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ソルシエールのコンソメ フィルダニア風(10)

「シリィ、コテージに戻らないのか?」

 朝食のボックスを配布した後、夜の仕込みが終われば、夕方までは自由時間だ。

「……そうですね。ちょっと眠いので、仮眠しに戻ろうかなとも思うんですが……」

 でも、栞には戻る前にやりたいことがあった。

(できあがってすぐに飲んでほしいとか、子供みたいだけど)

「で……じゃなくて、リアン、スープを飲んでいただけますか?」

「試食か?」

「はい」

「喜んで」

 マクシミリアンが嬉しそうに笑った。

 髪の色が違うし、見習いの恰好をしているせいもあって、まるで別人だ。

 いつものラスボスオーラは影を潜めているから外見年齢相応に見える。そうすると、いつもはどこか含みのあるラスボス臭を感じさせるその笑みが、いっそ無邪気に見えてくるから不思議だった。

(……そういえば、殿下って本当は何歳なんだろう?)

 こちらに来てしばらくは王都の王宮に滞在していた栞は、王家の人間とは一通り挨拶を交わしているのでマクシミリアンの兄弟姉妹を知っている。

 外見年齢では全員マクシミリアンを上回っているので見た目ではよくわからない。

(順番は、わかっているんだよね)

 まず、あのものすごくチャラいというかタラシな王太子。それから王太子と比べるとその謹厳実直さがすごくよくわかる第二王子殿下────だが、第二王子のほうが王太子より見た目の年齢は上だ。その次がマクシミリアンで、マクシミリアンの次がいつもシンクロしている双子の王女たち。それから末っ子のルーシー王子だ。

(……陛下も王妃殿下もお若い見た目をしているんだよね)

 そもそも、国王夫妻が何歳なのかわからないし、基準となるべき王太子の年齢も不明だ。

(王太子殿下の見た目は若いけど一番上だからそれなりの年齢として、三十代半ばくらい。第二王子がその一つ二つ下くらい? で、それ以下で、双子の王女殿下たち以上だけど。王女殿下たちって見た目が十代だよね、あれ……けど、その下のルーシー王子はギリ二十代に見えるし……)

 外見年齢で並べると、第二王子〉王太子・国王陛下〉王妃殿下〉ルーシー王子〉双子王女〉マクシミリアンとなる。

 ほんとわけがわからない、と栞は思うのだが、この世界には長命種がいるので、外見年齢と実年齢に差があってもあまり問題とされない。ここの兄弟たちは、兄、姉と呼びはするものの、お互い上下関係をあまり気にしてはいないようだった。

(そういう意味で、ここの家族のヒエラルキーの頂点はプリン殿下だし……)

「……シリィ? どうかしたか?」

 リアンが首を傾げてこちらを見る。

「いえ、何でもありません」

 栞はゆるゆると首を横に振った。


 ◆◆◆◆◆◆◆


「……どうぞ、召し上がってみてください」

 スープの色がよくわかるように栞はそれを純白のスープ皿に注いだ。

 複雑なゆらめきを持つ黄金色のスープ……夜の灯をうけてキラキラときらめくのは、迷宮産の素材ゆえのことだろう。

「……美しいな」

 静かな声で、リアンは言った。

「あちらでも金色になるんですけど、こちらの材料だとさらに輝いているように思えます」

「…………確かにこれは輝いていると思う」

 リアンははぁと息を大きく吐く。

「迷宮の素材ってすごいんですね」

「すごいのは君だ、シリィ」

「お褒めの言葉は飲んでからにしてください。見た目が美しくても味が良くなくては……」

 栞はにっこりと笑ってどうぞ、とスープを示す。

「うん」

 リアンは静かに呼吸を整え、手にしたスプーンをスープの中に入れる。

 銀色のスプーンでくるりと一周かきまぜれば、黄金色の液体の中で凝縮した魔力がきらきらと煌めいていた。

(……これがスープか……万能回復薬と言われても信じるだろうな……)

 見ているだけでそれが特別なものであることがわかる。

 ひとさじすくって、口元へと運んだ。

 湯気の立ち上るそれは少し熱かったが、こくりと喉を鳴らして呑み込んでから目を何度もしばたたいた。

 二口目を口に運び、声にならない感嘆の溜め息を洩らす。

(これを何と言えばいいんだろう……)

 それは、ただ美味であると……美味いというだけでは言い表せない味だった。

 リアンはただ無言でそれを啜った。

 自分の身体の中に、口にしたそのスープがしみわたっていくのがわかる。

 指の先にいたるまでとどく熱────それが、どういう効果なのかはよくわからない。

 だが、まるで自分が生まれ変わったような……あるいは浄化されたかのような、何とも言い難い感覚が身体に残っている。

「……おいしい」

 たまらずに口から洩れたのはそんな何でもない一言だけだった。

 何か告げようとして、でも、己の中にある歓喜にも似たその感情が何と名付けられるものなのかがわからなくて、ただそれだけをやっと口にした。

「ありがとうございます」

 栞はふわりと満足げな笑いを見せた。


 ◆◆◆◆◆◆◆


 マクシミリアンの口から「おいしい」の一言がこぼれた時、栞は思わず崩れそうになった表情を何とか取り繕った。

 嬉しかった。そして、同時に誇らしい気持ちもあった。

 このコンソメは、自分の────自分だけにしか作れない一皿だと胸を張って言える。

自分が作り出した味をリアンが認めてくれたことが嬉しい……いや、嬉しいというより、それだけで何となく満足したような気持ちになった。

(……こういうの、報われたって言うのかも)

 ただ自分の為に頑張っていたのだが、こうして「おいしい」と言われるとご褒美をもらったような気になる。

「……こうやって一番に飲めるのは、見習いの役得だな。いつも、私のところに運ばれてくる時にはもう他の者が飲んだり食べたりしているから……実はちょっと口惜しいと思っていた」

「口惜しい、ですか?」

「ああ。……でも、今回は私が正真正銘の一番だろう? 子供みたいだが、それが嬉しい」

「……一番なんてそんなに良いものでもないです。失敗する事だってあるから、場合によってはただの実験台だし」

「そうだが……やっぱり、誓約をたてた身としては、ちょっとだけ一番最初というのにこだわりたい気持ちがあるんだ」

「実験台でも?」

「事件台でも、だ」

 リアンが力をこめて言うので、栞は笑った。

「……考えておきます」

「……ああ。考えておいてくれ」

 リアンも笑う。

 互いに笑みを交わし、何となくいい気分になった。

「……シリィ」

「はい?」

「就業期間の延長を考えておいて欲しい」

「……それはさらに三年、ということですか?」

「とりあえずはそれでもいいが、私はシリィにこの国で暮らしてほしいと思っている」

 リアンは真顔になって言った。

 ただ暮らしてほしいというわけではなく、それは『永住』の意味を含んでいるように聞こえた。

「まだ契約が切れるまで一年くらいありますけど……」

「気が早いかもしれないが、ずっと言おうと思っていたからな。……伝えられる時に伝えておくべきだと思ったんだ」

「基本的に延長はしたいと私も思っています。永住とかはまだわかりませんけど……」

「……シリィはあちらの国に何か未練があるのか? 確か、身内はもういないのだろう?」

「そうなんですけど……未練と言うか……後悔……というか……心残りがあるんです」

 栞はずっと心の中に淀んでいたことを口にした。

 それは、ずっと目を逸らしていた。……あるいは、見ないふりをしていたことだ。

「心残り、か……」

「はい。……だから、それを晴らしてからお返事させてください」

 不思議と心は穏やかだった。


「……何をするつもりなんだ?」

 リアンが、マクシミリアン王子の表情で問いかける。

「……リベンジをしたいんです」

「りべんじ?」

「やり直したい、というか……ちょっと違うな……正直なところ、どうすればリベンジになるか自分でもよくわかっていないんです」

「……シリィ?」

「私は、こちらに来る時、逃げてきました」

「逃げた? 何から?」

「世間とか……自分に降りかかったいろいろなことから」

 思い出すとまだ少し胸が痛む。

「結構傷だらけだったみたいで……でも、こちらで暮らしていくうちに、その傷がふさがって……今はほんの少しですけど自信だってあります。だから、逃げたところからもう一度始めたいというか……逃げただけでいたくないと言うか……」

「よくわからないが、それはたぶん誇りの問題だな」

「誇り……」

「逃げたままの弱虫でいたくないということだ。……うん、それは応援するぞ、シリィ」

「ありがとうございます。……まだ、どうしたらいいかはわかっていないんですけど、それを果たしたらお答えさせてください」

「ああ。待っている。……もちろん、いい返事をだ」

「はい」

 栞は今までで一番晴れやかに笑った。

 リアン────マクシミリアンは、その笑顔に目を細める。まぶしいような気がして、正視するのが何となくはばかられた。



「……シリィ、お代わりをくれないか」

 他にもたくさんの言いたいことはある。

 だが、いつも口に出せるのは当たり障りがないような言葉だけだ。

「はい」

 栞が、保温の魔法陣の上においてあった鍋の蓋をあけると湯気が立ちのぼった。

 それをぼんやりと眺めながらおかわりを口にしたマクシミリアンは、ほぉと溜息をつく。

「……このスープの名前は何と言うんだ?」

「コンソメスープです────基本中の基本の、味の原点、あるいは基準点となるスープですね」

「コンソメスープか……それだけでは足りないから……そうだな、『魔法使いのコンソメ』と名付けるが良い。『魔法使いのつくる魔法使いの為の魔法のコンソメ』の略だ」

「……私、魔法使いですか?」

「ああ」

「わかりました」

 それはちょっとだけ嬉しいな、と栞は思い、うなづく。

 マクシミリアンは皿にわずかにしか残っていないスープを上品に口にしながら、ちらりと鍋の方に目をやる。

 あと何杯おかわりが許されるか……それはマクシミリアンにも予測のつかない大いなる謎だった。




ソルシエールのコンソメ フィルダニア風 END

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