ポドリーのグリエ 旬野菜のエテュペ添え(16)
執務室に、押し殺した笑いが響く。
「……シリィ」
「……わかってます、すいません」
栞は口元を押さえ、何とか笑いをこらえようと努力していた。努力はしているが、どうやらツボに入ってしまったのだろう。こらえることができないらしい。
「反省の証で丸坊主にするって……誰が教えたんですかね」
「さあ……シリィの国の風習なのか?」
「風習……風習と言うと違和感ありますけど。習慣? いや、慣習? みたいなものですね。殿下が疑問に思うと言うことはこちらではそういうものではないんですね?」
「ああ。……なぜ、髪を刈ることが反省の証になるのかがよくわからぬ。丸刈りにするということが罰ということなのか?」
「そういうわけではないですね。ああいう風に髪を刈ることは日本……あちらでは、反省の証として認められていましたよ。一応、最上級の反省というか……男性に限り、ですけど」
「どういう理由でそれが反省の証になるんだ?」
マクシミリアンにとっては純粋に疑問らしい。
「……ああいう風に頭を刈るのを、頭を丸めるって言うんですけど、丸坊主にするっていうのは、本来、出家するっていう意味なんです」
「しゅっけ?」
「……あちらにある宗教の聖職者になるという意味なんです。髪を刈って丸坊主にすることが現世とのつながりを断ち切るというか……出家してそれまでのすべてと縁を切り、心を入れ替えて修行に励み、己を鍛えなおします、っていう決意表明の証ですね」
「なんだ、では、髪を刈っただけでは意味がないのではないか?」
「ええ。もちろんそうです。でも……」
「でも?」
栞はさきほどのオーサの表情を思いおこした。
「あの表情なら大丈夫かなって思います。……ちゃんと、考えて決めた表情をしていた……言葉にもちゃんと芯があったから」
「……まあ、浮ついてはいなかったな」
エルメ老人を通じてシリィに謝罪をしようとしていたオーサを執務室に呼び出したのはマクシミリアンだ。オーサの態度が変わらないようなら……あるいは、反省が見られないのならその場で馘首を言い渡すつもりだった。
(少しでも舐めた態度をとるようなら、王都に送り返そうかとも思ったが……)
神妙な表情で心を入れ替える旨を述べたし、栞が様子を見ようと考えていたのでこのまま残ることを認めたが、しばらく様子見をするつもりだ。
「とはいえ、しばらく要注意ですけどね」
「……そうだな」
「リアやディナンとは事情が違いますし、ちょっと私も気にしておこうと思います」
「いや、別にそのままで構わない」
「そうですか?」
「ああ。オーサもそうだが、今後、新たに来るかもしれない者達もすべて、リアやディナンを基準にしてほしい」
「わかりました。……あの、ソーウェルさんは別ですよね?」
真面目な顔で訊ねる栞に、マクシミリアンは小さく笑いながらうなづいた。
「……あれは別枠だ」
安心したようなその表情に、マクシミリアンの表情が更にほころぶ。
何でもないこんなやりとりであっても、相手が栞であるというだけで不思議と心楽しいものに思えた。
◆◆◆◆◆◆◆
「……あら、戻ったのね」
本日のお客様に関する打ち合わせをしていた時に、エルダが言った。
「……ああ、オーサのこと?」
視線の端に映ったその後ろ姿に栞は小さく笑う。
キャスケットをかぶっていても、髪がないことはわかる。
「そう。てっきりクビかと思っていたけど……」
「ああ、うん。首の皮一枚でつながったってとこかな。殿下には言われてた……様子は見るけど、次に同じことやったらクビだし、しばらくは下働きだって」
神妙に聞いていたオーサは、話が終わった後、栞とマクシミリアンに深々と頭を下げた。言い訳はなかった。ただ、迷惑をかけたことに対する謝罪があった。
「でしょうね。……それでも、殿下にしては珍しく甘い処分だわ」
「……私に配慮してくれたのかも」
「そうね。……シリィは、オーサを残したかったの?」
「……よくわかっていないのに私の国での反省の証だって誰かに聞いたらしくて、わりと毎日念入りにセットしていた髪も全部刈って……ああ、本当に反省しているんだなってわかったの。だから、もう一度やりなおすチャンスがあってもいいんじゃないかなって思ったの。……たぶん殿下はそれを汲んでくださったのだと思う」
「……そうね」
マクシミリアンは栞に甘い。たぶん、これまで栞の意思に反することをしたことがないだろう。
(……というか、シリィ自身が殿下に反するようなことを基本的にしないのよね)
たぶん、根本的に相性が良いのだろう。あるいは、それこそが誓約者であるせいなのかもしれない。
「……あ、あと、今日のメインのお料理はポドリーのグリエ一択です」
「あら、お肉の料理はつかないの?」
「イルベリードラゴンのパイシチューをつけるので、肉料理はないです」
「パイシチューってあれよね、パイの皮を蓋にするやつ」
「ええ、そうです。火傷しないように注意してあげてくださいね」
「わかったわ。……で、ポドリーのグリエって初めてよね? ソテーとか、ポワレとは違うのかしら?」
「グリエっていうのは、簡単に言うと網焼きですね。いろいろ試作した結果。グリエにすると新しい炭の利点を一番いかすことができて、かつ、魔力があまりない人間でも上手に調理ができるんじゃないかな、と思っているの」
「へえ……」
「それに旬野菜のエテュペをバターソテーにしたものを添えます。あ、ソースについてきかれたら、ディアドラスのオリジナルの秘伝のソースですで通しちゃってください」
「了解。……そのほうが有難いわ。料理の詳しいことをきかれても私たちも困ってしまうし……ほら、お客様は何とかあなたを引っ張り出そうと私たちにはわからないことを聞こうとするし……」
「難しいこと聞かれたら、秘伝なのでお教えできないんです、でいいですよ。殿下にもこたえる必要はないって言われてますし……最悪、ソーウェルさんが表に立ってくださるそうなので」
「ああ……それは安心ね」
なるほど、そういうことかとエルダは納得した。
当人の希望であったとはいえ、王宮の総料理長だったソーウェルがレストラン・ディアドラスの栞の下で働くことをマクシミリアンが許可した意味がよくわからなかったが、それなら理解できる。
(……いざという時の盾ということであれば、まあ役に立たないでもありません)
「で、今日のそのメインをディナンがやるのね?」
「ええ。……もちろん時間がおすようであれば、私がすぐに代わるつもりだけど」
「この間と同じってことでしょ。それなら、大丈夫よ。あれくらいならお客様も気づかないから」
多少ならば、水をいれかえたり、あるいはワインを勧めたりして気をひくこともできる。
「ありがとう。他の子たちにもよろしく言って下さい」
「ええ」
◆◆◆◆◆◆◆◆
(……くそっ)
最初に失敗したあの時と同じように、ポドリーの固さにまったく歯がたたない。
「……むやみやたらに刃を突き立てても無理だって。……いれるとこがあるんだって。……刃の先でさ、ここをぐーーーーっと辿ってって、それで、なんか凹ってしてるなって何となく思うとこがあんだよ、そこに刃をいれんの」
自分と同じように刃を突き立てているようなのに、ディナンの手の刃はすんなりと奥へと入り、ぐっと力をいれると魔石がはずれる。
ディナンの言うようにやっているつもりだったが、自分には凹っとしているところがよくわからない。
かといって、目で見てその場所がわかるかといえば、差があるようにはまったく思えないのだ。
「……オーサ、ちょっと上から持つからね」
「あ、はい」
自分の横に立った栞が、自分の手の上から小出刃を握り、その刃を動かした。
「……ここだよ」
何が違うのかまったくわからない。けれども、栞は確かにその一点をみつけて、そこに刃を突き立てる。
「……あ……」
すんなりと刃は殻に潜り、あっけないほど簡単に魔石がはずれた。
「……ほら、とれたでしょう?」
「あ、はい」
「じゃあ、次」
二つめも三つめも、しばらくすると栞に手を添えられた。
不思議なことに、栞が手を添えるとその場所はちゃんと見つけられる。
そして、四つ目だった。
「……あ……」
初めて自分でその場所を見つけることができた。
殻はとてもきれいとはいえない有様だったけれど、刃はすんなりとそこに潜り、魔石はあっさりとはずれた。
「……お、できたじゃん」
隣の作業台のディナンが目ざとく気づいた。
「……うん」
「じゃ、忘れないうちにこっちもよろしく」
ディナンは、自分がやっていたほうの作業台を代わってくれ、と目で示す。
「あ、ああ……」
ちょっと待て、と思ったものの、自分は下働きだから仕方ないのだと思う。
「ごめん。……俺、あっちの準備あるから、頼む」
そんな風に頼まれれば、不満を持ちそうだった心も宥められる。
「……わかった」
そして、どこか険しい表情をしたディナンの背を見送った。
「……あのね、ディナンはね、今日はメイン担当なの。本当は下拵えとかしてるどころじゃないんだよ」
「じゃあ、なんで?」
「……あんたが心配だったんでしょ。……それ、ぜんぶはずしちゃってね。身を剥くのは私がやるから」
リアは少しだけまだ怒っているような口調だった。
でも、これが当然なのだと思う。
「……あいつ、なんで、あんな緊張してんの?」
「たぶん、今、口で言ってもきっとわかんない」
「……うん」
できなかったことが、できるようになったとはいえ、オーサはまだほんの最初の一歩を踏み出したばかりだ。
「……でも、オーサも、自分がやることになったらわかるから」
「……ありがとう」
リアが付け加えたその一言は、彼女なりの許しの言葉のように思えたから礼を言った。返事はなかったけれど、以降、リアは普通通りに接してくれたから、たぶんそれで良かったのだろう。
(俺は、ただ頑張るだけだ)
自分にはそれしかできないのだとオーサは、目の前のポドリーの山に向き直った。




