イルベリードラゴンのテールステーキ ディアドラス風(1)
「すっげえ」
「……うん、すごい」
「何ですか?これ」
その日、ホテル ディアドラスのメインダイニング『ディアドラス』の厨房には、小山のような大きな肉の塊が持ち込まれていた。
畳8枚分はある作業台の7割を占め、ほぼ天井につきそうなほどの高さを持つのだから相当な重量だ。
「なんだと思う?シリィちゃん」
「何度も言いますが、ちゃんと呼ばれる年齢じゃありませんよ、メロリー卿」
栞は溜息をついて、それを持ち込んだ相手に言う。
「いやー、シリィさんだとよそよそしく感じるからさ。僕はね、シリィちゃんの第一の下僕だからね」
「そんなことありませんよ。下僕だなんて冗談ばっかり」
(よそよそしくてもかまわないですってば。あと、人聞き悪いから下僕だなんて言わないで下さい)
だが、和をもって尊しを旨とする栞だからして口には出さない。
「冗談じゃないよ。本気だよ、シリィちゃん」
グレンダード=メロリーは、ニヤニヤとした顔で笑っている。金の巻き毛に緑の瞳の騎士は、ご令嬢方の人気の的なのだが、日常的な言動を知っているホテルの従業員たちにはちょっと残念な美形扱いされている。
彼はプリン殿下の護衛官の一人なので、栞とも接する機会が多く、会うといつも胡散臭い笑みを浮かべながら栞をからかうのだ。栞は、異世界人が珍しいのだろうと思っている。
殿下とのいつものやりとりを知っているせいで、シオリをシリィと呼ぶ。基本的に殿下の周辺の人々は彼女をシリィと呼ぶことが多い。
最近では、だんだん否定するのも面倒くさくなったので、愛称みたいなものだと思うようにしていた。
「どっから持ってきたんですか、これ?」
「ええっ、スルーなの?ねえ」
「はいはい、どっからもってきたんですか、メロリー卿」
グレンダードは、二言目には僕は君の下僕だ、を連発するので、いい加減、皆が聞き飽きている。
誰もそこには触れないのがお約束だ。
「大迷宮だよ。殿下達が潜ってるんだ。定期調査で。夜には戻ってくる」
「なるほど、先週から留守にしているというのはそれでなんですね」
「そう。夜には戻ってくるから俺だけ一足先にね。荷物と一緒に転移陣に入るのはちょっとあれだったけど、シリィちゃんに少しでも早く会いたくて志願したんだよ」
「はいはい」
メロリーは鮮やかにウインクしてみせるが、栞は何も感銘を受けなかった。
(それにしても、便利だよねぇ、魔法って)
この世界において、異世界人である栞は魔力だけはバカ高い。
が、魔法は使えない。魔法は身体に魔力を通す回路がないと発現させることができないそうで、魔法回路は10歳以前に形成することができなければ、それ以降の年齢で形成するのは難しいんだそうだ。
魔法は使えないが、それほどがっかりするほどでもない。魔道具や魔法具をつかえば、栞にだって魔法を発動させることができる。
(それに、あんまりにも魔法に頼ってしまったら戻った時に大変だし)
契約は3年だ。残すところあと2年。もし栞が希望したとしても、延長できるかはわからないし、永住する決心をしているわけでもないので、そのへんは気をつけたほうがいいだろう。
とはいえ、魔法が便利なのは事実だ。
運びこみたい荷物が厨房のドアからは入りきらない大きさであっても、転移魔法というものがある。仕組みはよく知らないが、ドアを通さなくても部屋に送り込めるのだから素晴らしい。
どこにでも送り込めるというわけではなく、このホテルが元が離宮でこの厨房に呪陣があるからできることらしいのだが。
(言葉だってまったく違和感ないしなぁ)
栞は、本来、こちらの世界の言葉をしゃべれない。習った覚えもない。
だが、言葉が不自由なのは仕事に差し障りがあるだろうということで、雇い主であるプリン殿下が、栞に言葉がわかるような魔術を施してくれた。
自身の左手を見る。甲にうっすらと刻まれている紋章はプリン殿下のものだ。刺青のように見えるそれのおかげで栞は言葉に不自由しない。
『ちゃん』や『さん』という細かいニュアンスだってちゃんと通じるし、罵声だって自由自在だ。本を読むのも不自由しない。図書館で文献をあさるのは、栞がこの世界に来てからの新たな趣味の一つである。
「おししょー、これ、どうする?」
「んー……一部を残して、氷室につっこみたい。メロリー卿、これは普通の包丁で切れますか?」
「無理だね。僕が切り分けようか?」
「いえ、メロリー卿の剣だと切り口が焼かれるので……ディナン、アレもってきて」
「アレって?アレ?」
「そう」
「りょーかい」
ディナンの顔がぱあっと輝く。
何度も言うようだが、このホテルは元離宮だ。しかも付け加えるならば、建国当時は王都であり、王宮でもあった。その関係でこの厨房にはさまざまな道具があり、そのすべてが大切に保管されている。
栞の権限の範囲は厨房と厨房に付随する施設の全てなのだが、隣には何があるのか誰もわかっていないだろう器具保管室があり、そこにはさまざまな道具が収められている。
この器具保管室がディナンは大好きなのだ。
どのくらい好きかといえば、器具保管室に入りたいが為に、休みの日に自主的に申し出て保管器具のリスト作りをするくらい好きなのだ。
ディナンだけがどこに何があるのかをだいたい把握しているのでかなり助かっている。
「アレって何だい?」
「見ればわかりますよ、メロリー卿」
説明するのが面倒くさかったので、栞はそう言って笑みを浮かべた。