ソルシエールのコンソメ フィルダニア風(4)
「今日の朝のボックスは、オーダル猪の薄切りハムとパリパリレタスをミルフィーユにしてレクチェ産のチーズをたっぷりと削ってのせたオープンサンド。サダク瓜のピクルスとアンチョビ詰のオリーブ、サカスの腿のハムとアレバ山羊のチーズをそれぞれ串にさして添えます。オープンサンドは私……とソーウェルさんでやるので、添え物をリアとリアンの二人で作ってください」
朝のメニューについて話していると、「おはようございます」と言いながら、ちょうどソーウェルが入ってきた。ソーウェルの勤務は一応夕方だけになっているが、意欲が有り余っているため朝も欠かさず出てきている。今日はいつもよりすこしだけ遅い。
「リア、リアンに仕事を教えてあげてね。で、それが終わったら昼のメニューの下拵えで。そっちの部屋のボードでコースメニュー確認したら奥の台に材料を揃えておいてね」
「はい、わかりました」
「わかった」
うなづく二人を、ソーウェルがおや? という表情で見ている。だが、王宮料理長として長く勤務してきた人らしく、多くを問わない。
「ソーウェルさん、本日より、諸事情で臨時見習いのリアンが一週間くらい勤務します」
「……わかりました。マクシミリアン殿下がお戻りになるまでですね?」
「はい」
「それと、今日の具はオーダル猪のハムとレタスに削ったレクチェ・チーズです。ソースはたっぷりのセロリアンと辛子豆を刻んだ具沢山のマヨネーズソースの予定です」
セロリアンは黒くゴツゴツとした表皮に覆われているせいで、一見したところ石とか土の塊のように見える。だが一皮剥くと黄緑色の色合いが美しく、味が玉葱によく似ている。
辛子豆は、大きさはちょうど大豆くらい。見た目はまるで黄水晶のように美しく透き通った丸い粒で、味はまろやかな洋ガラシという迷宮産の植物の種子だ。
その美しい見た目のせいでビギナー探索者が何かの貴石か……あるいは魔石ではないかと考えて、あきれるほどの量を採取してくることが多く、別名を『間違い豆』と言われている。
どちらも味のアクセントとして欠かせない香味野菜で、肉料理に使うと臭みが消えることから、栞は重宝している。
「それはおいしそうですねぇ。……バケットに塗るバターはいつものもので?」
「はい。ハムは薄切りです。レタスと交互に挟みます」
「パリパリのレタスと塩味のきいたハムは最高ですね。食感が残るように切りますね」
「お願いします。……あ、あと、レタスよりハムが多くなるように挟み込みたいです」
「了解です」
それだけ確認すれば、ソーウェルと栞はだいたいの互いの仕事の割り振りがわかる。
まずソーウェルはハムを切り始め、栞はレタスを剥きはじめた。全部剥き終わったら、冷水にさらし、一枚ずつキッチンペーパー代わりの薄布でぬぐってから、ハムと交互に挟んでゆく予定だ。
(今日はコールドものが多いから作業が少し楽かな)
一番注意しなければいけないのは、味の一番の決め手となるソースだろう。
ソーウェルがハムを切り終えた頃には、栞はセロリアンと辛子豆を刻み始めている。
「……ところで、リアンは料理の経験があるんですかねぇ? ご兄弟の皆様も、料理ができるとは聞いたことがないんですが……」
私、そこがいささか気になります、とソーウェルが首を傾げる。
「たぶん、ご兄弟では一番器用ですよ。お料理は……どうなんでしょう? 妹姫……いえ、妹さんたちがまったくできないことは知っていますけど」
「リアンの叔母君は知らない者がいないくらいの究極の飯マズなんですよね……」
「え? そうなんですか?」
「ええ。……陛下の勅令をもって、厨房に入ることを禁じていただいています」
「勅令で禁じるって……」
「ご自分一人が被害に遭うのはご自由ですが、周囲を巻きこまれては困るものですから……それに、発生源が私の管轄下にある厨房とか、御免被ります」
ソーウェルははっきりきっぱりと言い切る。
「あれ? エミィ様、王宮にお住まいでしたっけ?」
「お邸の料理人は己の職業生命を賭して、厨房を死守したそうです。もちろん、私だって同じことをしましたとも!」
(……どれだけ恐れらているんだろう、エミィ様)
やや興奮してしまった己を恥じてか、ソーウェルはこほんと咳ばらいを一つして続けた。
「……まあ、あの方のことはさておき。ようは、リアンの血筋の料理能力には不安が残る、ということです」
「一週間だったら、材料の処理と下拵えを覚えれば終わりですよ。……刃物の扱いはそれなりに慣れていると以前言っていたから大丈夫だと思います。……魔力が豊富だからっていきなり調理なんかさせませんよ」
「ならば良いのですが……というか、ヴィーダ、本気で見習いとして扱うおつもりなのですか?」
「本気というか……最低でも材料の下処理は覚えてもらおうと思っています。そうしたら、今後、狩ってくる食材がより良い状態で運び込まれてくるようになりますから!」
栞はきらきらと目を輝かせてぐっと拳を握り締める。
「それに、ものによっては現地で血抜きをしてもらうとすごく有難いものもありますから……」
そんな栞の様子にソーウェルは目を軽く見開き、そして破顔した。
「そうですね。……ええ。それでは、私もそのあたりを念入りに指導したいと思います」
「はい。ぜひ、よろしくお願いします」
何も知らないマクシミリアンは、くしゅんと小さなくしゃみをした。
◆◆◆◆◆◆◆
「……殿下……じゃなかった、リアン、こっち」
リアは、自分たちは奥の台で作業をするのだと促す。
「ああ……まずは何をすればいい?」
「えーと、倉庫から材料とってきたりとかできる?」
「もちろんだ。何が必要だ?」
「……あ、でも、まずは一緒に行って説明するね。ピクルスとかアンチョビは使い方にルールがあるの」
「わかった」
マクシミリアンの態度はすこしぶっきらぼうにも感じるが、見習いが緊張している風に見えなくもない。
二人は扉を二つ抜けて、薄暗い貯蔵庫へと入る。
「ピクルスの壜はここね。これ、奥から使っていくの。それで、アンチョビ詰のオリーブはそっちの手前の棚。全部奥から使っていく方式ね」
「どちらも一壜ずつでいいのか?」
「うん。足りると思う」
マクシミリアンが壜の頭をトンと軽く叩くとその壜が跡形もなく消える。
「……それも転移の魔法?」
「ああ。応用だ」
「すごく便利ですね」
「まあな。……でも、どこにでも送れるというわけではない」
「そうなんですか?」
「ああ。……基本的には、陣の上じゃないと送れない」
少し気を抜くとつい敬語口調になってしまう自分に気付いて、リアは何とか切り替える。
「……基本じゃない場所は?」
「そこに絶対に何もないことがわかっていれば送れる」
「何かあるとぶつかっちゃうから?」
「そうだな。……ぶつかるくらいならいいが。重なってしまうと恐ろしいことになる」
マクシミリアンは淡々とした口調で告げた。
「前例があるの?」
「私はまだ失敗したことがないが、失敗例は昔からたくさんあるな」
「え? どうなるの?」
「爆発したり、反発してどこかにとばされたり、行方不明になる」
リアはうわぁ、という表情になる。正直言って、どの選択肢もご遠慮したいやつだ。
次はどうするんだ、というマクシミリアンの表情にリアははっとした。
「……あ、ハムは保管庫が別なのね。腿のハムはこっち」
「アレバ山羊のチーズはいいのか?」
「チーズは更にそのお隣が保管室だから、次に寄るね」
先ほどのピクルスがあった倉庫とは違うひんやりとした倉庫の中で、二人は目当ての物を探す。
「あ、ハムとか肉類は、こうやって棚にラベルがついてるから、ラベルを見て古いものから順に持っていくから」
「……随分と綺麗に整理されているな」
「お師匠さまが材料を無駄にしないようにって食材の一覧表を作ってるんです。だから、何があるか一目瞭然だし、一覧表をみながらメニューを決めたりもするんですよ」
「……なるほど」
リアは倉庫内の簡単な説明をしながら、使うハムとチーズを選び出す。
「……あのですね」
「なんだ?」
「……リアンは、本当にごはんに外に出ちゃいけないとかだけで臨時見習いに来たの?」
躊躇いがちにリアは切り出した。
「……どういう意味だ?」
「…………ここのところ、お客様が多いってエルダさんが愚痴ってたから。……もし、それが理由なら、私たちも気を付けないといけないでしょう?」
声は潜めているものの、どこで誰が聞いているかわからないため、リアはあからさまな言葉を使わない。こういう気の回るところは、この子供たちの美点の一つだ。
「……そうだな。充分気を付けてくれ。特にコテージへの行き帰りや、市場への外出だ」
「やっぱり。……何か特別に狙われる理由が?」
「先日、アル・ファダルを訪れたエスティニア貴族の中に、魔力をほとんど持たぬ者がいたらしい。だがこのホテルに一週間宿泊し、毎晩のようにディアドラスの食事をとっていたら、魔道具の助けを借りてではあるが魔法を発動させることができるようになったとか」
「……それってそんなにすごいことなんですか?」
「そんなにすごいことなんだ。……奇跡と言い換えてもいい。どこの国でも、魔力の少なさに悩む高位貴族や王族はいる。……彼らにしてみれば、シリィはどんなことをしてでも手に入れたいと思う存在になった」
「お師匠さまの意思は関係なく?」
「……そうだ。彼らにはそんなことは関係ない。シリィ個人の意思など、最初から考慮などされていない……考慮されているなら、丁重に招き入れる努力をするだろう? そういう努力はいっさいなしだ」
「いきなり誘拐ってこと?」
「そうだ。誘拐計画ならまだましなほうで、手に入らないくらいなら殺してしまえ! というやつらもいるな」
「最低!……わかった。充分注意するね」
リアはマクシミリアンをまっすぐと見て、力強くうなづいた。
「ああ。……こちらでも手を打つ。……この一週間で、しばらくは狙う気が起きないよう徹底的に掃除する予定だ」
薄く笑った紫の瞳に、リアの背筋はぞくりと震えた。




