に見ることができ、なおかつ対処できるような人物に当てはまる言葉だ


確かに実月は落ち着いたという印象を受ける、自分たちとそう年が離れていないのに随分と落ち着いた姿をしている、陽太のことに関しては少々暴走しがちなところがあるようだが


「遊んでるときとかも怪我とかしないように気を配ってたり、やっちゃいけないこととかはさせないようにしてたなぁ、今思うといいお姉さんって感じだったよ」


「そうですね、何度もお世話になりましたし・・・陽太君にはちょっとアグレッシブだったけど・・・」


実月の評価に関しては明利も雪奈も大体一緒であるようだった、自分達より年上のお姉さん、冷静で落ち着いていて、陽太のことを溺愛している


大事に思っているからこそ引き際をわきまえているという事もあるのだろうがこのままでいいのだろうかと鏡花は唸ってしまう


実月は陽太を大事にしているが、その逆はどうだろう、陽太は実月のことをどう思っているのだろうか


苦手意識があるのは理解している、だがだからといってこのままの関係ではあまりにも実月が浮かばれないような気がしたのだ


「陽太が実月さんを苦手なのって、あの過剰な愛情表現が原因ですよね」


「たぶんね、陽は親御さんと上手くいってないからその分を実月さんが補填しようとした感じかな」


「陽太君もそのあたりはわかってると思うんだけど、たぶん恥ずかしいんだと思うよ?」


確かに陽太程の年齢であれば、いや歳は関係なく男の子なら女姉弟に抱き着かれて恥ずかしくないはずがない、だからといって邪険にしていいはずはないのだ


何とかしなきゃいけないなと思いながら鏡花は雪奈の服の修正を終えていく









「さぁて今度はうまくいってるかしら?」


鏡花たちがそんな話に花を咲かせている中、バレンタインのお返しを作っている静希達は何度目かの試作品の完成度を確かめていた


オーブンから取り出されたクッキーを眺めて静希はおぉと小さく息を吐く

芳ばしい洋菓子独特の甘い空気、クッキーから空気に染みだすその中にわずかに混じる乳製品の持つ特徴的な柔らかい匂いが静希達の鼻孔をくすぐる


「見た目はいいわね、後は味はどうかしら?」


カエデが熱々のクッキーを一つ手に取って口の中に放り込む、サクサクとクッキーが噛み砕かれる音と共に口の中に甘さと僅かな苦みを含んだカカオの香りが広がっていく


静希達もその後に続き自分たちが作ったクッキーを口の中に入れる、いくつもの種類を作った中で一番好感触だったのはチョコを混ぜた生地で作ったクッキーだった


紅茶や抹茶などを混ぜたクッキーも作ったのだが、確かに茶独特の香りはするものの少々渋みが強くなってしまっている、混ぜる配分を間違えたのだろうか


「うんうん、スタンダードな奴とチョコの奴はもう大丈夫そうね、後は紅茶入りのとフルーツ入りのかしら」


「こっちのは火加減と配分がなかなか難しいですね、最初よりはずいぶんましになりましたけど」


クッキーを作るうえで一番大事なのは材料の配分と生地をしっかりと混ぜることだ


ここで間違えると焦げ付いたり形が崩れたりと上手くできないことが多い


特に最初に作った時にはその配分をミスしたせいか甘すぎて焦げたクッキーができたほどだ、静希のいう通り最初よりはずいぶんましになったほうなのである


「どうする?一度休憩にする?」


「そうですね、体中が甘い匂いがしそうです・・・」


ずっと菓子作りをしていたせいか静希と陽太の全身からは洋菓子の甘ったるい匂いが染みついてしまっていた、このまま続ける前に少し鼻や口の中をリセットしたほうがいいかもしれない


「ふふ、じゃあコーヒーを淹れてくるわ、カウンターで待ってて」


カエデの言葉に静希は陽太を引き連れて厨房から店内の方へと戻っていく、相変わらず店の中には誰もいない、休日なのにこれで儲かっているのだろうかと思えてしまうほど閑散としている


「はいお待たせ、砂糖とミルクはお好みでね」


「ありがとうございます・・・っていうかカエデさん、お客さん全然来ませんけどこの喫茶店って儲かってるんですか?」


カエデが出してくれたコーヒーが芳ばしい香りを静希達の鼻に届ける中、失礼とはわかりつつも不安になってそんなことを聞いてしまった


もし自分たちが店の営業の邪魔をしているのであれば心苦しい、カエデはそんなこと気にしなくていいようなことを言っていたが、少々不安になってしまう


「ふふ、平気よ、これでも平日の夕方あたりは結構にぎわうのよ?学校帰りによる子がいてね、近くに高校と中学があるからその帰りによる子が多いのよ、ほとんど女の子だけどね」


女の子がこの店を利用するという事実に静希は驚きを隠せなかった、カエデの話だと結構話が盛り上がるらしい


なんでも化粧の話や甘くておいしいお菓子の話、ダイエットの話など結構相談に乗ることが多いらしい


最初はそれこそあまり儲けもなく、どちらかというと趣味でやっているような店だったらしいがいつの間にか情報屋と同じくらいの収入が見込めるのだとか


確かにカエデは外見こそ衝撃的だがその内面はとても良くできた人物だ、気配りができるし料理もうまい、愛嬌もあるし茶目っ気のある性格をしている、話をしていれば良い人であることがわかるし何より面白い人だというのがわかる


面白いもの見たさでやってきた客が常連になることも少なくないんだとか


自分の外見とその性格を上手く使って集客しているのだという事に静希は感心していた


ただその外見である必要はないのではないかと突っ込みたくなったが、そこはあえて黙っておくことにした


「それにしても何でこんな立地の悪いところに?もう少し表の方でもよかったんじゃ」


「普通の喫茶店ならね、でも別のお仕事もしているとあまり表に近いのはよくないのよ」


別のお仕事という言葉で静希は情報屋の仕事もしていることを思い出す


これ程特徴的な店主が営んでいる店だ、商品の質が良いことがわかれば有名になって雑誌などで取り上げられる可能性だってある、そうなってしまうと情報の受け渡しなどというあまり公にしたくない仕事がばれてしまうこともあるかもしれない


だが口コミ程度で広がるような店ならまさに知る人ぞ知るという隠れ家的な意味でも商売がやりやすいのだ


カエデ本人からすると客の顔を覚えやすいからこちらの方がやりやすいのだという


客の顔を覚えて一人一人違った対応や適した商品を提供する、平滑化されたチェーン店などにはできないような芸当である、そこのあたりは個人経営の強みというところだろうか


「・・・ていうか本当に陽太君一言もしゃべらないわねぇ、結構頑固なのかしら」


「俺もこんなに長続きするとは・・・一体何をそんなに隠したいんだか・・・」


静希とカエデがしゃべっている間も陽太は頑なに声を出そうとしなかった、声の出し方を忘れているのではないかと思えるほどに黙々とコーヒーの入ったカップを傾けている


「ひょっとして実月ちゃんと何か喧嘩したとかそういう話なの?」


「いえそんなんじゃないと思いますけど・・・この前偶然遭遇しまして、その時に何かあったのかもですね」


偶然を装って遭遇したあの時の話を静希はそこまで深く知らない、実月が鏡花に陽太のことを頼むという事を言ったというくらいしか耳にしていないのだ


「昔はそんなことなさそうだったのに、いつの間にかお姉ちゃんが苦手になっちゃったのかしら?」


「・・・あぁそう言えばカエデさんは昔陽太にあったことがあるんでしたっけ、まぁ昔と変わらず過剰な愛情向けられると苦手になるってのはなんとなくわかる気がしないでもないですけど」


静希も陽太との付き合いはかなり長いが、陽太が実月にべったりだったのは少なくとも小学校の低学年までだ、そこから先はあまり過剰な愛情を向けられるのが嫌になったのか、実月を避けるようになっていたような気がする


といっても陽太の実力で実月の追跡を振り払えるはずもなく、十分もすればいつものように実月につかまっていたのだ、懐かしい良い思い出である


「せっかくあんなにいいお姉さんがいるんだから思い切り甘えてあげればいいのに、男の子って複雑ねぇ」


「そっ・・・そう・・・ですね」


もしかして突っ込み待ちなのだろうかと思いながら静希は苦笑いで誤魔化しながらコーヒーを口に含む


心は乙女なつもりなのだろうか、確かにカエデは恐ろしいまでに女子力が高い、だがその高い女子力をもってしても隠し切れないほどの男らしさを兼ね備えているのもまた事実だ


一体何がこれほどまでにカエデを変えたのか不明だが、ここは流しておくのが吉だろう


ふと気づくとカエデの視線が陽太に注がれているのに気付く


その瞳にはどこか懐かしむような感情が含まれているのに静希は気づけた


「ねぇ陽太君、しゃべりたくないならそのままでいいわ、実月ちゃんは嫌い?」


その言葉に陽太の眉がわずかに動く


静希でもわかっている、陽太は実月のことを苦手に思っているが、決して嫌いではない、自分のことを気遣ってくれて、守ってくれて、心配してくれて、大事にしてくれる、そんな人を嫌いになれるはずがないのだ


そんなことができる程陽太は薄情ではない


そしてそのことをカエデも感じ取ったのだろう、僅かに微笑んで静希と陽太の前に先程作ったクッキーを差し出す


「男の子は恥ずかしがってあんまり口に出すってことはしないからね、もしかしたら誤解されてるかもしれないわよ?実月ちゃんは頭はいいけどちょっと抜けてるところがあるし」


カエデの言葉通り、実月はどこか抜けているところがある、それが陽太のことになるとなおさらだ


カエデの言う通りもしかしたら自分は陽太に嫌われているのかもと勘違いを起こしていても不思議はない


特にこの前何かあったのだろうか、陽太は妙に頑なに実月に何かを隠しているような節がある


「いろいろお話しした時何があったのかとかは知らないし、何があったのなんて聞かないけど、大事なことだけは伝えておいた方がいいわよ?少なくとも自分の口でちゃんと」


態度だけじゃわからないことってあるものと付け足してカエデは厨房の方に戻っていく


一体何が言いたかったのか、それは陽太が一番分かっているだろう、あの時あの場にいたのは陽太と鏡花だけなのだ、実月とどんな話をしたのか、どんなやり取りがあったのかを知るのは二人だけなのだ


そして陽太はコーヒーを飲み干すと大きくため息を吐いた


「・・・あの人一体どこまで知ってるんだ?」


「ようやくしゃべったか・・・まぁ実月さんが知ってることと同じくらいのことは知ってるんじゃないか?」


ここに来てからようやく出した第一声がこれとはと静希は少し呆れているが、口に出すだけのことができたのだろうかと思いながら静希はカエデに出されたクッキーを口に放り込む


当の陽太は携帯の画面を眺めながら何やら悩んでいる様だった、画面には実月の電話番号が表示されている


「・・・なぁ静希、姉貴ってさ、俺のこといつもどんな風に思ってるんだろうな」


「お前も知ってる通りだよ、お前のことを溺愛してて大事にしてて、第一に考えてるだろうよ」


付き合いが長い静希は、いや付き合いが短い鏡花だってそのくらいわかっているだろう


そして陽太が実月に対して伝えなければいけない、伝えるべき言葉があることもまたわかっている様だった、後はそれを口に出せるかどうかだ


「まぁあれだ、一度くらい素直になっても損はないと思うぞ、今まで世話になったんだ、鏡花との仲も認めてもらえた今がいい機会なのかもしれないしな」


そう言いながら静希はコーヒーを飲み干して席を立つ


カエデの後を追うように厨房に戻り、その場には陽太だけが残された


伝えるべきこと、伝えなければいけないこと、そして陽太が伝えたいこと

鏡花と一緒に実月と話した時の表情を、陽太は思い出していた


一体どんなことを考えているのかわからないような、何を思っているのか何を感じているのかわからないような表情だったのを覚えている


嬉しいのか悲しいのか、笑いたいのか泣きたいのかもわからないような顔をしていた


あんな顔を見たのは初めてだった、そしてそれをさせたのが自分達だったというのも分かっている


笑った顔はよく見ていた、だが泣いた顔というのは数えるほどしかない、そして嬉しいのに悲しいという表情を見たのはあれが初めてだった


静希のいう通り丁度いい機会なのかもしれない、そう思いながら陽太は携帯を使って電話を掛ける


「・・・もしもし姉貴?俺・・・陽太」


何回目かのコールで出た自分の姉に、自分の言葉を伝えるべく陽太はぽつぽつと頭の中にあることを口にし始めた






「あの子も大きくなったのねぇ・・・昔はあんなに小さかったのに」


「カエデさんがあったことがあるのって小学校に上がる前ですよね?そりゃ大きくもなりますよ」


厨房の壁に寄りかかりながらクッキーをかじる静希と、昔の写真を眺めながらしみじみしているカエデはカウンターで電話をかけている陽太の邪魔をしないように小さな声でそんなことを話していた


「ん・・・体格とかそう言うだけの話じゃなくて、なんていうか男の子になったのねって思ったのよ」


男の子になった


その言葉に静希は首をかしげてしまう、陽太は昔から男だったのだが、一体どういう意味なのだろうかと不思議そうな顔をしていると、そのことに気付いたのかカエデは薄く笑いながら先程静希達が作ったクッキーを口に含む


「貴方もいつか分かるようになるわよ、子供だと思っていた子がいつの間にか立派で魅力的な大人になる、本当になんとなくなんだけどね、それがわかるようになるの」


なんとなくわかるようになる、カエデにしてはひどく抽象的な表現の仕方だ

静希からすればまだよくわからない事柄だが、恐らくこれから大人になっていくうえで少しずつ理解していくことなのだろう


いつの間にか立派で魅力的な大人になる


カエデは先程の陽太の姿をどのように見てそう思ったのだろうか、やはりそこは大人からの視点でなければわからないことなのかもしれない


子供の頃の自分のことは思い出せるが、それを第三者視点から見た時、大人から見たときどう映っていたかはわからない、カエデはきっと親にも近い心境でいるのだろう


子供を見てきた大人、陽太からすればあまりいい印象はないのかもしれない、彼の親を始め教師も基本は陽太を冷遇していたのだから


だが直接ではなく、実月を通じて間接的に陽太のことを知っていたカエデとしては陽太の成長はそれなりに思うところがあったようだ


人との関わりとは不思議なものだと、感心してしまう


毎日会っている陽太の親はきっとそんなことを言ったことも思ったこともないだろう、なのにほとんど会っていなかったカエデがこんな風な感情を抱くのだから奇妙なものだ


以前見た写真から、自分達より一回りか二回り近く年上であることがうかがえるカエデにとって、陽太や実月に対してどのような感情を抱いているのか、本人にしかわからないことではあるが、静希の予想は概ね当たっていると言っていい


「カエデさんから見て、あいつはどういう風に変わったと思います?」


「ん・・・最近の陽太君のことはあまり知らないけど、そうねぇ・・・気遣いができるようになりかけてるってところかしら」


気遣いができるようになると言われないあたりが陽太らしいと評価するべきか、静希はカエデの言葉に苦笑してしまう


陽太がデリカシーと言うものを持つのはまだまだ先のようだった


「ちなみに後学までに、カエデさんから見て俺はどう見えます?」


「あら気になるの?そうね・・・静希君は一見もう大人に見えるけど危なっかしいところがあるわね、そう言う意味ではまだ子供かもしれないわ」


危なっかしい、これまた的を射た表現だ


静希も自分の危なっかしさは自覚している、他人から見れば明らかに危険な行為を何度も行っているのだ、この評価も甘んじて受けるべきだろう


そしてカエデはあえて口にしなかったが、静希を見て思ったことがもう一つあるのだ


これは危なっかしいというのとはまた違う意味なのだが、静希は見ていて、とても危うい


やんちゃな子供を眺めるような、そんなレベルのものではない、一つ間違えば取り返しのつかないことになるかもしれないような危うさが、静希から感じられた


それは静希が時折纏う狂気によるものか、それともこれまで関わってきた危険が呼び起こした静希自身が持つ特性なのか


カエデには判断できなかったが、それは自分が決めることでも、ましてや静希が知るべきことではないと感じ紅茶を口に含んでその考察をごまかすことにした


「ところで静希君、バレンタインのお返しだけど、何人に返すのかしら?それによって材料を用意しておくけど」


「えっと・・・六個かな・・・?」


静希が受け取ったバレンタインは六つ、明利、雪奈、鏡花、石動、東雲姉妹だ


今までに比べればだいぶ多い数に、嬉しいながらもお返しのために悩む手間がある、この悩ましさもイベントならではだなと思いながら苦笑する


「そのうち本命は?二人だったかしら?」


「・・・えぇ、そうですけど・・・」


何で知ってるんですかと言いかけて静希は首を横に振る、カエデは実月の師匠だ、そして実月は明利の師匠だ、何らかの形で伝わっていてもおかしくない


余計なことを言って藪から蛇を出すよりそのまま流した方が良いだろう


「じゃあその二つは特別製にしなきゃいけないわね、愛情を受け取ったならその愛情分しっかり贔屓してあげるのよ?」


この露骨な贔屓が何ともカエデらしい、愛情を受け取ったならその愛情分

確かに理に適っている、そしてそれは静希だけではなく恐らく相手のことも考えての言葉だったのだろう


どんな人間でも、特別扱いされればそれなりに思うところがあるものだ、それが好意から始まるものであれば、ほとんどの人間が嬉しく感じるだろう


恋人から特別扱いされる、静希だって嬉しく感じるのだ、明利や雪奈も同じように嬉しく思ってくれるだろうと静希は確信していた


「ただいまー、続きはじめようぜ」


電話を終えたのか、陽太が再び頭巾をかぶった状態で厨房へとやってくる、その表情が少しだけ複雑そうなのは、恐らく実月といろいろ話したからだろうか


気恥ずかしさが混じった微妙な表情だ


「おかえり、なんだ無口作戦は終わりか?」


「ん・・・もういいや、なんか吹っ切れた」


実月と話していろいろ思うところがあったのだろうか、陽太は微妙な面持ちのまま近くにあったクッキーをかじりながら口を尖らせている


理解はしたが納得していない、そんな感じだろうか、実月と一体何を話したのか気になるがせっかく口を利くようになったのだ、下手に言及して不貞腐れられても困る、ここは何も言わずに迎えることにした


「さぁそれじゃ続きといきましょうか、陽太君はいくつお返し?その中で本命はいくつ?」


「あー・・・俺は四つ・・・いや五つで、本命ってか気合入れるのはその・・・二つで」


陽太は東雲姉妹からチョコを受け取っていない、その為本来はチョコは四つのはずだ、だが五つ返すという


そしてそのうちの二つに気合を入れる、その意味を静希とカエデはなんとなく理解していた


陽太にチョコをあげる異性が他にいるとすればそれは実月に他ならないだろう、恋人の鏡花だけではなく苦手としていた姉にも気合を入れるというあたり陽太の心境の変化がうかがえる


「そう、それじゃ気合入れて作りましょうか」


陽太のこの変化にカエデとしても思う所があったのだろう、微笑みながら手早く材料を取り出して準備を進めていた


その後静希と陽太はカエデの指導の元、それぞれホワイトデーに渡すクッキーを作れるだけの技術を身に着けていた


前日にまた作りに来るという事を告げ、その場は解散となり、静希達はカエデの店を後にした


「ちなみに陽太、実月さんと何話したんだ?」


その帰り道、電車に揺られる中静希は何気なくそう聞いていた


すでに陽太は普段通りになっていたから、そろそろ聞いてもいいかと思い口に出したのだが、質問された途端に陽太はまた微妙な表情になってしまう


「ん・・・まぁいろいろだよ、今までの事とか、これからの事とか」


「・・・ふぅん・・・」


ニヤニヤしながらそう言う静希に陽太は何だよと眉間にしわを寄せながら返すが、静希からすればよかったなとしか言いようがない


その対象が陽太なのか実月なのかは静希自身よくわかっていない


陽太が何を言ったのかによってはそれが変わるのだ


「実月さん、喜んでたか?」


「電話越しだったからわからねえよ、まぁ・・・いやな感じはしなかったな」


「そっか」


陽太自身、自分で言った言葉の意味を半分も理解していないかもしれない


それでも何かを伝えようとしたことは、実月も理解しているだろう、そして実際にその会話を聞いていない静希でもわかる


陽太はしっかり実月に自分の言葉を伝えられたのだ


電車の窓から外の景色を眺める陽太の表情を見て、なるほどなと内心頷きながら静希は小さく息をつく


子供だったのに、いつの間にか


その言葉の意味が少しだけわかった気がする、今までの陽太はこんな表情はしなかった、少しずつ、いい意味で変化しているのだろう


鏡花と出会っただけではない、いろいろなことが陽太の中で成長するための肥やしになっているのだ


客観的に見れば陽太はまだバカのままだ、そこは何も変わっていない


だが知力とはかけ離れた部分が、特に精神的な変化が静希には見て取れた


普段陽太の教育を鏡花に任せていたからこそ気づけた変化かもしれない、毎日顔を合わせていても分からないことがある、そしてこうして一緒にいて初めてわかることもある


「陽太、お返しどんなのにする?」


「言ったらつまんないだろ、それにまだ考えてねえよ・・・まぁ特別な感じにはする予定だ」


どんな形でどんな味にするか、陽太はまだ考えていないようだったが、きっとあと数日のうちに答えを出すだろう


特別扱いというと少し嫌な言いかたかもしれないが、陽太がようやく自分が特別扱いしたいと思える相手を自覚したのだ


この一年、陽太は本当に成長したと思う


三月ももうすぐ半ば、あと数週間すれば今年度は終わり、また新しい年度になり、静希達は二年生になる


約一年前には想像もできなかったことばかりだが、今の生活は決して悪いものではない


静希のことも陽太のことも、明利のことも鏡花のことも、雪奈のことも、そして人外のことも、静希にとってはすでに生活の一部だ


著しく変化したことも多い、良いことだけではなく悪いこともあったが、それも含めていい一年だったと思える


自分が返す愛情はどんな形にしようかと考えながら、静希は今までの一年を振り返り薄く微笑んだ


大量投降中15/20、あと一回五回分投稿します


最近忙しいというのにこんなに投稿しちゃって、きっと今自分の首を絞めているんでしょうね


これからもお楽しみいただければ幸いです

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