訓練の内容
一体どれほど水の中で格闘しただろうか、一度休憩の為にプールの縁に転がされた静希達は全員が荒い息をつきながら青い空を見上げていた
長時間水の中にいたというのもあるのだが、あれだけ激しい水の流れの中にいたために平衡感覚が微妙になくなってしまっている
一心不乱に身体を動かしていたために体中が酸素を求め、視界が白くなりかけることも多々あった
「まったく情けない、ボールを掴めたのは響だけか・・・しかも一つだけとは・・・精進が足りん」
全員が反論の言葉を浮かべたのだが、呼吸で忙しいせいで誰ひとり声を放つことができない
事実陽太以外はボールを視認することはできてもそれを掴むどころか触れることもできなかったのだ
陽太自身も意識してボールを掴みに行ったのではなく、運よく近くに来たものを正確につかめたにすぎない
情けなくもあったが今は平静を取り戻すことの方が重要だ、何せ水の中ではその強烈な流れのせいで左右どころか上下の感覚さえも掴みにくい
乗り物酔いに似た症状だが、波酔いと言えばいいのだろうか、無茶苦茶に体を揺さぶられたせいで身体が重い
水の中に長時間いたせいというのもあるだろうが、十中八九原因はあの激流だ
「せ・・・先生・・・先生もあの訓練やったんすか・・・?」
「ん?私か?」
さすが前衛型で頑丈な身体を持つ陽太、回復も早いようだがそれでもまだ身体を動かすには至っていない
「私の時も水流を使っての訓練は第一段階として行われた、次のステップでは足場が常に変わり続けるアスレチックのようなものだったな、いきなり足場が針の山に変わった時は肝を冷やしたのを覚えている」
さらりと非情極まるような訓練方法を聞いてこの訓練がいかに優しいものかを理解した
少なくとも具合が悪くなることはあれど死ぬことはたぶんない
生徒の事を考えてこそのこの対応なのだが、スパルタであることには変わりない
「これは・・・一体どういう状況だ?」
聞き覚えのある声が聞こえてきたことで、静希達は顔だけを声のする方向に向ける、とそこには先日静希と電話したエルフ、石動の姿がある
プールのフェンスの向こう側からぐったりしている静希達を見てどういう状況なのか測りかねているようだった
この暑いのに仮面を着用して飄々としている、もっとも表情など分かったものではないが
「なんだ、石動じゃないか・・・今このバカ共の特訓中だ、何か用だったか?」
「えぇ・・・補習後に時間をとってもらっていますが・・・これは何の補習なのですか?」
流石にプールの縁で寝転がっているのは特訓にも補習にも見えないのか石動は周囲を観察しているのだが、あいにくと今は城島も能力をきっている、なにが起こったのかは全く分からない
「て・・・いうか・・・時間潰せって・・・言っといただろ・・・何で・・・いるんだよ」
「いや、時間を潰していたらプールの水が浮かんでいるのが見えてな、誰かが余興でもやっているのかと思って暇つぶしに見に来たのだが・・・お前達がいるとは・・・」
息も絶え絶えな静希にあっけらかんと答える石動、そういえばどこで補習をしているなどということは教えていなかった
結果的に少し早くでも合流できたことを喜ぶべきだろうかと、前向きに考えているなか城島の顔が僅かに笑みを浮かべたのを、石動以外の全員は見逃さなかった
「即時対応力の訓練だ・・・見ていくか?」
「いいのですか?それは是非」
全員が心の中でゲッと思っているのをよそに石動は喜々としてプールの縁へとやってくる
他の人物の訓練などはあまり観察などしたことは無いのか、興味津々な様子だ
「さあお前達、ギャラリーも増えた、やる気を出していいところを見せられるようにしろ、私に恥をかかせるなよ?」
指を鳴らした瞬間に宙に浮かび、流れを作り出す水流を見て静希達は嫌な顔をしながら渋々立ち上がり軽くストレッチする
「くそ・・・もうちょっと休んでいたかったな・・・」
「まったくもう・・・ギャラリーなんていても何も変わらないわよ・・・むしろ醜態を見られる分やる気マイナスね」
何とかしゃべれるようになった陽太と鏡花と対照的に、明利はまだ息を整えている
自らのバイタルサインを読み取れる明利からすれば未だ酸素量が足りないと判断したのだろうか、一心不乱に酸素を供給しようとしている
「明利平気か?まだ休んでても・・・」
静希の心配に明利は首を横に振ってこたえる
全員でやると自分で決めた以上、その意志を曲げるつもりは毛頭ないようだ
この中で一番頑固なのは実は明利なのかもしれないと思いながら、静希は軽くため息をついた後で大きく空気を吸い込む
「さあ行ってこい、今度はしっかりボールを掴んでこいよ?」
城島の激励と同時に静希達の身体が浮遊感に包まれ上空へと投げだされる
即座に自分達の配置を確認して姿勢制御、着水と同時に水の流れに逆らわないようにしながら姿勢を保とうと身体を動かしていく
強力な流れに身体は思うように動かず、時に無茶苦茶に弄ばれるが、それでも動きを止めるわけにはいかない
動きを止めれば水の流れに押し出され落下、または激流の中でなにもできずに流されるだけなのだから
特訓の一部始終を観察していた石動は言葉を失っていた
補習と言いながら、訓練と言いながら彼らは一度として能力を使わない
石動の認識の中で補習や訓練と言うと能力をいかに上手く使えるかという事に終始していた
だがこの特訓は本人の感性を鍛える訓練だ、能力ではなく感覚や肉体や精神を鍛える為のものだ
自分の訓練などが間違っているとは思わないが、目の前で行われている物をみるとそれだけでは足りなかったのではないかという錯覚に陥る
少なくとも彼らが行っているそれは今の自分が行えるものではないように思えた
日が傾き、僅かに気温が下がってくるのを確認して城島は突如能力を解除した
上空の水の中に捕らえられていた静希と陽太はそのまま落下し、下のプールの中にいた鏡花と明利は城島の能力によってすぐさまプールの縁に引き上げられていた
「せ・・・先生・・・俺らも引き上げてくれればよかったじゃ・・・ないですか・・・!」
荒く息を吐きながら何とか這い上がってくる静希と陽太を一瞥して城島は嘲笑する
「なにを言う、下にいた二人は危険があったために退避させたが、上にいたお前達の危険は少ない、いい訓練になっただろう?」
水に包まれながら落下するなどという体験はそうそうできないだろうと思いながらも、二度とこんな思いはしたくないという思いの方が大きい
「では、今日はここまでにする、全員クールダウンしてから帰宅するように」
それだけ言って城島は手に持った評価用のプリントを持ちながら颯爽とその場から去っていく
「大丈夫かお前達?」
「いま・・・話しかけんな・・・返事も、きついから・・・」
「あ、あぁ・・・すまん、ゆっくりでいいから息を整えておけ」
僅かに申し訳なくなりながら待つこと数分、ようやく息を整えられた静希達はゆっくりと立ち上がる
相変わらず平衡感覚が失われているために立ちあがるのも苦労していたが、流石に何度もやらされていれば慣れるのか、立ち上がって体の動作をしきりに確認していた
「お前達はいつもあんな訓練をやっているのか?」
「いつもなわけないだろ、あれは補習だから特別だ・・・普段はもっと普通のトレーニングばっかりだよ」
「いつもは走ったりする事の方が多いよね」
能力を鍛える余地のない静希と明利は普段は肉体面でのトレーニングをしている事が多い
明利は体力強化、静希は雪奈とオルビアの徹底指導による剣術指南、そして時折軍の演習場に赴いて射撃訓練をさせてもらっている
「俺らは能力強化ばっかりだな、主に俺ばっかだけど」
「私だってちゃんとやってるわよ?どっちかって言うとイメトレの方が多いけど」
能力に成長の余地がある陽太と鏡花は肉体面よりも能力面のトレーニングが多い
特に能力制御に難のある陽太はほとんどが制御の訓練と言ってもいい、鏡花によって新たに技を身に着けたことで今は槍の制御に余念がないようだ
鏡花は自分の能力の特性上、大質量の変換をトレーニングなどで行うことができないのでほとんどはイメージトレーニングと変換速度を高める訓練に終始する
それ以外の時間は陽太の訓練につきっきりとなっているのが現状だ
「そういえばお前の能力って知らないけど、訓練とかは何やってんだ?」
「私は付与系統だ、そこまで強力というわけでもないから日々精進しているよ」
石動と共に行動したことの少ない陽太達からすればそうなのか程度にしか思わないが、何度か東雲姉妹の特訓につきあわされた静希からすればどの口がそんなことを言うのかと言いたくなるほどだ
幼いとはいえ、エルフ二人を手玉に取れるような能力が強力でないはずがない
確かに石動の能力は派手さには欠けるものの、十分以上に強力な能力だ
可能ならば敵に回したくないと思えるほどに
「とりあえずシャワー浴びて着替えてくるからちょっと待っててくれ」
「了解した、入口で待っていよう」
軽くシャワーを浴びて身体を清潔にし、着替えて陽太の能力で髪を乾かして全員でプールの入り口にやってくる
今日の予定はまだ終わらない、少なくとも石動に何の用なのかを聞くまでは終えられないのだ
「で?昨日言ってた頼みってのはなんなんだ?」
「あぁ・・・そのことだが・・・」
石動は少し言い辛そうにしながら全員に視線を合わせる
誰かに聞かれたくはないような内容のようだ、少なくとも外で話すような内容ではないと判断した
「まずは場所を移しましょ、話しにくいこともあるでしょうし」
「そうだな・・・どこにするか・・・」
ファミレスや図書館なども考えたが、普通に周りに人間がいるような場所ばかり、秘匿性が高いとは言えず、かといって人外魔境と化している静希の家に行くのは論外だ
「それなら、私の家に来ないか?今回は私が言いだしたことでもあるし」
どうしたものかと悩んでいると石動からまさかの提案が出される
今まで誰かの家に行くということはそこそこあったが、それでも幼馴染以外の女子の家に行くというのは健康的男子な静希と陽太としては珍しい機会だった
「それはありがたいけど、いいのか?四人で押し掛けても」
「構わない、そのくらいの余裕はあるつもりだ」
それならばと静希達は同意して石動の家に向かう事にする
誤字報告が五件たまったので複数まとめて投稿
誤字が加速しているから少し抑え目にしたい今日この頃
お祝いも溜まってるから今度一気に放出します
これからもお楽しみいただければ幸いです




