能力者の未来
昼食を終えた後、静希達はエディンバラの名門大学に案内されていた
どうやらこの大学には高校からそのまま入学していく生徒も多いらしく、能力者でありながら大学に通うということも可能なようだ
基本的に能力専門大学というものではないため一般の無能力者も入学することのできる大学で能力者と無能力者を同時にしかも多量に擁する数少ない大学と言えるだろう
「大学かぁ・・・そもそも大学に行くっていう選択肢考えたこともなかったな」
「あんたの成績じゃあそりゃそうでしょうよ」
「そういう鏡花はどっか大学行くつもりなのか?」
「一応ね、目指すだけ目指すつもりよ」
「能力者だと別途試験もあるから入りにくいって聞くけど・・・」
能力者は基本的に大学に入学しにくい
大学自体が多くの学生を集めると同時に専門知識を入れるための場所であるために能力者だけを集めるということが基本的に無理なのだ
そのためどうしたって能力者と無能力者が一緒の空間にいることになるのだが、能力者にとって普通のことでも無能力者にとっては恐怖の対象となり得る
それこそ人を見る目ではなく化物を見る目を向けられることだってある
そのために無能力者との衝突や事件を恐れてか大学側も能力者の入学を渋る場合が多い
そして能力者はどうしても能力の制御が第一条件、そして自らの精神状況や今までの実習や周囲の評価、数々の書類審査を越えてようやく面接をしてもらえるという程に難関である
無論入れないというわけではない
ただ通常の学業、能力、生活態度、性格、人による評価、全てが優良でなければ入学どころか試験さえ受けることはできない
それでも入学できる人物というのは普通の無能力者よりも数段有能ということになる
無能力者に比べ能力者はエリートとその他が分かれやすい、人生の大きなターニングポイントと言ってもいい
大学に進むのは高校の中で一割もいない程度だ
そのため能力者はその能力にもよるが大概は軍に所属することになる
最もそれは能力による社会貢献の一環と能力をどのように活かしていくかの延長線上、校外実習よりさらに実戦的な内容になる
つまり能力者にとっては軍が大学の代わりのようなものなのだ
上下関係から社会の仕組み、専門知識と基礎能力を修めるにはもってこいな場所である
日々の訓練と指導は何にも勝る経験になるだろう
ただこれは日本の場合で海外は意外と能力者に寛容だったりする
目の前のエディンバラ大学がいい例だろう
「ハワード達もこの大学に行くのか?」
「いや、僕はケンブリッジを目指してるんだ」
「ケンブリッジ!?超名門じゃない!」
はは、大変だけどねと苦笑しているがハワードはとても優秀なのだろう、一年の段階ですでにどこの大学を目指すという考えは普通できない
「私は通訳目指してるの、能力も使って多国籍にね、またはカウンセラーもいいかなって、だから国際学部目指してるわ」
やはりというかなんというか、生物に対する同調能力者は人を相手にする職業が多いようだ、実際にそういうビジョンがあるというのは非常にうらやましくも思う
「俺は軍役かな、こういった力だからたいして役に立てないかもしれないし、そもそも勉強は苦手で・・・」
「私は特に考えてないかな、大学行ってまで勉強したいと思わないし」
未来のビジョンはやはり人それぞれか、海外だからと言ってそれほど自分たちと違い何かが特別というわけでもなさそうだ
「そういう君達は?キョーカは大学に行きたいみたいだけど」
そういわれて静希達は思考を巡らせる
「俺は軍役だな、勉強大っきらいだしな」
なんとも陽太らしい発言で安心した
実際陽太は勉強は苦手、能力制御にも難がある
そう考えると至極普通の答えと言えるだろう
「私は・・・その、医学とか、獣医とか、そういう方に行きたい・・・かな」
これもなんとも明利らしい、人や生き物を治す仕事
能力的にもあってるし明利の成績ならば十分可能だろう
「静希は?」
「俺かぁ・・・特にないかな、俺の能力なんてあってないようなもんだし」
実際静希の能力は非常に弱く、何かに役立つというビジョンが持てない
運搬にしても保存にしてもほとんど実用性はないに等しくこの能力を使って社会貢献しろと言われても非常に難しい
校外実習でもほとんど頭を働かせただけで自分の能力で何とかなったことなどなかったような気がしてならないほどに
「とりあえず高校のうちにやりたいこと探すよ、なんか見つかるかもしれないし」
静希は自分の将来に何の仕事をしたいかなど明確なビジョンが持てない
親の仕事を間近で見たことがないというのもあるがどうにも自分が働いている姿というのが想像できないのだ
バイトをするにしても能力者である以上場所が限られるため、たいしたことはできない
そう考えると能力者は援助もあるがその分社会的に大きなハンデを抱えていると言っていいだろう




