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角ウサギのロティ アヴェルデワイン風味(7)

「さて、それじゃあ、ウサギの解体をはじめようか」

「おーーーー」

「はーい」


 二人は互いに拳を振り上げる。


「では、二人も念の為に解体用のポンチョ着てきてね。私も着替えてくる」

「あー、あれ」

「面倒くさいけど、了解です」


 先日、アロワイアオオヘビの解体時に、ヘビを支えていた手が滑ったことで大惨事がおこったため、大型生物の解体をするときには完全防御をすることになった。

 即座に防衛対策がされるくらい酷い事件だったのだ。

(あれは本当にひどかった……)

 思い出しただけであの酷い匂いやら、頭から浴びてしまった未消化の胃の内容物やらを思い出す。

 たぶんあれは栞の人生で十指に入る大惨事の一つだ。

 角ウサギの仔はあの蛇ほど大きくはないが、何が起こるかわからない。もしも……を考えたらポンチョを着るくらいの予防はまったく問題ない。


「……ただいまもどり…………ヴィーダ、その格好はいったい?」


 戻ってきたソーウェルが栞の格好を二度見する。

 見慣れないだろう半透明のポンチョに七色に偏光しているゴーグル、それからまるで手術用のような薄い手袋をしている。

 この大迷宮のとあるトカゲの革を使っているというポンチョはとても薄くて軽い。なのに、そのトカゲの酸性の涎すら弾くのいう性質があり、ほぼ完全な防水性能を持つから万が一の時にも安心だ。

 ゴーグルはマディシャリ鉱石を薄く板状にしたものがはまっていて、魔力光によって目を痛めない性能をがあるそうだ。

 手袋はポンチョと同じ素材で、危ない薬品を扱う時などにも使う。

(客観的に見ると確かに怪しい)


「あー、これから角うさぎを解体するので」

「…………ああ」


 ソーウェルの脳裏にも同じ惨事が過ったのだろう。


「ソーウェルさんの分は、三番のロッカーに入ってますよ。ゴーグルとグローブ必須で! グローブもポンチョと同じ素材のものが用意されてますので」

「わかりました」


 ソーウェルは軽く頭を下げると、楽しげに口笛を吹きながらロッカールームへと足を向けた。かなりの早足だ。たぶん、楽しみで仕方がないのだろう。


(……ほんと、有り難い人だよな……)


 料理知識が豊富でその腕も確か。まだまだ未熟なところのある栞を立ててくれ、さりげなく手助けもしてくれるし、王宮の総料理長だったという名を使っていろいろと矢面に立ってくれたりもする。

 すでに名をあげた人であるにも関わらずその姿勢はとても謙虚だし、この世界の常識とも思えないことをする時でも決して否定しないでくれるし、何をお願いしても楽しんでやってくれるムードメーカーでもある。

 孫といってもいいような年齢のリアやディナンともとても旨くやっているし、王宮で関わっていたときからは想像がつかないほど、くだけてはっちゃけているおじさんになっているけれど、それはそれで付き合いやすい。


(……ソーウェルさんのお弟子さんで誰か来てくれる人がいないかな?)


 オーサが半分以上抜けたことで、またしてもレストランの人手不足は深刻だ。

 アテになる戦力が一人増えてはいるが、仕事というのは後から後から湧いてくるものらしく尽きることがない。


(今回の一件が何事もなく終わったら、また一度、殿下とソーウェルさんを交えて相談してみよう)


 三年目のはじまった今だからこそ、人員体制を整えることは急務だ。

 できることなら、新しい人にも一年を通じた仕事を教えたい。


(……私は本当はどうしたいんだろう……?)


 仕事のことだけを言うのなら、こちらの世界の方がずっとずっと恵まれている。

 自分が総料理長を務める店があり、資金も食材も豊富に与えられ、最高の一皿を作るための挑戦をし続けることができる環境はどこにでもあるものではない。


(いや、仕事だけじゃない。こちらには、皆がいる……)


 自分を師と慕ってくれるリアとディナン。心置きなく愚痴れる女友達であるエルダ……それから、頼りになる同僚となったソーウェル、性別と種族を越えた友人であるイシュルカ…………そして、魂が結びついている誓約者たるマクシミリアン。

 栞の人間関係は、こちらの世界での方がずっと豊かで良好だ。


(あちらに帰っても、仕事もなければ、家族もいない────)


 そう考えると心のどこかが陰鬱なブルーに塗りつぶされるような気がしてくる。


(友達はいえるけど、ちょっと疎遠になってるし…………元彼はいるけど、別に会いたくない)


 どう考えてもこれは、こちらの世界のほうが圧倒的に環境が良い。


(なのに、なんで私は決めきれないのか……)


 実は、その答えもわかっている。


(…………逃げてきたからだ)


 栞は、あちらの世界から逃げてきた。

 それなりにちゃんと社会人生活を送っていたから、放り投げるような真似はしていない。

 面倒くさい手続きとかそういうものもちゃんと済ませてきた。

 でも────でも、あの時、それまで日本で築いたすべてを捨てた。

 だから戻らなければいけない、と思う。


(戻って……捨ててしまったものから、大切なものを掬いあげてこないと……)


 天中殺に大殺界を重ねて、さらに不幸のスパイスをたっぷりとふりかけられていたような時だったけど、全部投げ捨てることなんてなかった。

 自分には何もない、なんて悲観することもなかった。


(だから…………)


 一度戻って、ちゃんと決着をつけようと思う。

 そして、それが終わったらここに戻って来るのだ。


(その為にも、ディアドラスの人員態勢の正常化は急務だ)


 誰か一人が少しくらい抜けても何でもないようにする────それが、次の冬が終わるまでの栞の最も重要な仕事になるだろう。


「……おししょー、お待たせー」

「お師匠様、ディナンの頭見て! フード被ってからキャスケット被ってるんだよ。すっごく変!」

「だってこのほうがフードが脱げないじゃん」

「キャスケットが汚れます~!」

「はいはい。見た目ちょっとあれだけど、いいよ、かぶってるんだし。……でも、万が一、この間と同じ事になったらキャスケット、自分で洗おうね」

「はーい。だいじょーぶ、俺、失敗しないから!」

「何言ってんの。この間だって、ディナンが手を滑らせたせいで、お師匠様の持ってたマグロ切りがヘビの胃に突き刺さって酷いことになったんだからね」

「そうだけどさー」

「そのくせ、自分は半分くらいしか被害に遭わなくて!!」

「だって、手が滑ったときヤバイって思ったから避けるだろ」

「そのせいで私とお師匠様とソーウェルさんが酷い目にあったし!!」

「ごめんっていっぱい謝ったじゃん」

「そうだけどー!! ディの反省してない態度を見てるとムカつく~」

「反省してるってば!!」


 いつも通りの二人を見ていると、何だか自然と笑えてきてしまう。


「お待たせしました。……おや、ディナンのそのかぶりかたはいいですな。フードが落ちない」


 少し遅れてやってきたソーウェルがふむ、と顎に手をあてて首をひねる。


「だろう? なのに、リアとおししょーにはすげー不評」

「いやです、そんなかぶりかた! 全然かわいくないし」


 双子は、どちらも良く似た表情で唇を尖らせる。


「何も言ってないよ? 私は絶対にしないけど!」


 ディナンがそれをするのは自由だけど、自分は絶対にしないから! というのが栞の強い意志だ。


「おししょーの視線がそれはちょっとってなってる」

「だって、それ、見た目がイマイチ……」

「でーすーよーねー」


 リアは我が意を得たりとばかりに胸をはる。


「でも、防御力は高くなると思いますよ。……キャスケットは犠牲になりますが」


 ソーウェルの口添えにディナンがほら見ろというようなドヤ顔を見せた。

 二人が、どちらも譲らずににらみ合う。


「……まあ、ようは失敗しなきゃいいだけだし」


 ほら、はじめるよ、との栞の言葉に、二人は即座に口げんかをやめて顔を引き締めた。


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