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ソルシエールのコンソメ フィルダニア風(6)

 ディアドラスの営業は夜の九時半で終わると決めている。とはいっても、お客様を追い出すわけにはいかないので、十時近くになることも珍しくない。

 今日も何だかんだといろいろ延びて、片づけを終え、清掃をし、明日の仕込みに入ったのは十一時近く。現在の時刻は十一時半を過ぎている。


「シリィ、それは何をしているのだ?」

 どうやら難しい顔をしているのが気になったのだろう。マクシミリアンが不思議そうな表情で栞のところにやってきて、眼の前の寸胴を覗き込んだ。

「あー……コンソメの元というか……まあ、出汁ですね。ディナータイムに鍋をかけておいたんですよ。……あの炭を使って」

 焜炉の前に付きっきりでなくとも調理が可能な魔力を込めた炭火は、魔力が少ない人でも魔生物の調理が可能だというだけでなく、その使い方次第でレストランの仕事というものに革新的な変化を与える可能性がある。

「夕食戦争の時間にか? シリィにはそんな余裕があったのだな」

 マクシミリアンが目を丸くする。

 これまで噂には聞いていたものの、初めて体験した夕食戦争にマクシミリアンは圧倒された。

 空気はピンと張りつめ、まるでそれは真剣勝負の場だった。そんな中で、誰もが自分の為すべきことを着実に遂行し、おそらく分単位ですべてはコントロールされて、一つの結果……お客様の満足する食事の提供へと導かれていた。

 途中、何度も予定外の出来事があったけれど、栞はそれらを上手に振り分け……あるいは、自分で引き受け、的確に捌いて最善の結果へと辿り着いていた。

 マクシミリアンはといえば、邪魔にならぬように温めた皿を準備したり、あるいは途中でどうしても足りなくなった食材を取りに倉庫に走ったりするだけだった。考えて見れば、マクシミリアンであれば走る必要などなく魔法で引き寄せるか転移させればよかったのだが、あの時はそんな当たり前の事すら思いつかなかった。

 ただひたすら目の前に与えられた仕事をこなすだけだったのだが、それでも今の己は不思議な充足感に包まれていて、とても清々しい気分になっていた。

「本当はつきっきりで居られればいいんですけど、さすがに五時間も六時間もこれだけに集中していられる贅沢な時間はなかなかありませんからね」

 こちらの世界のディナータイムはだいたい夜の六時頃くらいを言う。ディアドラスのオープンは五時半なので、営業時間は正味四時間といったところ……ディアドラスで言うところの『夕食戦争』の時間帯である。

 はじまる前に火をかけ、ずっと煮込んでいたのなら五時間以上煮込んでいたことになる。

「まあ、そうだろうな……」

 レストラン・ディアドラスに定休日はない。何らかの事情で突然休みになることはあれど、決まった休みがないから、何か試作する場合はどうしてもいつもの仕事の時間を割いてすることになってしまう。

「まあ、時々、アクをすくったりするくらいで、それほど手は取られないんです。むしろ、これだけに集中するなら、暇を持て余しますね、絶対に」

「ふーん。……それで? これはまたスープの元になるのか?」

「ええ。一晩冷やして……で、明日の朝、ぜんぶ取り除いてから、二回目の出汁取りをして、澄ませます……うん、この時点での色とか味はわりといいですね」

 おたまで余計なものが入らないようにしてすくった半透明の液体は、とろりとした蜂蜜の色をしている。少し白濁しているのは脂だろうか? マクシミリアンは目を凝らして鍋の中を見た。

「これは、ドラゴンの肉を煮込んだのか?」

 金属色を帯びた骨や、灰褐色と白くぶよぶよしたゼラチン質が目に付く皮……それはマクシミリアンが見知ったものの残骸に見える。

「ええ、そうです。……ここが私の国ならば、牛で作るところなんですが、せっかくだからこの国ならではのものにしたいと思って……」

「この国ならではのもの? どういう意味だ?」

「フィルダニアだから作れるものにしたいなって思ったんです。それで、単純なんですけれど、フィルダニアだからこそ贅沢に使えるものって言ったらドラゴンかな、と思って……」

「……まあ、そうだな」

 マクシミリアンも最近忘れがちだが、竜種ではそれほど上等ではないとはいえ、イルベリードラゴンの肉は他国では同じ重さの金はおろか白金よりも高価であると言われている。確かに、他の国ではこんな風に調理することはできないだろう。

(……というか、魔力的にも不可能だな)

「で、野菜類なんかは普通に手に入るものを使っているんですが……何かこれぞ! というものがありますか? ああ、マンドラゴラとかは却下ですよ」

「誰だ、マンドラゴラを推薦した奴は」

「メリィさんです」

「ああ、うん。そんなことだろうと思った」

 マクシミリアンはそれだけで納得する。マンドラゴラを食品のうちにいれる人間を、マクシミリアンは他に知らなかった。

「そこでメリィに相談するのが間違いだろう。……ラグラ人参やフォロ葱は使っているか?」

「はい。使ってます。……いえ、ちょうど納品に来ていて。それで参考までに聞いただけなんです」

 マンドラゴラなんて入れた日には、集団幻覚事件やら集団殺人事件がおこってしまうこと間違いなしだ。

「ラルダ茸は?」

「今回はとりあえずラルダ茸はなしです。ラルダ茸はそれだけで普通に出汁がでますから……私の考えるコンソメに入れるにはちょっとブレるので」

「……どういう野菜が必要なんだ?」

「香味野菜がいろいろ欲しいです。あと、肉類で……可能なら別の竜の脚とか筋とかありませんか?」

「別種の竜?」

「イルベリードラゴン以外のドラゴンです。あるいは類似種……何か他の迷宮産の爬虫類でも構わないんですが」

「他の爬虫類というのなら、鎧竜はどうだ? シェルノリア大トカゲとか珍しいぞ」

「珍しすぎても困るんですが、倉庫にあります? 私が来てからの管理品にはたぶんないんですけど」

「たぶん、あるはずだ。時間のある時に見ておこう」

「お願いします」



 二人が何やら話し込んでいるのを横目に、オーサは清掃に勤しんでいた。

 建物は古いものの、ディアドラスは隅々まで磨き抜かれている。特にこのレストランの厨房は、オーサも驚くくらい清掃が徹底されている。

(……あと、すごいと思うのは、警備の厳しさかな)

 ホテルだから一般の……宿泊客以外の出入りももちろんある。カフェなどはフリーのお客様を積極的に呼び込んでいるし、総督府のフロアにも不特定多数の人間が出入りしている。

 だが、レストラン・ディアドラスのある母屋の奥庭に面したエリアは、蝕がおこりやすいエリアであるとの建前で、警備員の詰め所などをそこここに配置する形でさりげない監視体制がとられている。もちろん、事あれば即座に討って出るに違いない。

(……ああ……あと、お客さんの遅刻に厳しいのには驚いたなぁ)

 前職が王宮だったオーサには、食事時間の変更など日常茶飯事だった。

 もちろん予定が狂うから厨房の料理人たちの間には不満の嵐がまきおこるが、だからといってそれを拒否できるわけではなかった。

(でも、ここでは違うんだよな……)

 前もっての相談があれば、栞が受けても良いと考えた範囲でならさまざまな突発事項や変更も引き受ける。

 今日だって、諸事情でできれば受けたいという支配人の特別なオーダーによる当日の飛び込みのお客様がいたから、レストランのオープンは五時半だった。

オープンさせてからはだいたい三十分刻みで時間をずらしながら、一組か二組ずつのお客様を八時まで……場合によっては八時半まで迎え入れている。

 予約時間に十五分以上遅れた場合はキャンセルで、このルールは、どれほど身分が高いお客様であろうとも決して譲らないと、厨房をはじめフロアでもホテルのどの部署であっても徹底されている。

 何も店やホテルの権威やら栞がマクシミリアンの誓約者であることを振りかざしての事ではない、十五分遅刻したらその他のお客様に迷惑がかかるのだ。

(ギリギリの人数だから、そこでずらすと他に迷惑がかかるんだよな)

 遅刻した一組のお客様の為に、他のすべてのお客様に少しづつ不満を残す結果になるくらいなら、最初から遅刻したお客様をお断りする、というのが、栞の……あるいはこのレストランの方針で、それがホテル全体の方針となっている。

「……そういえば、今日の……七時半の予約に遅刻した人んとこの騎士がさ、レストランの入り口でものすごいゴネててベルクさんにつまみ出されてたんだよな」

 ディナンが思い出したように口にした。

「うわぁ、ベルクさんにも絡んだんだ?」

 二人の話題に出ている『ベルクさん』というのは、半年くらい前にホテルの支配人に就任したばかりのノーレイ=ベルクのことだ。

 フィルダニアの高位貴族の子息だが、家を継ぐ立場ではなく、婿養子に入るはずだった婚約者の実家が問題を起こしたためにとばっちりで騎士の職を辞したのだという。

 騎士からホテルスタッフという異色の転身を果たした為わりと皆の注目の的だったのだが、どういうわけか影が薄く、いつの間にかそこにいるのが当たり前すぎている事すら気にかけられることがないくらいに馴染んでしまった。

 元が騎士だからなのか、ひどく生真面目な性格で融通がきかないところがあるが筋が通っていて、いざという時とても頼りになる。外見からはあまりそうは見えないのだが、際立った戦闘能力の持ち主でもあるので、皆が安心し頼れるのだ。

「違うよ~、エルダさんに絡んだの。それで、ベルクさんが出てきたんだよ」

 ディナンと一緒に現場を目撃したリアが口を挟んだ。

「それはそれは……」

 明日の仕込みの一環として、リマールたこを煮込んでいたソーウェルがリアの言葉ににやりと笑った。オーサは知らなかったのだが、王宮に居た時よりもずっとイキイキとしているこの老料理人はかなり茶目っ気を持ち合わせているらしい。何やら面白いことになったのでは? という表情で、手を動かしながらもしっかり聞き耳を立てている。

「で、いろいろ文句を言ってたんだけど、ベルクさんに首根っこのとこを掴まれて、こう持ち上げられてそのままぽいっと」

「えー、それで引き下がったのか?」

「いや、それじゃ引き下がらなかったんだけど、庭にぽい捨てした後にベルクさんが言ったんだよ。『あなたは決闘の場に遅刻した時、事情がある遅刻だからやりなおしだ、とおっしゃる恥知らずなのですか?』 って。さすがに、そいつも黙ったんだ。遅刻したら不戦敗ってのは、子供でも知ってるじゃん? それと同じだってベルクさんが言ったんだよ」

「……確かに。私たちにとっては戦争だから、似たようなものだよね」

 リアがうんうんと頷く。

「……あの小僧っ子が随分と成長したものですな」

「えー、ソーウェルさんにかかるとベルクさんって小僧なんだ?」

「いえね、私が騎士団に体力づくりに通っていた時分、あの小僧はちょうど入団したばかりの従士でして」

「へえ……あのベルクさんにもそんな時代があったんですね」

 あのベルクの若かりし時代を、リアは想像ができない。リアはベルクをあまりよく知らないが、とりあえず髪の毛が随分と淋しいことだけは知っている。

「で? そいつはその後どうしたの?」

「あ、そこまでしか見なかった。俺も忙しかったし!」

「だよな」

 戦争中は自分の仕事で手いっぱいだ。ディナンは、その予約のお客さんがどう処理されたかを確認しにいっただけで、絶対に来ないことが確認できればそれで良かった。

「……あ、そういや、そのお客さんの材料で使い切ってないの好きに使っていいっておししょー言ってたから、俺、今から夜食作りまーす」

 ディナンが思い出したという顔で突然言い出した。

「えーとフォラ茄子とサカスのトマトクリームパスタ、食う人~。……あ、ニンニクたっぷりいれるから!」

「はーい、俺、大盛りで!」

「私、チーズたっぷりで!」

「どれ、私も少しいただきましょうか」

 本来ならこんな時間から夜食を食べるなど言語道断なのだが、全員、魔力はほぼ使い切っているので、今から食べてもまったく問題がない。むしろ、少し腹に入れないと明日に差し支える可能性がある。

 それに、ソーウェルをのぞいた三人は育ち盛りなので、いつだって何か軽く食べるくらいの腹の余裕はあるのだ。

「りょーかい。んー……おししょーとリアンの分も作るとして、パスタどんくらいかな? ま、少しくらい多くてもいいか」

(……マジで、戻ってこれて良かったなぁ、俺)

 ディナンが、てきぱきと夜食の準備をはじめるのを見ながら、オーサは、しみじみとそんな思いを噛み締めていた。

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