角ウサギのロティ アヴェルデワイン風味(5)
「……そういえば、さっきも言ったが、あの角ウサギの毛皮はオークションに出せばかなりいい値がつくぞ」
作業台の上で横たわっている角うさぎは、栞より少し小さいくらいのサイズだ。
「……毛皮にしたら、殿下にオークションはお任せしても?」
リア達とも相談しますが、と付け加えたが、たぶん二人とも反対しないだろう。
王侯貴族御用達の商人だけが利用するような専門のオークションハウスに出品すれば、間違いなくリアやディナンが探索者組合を通じて売りに出すよりも高値で落札されるはずだ。
「喜んで」
マクシミリアンは悪い表情で笑った。
きっとマクシミリアンにはそれを高値で買いそうな相手にも心当たりがあるに違いない。
「殿下、悪い人の顔になっていますよ」
「……いや、何、純白の毛皮を好みそうな知人の顔が幾つか思い浮かんだだけだ。あのサイズなら、子供の外套になるし、小柄な女性のケープくらいは作れそうだ」
「ファッションに詳しいんですか?」
「いや、さほど詳しくは無いが、どうしたら売れるかについてはそこそこ調べている。……需要について気にしておかないと高く売ることができないからな」
「……私の世界だと、そういうのをニーズの把握って言うんですよ」
「にーず、というのが需要という意味なんだな?」
「はい」
翻訳がうまく働かなくとも、察しのいいマクシミリアンは文脈からだいたい意味を推察してくれる。
更に言うならば、誓約者として経路が繋がっていることもあって、多少言葉が足りなくとも話は通じるし、勘違いや齟齬の入る余地がない。逆にわかりすぎていることが怖くなるくらいだ。
(……殿下の強い感情が、まるで自分のもののように思えることがある)
だからといってマクシミリアンと自分を同一視したりはしないが、今更ながらに『誓約者』が特別だという意味がわかってきた気がする。
「…………そういえば、さっきシリィがソーウェルとしていた話だが」
「何の話をしていましたっけ?」
「……大迷宮の仕組みの話だ」
ああ、と栞は思い当たったようにうなづいた。
「なぜシリィは、大迷宮が魔力を調整するためのしすてむ……仕組みだと考えたんだ?」
「なぜ……というか、ドドフラの一件の時からぼんやりと考えていたんです────大迷宮には生態系があって、循環しているんだなって……。それから、レア種がどうやって生まれるか、とか、あとは、この国の人たちの魔力の話とか…………そういうのを聞いていて、うっすらと大迷宮の輪郭が見えた気がしました」
「輪郭?」
「はい。まだ何かが足りない気がしてるんですが、例えば、水についてもこのシステムと関係してきます。……大迷宮を水源とする水には関知できないほど微量の魔力が含まれているのかもしれない────だから、その水を生活のすべてに使っているフィルダニアの民はほとんどが魔力を持つのでは? という推測が成り立ったりするわけです」
「それは興味深い説だ」
マクシミリアンは、やや身を乗り出した。心底興味深く思っているのだろう。
「……あと、魔生物の絶滅に関して難癖つけられたこととかありましたよね? それでちょっとその後を気にかけていたんです」
「ああ」
「フランチェスカはあれだけ乱獲しても絶滅しなかった……むしろ、新しい種が生まれたような様子があります。と、同時に失われた水竜の代わりの主は生まれていない」
「そうだ」
「……本当に?」
栞はマクシミリアンをまっすぐと見つめる。
ぞくりと背筋をかけのぼるそれが何か彼にはわからなかった。
ただ、聞き逃してはいけない、とだけ思う。
栞の言葉は、彼にとっての神託だ。いつだって重要な示唆を与えてくれる。
「……トトヤからは水竜に代わるような種に進化したモノは未だ見つけられていない、と聞いている」
「……水竜は、果たして単なる湖の主だったんでしょうか?」
「どういう意味だ?」
「もしかしたら、水竜は大迷宮全体の主……大迷宮の王だったのでは?」
「そうだとすると何なのだ?」
マクシミリアンは自分がそれなりに優秀な頭脳を持つと思っているが、どうも回転が悪くなっている気がして焦れた。
「だとするならば、湖でない場所に新たな王が生まれているのかもしれない……大迷宮全体として考えれば王がどこにいようと構わないんです。……そこにいるのなら」
「ああ、そうだ」
「それから、ここのところ、どうも『蝕』が頻繁な気がします」
「そうだな。……私の知る限りだと、記録上、これほど活発になったのは史上最大規模の『大暴走』のあった…………」
マクシミリアンの言葉が途切れる。
「…………殿下?」
「……シリィ、もしかして、もしかするかもしれないぞ」
「はぁ?」
顔を上げたマクシミリアンの目がカッと大きく見開かれている。
「『大暴走』というのは、蝕の引き起こす災害の一種だ。これまでもたびたび起こっていてそのたびに洒落にならない被害になっているんだが、記録に残る限り最大級の『大暴走』があったのが、ちょうど七百年くらい前なんだ」
「七百年前に何があったんですかって…………ああ……水竜の誕生ですね?」
栞は問いかけ……繋がっているマクシミリアンの持つ知識が教えてくれたので、自分でその回答を導き出した。
「……そうだ。王宮の文書庫を管理している叔父上に聞けば何か記録があるかもしれない」
「その時が前回の大迷宮の王の代替わりだったとすれば、納得できます。……まあ、証拠があることではないのでただの妄想だと言われればそれまでなんですが」
「…………いや、でも理は通る。……もし、シリィの考えた通りだったとして、シリィは何が生まれたと思う?」
「そこまではわかりません。……私、魔生物に詳しいわけじゃないですし……」
「えっ…………」
ありえない、という顔で突っ込もうとしたグレンダードは、マクシミリアンの冷ややかな視線に口を噤んだ。
己を知らないというのは恐ろしいものだ。
確かに栞は生きている魔生物には詳しくないかも知れないが、死んで……食材となっている魔生物には誰よりも詳しいだろう。栞ほど魔生物をよく料理する料理人はいない。
「ただ、水竜が前の大迷宮の王だったという仮説を採用するのなら、今度は水棲生物ではないように思います」
「陸の獣か……あるいは、空に生きる鳥か……」
「水竜の前の王が何だったかがわかれば、ある程度絞れるかもしれません」
「それは記録を調べてみる。……討伐こそできていなくとも、大迷宮の主だと言えるほどの生物ならば遭遇記録くらいはあるはずだ。……過去の記録で驚くほど巨大な蚯蚓や黄金の毛皮を持つ巨大な狼の記録などもある。シリィの話を聞いていたら、それは過去の王なのかもしれないと思った」
「……蚯蚓はご遠慮しますが、狼はちょっと見たいかもしれません────遠くから」
遠くから、と付け加えた口調にマクシミリアンは笑った。
それから、大迷宮の生物に対する栞の姿勢が、そのままこちらの世界と接する姿勢のように思えた。
どれほどこの世界に馴染んでいるようでも、栞は決して馴れる風を見せない。
こちらを尊重しながらも常に一線を引き、尊敬と憧れとを織り交ぜたような心で接し続けている。
それが嬉しくもあり、時に淋しくもあるのはマクシミリアンが強欲だからだろう。
(……たぶん、私はシリィに選んで欲しいのだ)
生まれ育った世界ではなく、この世界を選んで欲しいと思っている。
何も告げず、何も教えていないくせに、望みだけは明確だ。
誓約の絆は、世界を越えても消えることがない。栞が元の世界に戻ったとしても互いが生きている限り、誓約者の絆が途切れることはないのだ。
(だが、私はそれでは足りない)
ならば、ここは自分が一歩踏み込むべきだろうと思う。
(……たぶん、私もシリィも人間関係には臆病だ)
こんなことを口に出して言えば、マクシミリアンの周囲の人間はきっと目を剥くだろう。
だが、マクシミリアンは基本的に根深い人間不信を抱いている。
身内には緩和されているものの、それは彼らがマクシミリアンがどういう存在であるのかを知っているからだ。
(私が何でも自分の思い通りにしていると思ったら大間違いだ)
本当は何一つ思い通りになんてならない。
ただ、そうなっているという顔を作るのがうまいだけだ。
(ならば…………)
何もしないで諦めるなんてことはマクシミリアンの性分では無い。
「…………シリィ、この件が落ち着いたら、一度、大迷宮を見てみないか? 私が護衛を務めるから」
さりげなさを装って、マクシミリアンは彼の中では特別な一歩を踏み出す。
「……それ、私が行ったら、殿下の仕事にならないのでは? ……一度くらいは行ってみたいと思わないでもないんですけど……」
栞は、とても真面目な顔をして答えた。
「いや、仕事のつもりはない。……こちらに来て、シリィはあまりこの国を見ていないだろう? だから、狩りとか採取ではなく、純粋に大迷宮を見るというか……散歩みたいなものだ」
背後で「大迷宮で散歩? え? 散歩できるような場所か?」なんて囁くような声で自問自答しているグレンダードは後で必ず殴ろうとマクシミリアンは決意する。
「……散歩気分だときっと探索者の人に迷惑になると思うんですけど、殿下達がいればそれくらいの気分で歩けるってことなんですよね?」
「ああ」
「なら、一度、見て見たいです。────大迷宮を見ないと、フィルダニアのことはわからないって、以前、王太子殿下にも言われましたし」
「へえ……バカ兄もたまにはまともなことを言うな」
「……殿下、本当に王太子殿下に厳しいですよね」
「厳しくしてないとロクなことしないからな」
「そこに至るまでの経緯がちょっとだけ気になります────事情を聞きたいとは思わないですけど」
栞は少しだけ口元に笑みを浮かべた。
身構えない……リラックスした表情だ。
マクシミリアンは、栞にとって自分がそういう相手であることを嬉しく思った。




