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ソルシエールのコンソメ フィルダニア風(2)

 ホテル・ディアドラスの建物の一部はアル・ファダルの総督府である。ゆえに、ホテルの中央広場のポールには、フィルダニアの国旗と共にアル・ファダルの都市旗が掲揚されている。

 フィルダニアの国旗は、中央の麦を挟んでドラゴンとグリフォンが描かれているもので、麦は大地を意味しているという。

 ホテルの中央棟のドームの先端にも旗が掲揚される。

 ここに掲揚されるのは王家の旗と決まっていた。濃紺の地に国旗と同じドラゴンとグリフォンが金糸で縫い取られ、中央には王家を意味する剣のモチーフが銀糸で縫い取られている。それは、マクシミリアンがアル・ファダルに在る時だけ掲揚されることになっていて、その有無で、アル・ファダルの住人は領主の在・不在を知るのだ。

 現在、マクシミリアンは外交使節の一員として帝国に行っている為、数日前から、旗は降ろされている。予定では帰国は来週だ。随分と長期の不在だが、食材関係の手配は万全だ。

 どうしても必要なものがあれば出入りの探索屋たちに声をかければいいし、それで足りない場合はリアとディナンも潜ることができる。一般の素材であれば市場から仕入れてきても良いので、栞は特に不自由を感じていなかった。

 


(……不自由ではないけど、殿下がいないと少しだけ淋しい気がする)

 マクシミリアンが不在だと、栞の仕事はかなり楽になる。

 これまで打ち合わせに取られていた時間がフリーになるし、殿下やその側近たちの食事を作らなくて良い。それに、殿下用のプリンも作らなくていいのも大きい。

 そのせいでここ数日はかなり手が空いていて、自分の為に使えるのは都合が良かった。

(コンソメの研究をするにはちょうど良かったんだけど……でも、そろそろ材料のことで相談もしたいんかな)


「どうしたの? オーサ」

 いつも通りに出勤した栞は、廊下でうろうろしているオーサの姿を目にとめた。

 先日の一件の反省からなのか、オーサの出勤は栞よりも早い。どうやら、一番に出勤して一番遅く帰る……を実践しているらしい。

「……あ、おはようございます、ヴィーダ。……それが……」

 オーサは栞の顔を見たとたん、ほっと安堵の表情を見せた。

「……中。入ったら?」

 厨房わきの小部屋……栞とソーウェルの仕事机や皆が休憩するテーブルがある部屋の前で立ち止まったオーサを促す。

「あ、いえ。それが……」

 栞はオーサの視線の先を覗き込む。

 皆が使うテーブルにつっぷして眠っているらしい人がいる。

「……え? 旗、出てたっけ?」

 栞の問いにオーサはフルフルと首を横に振る。

「……あ?……ああ、シリィか、おはよう……」

 ゆるゆると起き上がったマクシミリアンは、目をこすりながら栞を見て小さなあくびをした。

「おはようございます、殿下。……なぜここに?」

「ああ……転移陣を使ったのだが、間違って厨房のやつを指定してしまってな……もう眠くてギリギリだったのでここで眠らせてもらった」

「お、俺、お帰りになったことを支配人にお知らせしてきますね」

「待て」

 マクシミリアンは、オーサが知らせに駆けだそうとしていたのを引き留めた。

「……私はまだ帰国していないことになっている。だから、知らせは必要ない」

「え?」

 立ち止まったオーサにマクシミリアンは言い聞かせるように言った。

「いろいろとあってな。……私は使節団と一緒に帰国しているはずだから、ここにいる私のことは気にしなくていい。まあ幽霊か生霊みたいなものだと思ってくれ」

「……あ、はい」

(殿下くらい態度がデカいというか、存在力のある幽霊とか生霊はいないと思う……)

 もちろん、栞の心の中の声が誰かに聞こえることはなかった。


       ◆◆◆◆◆◆◆


「じゃあ、いちゃもんつけられた件は解決したんですね?」

「ああ。わけのわからない絡み方をされたので、とことんまでやり返してきた」

 マクシミリアンはにこやかな笑顔で言うが、そんなさわやかな笑顔で言う内容ではないような気がする。

(殿下のとことんって!!)

「魔生物が絶滅しそうだから保護しましょうなんて言い出すのは、頭がお花畑なのか、それとも沸いているのかと思っていたが、ただの馬鹿だった」

「ただの馬鹿、ですか……」

「ああ、ただの馬鹿だ。フィルダニアという国が存在せず、我らが魔生物を間引くことなく、蝕に対処することもなかったら、今頃、世界がどうなっているかを想像することもできないのだからな」

 マクシミリアンの淡々とした口調からすると、よほど腹に据えかねることがあったのだろう。

(殿下はこういう口調の時の方が怒っているんだよね……まあ、たぶん、相手の人はトラウマになってると思うけど)

「でも、フランチェスカが絶滅したら申し訳ない、とは私も思っていますけど……」

 どう考えても、乱獲される原因を作ったのは自分だという自覚が栞にはある。

「だが、シリィは保護しろとは言わないだろう?」

「ええ。人と魔生物が共存できるとは思えませんから……。それに、保護ってどうやってするんでしょうね? ダンナから聞きましたけど、フランチェスカってなわばりに侵入した敵は全て絞め殺すんですよね?保護しようと近づいた人だって、フランチェスカには等しく敵だと思うんです」

「当然だな。……だいたい、保護したいのならば好きにすればいいのだ。帝国にも門はあるのだ。わざわざ我が国に言ってくるのはただの嫌がらせにすぎぬ」

 ふん、とマクシミリアンは鼻をならした。

「……ところで、殿下。なんで厨房の制服着てるんです?」

 栞の見ている前で、マクシミリアンは予備のコックコートに袖を通し、同じく予備のキャスケットをかぶっている。

「いや何、私が帰国するのは来週だから、それまで厨房の見習いになりすまそうかと思ってな」

「なんでまたそんなことを」

「いつも通りに過ごしていたら、私が戻ってきていることがバレるだろう。それでは困る。……とはいえ、私も一人でフラフラしていていい身ではないからな。ここならばホテル内だし、こっそりと仕事もできる。……何よりも厨房の一員ならば、普段食べられないものが食べられるだろう?……まかないとか!」 

 マクシミリアンの目が輝いている。

「まあ、食べられますね」

「それに、下拵えを覚えられたら、迷宮でも役に立ちそうだ」

「……あ、それはいいかもしれませんね。とってすぐに下処理をしてもらえたら、すごく助かりますし」

「そうだろう」

 我が意を得たりとばかりにマクシミリアンはうんうんとうなづく。

「それに……多少なりとも料理を覚えたい。……迷宮にこもったときに少しでもうまいものを食べるためにな」

 料理を覚える必要などないのではないか? と思ったが、ズキリと心に突き刺さるような痛みが走ったので口に出すことはなかった。それは栞の胸の痛みではない。マクシミリアンのものだ。

「わかりました。……じゃあ帰国予定日まではここで見習いをするってことでいいですか?」

「ああ」

 栞の言葉にうれしそうにうなづく。

「扱き使いますよ」

「かまわない。どんどん使ってくれ。……料理はしたことはないが、無駄に魔力だけはあるからな」

 何やらマクシミリアンは張り切った表情をみせた。

「……殿下、もしかして楽しんでます?」

「ああ。……こういうの、初めてだからな。ああ、私のことはリアンと呼んでくれていいぞ」

「リアン、ですか?」

「ああ。マックスと呼ばれるのは嫌いなんだ」

「『殿下』とお呼びするんじゃダメなんですか?」

 リアンという愛称で呼べ、と言われても何か違和感がある。

「あのな、シリィ。私はここにいないことになっているんだぞ。『殿下』じゃあバレバレだろう」

「そうですけど……え? もしかして、スタッフにも隠し通すんですか?」

「エルダくらいには告げるが……一応秘密にするつもりだ。何か不都合があるか?」

「え? 寝るところとか着替えとか……」

「厨房の臨時の見習いとして、制服を手配してくれ。寝る場所は、使っていない部屋に適当にもぐり込むから気にしなくていい」

「わかりました」

(臨時見習いがいるうちに、細かい下拵えがいることとか保存食づくりをしよう)

 例えばスケルトンフィッシュのアンチョビづくりだったり、肉スライムの腸詰めづくり……それから、バラス猪のベーコンにハム……作りたいものはたくさんある。

「どうしたんだ? シリィ」

「殿下がいれば、いろいろおいしいものが作れそうだな……と」

「そうか?」

 何も知らないマクシミリアンは嬉しそうに笑った。


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