少女との訓練
静希達はその日の移動を終え、日が傾き始めると同時にチェックポイントである小屋にやってきていた。
今までと同じように木々に覆われ周囲からは見ることができない場所にある小屋、今日はここで休むことになりそうだった。
あらかじめノエルが作った小屋にはいくつかの道具も用意されており、以前立ち寄ったそれと同じように最低限の寝泊まりはできるようになっていた。
食事の準備をすると同時に静希達はユーリアの訓練も始めていた。
ナイフの投擲の仕方、銃の撃ち方など本来学生の内なら教わることはできないようなことを次々と教えていく。
銃声が響かないようにあらかじめ消音機を取り付けて複製の銃を撃たせているのだが、どうにもやはり反動が大きいようでかなり苦戦しているようだった。
「ミスター、やはり銃を扱うのは難しいのではないでしょうか?」
「ミスコリントの筋力と体格では反動が大きすぎる気がします。」
「とはいってもなぁ・・・俺がもってる銃の中で一番弱いやつだぞそれ。それ以上に反動が小さいものは手元にないぞ。」
ユーリアが渡された拳銃はそのフレームこそ少し大きいものの、撃ちだされる弾丸は非常に小型で反動も小さいものだ。それ以上小さいものとなると特注品でなければならなくなる。
少なくとも現状において最も弱く、殺傷能力の低い銃なのだ。
「支えててもらえば撃てるんだけど・・・どうしても腕が上に上がっちゃって・・・連射は難しいかも・・・」
「両腕で撃てばどうだ?しっかりと構えて肘を少し曲げてみろ。」
静希の指示の通りに撃ってみてもやはり腕は少し上に上がってしまう。このまま連射するなどということはできそうになかった。
一発一発狙いをつけて撃つほかない。となるとまた別のアドバイスをしなければならないだろう。
実際両腕で一発ずつねらって撃てばしっかり的に当てることはできている。それなりに才能もあるのかもしれないなと思いながら静希は持っていたナイフを手で遊ぶ。
「ナイフの方はどうだ?こっちは比較的簡単だろ?」
「うん、こっちはうまくできるわ。案外簡単ね。」
才能があるのかそれとも物覚えが早いのか、ユーリアはナイフを投擲するという点においては及第点どころかほぼ満点の出来を見せていた。
これを自分の姉貴分に見せたら喜ぶだろうななどと思いながら静希は眉をひそめていた。
拳銃の支えがしっかりとできればよかったのだが、今はナイフでの攻撃のみが可能。拳銃は落ち着いた状況でなければしっかりと当てることができている。
この程度であれば教えようによってはしっかりと戦えるようになるだろう。
もちろんあのナイフを人間相手にしっかり当てることができればの話だが。
今のように止まっている的に当てるのと、動いている何かに当てるのとでは全く意味合いが異なる。
まずはしっかりととまった的を狙えるように指導して、そこから動く的に対して当てられるようになった方がいいだろう。
「よし、リア、今からいくつかの的を同時に出す。それらに可能な限り早く当ててみろ。拳銃とナイフどちらを使っても構わない。」
「りょ、了解!」
静希は自分の懐からトランプを取り出して数枚を木に張り付ける。
数枚のトランプが重なるようにできた少し大きめの歪な丸を見て、それが的であるという事は彼女も理解していた。
高いところに一つ。自分と同じ高さに一つ、そしてやや低い場所に一つ。
自分と同じ高さの的に関しては少し距離がある。あれをナイフで狙うのはまだ今の練度では難しいかもしれない。
まずは三つの的を用意した静希に、ユーリアはそれぞれどのように攻撃すれば一番早く当てられるかを考えていた。
まずユーリアは両手にナイフを複製してそれぞれ高いところとやや低いところをナイフで投擲する。
的の中心からはやや外れたものの、ナイフはしっかりと的に命中していた。
それを確認すると今度は拳銃を複製し自分と同じ高さにある的を撃ちぬいた。
どれも中心からは外れているとはいえ、しっかりと的を捉えている。先日の訓練に加えて今日だけでここまでできるようになっているのだ。恐らく彼女はもともとこういったことをする才能があるのだろう。
それを喜んでいいかどうかはさておき、少しずつこれの訓練をした方がよさそうだ。
幸いにして彼女の能力なら時間の許す限り無限に訓練が可能だ。徹底的に教え込むのもまた必要なことかもしれない。
「投擲やらに関してはなかなかだな・・・このまま訓練していけば実戦でも役に立つかもしれないな。」
「本当に?」
「あぁ、お前はどうやらこういう事の才能があるらしい。少なくとも俺よりはずっと上達が早い。」
静希よりも上という言葉にユーリアはほんの少しだけ優越感を覚えていた。
もちろん今の時点では静希の方が圧倒的に優れているのは十分に理解できる。実際に手本を見せた時はユーリアとは比べ物にならないほどに流暢にナイフと拳銃を操って見せている。
だが静希に自分よりも上達が早いと言われるのは悪い気はしなかった。
「あのシズキ・・・こういうのって接近戦は覚えなくてもいいの?」
ユーリアの言葉に静希は眉をひそめてしまっていた。
ナイフという武器を持っている以上接近戦を想定しているように思えたのだ。それならば自分もある程度近接戦闘の心得があったほうがいいような気がしてならない。
事実静希は接近戦もだいぶ得意なようだった。頼めば教えてくれるかもしれない。
だが静希の表情はあまり良いものではなかった。
少なくとも今のこの状況でユーリアに体術を教えるつもりはないように思える。
「お前の今の体躯と筋力で接近戦をすること自体が悪手だ。近づかれたらそれこそ終わりだと思え。」
「・・・でも一応武器持ってるんだし、何とかなるんじゃ・・・」
ユーリアのその反応を見て静希は小さくため息を吐いた後少しユーリアから距離をとる。そしてどこから取り出したのかナイフを一本持った状態で腰を低くしながら構える。
「今からお前に近づいて取り押さえる。どんな手を使ってもいいから阻止してみろ。銃を撃っても構わない。」
「え・・・!?な、何でそんな事・・・」
「お前の考えが甘いことを教えてやる。好きに動いてみせろ。」
ユーリアと静希の距離はおよそ二十メートル。静希が全力で走ってきても多少の猶予があるだけの距離だ。
少なくともナイフを投げて銃を撃つくらいの余裕は十分にある。
こちらがもっているのは飛び道具、しかも弾数無限に等しい。対して静希が持っているのはナイフ一本。あのナイフを投擲でもしない限り自分が圧倒的に優位であることは間違いなかった。
「そのナイフは・・・投げたりしない?」
「あぁ、このナイフはずっと俺がもってる。手からは離さない。そのまま接近してお前を組み伏せる。」
銃を持っている相手に対してナイフで応戦、しかも組み伏せるとまで言ってのける静希に、ユーリアは僅かにだが対抗心を燃やしていた。
それだけ自分が低く見られているという事でもある。無論あらゆる技術で自分が劣っているのは誰が見ても明らかだ。だが接近させないということくらいはできるはずである。なにせ自分は的に当てるくらいのことはできるようになっているのだ。
だが一つ気になることがある。もし傷をつけてしまったらどうしようと、ほんのわずかにだが心配してしまうのだ。
なにせ自分がもっているのは武器だ、一つ間違えれば人を殺してしまいかねない武器だ。
そんなものを静希に向けることに強い抵抗を示していた。
「でも・・・その・・・」
「俺の心配はしなくていい。多少の負傷はすぐに治るからな。」
そう言って静希は自分の手に持っていたナイフで自分の頬を切りつけた。
一体何をしているのかと思えば、僅かにできた傷から流れた血はすぐ止まってしまっていた。
どういうことなのだろうか、どういう原理なのだろうかとと訝しんでいる中で、静希はゆっくりとこちらに近づいてくる。
静希の能力や行動に対しての考察をしている暇はない。こうしている間にも、静希はゆっくり近づいてきている。
近くでその様子を確認しているアイナとレイシャもしっかりとこの様子を眺めているようだった。静希ならば問題はないと高をくくっているのだろう。
ユーリアは静希が三歩目を踏み出した段階で覚悟を決めて能力を発動する。
右手にナイフを、左手に拳銃を複製し、まずはナイフを静希めがけて投擲してから両手で拳銃を構える。
静希に向けて放たれたナイフは静希の体めがけて僅かな放物線を描きながら飛んでいく。
このまま直進し続ければ静希に間違いなく命中する。てっきり避けるものだと思っていたユーリアは一瞬拳銃を構えた状態で硬直してしまっていた。
当たってしまう
そう思った瞬間に、静希はユーリアが投げたナイフを手で掴んでいた。
「・・・まぁ、その歳でこれだけ投げられるなら上出来か・・・」
興味なさそうにナイフを投げ捨てるとユーリアは自分の考えがどれだけ甘かったかを思い知る。
今自分の目の前にいるのは能力者なのだ。
それこそ自分が生きている時間よりも長く訓練を重ね、どのような状況においても対処できるように訓練し実力を身に着けた能力者。
しかもただの能力者ではなく、世界を二度も救って見せたという、恐らくこの世界の中で一二を争う実力を思っているであろう能力者。
自分のようなちょっと力を使えて技術のほんのさわりの部分を身に付けただけの小娘が心配できるような存在ではないのだ。
「教えただろ、よくねらえ。深呼吸して無駄な力を抜け。」
静希に教えられたとおりしっかりと狙う。体の震えは徐々になくなり、視界もクリアになっていくのを感じながらゆっくりと息をついて引き金を引く。
僅かな衝撃と共に放たれた銃弾を合図にしたかのように、静希は一気に前進していた。
放たれた弾丸をナイフの柄の部分で受け止めると同時に先程まであったユーリアとの距離をもうあと十メートルというところまで一気に詰めていた。
もう一発撃たなければ止められない、今さらナイフを複製しても間に合わない。
ユーリアは瞬時に判断して照準を定めようとするのだが、静希は狙いを定めさせないように左右に動きながら一気に近づいてきていた。
ユーリアの照準が自分の方へ動くと同時にサイドステップを踏み常に動き続ける。相手の動きを見てから動くある種の後出しの行動だ。相手の動きをよく見てなおかつその動きを先読みしなければできない行動である。
静希がユーリアの両腕をつかむと、何もできないように上へと持っていく。筋力で対抗しようと試みたが、ユーリアと静希の筋力では最初から勝負にならない。
静希はユーリアの手を一度離すと、回し蹴りで彼女の体勢を崩し組み伏せてみせた。
「勝負あり。お見事です。」
「さすがに子供相手だからな。多少は加減したけど・・・さすがにやりすぎたかな・・・?」
「ナイフは防御にのみ使用。十分理解できたと思いますよ。」
アイナとレイシャが称えながらユーリアを起こすと、彼女は放心状態になってしまっていた。
「今何されたかわかるか?」
「・・・わかんなかった・・・近づかれて手を取られて、離されたと思ったら倒されてた。」
「そうだな、それまでの事は?お前が銃を構えた時のことは覚えてるか?」
静希の言葉にユーリアは必死に頭を働かせて今までの事を思い出そうとしていた。
先程自分はナイフを投げ、銃を撃ったはずだ。だがその弾丸は受け止められ、第二射を撃とうと静希に照準を定めていたはず。
だが静希が小刻みに動くせいでその照準が上手く定まらなかったのを覚えている。
「俺が近づけば近づくほど、お前は焦っただろ?それに俺が手を出した時お前は反応できたか?」
「・・・全然・・・気づいたら手を取られてた。」
「そう言う事だ。接近戦に関しては向き不向きがはっきり分かれる。訓練して多少ましにはできるけど本質的には結局才能ある奴じゃないとまともな戦闘はできないんだよ。それに筋力で劣ってるんじゃどうしても押し負けるしな。」
才能のある奴。つまりは自分は接近戦の才能は無いという事だ。
何より静希のいうように、いくら武器を持っていたとしても筋力がなければ必ず押し切られる。接近戦はいわば自分と相手の身体能力を競っているようなものだ。それらを技術で高めることも重要だが結局のところ身体能力が高くなければ話にならないのである。
だからこそ静希は射撃を教えていたのだ。自分にそれが向いていないことを知っていたからである。
「・・・やっぱりシズキみたいに才能がないとダメなのかな・・・?」
「才能?俺は射撃も投擲も近接戦闘も才能ははっきり言ってないぞ。全部訓練で身に着けたものだ。」
「え・・・?でも・・・」
あんな動きをできるものが才能がないだなんてユーリアには想像できなかった。銃弾をナイフの柄で受け止め、銃を持っている人間に対して臆さずに突っ込んで無力化する。
そんなことができる人間が才能がないなどと信じることはできなかった。
「ただの肉弾戦なら俺より強いやつは山ほどいる、射撃に関しても投擲に関してもな。俺はあくまで訓練である程度こなせるようになっただけだ。」
「でも・・・あんな動き・・・」
「そりゃ最初は誰だってできない。俺だってできなかった。だからできるように訓練するんだ。アイナもレイシャも最初はお前と似たようなものだったぞ。」
少なくとも初めて会ったときはなと言いながら静希は近くにいるアイナとレイシャの方に視線を向ける。
二人は恥ずかしそうに頬を掻きながら幼少時の事を思い出していた。
静希と二人の出会いはとあるホテルでのことだった。友人である彼女たちの上司エドモンド・パークスに会いに行った時の事である。
最初不意打ちに近い形で襲い掛かってきた二人を軽くいなした覚えがある。あの時に比べ二人は随分と強くなった。
技術的な意味でも、精神的な意味でも肉体的な意味でも。
「じゃあ、私も訓練すれば強くなれるの?」
「もちろんその可能性はある。だけどかなり時間がかかる。今お前が欲しいのはすぐに役立つ力だろ?それなら射撃とか投擲とかの技術的な面の方がいい。」
それでも限度があるけどないよりはましだろと言いながら静希は小さく息をつく。
確かに身体能力に依存した技術というのは身に着けるのに長い時間がかかる。
スポーツで上達しようと思ったらそれだけ練習しなければいけないのと同じだ。とっさにそれを行えるだけの反射にしても威力を有するにしても筋力や練度に依存してしまう。
それに引き換え道具を使う単なる技術であれば練習すればそれだけ早く身につく。
既にユーリアは投擲と射撃のコツは掴んでいる。あとはその威力と精度を高めればいいだけだ。もちろんそれでも時間はかかるが拳銃という手軽に使えて威力が保証されている武器をすでに持っているのだ。
静希達からすれば子供にそんなものを持たせるのは正直どうかと思うところらしいが、今はそれでも十分にありがたい。
「それじゃあお前にもわかりやすいようにアイナ、お前が手ほどきしてやれ。的とかは俺が用意する。レイシャお前は小屋の周囲の敵の警戒だ、頼むぞ。」
「了解しました。さぁミスコリント、しっかりと覚えていただきますからね。」
「了解しました、これより警戒を行います。」
ユーリアに技術を教え込むと言ってもどこまで役に立つかはわかったものではない。
実際銃を撃てるだけで十分以上に戦力になるかもしれないが、そこが銃の良いところであり悪いところでもある。撃ち方さえ教えてしまえばあとは勝手に撃てるのだ。
あんな子供に銃の撃ち方などを教えるという事がどういうことを意味しているのか、静希は十分に理解している。だからこそほんの少し罪悪感があった。
「・・・んー・・・結局ナイフ程上達はしませんでしたね。動く的に当てるのがなかなか・・・」
「なんかうまくいかないんだよね・・・何でだろ・・・」
その日の夜、訓練を終えたユーリアは食事をしながらアイナと一緒に先程までの訓練を思い返していた。
ユーリアは投擲に関する技術はなかなかのものだったが、射撃に関してはまだまだコツがつかめないのか苦戦していた。
動かない的に関していえば問題なく当てられるようになったのだが、動く的に対しての射撃はどうにも苦労している。
ナイフの投擲では動く的にもしっかりと当てられる、いわば偏差射撃ならぬ偏差投擲ができるのだが、やはりナイフと射撃では勝手が違うという事なのだろう。
「ナイフはあくまで自分が投げるものだからな、自分の投げる速度もある程度理解できるしイメージできるけど、銃弾じゃそうもいかない。だから難しいんじゃないか?」
ボールなどでよく遊んでいる子供の感性からすれば『物を投げる』という動作は日常のそれに限りなく近い。
ナイフはその投げ方が少し異なるだけで基本的に自分の力で投げていることに他ならない。
所謂コントロールやその速度などは自分の体でうまく調整できるために、無意識のうちに軌道をイメージできるのだ。
だが銃の弾丸は良くも悪くも人間が目視できる速度ではない。何より自分の体で動かせるのは銃の方向と撃つタイミングだけ。腕の向きと引き金を引くという行動でしか銃は撃つことができないためにどの方向にどのような軌道で銃弾が飛んでいくのかがイメージしにくいのだろう。
上達するうえで必要なのは自分のイメージもそうだがどのようにそれを行うかというのを理解することだ。
手とり足とり教えるというだけではなく、教えられる本人自身が理解してそれを見に付けなければならない。
拳銃という物体がどのようなものであるかを理解するには、恐らくまだ時間が足りないのだろう。
自分の昔を見ているようだなと静希はなんとなく感慨深くなっていた。
昔の自分も銃を撃つという事が苦手だったことを思い出し、なおかつ今の状況でユーリアがなぜうまくいかないのもなんとなく理解できる。
そしてそれに対しての解決法も十分理解している。だからこそこれ以上口出しすることはできなかった。
こういうものは自分で気づいた方が上達が早くなるし、自分の感覚を押し付けるとかえって混乱することもあるのだ。
簡単に見えるが実際にやってみると案外難しい、こういうものは少しずつ実力をあげていくほかないのである。
「ねぇシズキ、さっきシズキは才能無いって言ってたわよね?シズキも最初こんな感じだったの?」
「あぁ、俺も最初は苦労した。動いてる的にまともにあてられるようになったのは何時頃だったかな・・・それまではほとんど連射して誤魔化してた。」
「ふぅん・・・じゃあ私もいつかシズキくらいに上達するのね?」
訓練を続ければなと付け足され、ユーリアはやる気を出したのか意気込んでいた。
実際静希は高校一年の時から射撃の訓練を始めた。まだ彼が十五の頃の夏休みだったのを覚えている。
当時は動く的にほとんど当てられず、牽制射撃にすらなっていなかったのを思い出す。
我ながら何とも情けない限りだが人間だれしも最初はそんなものだと思いたい。少なくとも自分に射撃の才能がないのは重々自覚済みである。
「でもこういうのって誰が教えてくれたの?やっぱ師匠とかいるの?」
「師匠・・・っていうか・・・まぁそうだな・・・ナイフの扱いに関しては俺の姉が教えてくれたんだ。そう言うことができる人でな。」
「私達も何度も指導を受けたことがあります。」
「あの方はとてもすごい人です。少し大人気ないところもありますが。」
幼いころから知っている人物なのだろう、アイナとレイシャがその人物のことを話すときほんのわずかではあるが声音が変化していることに気付いた。
恐らくはその人のことを思い出しているのだろう。ナイフの投擲に関してはその人直伝ということになる。
一度でいいから会ってみたいと考える反面、そんな技術を修めた人がどんな姿なのか正直イメージできなかった。
ユーリアの頭の中では筋骨隆々な女軍人のようなイメージが出来上がっている。
「シズキのお姉ちゃんってどんな人なの?とりあえずイメージできないんだけど。」
「姉って言っても実際は血が繋がってないけどな。小さいころから一緒に育ったから姉貴分って言ったほうが正しい。こんな感じの人だ。」
静希が携帯を取り出して写真を見せるとそこには快活な笑みを浮かべ、なおかつ静希の妻に後ろから抱き着いている女性の姿がある。
身長は百六十半ばくらいだろうか、静希の妻の頭の上に豊満な胸部の脂肪が乗っているのが写真でもわかる。
静希の妻は非常に複雑そうな表情をしていた。
「この人がシズキの・・・なんかイメージ違う・・・」
「どんなイメージをしてたのかは知らないけど・・・まぁこの人は昔からこんな感じだ。」
「そしてミスターの寵愛を受ける一人でもあります。」
「いわば愛人というやつですね。」
アイナとレイシャの言葉にユーリアは目を見開いて「うわぁ」と呟いてしまった。
自分の妻と愛人を一緒に撮るという行動にはっきり言っていい印象はなかったのである。
目の前にいる男性が一気にゲスな人間に見えてきたためにユーリアは少し静希との距離をとっていた。
「お前らな、人の家庭環境をそうやってホイホイ言うなっての。」
「・・・ってことは事実なの?そう言えば前にもそんな事言ってた気が・・・」
静希の反応に一層軽蔑したのか、ユーリアは眉間にしわを寄せながらアイナに隠れるように静希から距離を取り始めていた。
静希が有能な人物であるというのは十分理解できる。だが二人の女性に同時に手を出すような不誠実な人間であるという事実に嫌悪感を抱くのは至極当然の反応であると言えるだろう。
「しかもその人ってお姉さんなんでしょ?やっぱ日本人ってクレイジーなのね・・・近親相姦だなんて・・・あ、いや血がつながってないならセーフなのかな・・・?」
「お前ら外国人ってどこからそう言う言葉を知るんだよ・・・昔も何度か言われたことがあるけど俺は普通だ。」
「二人の女に手を出してる時点で普通じゃないわよ。」
ユーリアの至極真っ当な言葉に静希は反論できないのか、苦しそうな表情をしている。この反応を見る限り自覚しているのだろう。
自覚したうえでそのようにしているあたり始末に負えない。
「そもそも姉みたいな人に手を出すってどうなの・・・?しかもシズキの奥さんってこの小さい子でしょ?明らかに異常に見えるんだけど・・・」
「いやいや、人間何があるかわからないからっていうか・・・あんまり小さいことに関しては触れてやるな。あいつも結構そのことは気にしてるんだから・・・」
静希の妻が身長が小さいことをかなり気にしているのはアイナとレイシャも知っている。
この間子供たちと買い物に行ったときに『小さい子の面倒見れて偉いわね。』などと声を掛けられたことがきっかけで数日間グロッキーになっていたという事を静希から聞いていたために正直気が気でなかった。
自分の娘と息子と並んだときにお姉さんと見られてしまうだけの幼さを維持しているというのは恐るべきことなのだが、本人からすればそれはタブーにもなりえるのである。
特に昔自分たちに身長を抜かれたときの明利の絶望した表情を知っているだけに軽口でも身長の事を言うことはできなかった。
これで自分の子供たちにも身長を抜かされてしまっては彼女はもしかしたら精神崩壊を起こしてしまうのではないかと思えるほどである。
「ていうか、確かに二人に手は出してるけど、二人ともきちんと責任は取ってるぞ。一生面倒見るつもりだし、何より二人とも愛してるし・・・」
「そう言う問題じゃないの、責任取れば一夫多妻オッケーなんてことあり得ないでしょ?そもそもシズキは一人しかいないのにどうやって平等に愛するのよ。そんなこと絶対にできないわよ。」
人間の体が一つである以上、誰か二人を同時に相手にすることはできない。必ず後先というものが存在してしまうのだ。
その前後が存在する時点でもはや平等とは言えない。それはやはり優劣が生まれてしまっているのである。
何よりそんな言葉で正当化できるような問題ではないのだ。
一人の男性が一人の女性を愛する。それが当たり前だと思っていただけにユーリアは静希の行動が信じられなかったのだ。
「そ、それにこの関係はむしろあいつらから言い出したことだぞ?さすがに二人同時っていうのはまずいからって言おうとしたらあいつらが」
「それでも一人を選んであげるのが男なの!たとえ誰かを傷つけてしまうとしても、本当に大事にしたい人のためにしっかり誰か一人を選んであげなきゃいけないの!二人とも選んでる時点で逃げてるだけよ!」
「・・・ぐうの音も出ないほどの正論ですね。」
「よもやミスターが十二歳の少女に説教される場面を見ることになるとは・・・」
子供らしい意見ではあるが、彼女の意見は正論だ。何も間違っていることはない。
強いて欠点をあげるとすればそれが当たり前であり、それ以外の例外に目を向けることができていないという点だろうか。
正論というものが存在し、正解や常識というものがあるということは当然ながら例外も存在する。
静希達の過程はその例外に属するという事をユーリアはまだ理解していないのだ。
十二歳の少女に男女関係に関して説教されているのは、かつて世界を二度ほど救ったことのある英雄。
その事実を知っているアイナとレイシャとしては非常に複雑な気分だった。
自分の恩人の恩人。自分たち自身も非常に世話になり、一種の憧れさえ抱いていた人物が自分よりも幼い少女に説教されているような状況は正直見たくなかった。
だがこれもきっと仕方のないことだろう。彼女たちも静希がやっていることは十分理解しているのだ。
そして静希の家庭環境、もとい五十嵐家の状況もほぼ正確に理解している。
どちらかというと、静希が二人の妻を擁しているという関係というよりは静希の妻である明利が二人の夫を抱えているような関係に見えるのだ。
静希も、静希の妻である明利も、そして静希の姉である雪奈も、それぞれがそれぞれを大事に思っており愛しているのだ。
平和というか安定した三角関係とでもいえばいいだろうか、赤の他人から見れば静希が不誠実なだけに見えるのだが、実際はそれぞれがそれぞれに依存するような形で作り上げられているのである。
むしろ中心にいるのは静希ではなく静希の妻のようなときすらあるほどである。
「いや・・・でも」
「でもじゃない!シズキは凄い人なんでしょ!?だったらそれに見合う生活を送りなさいよ!頼りにしてる私がバカみたいじゃない!」
一応頼りにはしてくれているのだなと静希は安心するのだが、その後数十分にわたり彼女の説教は続いたのである。
かつての自分の班長を思い出しながら静希は十二歳の少女に頭を垂れ続けていた。
「まったく・・・護衛対象に叱られることになるとはな・・・・」
「お疲れ様です。なかなかに耳に痛い話でしたね。」
「ミセスヒビキを彷彿としてしまいました。ミスコリントは逸材かもしれませんね。」
ユーリアが眠った後、静希達はテーブルを囲んで小声で話し合っていた。今後の話もそうだが先程の件に関してもいくつか思うところがあったのである。
特にアイナとレイシャはユーリアからかつての静希の班長に似たようなものを感じ取っていた。
「説教の逸材ならもう間に合ってるっての・・・それよりこいつの素質に関してはどう思った?」
素質
それが今日行ったナイフと銃の訓練に関することであることは二人とも理解していた。
ベッドで寝息を立てているユーリアの方に視線を向けた後、二人は口元に手を当てて考え始める。
「ナイフに関していえばなかなかのものであると思われます。成長と共に威力も上がっていくかと。」
「射撃に関してはまだまだこれから、どちらかというとまだ戸惑いの方が多くみられます。」
二人の評価に静希はおおよそ同意していた。
ナイフの投擲に関しては投げるという行為に慣れていたおかげか比較的早くコツをつかんだようだが、拳銃の類に関してはまだ慣れていないという事もあってまだ手になじんでいないような感じがある。
彼女自身早く慣れようとしてはいるものの、いろいろな感情が邪魔をしてなかなかうまくいかないのだろう。
「この歳の子供にしたら十分すぎるかもな・・・あとは今後どうなるかってところか。」
「ミスター、そのことですが一つお聞きしたいことがあります。」
「ミスターは今後ミスコリントをどのようにするおつもりなのですか?」
アイナとレイシャの言葉に静希は目を細めながらユーリアの方に視線を向ける。
どうするつもりかなどと聞かれても、正直静希はどうするつもりもなかった。
安全なところまで彼女を守る。そのついでに彼女を両親に引き合わせる。その後はすべて彼女自身が決めることだ。自分の出る幕ではない。
だがもし何か手伝いを彼女から求められたのなら、可能な限り力を貸すつもりでいた。
彼女はほとんど無力な少女だ。そんな少女を世間の荒波に放り出すほど静希は非情ではない。
何より恩師からの頼まれごとだ、しっかりと全てを終わらせるところまでは行動するつもりでいた。
「これからの展開次第だな。こいつがどう動くか、こいつの状況がどう変わるか、それによって変化する。ひとまず俺の方からこいつをどうこうするつもりはない。」
静希がこの少女を救う事は容易いだろう。だがそれでは意味がないのだ。
ただ救われただけの人間は、どうしてもその救いに甘える。そんなことをさせるために前原は自分をこの場に派遣したわけではない。
ただ救うだけならば、力あるものならきっと誰でもできる。だが本当の意味で必要なのはただの救いではないのだ。
「もしボスがミスコリントを教え子にすると言った場合は、どのようにするおつもりですか?」
「その時はその時だ。自由にさせるさ。お前達もできのいい後輩ができるんだ、嬉しいだろ?」
「それは勿論です。私の方から推薦したいほどです。」
アイナとレイシャのようにエドの下で仕事をしながら指導を受けるというのも一つの手ではある。
だがそれは同時に世間一般で言うところの『普通』の道とは外れることになる。
学校に通うことはなく、仕事をしながら技術と知識を高めていく所謂叩き上げに近い教育環境だ。それらが何を意味するのかは静希も、そしてアイナもレイシャも知っていることである。
それを本当に彼女が望むのであれば、静希から何かを言うつもりはなかった。
元より静希は自分たちの家族が無事でいればそれでいいのだ。正直に言ってこの少女がどうなろうと知ったことではないのだ。
「ミスターのお言葉から察するに、どのようになるかは状況次第。それによっては傍観もあり得る。そのように聞こえますが・・・」
「間違ってないぞ。実際はその通りだ。周囲の状況に流されるっていう言い方だと聞こえは悪いけどな。」
「・・・あまりにミスターらしくありません。いつもなら自ら状況を動かそうとなさるのに・・・今回に限ってはそのような気配が感じられません。」
アイナとレイシャの言葉に静希は苦笑してしまっていた。
なまじ付き合いが長いだけにこちらの変化に気付いてしまう。確かに今回の静希は周囲の状況に流されるがままになっている。
周りの状況を確認してそれに対応することはしても、自ら状況を変えるために動こうとしていない。
昔から静希を見てきた二人からすればその姿は少しだけ妙に見えたのだ。
いつもの静希なら、もっと行動的に動いていてもおかしくない。それこそテロリストの一人を捕えてそのアジトを暴き出して壊滅させるくらいの事はやっていて然るべきだ。
だが今の彼は徹底してユーリアの護衛という立場を守ろうとしている。それ以上の干渉はしないというかのように、あえて行動を抑えているように思えてしまうのだ。
ここ数日一緒に行動して、アイナとレイシャは静希のこの対応が不思議でならなかった。
「・・・では質問を変えます、ミスターはミスコリントにどのようになってほしいのですか?」
「どのように・・・ってずいぶんと漠然としてる問いだな。」
「では彼女にどのような生活を送ってほしいとお考えですか?」
アイナとレイシャの問いは、責め立てるようなものではなく、純粋に疑問に思っているからこそ出たものだと静希は感じ取っていた。
ユーリアに対する感情はただの護衛対象のそれではない。かつてエドがアイナとレイシャたちに向けたものに似ている気がするのだ。
静希が一体何を考えているのか、何がしたいのか、そして彼女になにを求めているのか、それがずっと気がかりだった。
「なんていうかな・・・俺がこの事件に関わることになったきっかけはもう話したよな?」
「はい、ミセスマエバラの計らいであると。」
「より正確に言えば、ミセスマエバラを利用した委員会側の策略であると。」
二人の言葉に両方とも間違ってないよと付け足した後で、静希は小さくため息をつく。
実際に静希の恩師である前原を利用して委員会は静希へ協力を打診してきた。それはある意味功を奏したと言えるだろう。実際にこうして静希は今回の件に関わることになっているのだから。
だがそれだけではない。静希が今回の件に関わろうと思ったのはそれだけではないのだ。
もちろん前原からの頼みだったというのもある。だが恩師である彼女から一種のメッセージ性を受け取ったからに他ならない。
「先生から頼まれたっていうのは間違いないし、先生を利用して委員会が俺に頼んだっていうのも間違ってない。でも先生がそれだけの理由で俺に今回の件に関わらせたとは思えないんだ。」
「・・・では、他に目的があると?」
「ミセスマエバラが何かを企んでいると?」
「企んでいるっていうと言い方悪いな。どっちかっていうと宿題を出された感じだ。」
宿題
その言葉にはアイナもレイシャも親しみがある。彼女たちも学校に通っていた時期があり、よく静希の家で宿題をやっていた。
教師が生徒に出す課題のようなもの。それがどのような意味を持つのか、二人とも理解していた。
「先生は俺にユーリアを守り助けてこいって言ってきた。今回の件を片付けるだけなら保護するだけでいいのにそんな言い回しをしたのが後から気になってな。俺なりにいろいろ考えてたわけだ。」
「・・・それで、どのような宿題であると?」
「まぁ、簡単に言えば何がこいつにとって助けになるか、それを考えることが宿題だと思ってる。」
「・・・助け・・・ですか・・・?」
助けになること。それは人それぞれによって変わるものだ。
誰かを助けるという事は誰かを殺すことよりもずっと難しい。その人が一体何を望んでいるのか、何を求めているのか、それを知る必要がある。
力だけでは決してなすことができないかもしれない事柄、それが救いであり誰かの助けになることだ。
今まで静希がやってこなかったこと、やろうともしなかったことである。
なにせ静希は護衛という事が苦手であり、何より誰かを守ることはしても意図的に救うという事をしたことがない。
何かの過程でそれをすることはあっても、誰かを救おうとして救ったことはないのだ。
「俺にとってあの人は先生だからな。先生から出された宿題はきちんと出しておかなきゃいけない。だから俺はこいつを助けるつもりだ。こいつがどうなりたいのか、どうしたいのか、それによってやることは変わるな。」
もちろん世界を破滅させるわけにはいかないけどなと付け足しながら静希は笑う。
何故今回静希の行動が静希らしくないのか、アイナとレイシャはそのことを理解した。
つまり静希は可能な限り選択をユーリアに託しているのだ。
先日ユーリアが静希を脅した時のように、確固たる意志をもった時のみ静希はユーリアのいうことに従う。
彼女がしたいことを確認するために、彼女がどうなりたいのかを確かめるために、静希はあえて自分の行動を可能な限り押しとどめているのだ。
「ではミスターは・・・」
「あぁ、可能な限りこいつの思うようにしてやろうと思う。それに対して助言もするし力も貸す。その後はこいつ次第だな。」
「・・・なるほど・・・あの方もずいぶんと酷なことを・・・」
静希も、そしてアイナもレイシャもその言葉の意味を理解していた。
当人の意志に任せるというのは、聞こえはいいかもしれないがそれはつまりすべての行動とその責任を本人に押し付けるという事である。
行動には結果がある。結果には責任が付きまとう。もし仮にユーリアの思うように事を運んで事態が最悪の方向に進んだら、その責任はユーリアにもあるということになってしまう。
もちろん静希はそんなことにさせるつもりはない。最悪の状況になったら宿題を放り投げてでも状況の打破のために動くだろう。
だが最悪の状況までは、可能な限りユーリアの意志に沿う形で行動すると決めていた。
個人的にはユーリアには平穏な日常を送ってほしく思う。だがそれはもう無理だ。だからこそ彼女が思うような行動をとり、彼女の助けになってやろうと思ったのだ。
時に厳しく現実を突きつけ、それでもなお彼女が考えて選び取ったものであるのなら、なおさらである。




