自覚と気持ちと負けん気
「さぁ、鏡花ちゃんも血を流したところで、軽く止血したら訓練始めるよ、陽、明ちゃん呼んできて」
縁側で見ていた陽太ははいはいと面倒くさそうに台所へと向かう
血を流させてすぐに治療するあたりしっかりしている
もっとも石動は止血の必要はなさそうだったが、痛みを残すメリットもないのだろう、呼ばれてやってきた明利の治療を何の抵抗もなく受け入れていた
「じゃあまずは、投擲からやっていこうか、鏡花ちゃん、悪いんだけどナイフをあと九本と的を作ってくれないかな、十メートルくらい離れたところに」
「わかりました、けどナイフそんな少なくていいんですか?」
いいのいいのという雪奈の言葉通りに、石動がもつナイフを地面の土から作り上げ、十メートル離れた位置に弓道やアーチェリーなどで用いられる的を用意した
「まず私が十本投げるから、それを手本にして投げてみてね、十本投げて自分に一番なじむ投げ方を模索してほしいんだ」
「模索・・・では完全に真似しなくてもよいのですか?」
「うん、私の投げ方は一番威力も出るし、精度も高いベストな投げ方なんだけど、それがその人のベストになるわけじゃないからね、ベースは私の投げ方だけど、本人が投げやすいのが一番だよ」
雪奈の技術は威力や精度など、そういったものも最高に高められる
だがそれはあくまで雪奈自身の技術だ、人にはそれぞれ癖があるし、特徴がある
それ故にこの投げ方で投げろという、強制的な指導をすればその人の長所を潰してしまうこともあり得るのだ
「んじゃいくよ、ほいっと!」
雪奈は横からまるでフリスビーでも投げるかのように簡単にナイフを投擲する
ほぼ一直線に飛んで行ったナイフは的のど真ん中にしっかりと刺さっている
左右横を二回ずつ、そしてオーバースローを三回、アンダースローを三回見せてそのすべてを当然のように的に命中させて見せた
「まずはどの投げ方が自分に合ってるか試すこと、十回投げて一番合っていそうなものを厳選していくのが大事だね、必ず十回投げ切ってから考えたり休憩したりすること、わかった?」
「わかりました、やってみます」
自分の目に焼き付けた雪奈の投擲を忘れないうちに石動は自らの鍛錬を始めた
雪奈のそれとは似ても似つかないお粗末なものだが、僅かにその片鱗は見ることができる
運動神経はいいのだろう、あの様子なら数回も繰り返せばものにするかもしれない
「さて、んじゃ鏡花ちゃんの訓練に行こうか」
そういって雪奈は腰にさしてあったナイフを抜いて鏡花に向ける
鋭い切っ先は鈍い光を放ちながらまっすぐに鏡花をとらえている
あの刃で斬られれば、その瞬間先程の痛みよりも数倍強烈で鋭い痛みが襲い掛かるだろう
鏡花はわずかに体の震えを覚える
今まで痛みに対しての訓練は何度か行ってきた
だがこうまでも明確に向けられる殺意と、一度実体験を経て浮かび上がるビジョンを持った痛みに平静を保っていられるほど、鏡花は痛みに慣れていない
彼女は中衛の人間だ、怪我をすることなどめったにない
だからこそ眼前に存在する脅威に体の震えが止まらなかった
「さぁ、おいで」
「え・・・?おいでって・・・あの・・・攻撃の型とか、そういうのは・・・」
戸惑う鏡花に雪奈はその手に持ったナイフをまるでペンでも持っているかのような気軽さで操って見せる
それは日常的に行われる動作であるかのように容易に、そして軽快に動いていた
「まぁ、普通なら構え方とかから教えるんだろうけど言ったでしょ?私は厳しいって」
軽く上空に投げたナイフが回転しながら弧を描き、再び雪奈の手の内に収まり、また切っ先が鏡花に向けられる
「静と同じ、まずは攻撃することの危うさから教えてあげよう、どこからでもいいから、かかっておいで」
にっこりと笑う雪奈に、一種の狂気を覚えながら鏡花は縁側で見ている陽太に視線を向ける
そこにはすでに洗い物を終えたのだろう、静希、明利、陽太の幼馴染トリオがそろってその様子を見ていた
どうしようもねえよというかのように陽太は首を振って鏡花に諦めることを勧める
こうなってしまってはどうにもならないのだろう、おそらくあの三人も同じことをやったのだ
なのに自分だけやらないというのは癪に障る、何より負けたくないという気持ちと、自分が教わろうとした気持ちが如何に軽いものだったかを実感して腹が立った
静希は常にこれほどの覚悟を持っているのだ、陽太は何時もこれだけの重圧に耐えていたのだ、明利はそれを理解してなお、彼らとともにいることを選んだのだ
鏡花はわずかに前傾姿勢をとって何も持っていない左手を前に、そして眼前にナイフを構える
ちょうどボクシングの構えのような形だ
体を揺らしてリズムをとり、呼吸を整え深呼吸する
全身に酸素が回ったことを自覚すると、鏡花は一気に駆ける
大きく振りかぶり、右上から斜めにナイフを振り下ろす
雪奈が何もしなければその肩口からナイフがその身を切り裂くだろう
もうすぐ触れるところまで来ても雪奈は動かない
まさか動かないつもりなのかと思ったが、すでに鏡花のナイフは、腕は、止まらない




